薬師山 437.7m 天城山 694.6m 鞍骨山 798m
象山 475.8m 妻女山 411m
2012.02.04(土)
晴れ 単独 古大穴神社から入山。象山まで抜けて、南面山腹林道で妻女山まで戻り、斎場山東で往路に戻る。 行動時間:5H1M
@古大穴神社7:04
→(10M)→A薬師山7:14〜17→(3M)→B土口将軍古墳7:20→(11M)→C竜眼平7:31→(4M)→D斎場山7:35→(3M)→E林道分岐7:38〜53→(21M)→F天城山8:14〜16→(7M)→G二代目二本松分岐8:23〜25→(25M)→H鞍骨山8:50〜9:04
→(17M)→I815m峰ジャンクションピーク9:21→(25M)→J林道に降り立つ9:46→(9M)→K長野市水道施設9:55→(7M)→L象山10:02〜14→(7M)→M水道施設帰り10:21→(61M)→N妻女山11:22〜32→(11M)→O斎場山東林道分岐11:43→(15M)→P薬師山瑠璃殿11:58 →(7M)→Q古大穴神社12:05
@古大穴神社に車を停めてスタート。 | 山道を伝って行くと、高速が眼下に。 | A薬師山。荊が多く、服を引っ掛ける。 | A瑠璃殿 |
A瑠璃殿内部には、綺麗な石像が安置。 | B土口将軍の古墳の上を通過して行く。 | C竜眼平は広々した開放的な場所。 | D斎場山にも立ち寄る。旧名称は「妻女山」。 |
E妻女山側からの林道と合流。 | 堂平への道との分岐。左へ。 | 分岐点が多い。ここも左の尾根へ。 | 天城山北側。林道と判れ、右側尾根を行く。 |
F天城山 | F二次基準点なるものがあった。 | Fここも古墳なのか、遺構がある。 | F天城山標柱。 |
天城山の南側は、杉林の中を抜けて行く。 | カモシカが出迎えてくれる。最短接近距離15mほど。 | G二代目二本松の分岐点。 | Gちょうど猟師が上がってきた所であった。 |
残り850m。 | 鉄塔の下を潜り。 | 西側には三筋ほど堀切があり、アップダウン。 | 最後は南側を巻いて行くようなルート。 |
城塁を見上げながら・・・。 | H鞍骨山到着。 | H鞍骨山から長野市街。 | H朝食兼昼食。 |
H天空の城。 | H最高所から見る山頂部。 | 鞍骨山の東側は、痩せ尾根。そこに堀切がある。 | I815m峰がジャンクションピークとなり、象山側へ降りて行く。 |
尾根筋に太く掘れた道形がある。付近山塊に、このような掘れた筋が多い。 | 682.8三角点峰は西側を巻く。 | J林道に降り立つ。 | J尾根末端は急峻。尾根筋が林道により削られたままのよう。ここで掘れた跡は寸断。 |
ゲート。ここは右へ。 | K長野市水道施設。周囲はフェンスで覆われ、進路も閉ざされる。 | K粗いエキスパンドメタルのフェンスを開けて進む。なぜにこのようにしているのか・・・。 | L象山。トランペットスピーカーが印象的。 |
L山頂標識。 | L象山からノロシ山。 | L象山から市街。 | M水道施設前から戻って行く。 |
N妻女山駐車場 | N招魂社 | N妻女山解説 | N妻女山展望台 |
N展望台から見る川中島の合戦場所。 | 林道倉科坂線の入口から分岐し、斎場山へ登り返して行く。 | O往路の踏み跡に乗る。分岐点。 | P薬師山瑠璃殿に戻る。 |
Q古大穴神社に降り立つ。 |
長野市と千曲市の市界尾根上に、新たに地形図に掲載された山がある。新しく何かが出来たりすると興味が沸くのだが、山も同じ事。新しい登山道が出来たりすると、我先にと行きたくなる。剱岳の北西、大猫山へのブナグラ谷からの登路が開かれた時は、北陸の面々が凄い勢いで突っ込んで行った過去がある。誰もが新しい物好きって事だろう。そんなこんなで、新規に掲載され気になっていた場所。しかしあまり標高がないので、行動の面白みを増させる為に負荷をかける。行くなら冬季と思っていた。地形図からは天城山以南にルートは見えない。その為の冬季狙いでもあった。そして今回決行。松代の象山や妻女山を抱き合わせると、いい感じの周回コースも出来上がる。5座ほどが繋がり、数の上でも満足できる構成となった。
