大西山   1741.2m             
  
                       

 2012.11.23(金)   


 雨    単独       間沢川を遡上(旧松川ルート)         行動時間:3H26M


@林道終点7:14 →(32M)→Aナメ滝(高巻地点)7:46→(13M)→B1330m付近広見7:59→(43M)→C小屋跡8:42→(5M)→D稜線に乗る8:47→(4M)→E前大西山(1633.6三角点)8:51→(16M)→F1730m峰9:07→(5M)→G大西山9:12〜28→(8M)→H前大西山南鞍部9:36→(29M)→I1330付近帰り10:05→(12M)→J左俣最奥(旧ルート上)10:17→(10M)→K渡渉点10:27→(13M)→L林道終点10:40


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柄山日影地区へ、ずいどう口バス停からトンネルへ潜って行く。 @林道終点地。水線の入っていない左俣の方へ道形があるが、進路はこちらではない。 @この看板を左に見ながら尾根末端を巻き込むように小沢を跨いでゆく。 最初の小沢。(もっと細いのが手前にある)。二つ目?
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昔のルートの名残か。渡渉点。この手前から谷を遡上してもいい。 この標識の先は右俣の方へ行ってしまうので、ここで進路を東に決める。 中州的な場所をしばらく進む。 これも昔の橋。タイガーロープが残っている。増水時を知らないのだが、流れが太くなる時もあるのかも。1500m付近
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標高1200m付近の沢の中 A正規ルートはここで左俣の方へ高巻しているようだが、判らずに主谷を詰めて行く。 苔と落ち葉でよく滑る。左岸側を突き上げて行く。 B1330付近広い場所。
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B黄色い看板が目に入る。 Bこの色も山では新鮮。 1330地点から先に進むと、左に急峻の枝沢がある。大岩があり、そこに向かうように僅かに上がりトラバースが始まる。 しばらく右岸側をトラバースして再び沢の中に戻る。
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沢の中にはこんな標柱も。よくも流れずに・・・。 C途中で1633.6高点の北側の谷に入る。詰めて行くと小屋跡があった。ごみが散乱している。 もうすぐ稜線。付近のササは薄い。 D稜線に乗った場所から1633.6高点側。
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E1633.6高点の前大西山。 E四等点。 E前大西山から大西山側。 Eこの周辺で、このピークが一番広く居心地が良い。ヤマドリが5羽ほど見られた。
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F1730m峰。ニセピーク。 F1730m峰には、このように。 途中に大鹿村側への下降路が分岐していた。 G大西山。樹林に囲まれているが、空は開けている。
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Gプレート G三等点。 G中部山岳でよく目にする標識。 G今日はヤキソバパンが手に入り・・・。
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H1633.6高点南の間沢川源頭部。ここから下降開始。 下草の無い針葉樹の中の下降。 沢の中に入る。植林用の標識が見える。 I1330地点帰り。 
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1330地点より下は、旧ルートを見出せた。ただしこのような感じ。落ち葉に埋もれている。 道形の様子。 J左俣のルート最奥地。ここで鋭角にルートが変わる。往路の場合は右上に道が続く。 J左俣の谷の中を降りて行く。
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主沢に戻る。 大岩の下を通過したり。 トラバースルートが小谷に遮られ、ここから急下降。タイガーロープがある。 K渡渉点。右岸から。
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K左岸側から。往路の場合、右岸側の急峻ルートが見出し辛い。 切株の場所まで降りたら、進路を北にする。ガスが巻きだし、ガスった場合のこの沢も怖いと思えた。  橋を渡り・・・。 こんな小さな橋も残っていたりする。
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L林道終点地の様子。    


 勤労感謝の日を含めた三連休に入る。ただし初日は崩れる模様。だからと言って、それを気にして出かけないって事は無いのだが、ある程度の標高の場所で遊ばないと、寒さに苦労することが予想できる。雨でない寒さならいいのだが、濡れての寒さは体感が温度がさらに下がる。さりとてそこそこ高い所には出向きたい。となると南の方での選択となる。

 

