鋲ヶ岳 861.1m 烏帽子山 1274.2m 僧ヶ岳 1855.4m
駒ヶ岳 2002.5m
2012.08.04(土)
晴れ 単独 嘉例沢森林公園より(崩落により僧ヶ岳林道不通) 行動時間:10H24M
@嘉例沢キャンプ場5:00 →(13M)→A稜線分岐5:13→(3M)→B鋲ヶ岳5:16〜22→(3M)→C稜線分岐再び5:25→(86M)→D烏帽子山6:51〜55→(28M)→E僧ヶ岳林道登山口7:23→(108M)→F僧ヶ岳9:11〜16→(74M)→G駒ヶ岳10:30〜42→(70M)→H僧ヶ岳帰り11:52〜56→(83M)→I登山口帰り13:19〜26 →(28M)→J烏帽子山帰り13:54〜14:03→(74M)→K稜線分岐三度15:17→(7M)→L嘉例沢キャンプ場15:24
@嘉例沢森林公園内のキャンプ場。経路の林道に崩落箇所が多かった。キャンプ場自体は、現在は閑散としている。 | @水場。ここで給水していかないと経路に一箇所もない(雪渓はあるが)。 | 「頂上」を導いている最初の分岐。鋲ヶ岳と書いていないので、やや迷った。 | A稜線分岐。まずは鋲ヶ岳へ。 |
B鋲ヶ岳の東屋。三角点はここには無い。 | B鋲ヶ岳の唯一の標識。 | B北に進むと反射板鉄塔がある。 | B鉄塔から南に藪を漕ぐと三角点発見。 |
B三等点。 | B三角点は、東屋から反射板へ下りだす、すぐ東側に踏み跡が入っている。 | C稜線分岐再び。南進。 | 途中の天池。小さいながら中州の緑が微笑ましい。 |
ルート途中の反射板。 | 昨年に刈り払いがされたよう。この先、烏帽子山側はされておらず、ややモシャモシャ。朝露でしっかり濡れる。 | 烏帽子山が近くなると、アップダウンも増えてくる。 | D烏帽子山。標柱の記帳ノートケースが縛られている。 |
D烏帽子山三等点。 | D烏帽子山から僧ヶ岳方面。 | 途中、小杉谷への下降点がある。廃道に近い様子。 | もうすぐ僧ヶ岳林道に出る。現在は崩落の、土砂置き場が出来ている。 |
E僧ヶ岳林道の僧ヶ岳登山口。烏帽子山登山口でもある。 | 宇奈月ルートと合流。 | ニッコウキスゲがまだまだ花盛り。 | 前僧ヶ岳側から。 |
仏ガ平はシモツケソウのピンクに染まる。 | F僧ヶ岳。14年ぶりに登頂。往時のままの山頂。 | F同定盤の埋め込まれた大きな標柱 | F二等点。 |
F僧ヶ岳から駒ヶ岳への稜線の様子。 | ロープが流してある場所もある。ルートは2002年から公開。10年が経過すると、やや自然に戻りつつある場所もあった。 | 尾沼谷側に雪渓が残る。 | 北又側。こちらはスキーに最適だろう。 |
もうすぐ駒ヶ岳。1914高点を中間峰に、大きなアップダウンがある。 | 途中の直立した岩。ストーンヘンジのよう。 | 岩場のところはザイルが流してある。 | もう僅か。 |
G越中駒ヶ岳 | G独特の書体の標柱。 | G三等点 | G駒ヶ岳から僧ヶ岳。 |
G駒ヶ岳からサンナビキ山(中央)。春にはあの上に居た。 | G滝倉山から毛勝山の稜線。後に剱岳。 | Gこの天気に、この展望にヤキソバパンが映える。 | 僧ヶ岳に戻って行く。ガスが上がりだしている。 |
ルートの一部で、かなり密生した中を漕ぐ場所がある。 | H僧ヶ岳に戻る。 | 僧ヶ岳北側の池塘でカモシカが水を飲んでいた。 | I僧ヶ岳林道に戻る。 |
I林道から烏帽子山に行くには、現在は工事現場内を通る。 | J烏帽子山再び。 | J帰りに気づいたのだが、主三角点があった。西側の下降路の場所。 | 烏帽子山前衛峰通過。 |
鋲ヶ岳寄りになると、登山道は快適なハイキングの道。 | K稜線分岐三度。 | L嘉例沢キャンプ場に戻る。 |
