赤岳 2899.2m
2012.01.29(日)
晴れ 同行者あり 南沢から文三郎尾根経由 行動時間:7H
@赤岳山荘P6:33
→(137M)→A行者小屋8:50〜9:07→(86M)→B赤岳10:33〜38→(64M)→C行者小屋帰り11:42〜12:02→(22M)→D赤岳鉱泉12:24〜27→(66M)→E赤岳山荘P13:33
@赤岳山荘Pからスタート。 | 南沢を往路に。 | 新雪の中に、しっかりとしたトレールが続く。 | A行者小屋到着。 |
A行者小屋前から阿弥陀。 | Aテントは10張りほどあった。さあ進軍。 | 点のように見える先行ハイカー。 | 横岳側が綺麗。 |
中岳と阿弥陀岳。 | 中岳との分岐点 | 分岐点から中岳。 | 山頂がガスに中に・・・。 |
最難関と構えていた最後の岩場。凍っておらず、楽だった。 | 岩場手前から振り返る。 | ガスがかかると淋しい景色。稜線に出ると強風。 | 頂上直下。 |
B赤岳山頂。 | B三角点 | B頂上小屋側。 | 野辺山側をバックに・・・。 |
主稜に取り付いているパーティー。 | C行者小屋に戻る。 | C行者小屋前は賑やか。 | C行者小屋前から横岳側。 |
中山乗越から大同心。 | D赤岳鉱泉。 | D人工アイスクライミングゲレンデ。 | 北沢終点地。 |
美濃戸山荘前。 | E赤岳山荘Pに戻る。 | 。 |
「アイゼンを買ったので、使うような場所に連れてって下さい」と言われていた。そして「八ヶ岳に行きたい・・・」とも。それに対し、「それなら、赤岳を目指しましょう」なんて軽く言ってしまった。蓼科山などの北八ッの方が無難だったり安全だったりするのだが、どうせ登るなら望みは高く・・・。当然のように山群の他の山々を見ながら、場所を含め色んなシュミレーションをする。安全に行くために・・・。そしてほんのちょっとは落ちた場合の事も考える・・・。想定と準備、他人を連れる場合はとても大事な部分。でも、初八ヶ岳で厳冬期の赤岳なんて、プレゼントとしてはいき。金曜日の降雪により、かなり雪の乗った八ヶ岳。景色は最高であろう。現地を知らないドキドキの同行者。そして自分には、連れ上げる使命を担わせた。
3:30 上信越道は某インターサイドで合流する。そして女神湖経由で南下して行く。雪が舞っている。八ヶ岳の山群は雪雲に覆われている様子。ハンドルを握りながらも、少しグレードを落とした山行にした方がいいか・・・まだ悩んでいた。経路にある蓼科山の登山口には、ハイカーが残した駐車跡が見える。ここで安全に登ってしまえば、などとそそられるが、満足度、達成感、ここは赤岳の方が勝る。横目に南下して行き、美濃戸口に到着となる。外気温は既にマイナス17度。計算上での山頂はマイナス25度。駐車場では出発準備をしている方。のんびりとコッヘルに湯を沸かしている方などが見られた。既に6時を回っていた。ここからだと5時間の経路。これだと最後の登りに疲れが凝縮してしまう。1時間のアルバイトの軽減を図る。赤岳山荘まで車を突っ込んでしまう事にした。林道の雪の状態が心配だが、降雪後の低温状態。よく咬む路面状況であった。凍っているような場所も無く、気になっていた柳川前後の下り登りも難なく通過して行く。そして赤岳山荘の駐車場には、20台ほどの車が既に停まっていた。暗い中でもすぐに1000円の徴収に来た。この対応は以前と違う部分。かなり冷える。靴紐を縛るにも悴む手が作業を鈍らせる。
白み始めた6:33スタートを切る。美濃戸山荘前から南沢に入って行く。既にしっかりとしたトレールがあり、そのレールに従い、ゆっくりと高度を上げて行く。この南沢は、夏の大雨の影響か、沢が荒れたのだろう高巻の迂回路が設けられていた。同行者は、初雪山に近い状況。それなりの装備はしてきているが、経験値が乏しいので体の各所が寒いよう。そのため、少しアップテンポで足早に進む。1時間ほどで谷が広くなる場所まで来て、ここで一本。すると前からガチャを鳴らし、ザイルを袈裟懸けにした、80リッターほどのザックを背負った二人連れが降りてきた。しきりに南側の取り付き点を気にして歩いていた。阿弥陀西稜側にクライムアップするようであった。同行者を見ると、手袋を外して立ち止まっている。「なるべく手袋は外さないよう、立ち止まっている時も足踏みしてください」と指南。どんどん冷えてきていた。
