東赤石山 1760.6m 八巻山 1700m 物住頭 1634.3m
西赤石山 1626.1m
2011.9.23(金)
晴れ(上層ガス) 同行者あり 笩津より入山し日浦まで縦走 登山口間は自転車 行動時間:8H13M
@笩津7:35
→(47M)→A瀬場谷分岐8:22→(106M)→B赤石越下分岐(赤石小屋の方へ少し進む)10:08〜20→(8M)→C赤石越10:28→(7M)→D東赤石山10:35〜43→(29M)→E八巻山11:12〜14→(6M)→F下降点分岐11:20→(44M)→G石室越12:04→(34M)→H物住頭12:38〜45→(32M)→I西赤石山13:17〜23→(52M)→J銅山越14:15〜23→(38M)→Kダイヤモンド水15:01→(34M)→L日浦15:35→(13M)→M
笩津15:48
@笩津登山口から | 最初の渡渉 | ハシゴ場 | 八間滝を見下ろしながら |
清流の上を渡る。 | A瀬場谷の分岐 | 流れが白く大きく。 | 足の濡れる渡渉箇所。左岸側から。 |
流れのある中を登って行く。 | 沢状のルートを登り上げ分岐。 | B赤石越えに向かう分岐。ここで小屋の方へ少し進んでみるが、意外と距離があり、途中で引き返す。 | 奇岩 |
C赤石越 | もうすぐ山頂。かなり滑りやすくなっていた。 | D東赤石山 | D東赤石山から八巻山側。 |
岩場ルート。 | E八巻山。ステンレスの祠がみごと。 | E八巻山 | F赤石山荘への下降点分岐。 |
F有名な大岩。 | 途中から赤石山荘を見下ろす。 | 前赤石側へは岩場ルート。 | これが石室でいいのか? |
G石室越 | G悪路だが、楽しかった。 | 前赤石山は、山腹を巻く。 | 山腹ルートも不明瞭な場所がある。 |
岩場が終わると一転して歩きやすくなる。ルート上に石英が多い。 | 廃道の分岐がいくつかある。 | H物住頭 | H物住頭の標識。 |
H四等点 | H物住頭から東側 | H物住頭から西赤石。 | I西赤石山 |
I西赤石山二等点。 | I西赤石山から北側。 | 西赤石山から銅山越まではスカイライン。 | I銅山越 |
I石仏に首を垂れる。 | 銅山越の道は石畳の歩き易い道。 | 坑道を見たり | よく整備されたマインロード。 |
強い流れの上を渡り。 | Jダイヤモンド水。水量が強すぎて、汲むのが大変。 | 趣のある往時の塀 | K日浦登山口に到着。 |
Kデポしておいた自転車で戻る。 | L笩津に戻る。 |
久しぶりの四国。そう頻繁に行ける場所ではないので、私にとっての沢山の未踏峰が残っている。行かねば行かねばと思っているものの、距離こそ変わらぬものの、高速料金の1000円の味を覚えた身としては、その改訂の影響は大きい。やはり懐も気になるところ。それでも三連休。「出向こう」となった。
その前に、18日からの腰痛がいっこうによくならなかった。傍から見ても腰痛持ちの歩き方。ぼんやり予定したものの、実際の行動に移すかどうかは、前日の夕刻まで判断できていなかった。行って登れなければ、それこそ勿体無い事になる。ただし、極度の腰痛でも、山を歩くと不思議と治る事が多い。これがいつも。そして、いつものパーセンテージに賭けてみた。決行。
高速を繋いで、岡山から瀬戸大橋に乗って坂出に入るのだが、ちょうど夜明け前の時間。周辺に広がる工業地帯の夜景が見事だった。新居浜で高速を降りてR47号を足谷川に沿うように上流に向かって行く。そして大永山トンネルを潜ったら、狭い別子ダムサイドの道となる。注意を払いながら進み、ダム堰堤を右に見たら、その先で左側に日浦登山口がある。ここに帰り用に自転車をデポする。その昔、バイクを積んでいたこともあるが、ガソリン臭がくさくて居られたもんじゃなかった。エコであり機動的であり、持ち運びに関しても自転車は優位となる。自転車を置いたら筏津の登山口に移動する。走ってみると、僅かに登りがある程度で、ほとんど下り。よって、登山を含めて帰りの自転車も楽しみとなる。
筏津の登山口に着くと、路肩に3台の車。水でも汲んでいるのかと思ったら、全てハイカーの車であった。どうやらここの駐車スペースは路肩のよう。右へ倣えで縦列駐車をする。すぐさま準備。休憩も入れずにいきなり・・・。前夜は21時から行動している。山中であまり元気が出ないのは目に見えていた。でもこの予定で動くしか・・・。特異なトイレ舎を横に見つつ、登山口から入山する。流れを跨ぎ、至極快適な山道が続く。緩やかで歩き易い。瀬場登山口への分岐を過ぎると、前を男性が歩いていた。気さくな方で会話が始まる。何でも宝塚の自宅から原チャリでここまで来たそうな。さらに話を進めると、青森まで原チャリで行ったとか・・・恐るべし。そしてすばらしきかなバイタリティー。