午後からは、上田に住む知人宅へお見舞いにも行く予定でもあった。その為のこのエリアの選択。高速に乗り、ひとっ走りして更埴インターで降りる。18号を長野市側に進み、篠ノ井橋南交差点からR335号に乗る。そして雨宮渡し入口交差点で国道403号に乗って北に進む。1.3キロほど走ると新開橋を渡り、その先から線路を跨ぐように右折し南下。高速を潜り100mほど先で、左折し東進して行くと古大穴神社が見えてくる。社務所が高台にあり、白塗りで大きく、それが印象的な神社であった。雪の様子が気になっていたが、この標高だとさすがにまばらにあるくらい。ザックにはいちおうカンジキを縛り付けた。サッと用意し、すぐに歩き出す。
山側にいくつも登路が見える。とりあえず鳥居を潜り、本殿に挨拶をしてから踏み入れてゆく。山道を伝って行くと、廃道化している筋も見え、しっかりした道があり人気を感じる一方、あまり使われず寂れた印象もあった。大きな九十九折で西側に進むと、眼下に高速の流れが見えるようになる。こちらのスピードに対して、アスファルト上は恐ろしいほどの速さ。自分のいつももそうなのだが、少し怖い場所に見えていた。道形は尾根の南側にあり、東に進むように切られている。これでは薬師山の最高点を踏まないと思い、藪の中に入る。密藪でなく有視界だが、その雑木林の中はイバラが多く、服を引っ掛ける。三角点を探しながら歩くのだが、山頂らしいポイントがない。高速を見下ろした場所から緩やかな傾斜が続く場所で、山頂位置の同定がしづらい場所であった。探しながら東に進んでいたら、目の前にお堂が現れた。先ほどの道をそのまま伝っていれば、ここに着いたのだろう。山頂がぼやけてしまっているが、踏んでいる事には間違いなく、行動の区切りとしては、このお堂の前とした。
お堂には「瑠璃殿」と書かれていた。格子窓から中を覗くと、綺麗な表情の四体の石像が安置されていた。道は北側にも下りて行っており、千曲川側からも登路があるようであった。瑠璃殿の北側を通過し東に足を進めてゆく。山道と言えよう道形があり、伝って行くと人工物が現れた。こんもりとした高みの前のそれは、土口将軍古墳の解説板であった。進路はこの古墳の真上を通過して行く。なにかお墓の上であり忍びない気がするのだが、迂回路が欲しい場所。前方後円墳の形をしっかりしており、この標高で古墳を体験するのは初めてであった。この古墳から進む事10分ほどで、広い平地が現れる。ここが竜眼平と呼ばれる場所であろう。そして予想外であったが、林道がここまで入ってきていた。使われている証拠に、雪の上に轍もある。猟師か・・・。つぼ足が軽減されていいのだが、サクサクと踏み抜きつつ歩く予定をしていたのだが、少し拍子抜け。
竜眼平から僅かで、自然木を利用した分岐道標が現れた。手が込んでいる作品で、一番は判りやすい表記。”なぜにこんなに管理されているのだろう”と、この時は思えていた。ここから北に上がると、ここも墳墓があった場所のようで、山頂部に「斎場山山頂」と書かれた標識が立っていた。もう一つ、「妻女山」とも言うらしく、併せて書かれていた。今日立ち寄るこの先にある妻女山とかぶるので混同してしまうように思えた。林道に戻って東進すると、林道分岐点となり、そこに「あんずの里ハイキングコース」と書かれた立て看板があった。これで先ほど標識があった意味が読み解けた。進路を南にとるのだが、ここから先は、ありがたいほどに分岐道標がある。それほどに分岐箇所が多いとも言えるのだが、自然と同化させた趣のある道標が続く。野鳥の囀りが耳心地よく、そこにザクザクと言う小刻みな雑音を混ぜてゆく。