休憩後も、体温を上げる為に少し足早に行く。さりとて汗をかかない程度でないと逆効果であるので、微妙なコントロールは必要。同行者は歩き出すとぴったりついてくる。ただし表情は不安そう。よく判る。「どんな場所が待っているのか」と言う事なのだろう。低温であり、ギュッギュッと雪が鳴く。この音を聞いたのも久しぶり。私のグローブはマイナス15度対応。しかし既に指先が痛い・・・。同行者は甘く考えていたようで、手袋装備が薄い。オーバーグローブを渡すと、しばらくして血が巡りだしたようであった。凍傷やしもやけにならねばいいが・・・。
行者小屋到着。テントが15張りほど咲いていた。昨晩はどのくらい冷えたのだろう。本当に物好きだと思ってしまう。次々と文三郎尾根に向かって出発している。目を凝らすと、尾根の上に点が動いているのも見える。そして阿弥陀岳がモルゲンロートになっており、綺麗に輝いている。ただし、ズームアップにすると雪煙が舞っている。稜線では風が強いようだ。ここでストックからピッケルに持ち替え、アイゼンを装着。同行者は10本爪。ICIの太田店の人には、「10本ではこの時季の赤岳には登れないよ」と言われてきたらしい。それもあり、登らせてあげたいと思ったのだった。小休止の後、テントを左右に見ながら最後のアプローチ。
同行者の表情は硬い。優しい言葉でもかけようものなら「ここまででいいです」と言うだろうと思えた。当然、その言葉があれば、アタック中止の予定である。嫌な思いをしてまで登る必要は無い。ただし、行く意欲がある人には、それ相応の対応はして、最後は喜んでもらいたい。エキスパンドメタルの階段は、少し顔を出している程度。ほとんどの鎖は埋もれていた。風が強くなり、嫌な事に山頂がガスの中に入ってしまった。それまではいい天気だったのに・・・。それでも周囲の展望はいい。中岳も阿弥陀岳も見事。そして横岳側の大同心、小同心なども鋭利でいい。中岳との分岐で、前を行くパーティーが立ち止まる。同時に後ろを向いて「調子はどう?」と声をかけると、「少し息苦しいです」と・・・。寒さと高度からか、そう言う自分も冷たい空気で肺がピキピキとしている。「あと30分くらいですよ」とはっぱをかけるが、この先が核心部。以前凍っていた時は、本当に怖いと思って通過した。今日はどうか・・・。
岩壁の中のルートは、雪が乗りさほど危険度は無かった。ただし視界に見える周囲は、一旦足を滑らせれば命に関わるような場所。先行しながらも、後を常に気遣い行動して行く。竜頭峰の分岐から少しの登って、ちょっとした肩のような場所に踏み込んだら、雪全体が10cmほど沈んだ。雪庇になっていたのか、やばかった。最後のハシゴも雪が詰まって使えず。その右脇を県界尾根を右に見ながら巻き上げる。ちょっとここの下りが嫌らしいか。登りながらも、下りの注意点を頭に叩き込む。本当は地蔵尾根を降りようかと思ったが、一度通った場所の方が同行者も安心だろうと思え、ここで既に文三郎のピストンと決めた。その先に懐かしい標柱が見える。
赤岳山頂。久しぶりに立ったが以前のままで懐かしい場所。風が強く、頂上小屋の方に各パーティーが溜まっているのが見える。地蔵尾根を登ってきたパーティーが、文三郎から地蔵へ抜けて行くパーティーと情報を交わす。生憎のガスの中、ちょっと展望は残念だった。同行者は「寒い、寒い」と連呼し、下山の怖さを訴えてきていた。睫毛や鼻毛は凍り、眼球の水分も凍てついている感じで違和感があった。“たまにはこんな体験もいい”なんて内心思っているのだが、同行者は初めての体験にそれどころではない様子。人生の中で一番の極限の体験となっているのだろう。流石に手袋は外さず、必死に足踏みをして少しでも温まろうと努力している。うんうん、これでいい。なんて少しニンマリ。すぐにザイルを結んでやり、下山に入る。