最初の渡渉点を過ぎ、10分ほどで右側に八間滝が見えてくる。木々に邪魔されるが、周囲から聞こえる瀑布の音に、その全容が見えるようであった。このルート、地図からは特に水場指示が無いのだが、至るところから流れ出ていた。清らかな瀬場谷を木橋で跨いだら、その先で分岐となり、右側ルートを選択。最初は平坦なトラバースから、こちらも流れを愛でながらの夏向きなコースであった。ただし、こちらに入って二つ目の渡渉点かで、靴を濡らさないと渡れない場所があった。もしかしたら台風の影響もあり、いつもは違う状況なのかもしれない。渡りきった左岸側には、石組みで囲まれた六畳ほどの空間があった。小屋があったのかと見ていたが、よくある炭焼き釜ではないことは確か。不思議な残存物だった。次第に道は自然に溶け込んだようなルートとなり、岩がゴロゴロとした沢形状となり、後半は流れの中を歩いて登るようになる。そして登りきって分岐。後続が全く姿を見せず、一度100mほど下ると、ゆっくり歩いてきている姿があった。分岐に駆け上がり、足並みを合わせるために小休止。合流したら西側にずれてゆく。赤石越下分岐からは、赤石山荘が見たくて足を進めてみる。急げば僅かで到達するのかと、急ぎ足でアップダウンする道を行ったのだが、なかなか見えてこない。同行者とあまり離れるのも危険。途中で引き返し、分岐から駆け上がってゆく。途中にある奇岩を左に見て、複数ルートがある中を、本道らしき所を選んで進む。そして赤石越。名前の割りに小さく狭い場所であった。ここからは樹林帯の中を抜けて行く。周囲はガスで、寒いほど。一過を期待して大展望の予定であったが、これも日頃の行いからか・・・。前方に単独行の男性が居り、その後を追ってゆく。
大岩を這い上がり、東赤石岳に到着する。しかし先ほどの男性は先に進んで行った。普通に権現山の方へ進むのだと思った。全くのガスの中で、見えるのは僅か南側だけ。それでも待っていると、八巻山側も少し明けてきた。ガスの沸き立つ中であり、とても荘厳な絵だった。ただし、じっとしていると寒くてならなかった。小休止の後、温まりたいがために行動開始。赤石越からは、そのまま尾根通しで進んでゆく。左右を木々に迫られた、狭いと思える中を抜けて行く。抜け出すと今度は岩場。ここはあまり指示標がないので、あっちかな、こっちかなとルートファインディングが楽しめる。ポコポコと、二つほどのピークを越えると、その先に八巻山は待っていた。
岩の上の頂部にステンレス構造の祠があり、その造りはメタリカルで見事。その祠の北側に山頂標識が横たわっていた。金属(祠)を置いている為か、避雷針も設けてあった。少しづつガスか開けてきていた。だんだんと瀬戸内海側も見え、それによりここの高度感が増す。この八巻山を僅かに進むと、赤石山荘への下降点分岐。ここにはガメラのような大岩がある。基部の岩にちょこんと乗った大岩であり、誰の目からも落ちそうに見えるものであった。この分岐から西に進みつつ、南側の眼下を見る。そこには行きたかった赤石山荘の赤い屋根が見えていた。ここからはやや距離があるので諦められるが、そう何度も来れる場所ではなく、寄っておいた方が良かったのではないかと自問自答していた。すると、後から、先ほど東赤石から先に進んでいった人が追って来た。最初判らずに居たのだが、数秒後にピンときた。東赤石には三角点があり、それを拝んでいないことを・・・完全に手前にある岩の上を山頂としてしまい、その奥に行かなかったのだった。標高的にはニアリーであり、暫定的にはいいのだが、三角点を拝めなかったのは至極心残りとなった。
さあここからが、岩場の連続ルート。岩場と言っても北アは大日岳の東、中大日岳付近のような場所が続く。そこと同じように特にペンキなどのマーキングがなく、ある程度は自分でルートを探さねばならない場所であった。とは言え、踏まれる石の所は変色していて、その色の違いでルートの在り処を探して進んでいた。石室周辺は特に入り組んでいる。よく見るとかなり下の方に白ペンキが打ってあったりし、行ったり来たりしながら現地を楽しんでいた。その石室の下辺りでは、鉱物学を専攻している人なのか、瓦礫の中から特異鉱物を探し出している様子でハンマーを振るっていた。声をかけると、言い辛そうにしていたので、採取は公にはいけないのではないかとも思えた。足を進めるのだが、この周辺の岩場の上には、独特の白い文様が着いている。塩の結晶かと思ったのだが、水が溜まる場所にあるわけでなく、違う理由で着いているようだ。雪の上のシュカブラのような文様。それらを見つつ、岩にある各々の家紋を楽しむように歩いていた。