西暦と同じ標高の山に登る。かなり以前からハイカーの楽しみとしてされていたことではあるが、一番盛り上がったのはミレニアムの2000年、大谷嶺(行田山)なのかもしれない。大衆紙では、その山頂でヌード撮影までされ紹介されていた。そして富山では、2002年の午年にあわせて越中駒ヶ岳のルートが作道されていた。作業の陣頭指揮を執ったのは、この山域に沢山のルートを開いた水口さん。そしてそこに我が仲間も参画していた。「午」年に「駒」を充て込み、標高も相成って遣り甲斐のある作業であっただろう。ただし私には少しだけ引っ掛かった。2002.5mが標高。四捨五入すると2003年が相応しいような・・・。厳密には2002年の6月終わりから7月初めがいいのか・・・。もうこうなると拘りでしかない。
2012年4月28日。滝倉山から駒ヶ岳を眺めていた。“どうしようか”行きたいのは行きたいが、ここで行ってしまうとしばらくこの山域には足を運ばなくなる・・・(同じ山には複数回登ることが稀だから)。“じゃ残しておこうか”と下山を決めた。でも残すと、とても気になるのが我が性格。夏道があることを知っているので、雪融けしかなり気になりだしてきた。作道から10年が経過している。仲間の多くは既に踏んでおり、意固地にも踏まなかった場所。それを天邪鬼とも言う。宝の持ち腐れにならぬうちに踏んでこよう・・・。僅かに超えるだけだが、ここも歴とした2000m超の山で嬉しい場所。
日本アルプスの各地。ハイシーズンになり、どこも大混雑の様子。調べると、ここへのアプローチ林道である僧ヶ岳林道は崩落の為5月より不通になっているとの事。既に2ヶ月以上も不通となると、余程大きな損壊と判断できる。となれば、この山塊から人の足は遠ざかっていると思えた。選択肢はロングコースしか残っていないのだった。一度は東又谷から登りたいとも思ったのだが、北には未踏座の烏帽子山と鋲ヶ岳があり、これも抱き合わせで踏んでしまう事とした。従い、入山は嘉例沢森林公園内のキャンプ場からとした。炎天下の歩け歩けの行程であり、現地と言うより自分との戦いが予想される。2000m峰と言うニンジンをぶら下げて、駒ヶ岳に向けて頑張るのだった。
家を1:05出発。ラジオからはロンドンオリンピックのサッカーが放送されている。得点を決めた瞬間のアナウンサーの高揚に、こちらも感化されて“今日は頑張ろう”なんて気持ちになった。黒部で降りて、一度8号線に出てから、田家新交差点を左折し布施川ダムへ向かって進む。田籾橋手前に嘉例沢森林公園を案内する道標が現れ、橋の先で左折。そこから長い林道をクネクネと進んで行く。この林道、アスファルトが崩落していたり、山からの土石が落ちていたり、自然災害の多い林道であった。経路がこうでありおおよそ予想は出来ていたが、キャンプ場に到着すると、そこは閑散とした場所。一昔前のキャンプ場の様相だった(4:30)。ここからの森林散策の道が不明であった。さらに水場は何処・・・。音はするのだが、暗くて見えてこない。キャンプ場の炊事場で給水なのか・・・。トイレに入ったり水場探しに迷走。なんてことはない、駐車場から僅か先に枡が設けてあり、そこに水が引かれていた。今日は経路での水場がここのみ、しっかりとプラティパスを満たした。
5:00キャンプ場出発。すぐにルートが分岐し「頂上まで30分」の方へ進む。ここは時間より鋲ヶ岳の文字が欲しかった。その前に、水場側に道標の支柱が建っているのだが、表記は無くなっていた。現地入りしての周辺案内が乏しいのであった。階段状の急登がいきなり現れる。やや流れた階段もあり、キャンプ場同様に周辺も管理がされていない様子が見て取れた。尾根に乗り上げると、そこが稜線のコルとなるらしく分岐道標が立っていた。まずは鋲ヶ岳側に北進する。木の根の蔓延る尾根道を行くと、目の前にコンクリート構造の東屋が現れる。
鋲ヶ岳到着。どうやら東屋の場所が最高点のよう。ただし三角点がない。探し回っても出てこない・・・となれば北側の肩にあるのか・・・。さらに足を進めると下り勾配となり、その先に反射板があった。場所的にき過ぎているので、ここから藪漕ぎを始める。南に戻るように漕いで進むと、藪の中に三等点を見つけ出す。ここはちゃんと北側から踏み跡(軽い切り開き)があり、その入口は、ルートが下降しだす、その場所から東に入るのだった。東屋に戻り南側を見る。遠くに僧ヶ岳が見える。今日はあの先まで行く。その後に後立山の山並みがある。よくよく見え、私に対し山が誘っていると思えた。
