椹谷山   1884.5m                                   

 2012.09.22(土)   


  くもり時々晴れ     単独       濁河温泉側、林道椹谷線入口から        行動時間:10H24M


@林道椹谷線入口6:17→(12M)→A兵衛谷大橋6:29→(13M)→Bゲート(兵衛林道合流)6:42→(83M)→C孫八林道始点分岐8:05→(24M)→D歩道入口(取り付き点)8:29→(168M)→E1915高点11:17→(67M)→F椹谷山12:24〜37→(11M)→G1870m峰12:48→(63M)→H飛石谷歩道入口(林道に降りる)13:51〜14:00→(12M )→I往路の歩道入口14:12→(50M)→J焼小屋の滝15:02〜05 →(63M)→Kゲート帰り16:08 →(13M)→L兵衛谷大橋16:21〜24 →(17M)→M林道入口16:41


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@林道椹谷線入口。工事中であり車での進入はまだ不可。2013年4月より通れるよう。 A兵衛谷大橋。下の木橋を渡らずにも済むようになった。 Bゲートがあり、車で入ってもここまで。 Bゲートの先で兵衛林道と合流。合流した先にもゲートがあるが開放。
magohachihyoushiki.jpg  hodouiriguchi.jpg  1570.jpg  1640.jpg 
C孫八林道始点。このかなり手前にもツガ谷林道を右に見送る。 D取り付いた歩道入口。切り開きが上がっている。 1570m付近。尾根に乗る。 切り開きはしばらく続くが、すぐに自然に中に・・・。1640m付近。
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笹漕ぎ中は撮影できず、このようなオアシス毎に撮影。一見、楽なルートに思えるが、藪の連続。1700m付近 1730m付近。 1800m付近で大岩がある。 ササの中の遠泳が続く。やや細いササで、その部分では助かった。ただし密生。
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1890m付近の尾根の肩。休憩適地。 E1915高点付近。背丈ほどのササ。 1880m中間峰付近でオアシスあり。 大岩をすり抜けて進む。右巻き。
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1860m付近。一番大きなササのないオアシス。 彼らもしっかり居る様子。 1870m峰に赤布がしっかり結ばれている。結び目は2箇所。 1870mには1.5mほどの石が堆積した小山がある。
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F椹谷山到着。 F標識がかかっていた。 F古いリボンも残る。 FS・K氏のいたずら書きも2.5mほどの高い位置に見られた。
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F御料局の三角点。 F三等点が地中に埋まっている。 F御料局の脇にあるが、木の根元で微妙な場所に眠っている。 F今日は見栄えのするヤキソバパン。藪が濃いほどに映える。
1870he.jpg  1870.jpg  1840kata.jpg  hamonoato.jpg 
1870m峰に向けて戻って行く。 G1870m峰に戻る。ここから北尾根を下る。 1840m付近。尾根の肩。 途中から刃物跡が見られるようになり、一安心。
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1790m付近の様子。急峻。 1780m付近。急峻だが、間伐跡が続く。 下りながら、往路に伝った尾根を望む。 1700m付近でブルーのリボンが見え出す。
somamichibunki.jpg  sasanonakano.jpg  oritekita.jpg  enteisagankara.jpg 
作業道の分岐箇所がある。トラバース道と下降路。下降路を選択。 ササの中に切られた道。 下ってきた場所を振り返る。急峻で道形も流れている。 堰堤を左岸から越える。越えた先が不明瞭だが。よく探すと道が見えてくる。
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H飛石沢に出て林道に乗る。ここにも「歩道入口」の標識がある。 H林道側から見る歩道。 I往路に取り付いた場所。 孫八林道始点分岐。
tugadanibunki.jpg  yakigoyano.jpg  sagyou.jpg  ge-tokaeri.jpg 
ツガ谷林道分岐点。 J焼小屋の滝に寄って涼を得る。 林道は数箇所で工事中。にこやかな作業員が気さくに声を掛けてくれる。 Kゲート帰り。
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御嶽はガスの中。舗装前の固めた状態。 L兵衛大橋に戻り、兵衛谷を見下ろしながら小休止。林道の開通で旧道が見え辛くなってしまった。 M林道入口に戻る。ここは明確な駐車余地が無く停め辛い。下呂市施設の正門前に停めている。ちょっと申し訳ない状況。