 高さとせっかくの藪シーズンと、色々を加味させて、豊丘村と大鹿村との村界にある大西山を目指すこととした。ここは大鹿村からのルートが開いてあるようだ。ここが現在の公式ルートのよう。そしてまだ、地形図には松川町からの破線ルートも載っている。ここは沢ルートで、けっこう面白そうに見えていた。距離も手頃、雨でも楽しめるであろうと踏んだ。

 

 野辺山を越えて小淵沢に降りて、茅野から杖突峠で高遠に出る。そのまま地走りして豊丘村役場の駐車場に到着。ここでしばし仮眠を取る。現地入りしてしまおうかとも思ったが、急ぐ必要も無く、のんびりとした行動を取る。それは今日明日とこのエリアで滞在を決めていたから・・・。既に車の屋根を雨が叩いていた。判って来ているので、その雨の奏でるスネアドラムを楽しみつつ仮眠に入る。

 

 新聞配達の音で目を覚ます。そして松川町側に車を進めて行く。R22号は大鹿村側へは抜けられませんとの表示が目立つ。何処で封鎖されているのか、気になりつつも東に向かって行く。こんな場所にと言っては失礼だが、コテージ施設なども途中にあった。柄山地区に入り、すいどう口バス停の場所から、R22号を離れて南進して行く。トンネルを抜け出ると、その先で丁字路となる。右側には集落が見える。その丁字路の場所にこの先のキャンプ場の案内看板もあり、上流にキャンプ場があることを把握する。率直なところ、こんな場所に・・・と思ってしまった。

 

 間沢川沿いの道を進んで行くと、上流に2軒ほど今でも住まいしているお宅があった。そこを最後に民家は無くなる。舗装された綺麗な道。もう少し荒んだ崩壊した道を思って来たのだが、意外なほど走りやすい道で終点地まで到達した。終点地は軽く袋状に広がり、駐車スペースは十分。適当に置いても邪魔になる事は無い。雨具を着込み、長靴を履いて、いざ。

 

 林道の延長線上は、この場所においての枝沢である。その道形が太く伝いたくなるが、間沢川の本筋では無く、小尾根の南側の本流に行かねばならない。林業用の看板を左に見て、小さな流れを跨ぎ、もう一つ跨ぐ。ルート取りにより、二つの流れだが、徒渉1回となる場合もある。その先の沢には、朽ちた木橋が見える。斜めに傾き、足を乗せるのは怖い物。その下流を石に伝って越える。するとその先に賑やかにも見える赤い看板やマーキングがあった。マーキングはその先、右俣の沢の方にも続いており、導かれそうにもなるがしっかり本流を伝いたい。

 

 中州と言えよう中央部を伝って行く。ピンクのマーキングが続き、目がそれを追い、身体がその方向に進む。はたしてそれを伝うのが合っているのか・・・。それでも基本としてゆっくりとでも川を遡って行く。途中、標高1150m付近に朽ちた橋があった。これほど細い川に、ここまでに橋が二つ見られた。雪解けなどで流れが強くなる時期もあるのかと思えた。その橋にはタイガーロープが絡めてあった。

 

 右岸に行ったり左岸に行ったり、白い流れを縫うように遡上して行く。すると、前の方にいやらしいナメ滝が見えてきた。そう危なそうでは無いのだが、既に苔むした足場、堆積した落ち葉に、何度も滑ってバランスを崩していた。廃道ルートはどこに行ったのか・・・。ここは突き上げるしか無いと思い、左岸側の岩を慎重に上がって行く。5mほど上がってしまえば安全地帯に入り、それ以上の場所に危険箇所はなかった。進んで行くと1330m付近で、この本流の終点地のような地形になった。谷は南側に曲がり、流れもそちらから落ちてきていた。ここには黄色い看板と、立木の股のところに、緑色の看板が置かれていた。

 

 南に少し上がると、東からの急峻な小沢が降りていた。首を上げると大岩があり、マーキングはその方向へ着けられていた。何処へ・・・と伝うと、沢から15mほどの距離の場所で、並行するようにトラバースした道形となった。10分ほどそんな場所を進むと、再び沢の中に入る。そこには数字の振られた標柱なども見られ、先ほどの看板もそうだが、人の気配のする場所であった。

 