尾根の南進が始まる。先ほどの分岐点を越えると、すぐ先に天池と言う池塘がある。小さいが緑の浮島があり目を和ませる。ここから僅か1分ほどで、またまた反射板に出会う。ここで道が草で見えなくなるが、南側にルートはある。道は完璧なスカイライン。道幅も十分で快適そのもの。「のぞき」の場所では、ガスで舫った宇奈月温泉街を覗き込む。ここから20分くらいの間は、本当に快適だった。20分後のその付近に、木々にピンクのリボンが下げられ、そこの記述では、昨年の10月に刈り払いをしたとある。そしてしたのはここまで、この先はややモシャモシャとなり、朝露に濡れた登山道はすぐに下半身を濡らしていった。ここまでが快適であったので、一変した様子に戸惑ったりもした。
烏帽子山前衛峰の標識は藪の中にひっそりと設置してあった。烏帽子山に近づくと、アップダウンも多くなる。帰りのことを考えながら往路を進む。どこがしんどくなるか・・・。帰りだと、このちょっとした急登が辛いだろうな・・・とか思うのだった。高度計を見ながら、今か今かと烏帽子山を待ち遠しく急いでいた。今日は行程が長く、その途中のチェックポイントが早く訪れないかと急いでいた。ブナの幼木などがあり、緑豊かで良かったのだが、この尾根は展望が得られない。それが烏帽子山手前から開けてくる。今日も暑い日。ジリジリとした陽射しを受けながら駆け上がっていた。
烏帽子山到着。三等点があり、山頂として開けた居心地のいい場所。記帳ノートがステンレス構造の箱の中に、ビニールに包まって入っていた。もう少しで僧ヶ岳林道に出る。もうひと頑張りと思い足を踏み出すと、ここからのアップダウンは大きく多い。そしてここに来てまた刈り払いがされていた。と言う事はこの山は林道からアプローチするのがメインルートとなるか。切られらばかりの様子で、ルート上にそれらが散乱していてやや歩き辛い場所であった。前方の視界が開け、なにか堰堤のようなものが構築されていた。土砂の堆積物・・・。林道崩落の土砂か・・・とピンときた。ユンボが置かれダンプも3台あった。今日は土曜日で工事があるだろう、帰路は作業の邪魔をしないよう通過せねば・・・。
僧ヶ岳登山口。ここから僧ヶ岳に登ったのが14年前。天気の悪い中、ドロドロになって歩いていた記憶が甦る。そして往時を反芻するかのように登山道に足を乗せてゆく。池塘などを見ながらサクサクと上がって行く。少しづつ高度を上げてきているので、幾分かその為の涼しさがある。ただし今日は風も無い。おかげで呼気に寄ってくるブユが邪魔でしょうがなかった。宇奈月ルートと合流すると、そこはニッコウキスゲの群落地。黄色い花が沢山で迎えてくれた。前僧ヶ岳を過ぎ仏ガ平に入ると、そこはピンク色が一面に覆う。シモツケソウが最盛期となっていた。ヤマハハコなども可憐に咲いている。まさしくお花畑。目指す僧ヶ岳が目の前にある。そこへ続く雲上のスカイラインが、なにか天国への道のように見えて、その人工物がここにおいては自然と同化していた。
僧ヶ岳到着。懐かしい大きな標柱。南アルプスのそれと同じで、墓石などと例えられたが、2回目に見るそれは、味わい深い彫られた文字に、愛着を抱く標柱に見えていた。二等点が鎮座して居る。中部圏に見られる「割れ」は皆無。この場所がそのエリアであれば、餌食になっていたであろう。北陸のハイカーのモラルの良さが判る。山座同定盤を参考に、周囲の展望を合わせてゆく。すぐ間近に駒ヶ岳が見えているのだが、こんなふうに見える場所ほど遠いのがいつも。ここからが最後のひとふん張り。それでもスタートから4時間ほどで到達したのであり、まずまず頑張っていると言える。少し気になるのは、かなりガスが上がってきている。救いは後立山側の展望で、他の方角はほとんど白くなりつつあった。半分は展望を楽しみに来た。残雪期のあの場所は、どんな山容なのか・・・。