 7月7日。富士寄生火山の椹山に登頂した時、地形図に非掲載の三角点を拝んだ。レスポンスよく経緯を国土地理院の担当者にご説明いただき、この時以降「椹」の字に魅惑な部分を抱くようになった。山頂に何かあるのでは・・・。日本山名事典を開くと、「椹」の付く山が4座ある。そのうちの未踏座は2座。今回はその高い方の椹谷山を狙うことにした。

 

 2011年4月、残雪に伝ったgekiyabu氏の秀逸な記録がネット上で見られる。さすがの快足、林道入口から3時間ほどで到達している。同じように残雪に伝ってと思っていたが、ここは変化をつけ無積雪期に・・・。しかし、どうにも複雑地形。林道のある北側斜面はゲジゲジマークに彩られている。そこより東側では、広い地形であり顕著な尾根筋が見えてこない。まさしく残雪期が適季と言えよう場所であった。それでも、沢筋でも詰め上げれば何とかなるだろう。現地で臨機応変にと、ダメモトで出向いてみることにした。ややヤケッパチなのは、左肺に続いて右肺も気胸になってしまった。体の異変に体温が上がっているのが判る。行ける所まで・・・。

 

 1:15家を出る。久々に八ヶ岳の南面道路を経て小淵沢に出て、20号で茅野に入り、杖突峠を経て伊那に降り権兵衛トンネルに潜って19号に乗る。361号を伝い、開田高原、日和田高原と経て濁河に到達する。経路約5時間。高速なら大阪くらいまで行けそうな時間であった。林道入口前にある少年自然の家は、下呂市のレクリエーション施設に名前を変えていた。林道椹谷線の入口にはバリケードがされ、工事をしている様子が伺えた。ここで困るのが駐車。ここなら安心と言うか、置いておいても邪魔にならないと言う余地がない。路上駐車となるのだが、置くに際し気を使ってしまう場所なのだった。と言っても来たからには・・・。

 

 6:17林道入口から出発する。既に2度歩いている道で、今回で3度目。勝手知ったる道でもあった。そして以前は建造中だった橋は、ペンキ塗りを残した状態で完成していた。渡りきり左岸に行くと、面白い事に気が付いた。欄干に付けられた名前は「兵衛谷大橋」。これとは別に詳細銘板があり、そこには椹谷橋と表記してある。兵衛谷大橋の方がしっくりと当てはまるが、詳細銘板も林道名と合致している。直すのが面倒なのだろうと思えた。ロードローラーで踏み固められた未舗装林道をしばらく進む。右の方には三間山であろうか、顕著な高みが見える。橋から進み10分ほどで赤いゲートが現れる。強固な新しいゲートで。左側に歩行通行可能な隙間がある。この先で兵衛林道が下から上がってきており合流する。合流した先にも今ほどと同じゲートが設置されていた。ただしこちらは開放状態であった。

 

 真俣橋を渡り、しばらくは坦々とした林道歩き。本来なら下の兵衛谷にでも入渓すれば、観瀑などが出来楽しいのであろうが、今日は目的が違う。それでもこの林道沿いには一つだけ観瀑を楽しめる場所がある。孫八谷を右俣とした場合の左俣にあたる場所にその滝はある。その名は「焼小屋の滝」。林道からも綺麗な姿を見ることが出来る。林道はこの先で分岐がある。下に進む方に「ツガ谷林道」と書かれている。右に見ながら通過して行く。この先の直線では、ササの中でやけに小動物が動く。鳥のようでもあったが姿を見ることは出来なかった。

 

 今度は孫八林道の書かれた道標が現れた。ドコモが通話可能と言う表示もある。ハイカーを目的にした道標なのか・・・。先ほどのツガ谷林道とともに地形図には実線で書かれている林道。伝えば双方あさっての方へ行ってしまう。当初はこの先の与左衛門谷が伝えないものかと思っていた。しかし現地はしっかり流れがあった。もう少し少なければ・・・。一つの予定経路が消えた。もうこの辺りになると、山手側ばかり気にして植生を見ていた。どこも深い笹薮ばかりで切れ間がない・・・。南アのようなシカの食害もないようだ。それ相応の覚悟をする。

