手白山 1848.2m
2012.11.17(土)
くもり時々少雨(小雪) 同行者あり 女夫淵温泉より、手白沢温泉経由 行動時間:8H11M
@女夫淵温泉駐車場6:19→(9M)→A絹姫橋6:28→(4M)→B新道分岐点6:32→(47M)→C八丁の湯7:19→(9M)→D加仁湯7:28→(36M)→E手白沢温泉8:04→(11M)→F新助沢8:15→(11M)→G明大奥鬼怒山荘8:26〜27→(65M)→H手白山9:32〜10:09→(75M )→I明大山荘帰り11:24〜27→(19M)→J手白沢温泉帰り11:46〜51 →(28M)→K加仁湯帰り12:19〜13:22 →(7M)→L八丁の湯帰り13:29〜31 →(59M)→M女夫淵温泉駐車場14:30
@女夫淵温泉駐車場をスタート。 | @あまり考えず歩道側に進む。 | こちらは公式には通行止めであった。 | A絹姫橋を渡る。 |
B新道との合流点。 | B新道側を見下ろす。 | 斜面には岩屋風の・・・。 | 歩道の様子。時折泥濘な場所がある。 |
地図の破線ルートとの合流点 | 合流点には道標にブルーシートが掛けられていた。ルートが変わったからか。 | 二ッ岩橋を渡り。 | すぐまた砥の岩橋を渡る。 |
水場が見えると八丁の湯が近い。 | C八丁の湯は、建物のほとんどがログ構造で立派。 | 上に橋が見えると、その奥に加仁湯が見えてくる。 | D加仁湯。バスのピストン輸送がされている。従業員が到着した所であった。 |
加仁湯の先から山道に入る。 | 入口から見る加仁湯。 | 凍てついた階段はよく滑る。 | 山道が尾根に乗った辺り。 |
林道に出る。 | 根名草山への登山口。 | D手白沢温泉全景。 | D手白沢温泉の従業員宿舎の裏手から峠へのルートが降りている。下降点までがやや不明瞭。 |
F新助沢の枝沢に出て、左折。 | F明大小屋への道標がある。この先渡渉。 | G明大奥鬼怒山荘。ルートミスをしている。 | G立派な表札。この地の名士が書いている。 |
テープ乱打の斜面に取り付く。 | 適当に尾根筋を伝う。 | 上の方はやや急峻地帯あり。 | 手白山の北側で尾根の乗る。 |
登ってきた斜面。 | H手白山到着。 | H三等点。 | H標識はこれのみ。山部さんの標識はなくなっていた。 |
Hいたずら書き。鉛筆の耐久性が示される。22年経過。 | Hパノラマ職人が仕事中。 | 尾根筋から見る太郎山側。 | このリボンで尾根筋を離れる。 |
尾根筋を振り返る。道形のある場所もある。 | やや迷走し、明大小屋に向かい、適当に低いササの斜面を伝って行く。 | I明大小屋到着。 | I小屋内部の様子。きれいな畳敷き。 |
58年に作道で、この名前か。 | 渡渉点帰り。 | J手白沢温泉帰り。ここで飲泉。 | 山道を降り林道に乗る。 |
K加仁湯で温まってゆく。1時間ほど休憩。 | K談話室の様子。凄い数の野生動物の剥製。圧倒される。 | L八丁の湯帰り。 | 新道への分岐点。絹姫橋側は封鎖されている。 |
鬼怒の中将乙姫橋。対岸に渡ったら最後の登り。通行止め側の方が楽だったりする。 | 登山口に降り立つ。傘と杖が用意してある。 | M女夫淵温泉駐車場到着。 |
10月、日本を代表するパノラマ写真家のF氏から久しぶりのメールが入った。「11月の2週以降で何処かにご一緒に・・・」と。氏の足も判っているし、自然に対するハートの部分も知り得ている。何かとバタバタとしていたが、その第二週以降を向かえ、誘いの声をかける。すると待ってましたとばかりの二つ返事。ただし、決行する土曜日の天候が悪い。翌日曜日ならそこそこいいのだが、悪天でもあまり負荷なく、それでいてバリエーションルートを選定する。各所を眺めて、探し出したのは奥鬼怒の手白山。そこそこの距離、半分は公的な道があり、半分は山中。さらには周囲には温泉地が散見できる。こんな適当な場所はないと思えた。