慎重に同行者を見ながら、いつでもピッケルを叩き込めるような体勢で降りて行く。どんどん風が強まるようで、体に感じる寒さが強くなっていた。風防の帽子が風をはらんで脱がされるよう。これぞ厳冬期の赤岳と思うのだが、同行者にはそんな余裕は無い様子。あまり生きた心地がしていない様子。中岳への分岐点まで戻れば、滑りやすい場所もあとわずか。今日は凍っていないのが何せ幸い。途中、壁側から大声が聞こえた。見ると5名のクライマーが赤岳主稜に取り付いている。トップはピッチを延ばし、30mほど先に行き、後続が順番に登っていた。行動する時間と待つ時間があり、この時季の岩登りも大変そうに見えた。でも楽しそう。
下に行者小屋が見える。現在は封鎖中ではあるが、テントの花があり、何となくオアシスのようにも見えていた。ほとんど危険地帯を降りたと思い、「ザイル外しますね」と言ったら、「待って下さい。もう少し繋がっていたい・・・」と・・・。「ええっ!」となぜかドキドキした(笑)。本人には、まだ急峻に見え、怖いと思えたって事なのだろう。そして樹林帯の中に入ると、先行者は尻セードをしているようで、滑り台のようなトレールとなっていた。“アウターの生地が痛いんじゃうぞ”なんて思いつつ、アイゼンの刃をその上に刻んで行く。
行者小屋まで降りる。同行者からは、「ありがとうございました」と共に、「実は、ここに着いた時に『無理です』と言おうとしてたんです」と。「あっ、そう、でも登れてよかったですね」と見透かしていながら飄々と答える。結果良ければ全てヨシ。テルモスから白湯を出してやる。「あったか〜い」。やっと生きた心地がしたようであった。見上げると、かなりガスが覆い出している。タイミングは良かったようだ。もう30分でも早かったら、いい展望が有ったのだが、すべては無事と言うことでヨシとする。帰りは北沢側に行く。行者小屋前は、それこそターミナルのようになっていて、各方面を遊んできたクライマーやハイカーが集まり賑やかになっていた。陽射しもあるので、楽しそうな会話が響く。
中山乗越を越えてゆく。大同心が雪を纏いお地蔵さんのように見える。ずっと見守られていたようにも・・・。ボブスレーのコースのようになった深いトレースを伝って、一気に降りて行く。木橋をいくつか通過し、目の前に赤岳鉱泉が現れる。そこにいる人の数の多さたるや・・・。ここの人気なのか、もしかしたらアイスクライムゲレンデで何か催し物があったのかと思えた。テントもかなり多かった。そのゲレンデでは、アイスバイルを叩き込みながら登っている人が居た。少し屈折した私は、どうせなら自然の氷瀑で登ればと思ってしまうのだが、みな、ここがいいからここに来ているのだろう。自然の中の人工物を求めて・・・。この辺りに来ると、風も無くなり、そのまま損失無く陽射しの暖かさを感じることが出来た。どんどんとストライドを伸ばしてゆくと、前に30名ほどのパーティーが居た。みんなザックにはアイスバイルが刺さっている。この時季の赤岳鉱泉、恐るべし。冬季にこんなに多くのパーティーを見るのは稀。一気に追い抜く。
林道終点に降り立つと、本当に春の様な陽気に感じた。上が寒かったせいでそう思うのだが、付近での外気温はマイナス17度であった。美濃戸山荘前では、ハイカーが休憩しており、ここは夏も冬も同じような登山基地的な雰囲気があった。日曜日のこの時間にして、水を汲んでいる方も居られた。これから登るのか・・・。足を進めて赤岳山荘の駐車場に戻る。同行者は感慨無量の満面の笑み。「まさか厳冬期の赤岳に登れるとは思いませんでした」と・・・。お連れしたものの、こちらも存分に楽しませてもらった。山に雪が降る。雪があるおかげで、なんて楽しいのだろう。
翌日、同行者からメールが入った。「職場で『赤岳に登った』って言ったら、みんなビックリしていました」。「山ガールどころじゃないじゃん」とか「なかには『ばっかじゃない』と言う人もいた」と・・・。とても弾んだ嬉しそうなメールであった。うんうん、良かった。