岩櫃山   802.6m     
  
                       

 2012.03.20(火)   


  晴れ    単独       専用駐車場から密岩通りを往路に周回         行動時間:2H25M


@岩櫃山駐車場9:29 →(24M)→A密岩通り登山口9:53→(10M)→B密岩神社10:03〜08→(12M)→Cコル10:20→(13M)→D岩櫃山10:33〜38→(11M)→E天狗の蹴上げ岩10:49→(14M)→F岩櫃城跡11:03〜12→(3M)→G殿屋敷11:15→(19M)→H唐沢集落11:34→(20M)→I古谷地区駐車場 11:54


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@岩櫃山駐車場 最初の丁字路に丁寧な案内看板がある。左に進む。 A密岩通り登山道の登山口。 B密岩神社。崩壊が進み危険。
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周辺の参道は不明瞭。何処が正規ルートなのか判らない。 西に長いトラバースをして、正規ルートに乗る。 Cコルに出る。 「天狗のかけ橋」途中から。
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楽しい鎖場。 優しい鎖場も。 岩洞を抜けて進む。 頂上直下。鎖を頼りに、グイグイ上がる。
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D岩櫃山山頂 D四等点 D浅間山側 D南側直下
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D山頂から古谷の集落を見下ろす。 東峰の所には火を焚いた跡があった。わざわざ製材した薪を持ち上げたよう。 7合目付近から、岩の中の迷路のような場所を進む。 E「天狗の蹴上げ岩」
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カモシカが出迎えてくれた。 尾根上に直立した自然石がある。妙義のよう。 F岩櫃城址。静かな落ち着く場所。 城址から東に下ると、群馬原町駅への道標がある。それらが示さない方の道へ進む。
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G殿屋敷の標柱から、適当に藪下りとした。正規ルートは果樹園の東側を沿うルートのよう。西側に進んだ。 密藪や竹薮等々を経て、沢に降り立つ。ペンキマーキングやリボンが無数に打たれた沢。 出た場所から振り返る。この先に一つだけお墓がある。ここに城への道標があるので驚いた。不明瞭箇所も多いと思う。 H唐沢の集落に入る。
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春。福寿草が咲いている。 I駐車場に戻る。


 
 うららかな春の日。今日は上州の岩山に挑む。天気がいいのでスキーでの山も適当だが、土曜日に渡渉を繰り返した為に、スキー靴は靴乾燥機にかけたまま。濡れに濡れてザックも中身をひっくり返して干してある状態。そんなこんなで身軽に行ける場所をと岩櫃山を選ぶ。鎖場の点在する場所であり、楽しみにとっておいた場所でもあった。

 
 大戸の関所から中之条に向かって行くと、進路前方に聳えてくるのがこの山。まるでプチ妙義山のようであるが、この角度から見るとけっこう迫力。車でのアプローチの場合、無理をしても大戸側からの進路を選ぶと、「今からこの山に登るぞ」感が強くなるだろう。さて登山口を探す。何も情報を持たずに来ているので、入口が判らない。ただし、何度も通っている記憶からして、何処かに道標があったはず。郷原の交差点を東に右折し、すぐに登山口を示す道標がある。しかしこれの意味するのが、この先1キロに入り口があるのと勘違いして進む。これは大きな誤解で、その道標のある場所から郷原集落に入って行くのが正解であった。

 
 吾妻線を渡ると正面に菅谷邸がある。物凄い造りの家で、この土地の名士のよう。土蔵も立派。そこにも道標があり、登山口を示している。左折して200m進んだら右折。その先登り勾配となり600mほど進むと、右手に専用駐車場が設けられていた。仰ぎ見上げるように岩櫃山が見られる。いい感じ。既に1台の四駆が停まっていた。入山者もある様子。さっと長靴を履いて、いざ出発。