日頃、電車行動が多い氏であり、鬼怒川温泉駅で拾っていこうかと話しかけると、レンタカーで現地入りすると返答があった。「では、夜明けの6時15分頃出立としますので」とアナウンスして当日を迎える。西上州は天気が崩れるのがウソのように星が綺麗であった。1時15分、それらの星を見上げつつスタートとなる。17号経由で下道を行くのだが、深夜でも県中央部は賑やかで寝静まる事を知らないよう。R122にやっと乗って日光を目指してゆく。
外気温は6度。このエリアにしては意外と温かいと思えていた。谷間であり、もう少し冷え込む場所のはず。深夜冷え込む日ほど好天になるから、やはり今日は曇天なのかとも思えた。日光から今市に抜けてR121を北上して行く。各有料道路は夜間無料時間であり、経路にストレスなくR23号に入って行けた。鬼怒川に沿った道は、郷愁を誘うあまり近代化されていない風景が多い。すると、戸中の集落を抜けようとしたその時。ヘッドライトに大きな鹿が写った。体重は200キロほどありそうであり、大きな角を持ちトナカイのようにさえ見えた。悠然と道を横切って急ぐふうもなし。居る事に驚いたのでなく、大きさに驚いた。大鹿村の山中を駆けている鹿の群れに匹敵する。となると、ここも食害が酷いだろうと思えた。
クネクネと進んで行く。なにせ温泉地が多く、走りながら嬉しくなってしまう。選り取り見取りとはこのこと。そして川俣湖を左岸側に渡り、その先に川俣温泉がある。ここを通過し、僅かでゴールとなる女夫淵温泉前の公設駐車場に到着。駐車場には予想外に多くの車が停まっていた。すぐには読み取れなかったのだが、この先の温泉地人気が目の前の車の多さになっているのかと思った。この中に今日同行のパノラマハイカー氏の車があるのだが、神経衰弱をするかのように当てにいかねばならない。氏のことだから、判りやすい場所に停めるはず。東京都内のナンバーを探す。選択肢の中にエンジンをかけたまま眠っている車等ある中、自然の優しい氏の事でありそれはない。一台の目ぼしい車が目に留まった。その前の駐車スペースに突っ込み、こちらも仮眠を決め込む(4:37)。
6時、外を見るとドンピシャだった。律儀な氏は、私に迷惑をかけぬようにとの配慮だろう、どんどん準備を進めていた。急いで外に出て何年ぶりかの再会の握手をする。今日は一つ、落ち度がある。経路のコンビニで食料を調達と思っていたが、鬼怒川温泉地の最後のコンビニに寄らず、先にあるだろうと思い込み来たが、鬼怒川のそこが最後であった。よって気の利いた食料がなし。幸いジュースの自販機があり、甘い飲料を買ってエネルギーとする。
6:19スタートする。遊歩道側が通れると思い込み、左岸側を進むが、すぐにゲートされていた。こちらは通行止めだった。それでもフェンスを脇から通過し絹姫橋を渡って行く。橋の上には雪が乗り、ツルツルと滑る。対岸に行き山道を行くと、ロープの張られた通行止め箇所が前に出てくる。左からは階段が上がってきており、現在の本道はこの下からの道のよう。帰りに伝うことにして先に進む。
分岐点から8分ほどで、柵のある歩道に降りる。ここにある道標にはブルーシートが被せられていた。沢沿いのルートが廃道になったと言うことなのか。礼文岳途中の、起登臼への下降路分岐にも同じことがされていたのを思い出す。10分ほど進み、雪の乗った橋を二つ通過して行く。そして右側に水場の塩ビパイプが見えると、その先が八丁の湯となる。進んで行くと、ログ構造のコテージ風の宿舎が並ぶ。この場所にして立派過ぎる構造物。もっともっと鄙びた湯宿だと思っていた。スタッフの男性が、優しそうに挨拶をしてくれる。当然の「おはようございます」と返答する。足湯のそばに犬が二頭繋がれ、そのために周囲にのんびりとした空気がある。先に足を進める。いつの積雪か、周囲を白く変えていた。もうここには紅葉の彩りはなくモノトーン。上に林道の橋が見え、その先を望むと白い立派な建物が見える。加仁湯なのだが、こんな立派な建物が・・・なんて思いつつ足を寄せていった。