岩場が終わると、その先が石室越で、鋭角に小屋側に戻るように道が付けられていた。そして今歩いてきたコースを「悪路」として表示してあった。悪と言うと聞こえが悪いから、「難路」でいいようにも思えた。道が良くなったかと思ったが、この先の前赤石山のトラバースルートも、ちょっと判り辛い場所があった。ここを過ぎると、本当に快適な道となった。少し北側に向かうような道となり、進む方向に対して不安に思えたが、ちゃんと西に進んでいく。樹木の中にある尾根道、アーチ状の中を歩く感じがワクワクするのだった。途中には、北側へ下る、廃道への分岐道標も残っていた。あと、ルート上に真っ白い石が多い。間違いなくそれらは石英だった。大岩もあり、その白さを綺麗と思えた。
物住頭到着。四等点が出迎える。すぐさま北への道を調査。思ったとおりに道が切られている。しかし、樹林があり、その先にある上兜山が見えない。往復40分ほどか、行きたかったが単独行ではない。ここは我慢。50mほど北に入った場所で、踵を返す。山頂にある銅板で造られた山頂標識が見事。最初は判らなかったが、そうか、銅山を意識しているのか・・・とすぐに判った。西赤石に向け足を踏み出す。前方に見えるスクンとした姿が、とても流麗。東赤石が「剛」ならば、こちらが「柔」って感じに思えた。とても歩き易い道で、それには八巻山周辺の岩場を経てきたせいもあるから、そう感じたのかと思う。ガスもだいぶ明け、気持ちいいと思えるほどの展望になってきていた。ただし石鎚山はガスの中。
西赤石山到着。二等点が待っていた。男性が一人、ストーヴを出して昼食の準備をされている所であった。折角の一人での山頂、邪魔をしないようにそそくさと銅山越えの方に降りて行く。最初こそ、岩場を巻くような場所があるが、その先はスカイラインと言っていいほどに展望が良い場所。そよそよとした風が当たり、全てに気持ちよかった。向かう先の西山にも行きたいところだが、今日は我慢。そして銅山越に到着。そこに見る石積みは、まさしく、渡渉点にあった石積み。あの場所には祠があったのかと思えた。神仏に関する石積みなのだと理解。石仏に首を垂れる。そして峠の中央にある石に寝転がり、空を見上げる。う〜ん、いい感じ。自然で遊んでいる感じが強い。周囲には「マムシが出ます」との表記が二つあった。確かにルート途中にはマムシが寝ていた。間違いなく居るのだろう。同行者が追いついた所で、下山に入る。
石畳のとても歩き易い道。まずは最初にある歓喜間符という坑道入口を見学して行く。ここには豊富な水が出ているので、喉を潤すのにちょうどいい。さらに下ると、赤レンガの何か施設跡。逐一案内表示があり、自然に戻った場所に往時の様子を想像する。それらをゆっくりと読み込みながらの下山。登山の味付けとしては最高の場所。銅山川の強い流れを縫うように付けられた道は、渓谷内を歩くようで、涼しさが伴う。間違いなくバラエティーに富んだ道と言えよう。そこに歩き易く切られた道があり、そこに乗ってゆく。この上ない快適さであった。
ダイヤモンド水到着。予想していた様子と違い。出ている水量・水圧の強さに驚いた。コップが置いてはあるが、汲めたもんじゃない。高圧洗浄機とまで言うと大げさだが、類するぐらいに圧力があった。それでもなんとか飲む。ダイヤモンドと付けられた名前のせいか、高級な味がする。下の方へ行くほどに、旧町並みも公的施設が多くなる。病院や学校跡地を見ながら下る事となる。今はない、あったであろう橋を想像したり、残る石垣を見ながら、掲示してある往時の様子を見比べる。この銅山があって、今の新居浜、さらには四国があるようにも思う。円通寺跡を最後に見たら、マインロードもほぼ終了。下に車道が見えるようになってくると、もう日浦の駐車場も近い。この日は土曜日。作業中の掘削する音が谷間に響いていた。
日浦駐車場到着。トイレ脇に立てかけておいた自転車に跨りダウンヒル。風になりながら一気に降りる。僅かに漕ぐ場所もあるが、八割五部は漕がずに降りて行ける。経路13分だった。あっという間に筏津に到着。すぐに自転車を車に積み込み、日浦に急いで同行者を拾う。そこに居たハイカーに温泉を紹介してもらうと、別子銅山のところが近くていいとのことであった。
一つだけ、東赤石山の三角点が気になるが、100パーセントに近い満足度で、周回が出来た。