 

 顕著な高みが右に見える峠的場所に差し掛かる。ここは地形図で言うと1638高点と1591高点を結ぶ尾根が林道とクロスする場所。右に見える顕著な高みは1591高点となる。その峠を目の前にして山手側に予期しないものが・・・。切り開きがあり「歩道入口」と書いてある。“なんだこんな場所に歩道とは・・・” 率直な思いだった。この先の林道を進めば、山手側はゲジゲジ斜面。2番目に思っていた伝えそうな尾根がここの尾根で、これは願ったり叶ったりであった。迷う事無く戸惑う事無く歩道に足を乗せてゆく。しかし、荒い刈り払いで引っ掛かって歩き辛い。間違いなくハイカーを意識したものではない様子。すぐに尾根に乗り上げ南進が始まる。“この道が1915高点まで上がっているのかも・・・” 勝手な幸せな思考を抱き伝って行く。確かに切り開いてあるのとないのでは雲泥の差、意気揚々とかなりハイペースで尾根を伝っていた。

 

 大木が横たわった場所になり、そこまで続いていた切り開きがパタッと消えた。伝えたのは時間にして8分ほどであった。標高差もどれだけだったか・・・。ここまで伝えた事だけでもありがたいが、全体を通せば完全に糠喜びな感じでもあった。“この分なら早くに到達できる。早く戻れれば三間山にも行こうか”伝っている時はどこまでも幸せなヤツなのだった。さあここから藪漕ぎが始まる。ササは細いが密生状態。腕を入れ突っ込むのだが、気胸中のため力が入らない。ストックを頼りに分け入れては体重をかけて倒し進んで行く方法をとった。標高1700m付近の痩せ尾根に入るまでの間、ずっと泳ぎ続けていた。その痩せ尾根のオアシス的場所が現れホッと一息。先に話してしまうが、この尾根でのオアシスは3箇所のみ。この先の1730m付近、そして1890m付近であった。

 

 どんどん漕いで進むと1800m付近で大岩が現れる。尾根上の目印となるか。少しでも植生が弱まらないかと望んでいたが、気持ち弱くなるが高度を上げるとまた待ち構えていた。右に振ったり左に振ったり。人工物は一切落ちていなかった。あったのは下の刃物痕くらい。1890m付近で苔生した大木が折り重なる場所がある。ここは休憩適地。ここから1915高点まではややダラッとした斜面でササも濃い。コンパスを定め方角を間違わないよう進んで行く。頭まで没するササ、やはりここは残雪期か・・・。周囲が見えればいいのだが、針葉樹や落葉樹、そしてササがあり遠望は利かない。尾根の頂部が判らず南の尾根側に吸い込まれ、途中で気づき西進に修正する。ガスでもかかっていたら、気づかなかったかもしれない。

 

 1915高点から椹谷山まではおよそ1キロほど。もう僅かと思って突っ込んでゆく。途中の中間峰と言えよう1880m地点は、小さなオアシスがあり、ここでも一息つける。その先で再び樹林帯の中に入ると、突如大岩が現れる。この大岩は、その間に人一人分の通れる隙間があり、苔生した岩肌を触りながら通過して行く。もうこのあたりで椹谷山の肩的場所になっている。1880m付近で、この山塊に入り一番広いオアシスがあった。テントも8張りほどは設営できそうなササのない場所で居心地がいい。あとわずか、先のほうに高みが見えている。足許には道形なのか掘れた跡がある。伝うのだが、フカフカしている場所や深く掘れた場所があり歩き辛い状態であった。そして1870mの場所に赤布が縛ってあった。それも布の両端。絶対に取れないよう付けたようであり重要なマーキングと言う事である。足元の苔生した岩陰に「いび茶」のペットボトルと蕎麦を食べたごみが放置してあった。中京圏の人が置いて行ったようだ。なぜならば関東圏にはこれらは売っていない。これもマーキングとして置いたのか・・・。