同行のF氏とは、止る事のない山談義。1時間ほど歩いているのだが、それを感じさせない快適さでもあった。これが中高年風おしゃべり登山となるか。経路では横並びで歩ける場所が多く、会話でのストレスがない。ここも狙い通りであった。加仁湯の施設手前には、春日野部屋の宿舎などがあり、特異な雰囲気を放っていた。マイクロバスがちょうど到着し、そこから従業員らしき人が降りてきた。挨拶しつつ背を向ける。日光沢温泉への道を右に見て、その分岐の場所に、手白沢温泉への山道が始まっている。左へのルートを選び、林道通過でもいいようだが、そろそろアクセントとしてスイッチを入れたい。山道を選んで、凍てついた階段に慎重に足を乗せてゆく。”下りは怖いなー”なんて思いつつ。途中には休憩場所も設けてあり、来訪者思いのルートとも言えようか。ただし寒々していて、ベンチにこの時季に座ったら、そのために尻から冷されそうであった。
山道から林道に出て、7分ほどで根名草山の登山口が右にある。念仏小屋が建て替えとなったので、そのアナウンスもされていた。この登山口から3分ほどで、正面に手白沢温泉が見えてくる。ルートは緩やかな起伏を伴い、沢筋の近くで周囲温度が低い。林道の上の雪は凍てついて滑りやすかった。良く見ると進む先の施設内からは暖色の明かりが漏れていた。常時人が居るようだ。この時は、泊り客のみを受け入れている宿とは知らずにおり、日帰り施設としては動き出すのが早いと思ったのだった。その手白沢温泉前を通過し、従業員宿舎側に進むと、そこに廃物置き場がある。除雪用の重機の東にルートがあるのだが、案内標識はなし。やや半信半疑で進むと下降路が降りていた。
降雪があるからか、地形図に載る破線ルートとしてはか細い感じがする。ササ斜面のトラバースルートだからだろうか。10分ほど進むと新助沢の枝沢に出る。ここには明治大学の山荘への案内表示が打たれている。それに従うように新助沢を右岸へ渡渉し、踏み痕に乗って行く。何処からか、手白峠への踏み跡が登っているはず。そう思って地形を見ていたのだが、周囲はダラッとしていてササの原。そこに降雪が乗り、どっちつかずの見づらい地形となっていた。ただしマーキングが乱打されている。完全に散見で、何処がどう進んでいるのか、一見して判らないのだった。そのまま踏み痕に従って行くと、明治大学奥鬼怒山荘に到着した。表札の字は、ここの名士である長谷川さんの書であった。
コールタールで黒く塗られた小屋は、触れるとべとべとしそうなほどに塗料が浮いている。刷毛も置いてあったりし、塗りたてなのかとも思えた。ここに来たと言う事はルートミスをしている。何処だったか、やはりマーキングのあの辺り・・・。ルートを戻り、そのマーキングがある辺りから斜面に取り付く。ここで本来は我慢してトラバース気味に進むのが順当だったようだ。山登りなので高みを目指す意識が、この場所で横ズレを許さず、高度を上げて行く意識が勝った。それには、その方向にもマーキングが続いていた為でもある。そんなものに惑わされている程度であるから私も大したことがないのだが、私に限らず、多くの方がここで迷い、惑わされるだろうと思えた。やや急峻を駆け上がることになる。今日の為に靴を新調したF氏、相対して私の靴はソールがくたびれてきていてよく滑る。見ていると好対照で、どちらがガイドなのかわからない。
この経路、手白沢温泉から見ると、近いのは手白山で、中継地点とした手白峠の方が平面距離は遠い。こんな背景も進路取りを乱した原因とも言えようか。登りつつも東側の尾根筋を気にしていた。ただし上に行ってしまった方が最終到達地は近い訳で、判っていながらもどうしても高度を上げる方向に傾いていた。ただし、北側斜面は地形図に見えるように、等高線が密になっている。相応の地形の中を、両腕を使いながら這い上がってゆく。F氏も安定感のある安心の歩き。足が揃う嬉しさ・・・。高度を上げるに従い、じわりじわりと覆う雪が増してゆく。先を望むと空が開けた場所が見える。主尾根が近い。