駒ヶ岳に向かって降りて行く。荒々しい毛勝山が、どうにもこの山域の主の表情をしている。ロープが流されている場所もあり、ブナクラ谷で出会った水口さんの顔が浮かぶ。左には尾沼谷の源頭となるのだが、まだまだたっぷりと雪渓が残る。幾分か、そこからの冷気が上がってきているようで、涼しくも感じる通過点であった。視覚で騙されていただけかも・・・。反対に北又の深い谷が見える。こちらもちらほらと残雪が残る。なんとも冬季に伝いたくなるような傾斜で下に降りていた。ルートの上にたくさん笹が生えてきている。しばらく刃物を入れていないよう。
中間峰が1914高点のある場所であるが、地形図に見られるよう、宇奈月側に降りる道を注意していたが、現地ではよく判らなかった。廃道化したように思えた。この辺りから登山道は藪化しだす。草が枯れる秋頃には問題ないであろうが、梅雨が終わり植物が元気な今は、かき分け泳ぎながら進む場面もあった。登る人が多い中で、この部分はちょっと意外であった。林道が不通であり、ここもその弊害なのかもと思えた。刈り払い隊が容易に入れないのであろう。もうガスとの追いかけっこであった。頑張るも、思うほど足が前に出ない。すると、前方に人影が・・・。単独の方が前方から降りてきた。このに時間に・・・。まさか藪漕ぎで南から・・・それはありえないから早出での宇奈月側からのアプローチか。岩場の所ですれ違うのだが、少し話をしようとしたが、とても独特な方で、優しく「ご苦労様」と言う。その言葉に、“この人は山が好きなんだ”と思えた。それに対し、質問事項はどうでも良くなり「気をつけて」と返して背を向けた。稜線の藪の中を泳ぐ姿は、見るからに玄人。にこやかに歩いている様子に、そんな山屋になりたいと思うのだった。
岩場は残置ザイルに掴まって這い上がる。駒ヶ岳はもうすぐ、そしてガスも時期に上がってくる。急かされる登山ほど、進度を遅く感じる時はない。でもここを頑張らないと、自然に負けてしまうことになる。自然に勝とうなどとは思わないが、負けない根性だけはある。間に合え、待ってくれ、心の叫びでもあった。
駒ヶ岳到着。なんとかガスの上がるまでに登頂し、すぐさまカメラを構える。360度の展望とはこのことで、最高の景色を楽しませていただく。5月以来の久々の新規の2000m峰。嬉しい登頂であった。三等点が大きな標柱の横に従える。その標柱は、また見事な文字が刻まれている。逢えて良かった標柱とでも言おうか。サンナビキ山が見える。滝倉山が見える。苦労したウドノ頭が見える。急だった西谷ノ頭がある。自分で伝った場所を目でなぞる。ここでニンマリしない人は居ないだろう。全て自己満足。一つだけ心残りは、駒ヶ岳と滝倉山の稜線が繋がっていないこと。それもいつか達成したい。訪れる理由は何であってもいい。この静かな場所は、黒部を感じまた訪れたい場所。南側を見ながら感慨に浸っていると、背中側からちぎれたガスが上がってきた。ほとんど間一髪と言ってよかった。10分ほど違えれば、展望はなかった。今日は歓迎されている。大休止の後、往路を戻る。
トリカブトやマツムシソウの、秋の花ももう見える。暑い暑いと言っているが、もう秋は近い。すぐにまた寒い時期がやって来て、ここも白く覆われる。ザイルに掴まって岩場を降り、鞍部まで降りたら1914への登り返し、往路に伝っているので、コース取りが判り力配分が計算できるので楽であった。先ほどの人に追いつきたいとの思いもあった。平ヶ岳の先で出会った「山頂渉猟」の南川さんにも見えたためでもある。最低鞍部から這い上がって行くのだが、この時になって、やっとそよそよと風が出てきていた。汗は毛穴と言う毛穴から噴出し、それがあるので水の摂取量も多めにしていた。後頭部が太陽に晒され暑い。ややクラクラ感もしないではない。いつもはバンダナ風であるが、今日は手ぬぐいをほっかぶりしてみる。こんなところでまかり間違ってぶっ倒れたら、林道があの状態では、しばらく見つけてもらえない。自分の身は自分で守る事をしないと。