 
 西に280m進むとT字路となり、ここに山塊の丁寧な案内図がある。ぼんやりと位置配置を見、大きな周回が出来るようなコース取りを考える。ここからさらに200mほど進むと民家が無くなり、その際から北側に道が入っており、ここに道標が打たれていた。畑の中を登って行くと、左側に花輪の骨材を利用した果樹フェンスが見られる。なにかお葬式を思わせるものであり、とても違和感があった。この先が密岩通り登山口であった。車でもここまで進入可能。

 
 登山口から這い上がる。やや急峻であるが、しっかりと道形がある。登って行くと「密岩×」と書かれた道標があった。天邪鬼なので、こう書かれると気になる。一応は、書かれた場所を避けて、少し登ってから適当にその東側方向へトラバースして行く。急登であり、足場が悪い。上を見ても下を見ても踏み跡らしきものが無い。「×」の意味が頷けた。深い谷で、見下ろすとかなりの高度感。その谷の源頭付近に、なにやら赤いものが見える。これが案内図にあった密岩神社のよう。その後には、聳えるように岩壁を擁している。既にこの谷に入って感じているが、不思議な霊気が漂う場所。パワースポットと言うべきなのか、岩での囲まれ方からくるものなのか、圧迫感と言うか、異様なほどにビクビク感じるものがあった。登り上げると、倒壊した社があった。その中を見ると木彫された御神体を安置する場所も見られる。一応神社であり、しっかりと参拝する。大きな杉の木がその脇にあり、その前に水受けがある。そこには水仙が手向けられていた。地元の人だろうか、訪れる人は居るようだ。神社からのクロワールも登れそうに見えたが、乗ると神社への石の崩落が発生してしまうのだろう、フェンスで塞がれていた。適当に西に戻って行く。辺りの岩にもフェンスがされ、崩落に対して保護されていた。獣道なのか人なのか、かなり踏み跡が交錯している。西に標高を落とさないようズレて行くと、登山道を示す道標が現れた。ここから急峻の登山道。鎖も流されているが、掴まる必要も無くコルに乗り上げた。

 
 コルから東進して行く。雪が凍り、足元がよく滑る。置き場に注意しながら登山道を行く。天狗のかけ橋を渡っている時、左に見える岩山の頂部が動いた。注視すると人が居る。山頂がそこである事が判った。かけ橋を渡り、鎖場を駆け上がり、この先も優しい鎖場が続く。天気がいいので、すべてが気持ちいい。洞穴のような中を潜り込み、ルートは南側となる。ここからは古谷地区が見下ろせ高度感がある。しっかり鎖のフェンスがされ、そこを伝うように東進。巻き込むように北に進んでから、南に戻ると山頂。最後は15mほどの高低差の壁で、鎖をしっかり握って這い上がる。

 
 岩櫃山山頂。若い男性がラジオを聴きながら携帯端末を叩いていた。話しかけると、四駆の持ち主であった。日の丸の国旗が揚がり、四等点の真鍮の鋲が埋め込まれている。360度の展望。下から見上げた通りのと言ったら変だが、上からは予想通りの展望があった。軽く挨拶を交わし、サッと降りる。東峰にズレて行くと、その基部に焚き木をした跡が残っていた。わざわざ市販の薪を持ち上げて燃やしている。なんだろう。岩尾根の上を抜けて正規ルートに乗る。こちらに入ると、「合目」表記が現れる。と言う事は、こちらがメインルートと言う事になるのか。途中、単独の女性もすれ違う。7合目付近からは岩の間を抜けるように進むルートで、ちょっとした迷路のようで楽しい場所。「天狗の蹴上げ岩」と言う大岩の林立する場所もあり、ここは日影で残る雪が凍っており滑りやすい場所となっていた。