尾根に乗り上げ、何処に出たのか右往左往する。とりあえず高い方へと、適当に西にズレてみる。進んで行くと、あまり顕著ではない場所に、標識が見えた。手白山到着であった。顕著ではないと見えたのは、西進方向で思ったこと、その西側から東を見るように山頂を見ると、そこそこ見栄えがする。山頂の南側から西側の空間が開けていて、東側に樹林を背負っているのでそう思える場所なのだった。すぐさまF氏がパノラマ撮影に入る。久しぶりに見る職人の仕事風景。割り出し作業も板についている。もう少し展望のいいピークをお膳だてしたかったが、ここもまた藪山っぽくっていいのかな、なんて・・・。
出掛けに届いたピーナッツ煎餅を齧りながら小休止。少し小雪も舞いだしたが、大きく崩れる様子なし。木々の間から見える周囲景色は、まだしっかりしていた。南西側に大嵐山だろうか根名草山だろうか、大きな山塊が見えている。ちょっと登れば、栃木・群馬県境。このエリアは群馬側からのアプローチがほとんどであったので、かなり新鮮な登行でもあった。下降時間となり、F氏から「こっちに行くのですか」と西側を指された。確かにその方が手白沢温泉は近い。しかしここは、その方向に背を向けるように進まねばならない。地形的なしょうがない部分だろうが、スマートではない経路と言えよう。もう一つは、全てを無視して最短ルートでの往復でもいいわけで、踏み痕を意識するしないで、大きくルート取りが変わるだろう。下山こそは手白峠を拝みたい。その気持ちで降りていた。
尾根筋は、もう少し踏み跡がはっきりしているのかと思ったら、意外とない場所も多い。それもこれも雪に覆われているせいか。快適に下降をと思ったが、雑木や倒木を分けて跨いで進む場所も多い。1799高点付近で、ピンクのマーキングが目立ちだした。そして踏み跡が北側に続いている。ここでもう少し我慢して尾根筋を辿れば峠に行き着いたようだが、僅かの場所で掠めて通過している。ここからさらに、踏み痕は長いトラバースに入るようだが、ここでも「降りる」意識が強く高度を下げて行ってしまう。顕著な北尾根の上にもマーキングがあり、それを安心材料にしていたのだが、降りて行く周囲景色が、どうにも解せ無くなった。外している・・・。ウスクボ平に降りるならいいが、今日は往路に見た温泉に入る予定がある。なにせ手白沢温泉に戻らねばならなかった。北に進んでいた進路を、西に修正する。山腹の起伏を辿り巻き込むようにして大きな谷を通過し、次の尾根も一跨ぎ。もう一つ小さな谷を経ると、その先になだらかな斜面が広がった。付近の木には、そのほとんどに数字が振られていており管理されているようであった。先の方にコールタールの黒が見えてきた。50mほど離れていても臭ってくるかのよう。
明治山荘まで戻る。雪の上には我々の足跡しかない。“誰も入っていないか・・・”一つ気にしていたのは猟師。藪山の位置付けであり、そのための緊張感は持っていた。銃声などが聞こえないので、禁猟区なのかとも。なにせ、本日は貸切の遊び場だったよう。雨戸の隙間から小屋の中を覗くと、立派な造り。全ての雨戸が開けられれば、内部は明るい居心地のよさそうな場所。畳の上にシュラフカバーのようなものが転がる。布団ではなく、ここでの寝具は寝袋か・・・。新助沢に戻って行く道にふられているのか、「五八新道」と標識がある。この有名ワンゲルが、この短距離に対し名付けるか・・・別な道のことか・・・色々思いつつ戻って行く。
峠への道は・・・。再度舐めるように付近の踏み跡を探して見る。「これか」「これらしい」「でもこっちか」、結局よく判らないまま新助沢に降り立ってしまった。腑に落ちないとはこのこと。ちょっとスッキリしなかった。渡渉して左岸へ戻り、トラバース道で手白沢温泉に戻る。館主なのだろうか、「泊まりの人ではないですよね」と箒を持ちつつ言われる。この宿で、混乱するほどに訪問者が居るのかと思ったが、とりあえず「ええ」と返す。玄関前の源泉の流れを飲泉で楽しむ。そして再度玄関へ行き声をかける。「ここは何時から入れるのですか?」。すると予期せぬ返答が、「泊まりの人ではないですよね」と。即座にまた「ええ」と返す。頭の中が繋がらなかった。二回も同じ事を・・・。30秒ほど考えて、やっと判った。日帰りは入れない・・・そう思うと館主らしき人の言葉は、遠巻きで嫌らしい。紙を貼るか、ストレートな言葉で言ってくれれば・・・。まあ中には泊まりの人が聞く場合があるのか。自分都合で考えてはいけない。手白沢温泉を後にする。