 

 椹谷山到着。と判ったのはリボンが見え、標識が目に入ったから。あまり山頂らしくない場所で広い地形であった。古い赤布がある中、西側のダケカンバの木に赤い絶縁テープが巻かれていた。付けられたその高さは2.5mほどの場所。カメラを望遠にして読み取ると、間違いなくSK氏のものだった。次ぎに先ほどの標識の裏を見ると、「2012.4.21 中津川 三輪」とあった。やはりみな残雪期である。リボンの縛られた大木の下には御料局三角点が、かなりいい状態で残っていた。美しい点とも言える。そしてその横300mmほどの場所に、真っ白な花崗岩が見える。地中に埋まっていたのを、100mmほど掘り起こして今があるようである。オーバー目には、石の1/5くらいは木の根の下になっている感じ。きわめて珍しい状況での残っている。これが見られただけでも嬉しい登頂。やはり「椹」のつく山には何かがある。等級を確認をと、三角点の横を見ると「三」が読み取れた。この体調にして感無量。経路は6時間を要した。gekiyabu氏の2倍かかってしまった・・・。そのご褒美が二本の三角点というわけである。ヤキソバパンを齧りながら下降路を探る。1870m地点の意味のある赤布、そこから延びる北尾根。これか・・・。

 

 1870mへ戻って行く。少し下って再び登り上げ。そして赤布の場所から下降に入る。時折木肌に刃物跡が見える。それもかなり新しい。それをづっと追うことが出来ず、二つほど見てその先は探せなかった。出来るだけ尾根筋を伝うように降りていた。ここも密藪。降りる分にはササが下を向いているのでいいが、登る場合は大変であろう。1840mで尾根の肩的場所となる。ここは空が開け気持ちのいい場所。この先で足許に注意。だんだんと急峻になり、足元が見えない度がグッとあがる。疲労もあって脛に力が入らず、足で分ける力もなくなっていた。確認せず踏み降ろしたら空中だった。重力に任せて落下。2mほど空を切り、1mほどずり落ちた。その時、左足をカニバサミのように潅木に挟まれ膝を捻る。“ヤバイ、万事休す”と本当に思ったが、痛いが何とか歩ける。ポンコツなのだからこれ以上壊れないでくれと願うばかり。

 

 しばらく尾根を伝っていたが、何となく東側寄りの斜面が気になった。少し寄るように尾根を離れると、そこには間伐跡の刃物跡が残っていた。半信半疑で降りてきたので、この人工物はありがたかった。しかし急斜面。良くぞここで作業をしたと思えた。それこそずり落ちるように足を下ろしてゆく。向かいの尾根が往路の尾根。“あそこを伝ったのか・・・”。1730mくらいだったか、作業用の道形を発見した。その開かれ方は、往路のそれと酷似していた。道があるのなら伝わない手は無い。バリバリと音をさせながら、刈られたササの上を降りて行く。最初は高度を下げるが、途中からトラバースするように横ズレ(左:西)して行く。もしや違うのかと思ったら、その先にピンクのリボンがあり分岐点となった。リボンには分かれ道の先の作業場を示す記述が入っていた。ここからは下に向かう道を選び、トラバースする道を左に見て降りて行く。だんだんと沢が近くなり流れの音がしだしてくる。ササの中に切られた道を伝い、その先は植樹帯の中の急峻地帯。道も流れ気味になりやや不明瞭箇所もある。そして一度沢の中に入り、左岸側を伝って進む。しばらく行くとコンクリート構造の堰堤があり左岸から乗越す。越した先が野草に覆われ道が見えない。15mほど下側に青いリボンが見え、そこに繋げて適当に降りて行くと道に乗った。そして進んで行くと下に林道が見えてきた。

 