「杏の里+二本松」と書かれた道標が現れたら、本道を逸れて右の尾根道を行く。「天城山」と書かれた道標もあるので間違うことはない。登り上げると、15畳ほどの山頂部。三角点があるのかと思ったら、二次基準点なる標柱と共に埋められた石柱があった。側面の等級の文字を探したが見えない。前回の丸山同様に標柱側に刻まれていたのか。そもそも二次基準点とは初めて見聞きする物で、よく判らなかった。山頂には掘れた場所があり、そこに石組みが見えた。ここにも遺構があるのか。この一体の各ピークは古墳ばかり・・・。
この天城山から南は、樹林帯の中を進む。これまでが明瞭過ぎたので違和感があるのだが、少しだけ進路を迷うような場所であろう。南東側に進むのだが、冬季は、途中から南に降りる尾根に入らないようにしたい。降りて行くと、こちらを見る目を感じた。そこに居たのは白い髭を蓄えたカモシカであった。全く逃げない個体であり、撮影しながら近づくと、その距離15m付近まで近づくことが出来た。愛らしい表情でこちらを見ている。そして急ぐ事なく、ゆっくりと山の斜面を降りて行った。時折振り返りつつ。だんだんと自然界の動物に近づけるようになってきた。自然に受け入れられている証拠か・・・思い過ごしか・・。
二代目二本松の分岐に到着すると、散弾銃を持ったハンターが登ってきた。先ほどのカモシカを瞬時に思い浮かべてしまったが、ハンターにしては全く殺気を感じない心優しい紳士であり、狩猟情報や信州各地の猟場情報を教えてくれた。この御仁いわく、鹿が居る場所には猪は居ないらしい。猪は鹿を嫌い、そのために現在のシカの大繁殖の影響で、どんどん猪は北上して行き、東北の以前は居なかったような場所でも姿を見せていると言う事。そもそも東北に猪があまり居なかった事さえも知らなかった。人に触れ勉強する。さて、この分岐には、鞍骨山まで850mの表示がある。ハンター氏と別れてラストスパート。今日一番の最高所に向けて・・・。
送電線鉄塔を潜ると、その先から歩き辛いうねった尾根となる。城の堀切なのだろう筋が3本横切る。そのためのアップダウン。そして山頂を前にしての最後は、南を巻いて進むルートとなる。付近には木片に茶色いペンキを塗り、白矢印をした道標が残る。だいぶ朽ちてきているが、それの示す方向に進んで行く。南から巻き込むように上がって行くと、上の方に城塁か、石積みも見える。最後は登路があやふやになり、適当に這い上がる感じであった。
鞍骨山到着。その中央に、これまで続いてきたのと同様の立派な標柱が立っていた。その脇には、信州の登山家、丸山晴弘さんのサインのある書類が結ばれていた。しっかり防水され、この山塊の標柱などを設置した保存会の方へ向けてのものであった。丸山さんと言えば、公開ラジオの生放送で、登頂時に山頂の石を持ち帰る話をされていた事で印象深い。最高所は東側にあり、その他一帯は城があったらしく平坦になっている。今でこそ周囲に雑木が茂るが、往時はここからよく見渡せた事であろう。現在のここは「天空の城」のあった場所と表記してある。山名にある、「骨」と言う字がとても怖さを増しているが、後から由来も調べてみよう。無線機を握るが、全く応答はない。時代は携帯電話に完全に変わってしまったようである。少し長めの休憩の後、象山側に進んで行く。
鞍骨山の東は、やや痩せ尾根で、こちらも堀切がある。一度下って登り返して行くと、目の前に緑色の標識が現れた。ジャンクションピーク到着。そしてそれはどこかで見たことのある表記・・・。この表記により、ここが815mである事が判った。ここから象山側には、掘れた筋が降りている。それに伝ってボブスレーのように一気に下る。ただし、歩かれないのだろう、少し藪化している。途中に682.8三角点峰があるのだが、その手前まで降りると、道形は山腹を西側に巻くように繋がっていた。迷ったが道の在る方を選択した。しかしこの選択は象山に向かうのには面白くないルート取りになってしまった。