 進んで行くと、水の湧き出す場所があり、その先は枯れた場所となった。そこが間沢川の源となる場所のようであった。綺麗な水がコンコンと流れ出てきていた。さらに沢を詰めて行くと、途中でマーキングが左(東)側の斜面に入って行っていた。本流に逸れて、そこを伝って行くと、酷いゴミの散乱する場所に出て、そこに小屋が在ったことが見て取れた。汚い・・・瓶や缶詰・・・見たく無い光景だった。でも、あの槍ヶ岳山荘の裏だって・・・。稜線に向けて這い上がって行く。

 

 稜線に乗ると、そこそこ明瞭な道形が通っていた。それに乗って南に登って行く。ピークにさしかかると、その山頂部でヤマドリが一斉に飛び立った。休憩中だったようだ。申し訳ない。このピークが1633.4高点で四等点が鎮座している。開けた場所で、30人ほどでも受け入れられる場所。「前大西山」と標識が残っていた。さらに南進。

 

 マーキングが着けられている。ルートがくねくねとするせいであろう。この辺りはそのためか、踏み跡こそ明瞭なのだが、進む進路の見定めが不安定な感じがした。登りあげて山頂かと思った場所が、偽ピーク。その旨の書き込みがプレートにされていた。この先に進むと、大鹿村側へ下るルートが分岐していた。それを左に見て最後の登り。

 

 大西山到着。樹林に覆われてはいるが、ポカンと空が開けた場所で居心地はいい。雨は依然降り続き、立ち止まることが冷えに繋がっていた。三等点が出迎え、その後に大鹿小学校の記念登山のプレートが落ちていた。小学生かと思うと、その名前が可愛く見える。これがオッサンオバサンだったら・・・そうは見えない。不思議な感情移入。中部山岳でよく見る、彫刻プレートも着けられていた。そこをみると名古屋の方と判った。朝食の焼きそばパンを白湯で流し込む。外気温は5度くらい。濡れることにより立ち止まっているのが寒い。短時間で山頂を後にする。

 

 ニセピークを降り、前大西山手前の鞍部から谷に入る。下草の無い歩きやすい場所と言いたいが、少し高度を下げると、子供の頭大の石がごろごろし出す。少し谷を伝ったら、右岸側のトラバースするような道形に乗る。帰りは破線ルートを忠実に拾ってみようと意気込んだ。1330m付近の広見まで戻ると、それらしい道形が、多くの落ち葉に覆われ右岸側に見えた。これか・・・。ルートは谷の中より、20mほど右岸側の山腹辺りに切られているのだった。これでは判らなかったはずである。あとは、この高度差をつけるということは、やはり水量が増えることがあるのだろうと推察できた。

 

 伝って行くが、なにせ幅が狭く、落ち葉が乗り、滑るし覚束ない。尾根を巻き込むように進むと枝沢の方に北進し、沢の中で道は消えた。ここからは沢の中に伝って降りて行く。振り向くが、この鋭角に曲がる場所は不明瞭で、そのまま枝沢を伝ってしまう人も居るのではないだろうか。降りてゆくとナメ滝下の出合いに降り立つ。水量が少なければ、直登の方が楽であろうと思えた。この先も右岸側を行く。大岩の下を通過し、3分ほど進むとワイヤーが横切っていた。林業作業の名残である。現在は全くその様子がないのが淋しい。日本における林業の衰退は、各所で目の当たりに出来る。

 

 突如、トラバースしていた道が途絶えた。進む先には小谷があり、寸断というか、その先の道は無かった。ここにはロープが下に流され、鋭角に降りて行く道があり、川岸に降りて行く。右岸から見た左岸側には、無数のマーキング。往路に見たマーキングの多さは、このことを示していたのか。往路ではこの斜面の道に全く気がつかなかった。判っていないと伝えないだろうと思う。ややガスが濃くなり、視界は20mほどとなる。周囲が見えないと、不安になる谷でもある。両側を尾根に挟まれているのだが、暗く閉所的なことがそう思わせているのであろう。

 

 中州的場所となり、ゴールが近いことが見えてくる。進む先に切株が並ぶ場所があり、左を見ると赤い看板がある。西に降りてきた進路を北に変え進むと、林道の上に我が相棒が見えてきた。ゴール。

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