 林道に降り立つ。ここは飛石谷。その名が示すよう大岩が谷の中にたくさんある。林道からいま伝って来た側を見ると、その入口にも「歩道入口」と書かれた標識があった。歩道・・・「林業作業用歩道」と書くのが正解か。平和ボケしていて、普通に「遊歩道」などと解釈してしまいがちである。杣道でもあり、一部は古くからの道、そしてもう一方では新たに刃物を入れた場所に感じた。飛石谷に架かる橋の上で長袖を脱いで雨具のズボンを脱ぎ、このあとの林道歩きに備える。さすがにお疲れモードで、ここからはのんびり帰ることにした。10分ほど歩くと、往路に取り付いた「歩道入口」がある。飛石谷の方の距離を10とした場合、2くらいしか切り開かれていないのがこちらの状況であった。

 

 孫八林道を右に見て、次ぎにツガ谷林道を左に見て、深い孫八谷を過ぎたら次の谷が焼小屋の滝の場所。橋の上にザックを降ろし入渓する。ここの最初は右岸から苔生した岩の上に足を乗せてゆく。伝いやすい岩配置で、すぐに滝つぼに到達する。見応えのある滝。大木が寄りかかっているのがこの滝のアクセント。無ければいいのだが、あっても面白い。飛まつを楽しみ力水を飲んで戻って行く。林道を戻って行き、シン谷と並行するようになると、対岸に幕岩の雄姿が見える。時折山手側から流れがあり、ここはテルモス要らず。歩いていると後からユニックを乗せたトラックが追い越していった。工事現場でそのトラックの主と出合い語らう。人のいい優しい作業員であった。山で働く人とは・・・。

 

 兵衛谷林道にぶつかり閉鎖ゲートを越える。ここからは舗装路の登り上げ。脹脛に張りを感じながら登って進む。すると前の方に兵衛谷大橋が見えてきた。対岸では作業の音が大きくしている。時計は16:20。あと30分ほどで作業も終わるから、邪魔をしないようここで停滞しようか・・・などと、橋の袂で小休止を入れる。不思議なもので疲れたから休むのだが、休むと疲れがどっと増す。私の場合は、歩け歩けの方が疲れないのだった。座っていると根が生えてしまいそうで、2分ほど休んで対岸へ進んで行く。最後の登り上げを行くと、ガードレールの支柱にコンクリートを流し込む作業をしていた。作業員に挨拶をすると、顔を隠すように作業に向かう人もいる。いろんな境遇の方が働いていると思えた。

 

 林道入口ももう僅かという辺りでも工事がされていた。そこに居た作業員は、これまでの人と様子が違い。ブルーカラーよりホワイトカラーな匂いがした。思い切って「この林道は一般車は通すのですか」と聞くと、丁寧にこの先の予定を教えてくれた。「全線開通とはならないですが、2013年4月に兵衛大橋の開通式はやる予定です。今決まっているのはそこまでの予定です。」と言われていた。一番のポイントである「それは観光林道と言う事ですか?」と聞くと、「そうです」と返ってきた。林業用ではなく、観光用として開いている道であった。それまで判れば十分。

 

 車に到着する。既に16:41、本当は濁河温泉に入りたいところであったが、この日は野暮用があり急いで家路に向かう。途中の長野道では、御嶽に入山しての帰りという知人女性を追い抜いた。どうやらニアミスだったようだ。翌日曜日は深夜0時から16時まで降り続くような大雨だった。一日予定がずれていたら・・・とんでもなかった。日曜日もそう悪くない予報であったのに・・・。

 

 兵衛林道の基点となる落合地区には、御嶽山への一合目があり、林道を伝って濁河温泉で六合目。今回の下調べをする時に知った事であるが、伝う人は居るのだろうか。途中には、今でこそ兵衛谷大橋が使えるが、以前は兵衛谷の渡渉であった。過酷な長いルートに見えていた。

 

 何はともあれ無事登頂。しかし翌日は、左膝がカーキ色に変色しだし、血の巡りが悪くなっているサインを出していた。膝関節の激痛が伴う滑落の痛手も・・・。全ては自業自得。そして全て自己完結する。基本、「山で何があっても這ってでも帰る(れ)」。これが先日4000座に到達したNXK氏から強く言われている事である。その裏には「平地に居る人を悲しませてはいけない」という意味合いがあることも教えられている。師の教えは忠実に守るのが弟子である。

 

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