予報からいくと、既に降雨がある時間帯に入っている。幸いにも降られず行動できている。山道の最後の階段は、やはりツルツル。丸太の乾いた場所に足を置きつつ降りて行く。階段の脇に踏み跡が多くなっている。凍結回避で使っているのはあからさまだった。そして加仁湯到着する。予定通りここでしばし沈没してゆく。足の汚れは玄関前のエアーで飛ばす。これは画期的。場所が場所だけに、ハイカーでなくとも足元が汚れた状態で訪れるだろう。そんな中で、経営者側は特にハイカーに対しては、「汚れ」が気になると思う。ホテル形態を取っているこの湯宿においては、大荷物、汗臭さ、濡れていたり、これらは他のバスで訪れる方に対して、めんどくさい客になるかと思う。それが判るので、忍びなくそろそろと中に入って行く。ちょうどバスからの客が9名降りてきた。風呂に急がねば混む。いそいそと長い通路を行き混浴風呂へ。
白濁する露天風呂。谷間の景色もあってすばらしく気持ちがいい。温度も適温。パノラマハイカー氏も幸せの極みと言った表情であった。終わり良ければ全てよしともなるが、山行においては落ち度があったが、全体構成としてはいい感じ。湯を上がると、すれ違うように若い女性が入って・・・タイミングが悪い・・・。ロビーで寛いでいると、館主らしき人が語りかけてくる。一般客もそうだが、ハイカーも大事にしているよう。周囲に山が無くて、ハイカーが来なければ、それはそれで淋しい場所なのだろう。山があり、黙っていても人(ハイカー)が訪れるから、ここも潤っているのだろう。ラックには新ハイの月刊誌が置かれ、持ちつ持たれつと理解した。宿を後にする。
温まった体で戻って行く。すぐに八丁の湯だが、コテージでは、到着した客が枯れた景色を眺めるようデッキに出てきていた。羨ましくもあり、微笑ましい風景であった。二匹に挨拶をしてから八丁の湯を後にする。13時半を回った時間。すれ違う人も意外と多い。服装から、秘湯愛好者、バイカー、ハイカー、そんな種族に分けられるようだった。途中の小滝を観賞して、二つの橋を渡ってゆく。そして通行止めの場所から新道のほうへ行く。「鬼怒の中将乙姫橋」。凄いネーミングである。渡りきっての階段は、太腿をブルブルとさせてくれる登り。大きな声では言えないが、これなら通行止めのほうを通った方が楽だったよう。林道に降り立つと、傘と杖が用意されていた。至れり尽くせりの歩道となる。「雨でも来て下さいね」との願いがそこに見えた。朝方開いていたゲートは閉り、バス停では加仁湯行きの薄紫のバスが、客待ちをしているところであった。駐車場到着。
いろんなアクセントがあって、楽しい遊び場であった。計画したとおりとも言えるが、奥鬼怒の温泉の多さは、訪れるだけで嬉しくなる場所とも言える。「また来よう」、普通にそう思える場所であった。観光地の位置付けでいいのだろうが、最低限そこに「歩く」事が伴う。車社会の現在、どこへでも車で行ける。ここでの歩かせている特異性は、楽しさに繋がる。苦労して勝ち得た物ほど、嬉しさは大きい。こんな大それた事でもないが、1時間ほど歩いて現地入り、八丁の湯、加仁湯の良さがそれにより倍増されているのだろうと思える。
ところで手白山だが、雪の降り始めという事で踏み跡が見出し辛いと書いたのだが、無積雪期であったら見えてくるのか・・・上の方の尾根筋を歩いた感じでは、そう訪れる人は居ないのだろう、踏み痕は乏しかった。峠へのそれも、似たようなものなのかと・・・。あとは乱打してあるマーキングであるが、ちょっと惑わされた。在ってありがたいと思うときもある。回収した方がいいと思うときもある。ここは・・・。