 
 原町駅と郷原駅との分岐道標は、「岩櫃城本丸跡」と書かれた方へ進む。ここを最後に、「郷原」の文字は見られなくなる。位置的に下山側は原町駅と言う事になるからだろう。その先に岩ルートと、その迂回路と分かれるが、岩ルートと言っても大したことはなかった。進んで行くと、陽だまりでカモシカが佇んでいた。静かに通過して行くと、ヌーッと振り返る。こちらも春で気持ちがいいが、向こうも同じことを思っているようであった。さて進んで行くと、ケルンのような直立した自然石が現れた。妙義の尾根にあるそれと酷似しており、ルート上ここだけに残っている、この山にしては特異なもののようであった。その脇をすり抜け、落ち葉の山道を進んで行く。そろそろかと思っていると、下に杉の植林帯が見えてくる。そしてらしい平坦地が続く。城跡に到着。

 
 岩櫃城址。コンパクトな城に見えたが、解説を読むと、上州最大の城郭があった城らしい。城址公園として整備され、平成22年に建立された本丸標柱が聳えている。二の丸を経て、竪堀側に降りて、展望のいい陽射しのあるベンチに腰を降ろす。白湯を飲んで、今日はじめての休憩。無作法の不躾であるが、今日の食料は白湯だけだった。さてどうに戻ろうか。原町駅に降りて、郷原まで電車で戻る手もあり、頭を廻らす。と言っても1区間くらい歩いても大したことは無く、やはり歩きに来たのだから歩くことにする。

 城跡からの道標が無いのだが、道形に沿って東に降りて行くと、100mほどで分岐道標が現れる。そこに原町駅と山頂を示す道標。示していない道の方角が郷原側であり、半信半疑で進んで行く。すぐにまた分岐があり、どちらが正解なのか判らぬが、下側の道を伝って行く。すると「殿屋敷」と書かれた標柱が待っていた。書かれている通り、屋敷のあった場所なのであろう。ここでも道が分かれる。付近は果樹畑、それに沿って西側と東側に農作業道のような刈り払いがある。より郷原側へと思い西に入るも、その先の道は消滅した。ここから適当に藪歩きとなる。密生した場所もあり、避けながら適当に行く。竹薮の中を抜けて、杣道に乗ってゆくと、沢の源頭らしき場所を見つけた。湧き出している場所を探そうと登ると、異様なものが点在していた。茶色い薬剤の瓶。それも夥しい数。白いプラ容器も多数ある。見るからに薬剤の瓶。まだ中に入っているものもある。そして破れている物も・・・。農薬だった。見なければ、今日の旅の全てが気持ちよかったろうが、これを見てしまい気分が半減してしまった。藪に入らねば良かったと少し後悔もある。それにしても流れのある場所。下流では、この沢は地域にどんな関わりがあるのか。まさか集落の人が引水して居なければいいが・・・。

 嫌なものを見てしまい、少し足早に下る。下に本流が見え、駆け下り降り立つ。この沢の中には、ペンキマークやリボンが下がる。道形があるわけではないようであるが、伝い易く導いていた。伝って行くと、進路右手側に道形が見え、そこを狙って行くと、一つのお墓があった。その先に歩道分のコンクリート舗装路が続き、出た先に「岩櫃城跡」の道標があったのには驚いた。下からはどう伝わせるのか。先ほどの沢を伝って、どこか杣道を伝って殿屋敷の所に出るのか。となると、殿屋敷からは東側のルートを伝ったほうが調査になったようだ。

 
 村道を降りて行くと、唐沢の集落内に入る。静かな人気の無い集落内の道を西にズレてゆく。こんな時の背中のザックは有用。不審者に見られずすむ。集落内には昔の染物屋さんが残っていたりする。風も無く日差しも暖か。気持ちいい散策であった。辻地区まで進むと、往路の交差点を確認。福寿草を愛でたり、ホタルの群生地を確認したり、歩きならではの発見をしながら戻って行く。そして駐車場に到着。

 
 農薬の瓶が無ければ完璧だったが、あれはいただけない行為。山はじっとしているものの、綺麗にするも汚すも人間。

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