僧ヶ岳に戻る。急いだ往路よりコースタイムは良かったか、ルートが判っているせいだろう。山頂の北側の登山道上で、先ほどの人が裸になって休憩していた。衣服は周囲の木々に干してある。話してみると、その方言から地元の方であった。林道が不通であり、やはり宇奈月ルートから来たとのこと。とても柔和な方で、別れ際に「ご苦労様」と言ってくださる。他人でありながら、苦労を分かち合う言葉・・・ご苦労様とはいい言葉に思えた。山頂を下り、池塘の場所で大きな固体が跳ねた。水面に波紋が広がる。カモシカが水を飲んでいたようだ。邪魔をしてしまった・・・。お花畑を再び楽しみ、新成人記念登山の標柱を拝みつつ戻って行く。誰か登ってくるかとも思ったが、皆無。ハイシーズンでも距離が長くなるとこれが現実か・・・。宇奈月ルートを右に見て分岐を左に。ここから林道までは長く感じる。緩やかになり、先が見通せるルートになると登山口も近い。それと同時に、重機やダンプの音が強くなる。やはり工事をしている様子。
登山口に戻る。ここで少し小休止。私の記憶違いか、この周辺で水が得られたと思うのだが、場所違いか・・・。クールダウンを終えて烏帽子山へ向かっていくと、そこでユンボに乗ったおじさんが待っていた。「何処に行ってきたい?」。「駒ヶ岳です」「これから烏帽子側に? そんなに登山って面白いかい」。判らない人には、やはり理解できない趣味なのだろう。辛い思いをして何が面白いのか・・・。「バカと煙は高いところが好きなので・・・」といつものように返す。これで双方にこやかになり話のオチとする。烏帽子山に向かって行くが、やはりここでのアップダウンはしんどかった。刈り払いの切り口が上を向いているので、その為の歩き難さもある。あまり踏み入れる人が居ないのか、植生がそれを上回るのか・・・。
烏帽子山。ここで往路に見なかった主三角点を西側に見つけた。あるんだったら、もっと表に出ててよと言いたいくらいにひっそりとあった。そこから下に道が降りていて、20mほど先で止っている。完全に往路に乗っていると思って降りたのに道が無い。ちょっと戸惑ってしまった。山頂に乗り上げ、北に行く道を発見。完全に思い違いで別な道に入ってしまった。注意散漫なのであった。ここまで戻れば、後はなだらかなルート。朝露もなくなり、それがないと刈り払われていないここも快適に歩くことが出来た。ブナを愛でながらの快適な尾根歩き。どなたか伝ったようで、泥濘地には踏み跡が増えていた。ピンクのリボンの箇所を越えると、快適も快適、一級のスカイラインとなる。足に優しいなだらかな道。やや大股で闊歩しラストスパート。ザックの生温い水を飲み続けてみたので、キャンプ場の冷たい水が飲みたくてしょうがなかった。
稜線のコルの標識が見え、キャンプ場へ下降して行く。ここにきて非常にブユの数が増してきていた。目の中に飛び込むもの、耳の中に入り込むもの。これに対し虫除けもいいのだろうが、このとき、衣服を冷たく感じさせるスプレーを持っていた。それを衣服に掛けると、虫除け同様の効果があった。夏場は虫除けより、二兎を追えるこちらを持ったほうがいいようだ。「冷Tクール」と言う製品である。階段を下り、一目散に水場に行く。その冷たい水で顔を洗うと、なんと気持ちがいい事。道中の何処かにこのような場所があれば違うのだが、我慢して登り、我慢して下りここで・・・。無事駐車場到着。
これで剱岳北方稜線の山名事典掲載される全てのピークを踏むことが出来た。一つの区切り。ハイマツを乗り越え到達した毛勝山。今では登山道がある。ブナクラ谷から雨の中に突っ込んだあの日、あまり公表されていない赤谷の岩屋も見ることが出来た。長次郎ノ頭の巻き道を探しながら怖い思いをしたあの時。ザイルを持っていて助かった、その長次郎ノ頭からの下り。その他諸々が昨日の事のように思い出される。その最後になった駒ヶ岳、どう最後の花火を上げようかと思案していたが、らしい静かな山が出迎えてくれ、大展望もご褒美に貰い、大満足の完結の日となった。
下山後、とちの湯で汗を落とし、家には19時に到着。夏祭りの花火を見ながら、程よい筋肉痛を感じつつ美味いビールを煽った。