682.8峰を巻き込むように主尾根に戻るのかと予想したが、そのまま北に向けて下って行き、おおよその方向はいいとして、やや逸れた場所に向かっていた。足の下にはそれでも掘れた道形がある。どこへ続いているのか確認もしたい。そのまま伝って行くと、下に林道が見えてきた。掘れた道形の最後は、その林道に寸断されるように急峻になって終わっていた。最後の3mほどが降りられず、北に巻き込んで林道に乗る。尾根筋で象山に向かうはずが、大失敗。林道を東に進んで行くと、地形図の実線が越地区へターンしている場所にゲートがあり、尾根側にも地図にない道が登っていた。こちらにもチェーンゲートがあり南京錠が付いていた。登り上げた先には、長野市の水道施設があった。その施設周囲はエキスパンドのフェンスがされ、象山側に行けない様になっていた。鹿避けのようにも見えず。そのフェンスの目的がよく判らなかった。乗り越えねばいけないのかと、その準備をするが、ふと西側に回りこむと扉が付いていた。ここに鍵はなく、バン線で縛ってあるだけ。開けて中に入って行く。緩やかな道で進んで行くと竹林が現れ、その先に石組みが出現した。
象山到着。大きな判読がし辛い碑と、その東側に6機のトランペットスピーカーの付いた鉄組みがあった。三等点も鎮座している。ここからも展望抜群。松代側もいいが、ノロシ山側の景色もいい。象山と言えば、松代大本営の地下壕の場所。今はその一番の高みに居るが、往時はこの地下で何人もの韓国人が亡くなっている。戦争とは・・・。この象山へのルートもいくつかあるようで、ノロシ山側の尾根にも道形があり、本道は北側に切られているようであった。鞍骨山は高さ的な最終到達地点。ここは今回の山旅の折り返し地点。林道を戻るべく、我がトレースに足を乗せてゆく。麓からはチェーンソーの音が響く。音からしても里山の雰囲気。
林道を戻りながら、往路に歩いた尾根筋を見上げる。これが鞍骨山、あれが天城山と見上げることが出来た。さほどアップダウンはなく、だらりとした高低差の少ない林道であった。1時間ほど歩いて妻女山の駐車場が目の前に広がった。歩いてきた林道は、倉科坂線と言うものらしかった。ここから斎場山への林道も分岐している。駐車場にはサラリーマンか、昼寝している姿もあった。招魂社の社を拝んでから、展望台のある標高点をとっている方向に進む。その展望台前には、妻女山の解説文があり、フムフムと学ぶ。そして展望台に上がると、そこにある解説と絵図により、川中島の合戦を学ぶことが出来る。ここも展望がいい。自分なりに兵馬を妄想して、合戦を見立てたりもしてみた。さてここからの進路。最初は国道403号に出て戻ろうと計画していた。しかし、車の往来を見るより山道の方がいい。斎場山に登り上げて戻る事とした。
その林道入口には、この先は2WDでは厳しい旨の表記がされていた。確かにそのようなルートで、九十九折をしながら上がって行く。そして往路の踏み跡に出会う。斎場山を右に見て、土口将軍古墳の上を通過し、瑠璃殿横に戻る。ここからは道形に乗って降りてみる。落ち葉が堆積した道で、まるで雪があるようにフカフカ。降りて行くと、山腹にお堂のような朽ちた建物も見える。よく観察すると、その一帯は面白い場所に見えていた。何事も興味次第で楽しさが生まれる。石組みが各所にあり、そこに建物が点在していたのか、信仰に関する建物があったのだろう。本殿を眼下に見ながら、西側から巻き込むように境内に降り立つ。ちょうど5時間。標高こそ低いが、満足できる山旅となった。
松代荘で温まってから、知人宅へお見舞いに向かう。