鬼ヶ城山 1501m(※日本山名事典表記) 氏乗山 1818.3m
2012.11.24(土) ※鬼ヶ城山の位置は、現地では1482.5高点が相応しい
くもり 単独 鬼ヶ城沢川九丁上登山口より 行動時間:6H17M
@登山口6:31→(45M)→A三十三丁7:16→(43M)→B鬼ヶ城山1482.5高点7:59〜8:05→(9M)→C南尾根ルートミス1410m付近まで下降8:14→(8M)→D鬼ヶ城山再び8:22→(17M)→E1510高点8:39→(82M)→F氏乗山10:01〜20→(26M)→G1688高点10:46→(4M)→H1670m峰10:50→(8M)ルートミス→I1670m峰三度10:58→(24M)→J1501高点帰り11:22→(8M)→Kキレット帰り11:30〜47→(6M)→L鬼ヶ城山1482.5高点帰り11:53〜59→(49M)→M登山口12:48
小松樽沢橋のところで鹿除けフェンスがある。 | @登山口 | @登山口脇に流れがあり給水可。 | 尾根に乗ると「十丁」。 |
最初はなだらか尾根。 | A三十三丁 | 中盤以降は急峻。 | 道形が流れているのか、落ち葉に埋もれているのか。なにせ急峻。 |
B鬼ヶ城神社奥社 | B五十丁の標柱。 | Bたくさんの奉納物がある。 | B標識 |
B神社の東側の様子。 | B四等点 | 間違えて南の尾根を下ってしまう。マーキングが降りていた。 | C1410m付近で間違えに気づき登り返す。 |
D鬼ヶ城山再び。 | キレット。尾根の北側を巻いて進む。 | キレットの中。けっこう見栄えのする割れ。 | キレット東側にはタイガーロープが垂れている。 |
尾根を通過せず北側をトラバースして行った。 | E1501高点。山名事典の鬼ヶ城山ポイント。 | 1510m付近。霧氷。 | 1580m峰 |
1580m峰から見る1533.4三角点峰。その方向に道形が降りていた。 | 1670m峰。このルートで一番迷いやすい場所。 | 1670m峰から南西にしっかりとした道形が降りている。伝って来た道形より濃い。 | 1688高点の東。 |
1660m付近。林業作業跡 | 手前最低鞍部から氏乗山。 | 直下は低い笹原。 | F氏乗山到着。 |
F標識類が乱打。 | F古い標識。 | F三等点。 | F沢山って、どこ? |
FMLQ氏が鬼面山から縦走した時のいたずら書き。 | Fこの日もヤキソバパンが手に入る。 | F東御市産のシナノスイートで水分補給。 | 下山途中から鬼面山からの稜線。 |
途中から曽山? | 1688高点帰り。 | HI1670峰から、判っていても南西側の尾根に入ってしまった。 | 1580m峰帰り。 |
1500m峰に向かって行く尾根筋の様子。 | 途中から見る鬼ヶ城山。 | J1501高点にはSK氏のいたずら書きが残る。1週前の筆記跡。 | キレットに向けて降りて行く。 |
Kキレット。ここからの懸垂はザイル長30mないと下まで届かない。 | K20mしか持ってきていないので、やや北側にずれて肩がらみ。それでも下いっぱいいっぱい。 | Kキレット内から東側。 | 鬼ヶ城山の東斜面。ここも急峻。 |
L鬼ヶ城山神社奥社三度。 | 石柱を追う様に下って行く。 | 滑りやすいトラバース。 | 1300m付近。 |
1190m付近 | 1150m付近。 | 途中でビーグルを連れたハイカーに出会い語らう。 | 十丁まで戻る。下に車が見える。 |
M登山口に降り立つ。 | 登山口から林道を跨いで下流域を見ると、九丁らしき標柱が見える。 |
移動二日目。本来なら二日あるならテントを持って山中泊といきたいところだが、前日が雨予報であったので、臨機応変な単発な計画とした。目指すは氏乗山。2007年にMLQ氏が鬼面山から縦走した記録を上げ、それにより気になった山であったが、私は鬼面山では同行者がおり先に進めなかった背景がある。よって氏乗山のみ稜線に残ってしまっていた。なにか楽しめる方法はないかと思案していたら、西の鬼ヶ城山と抱き合わせに出来る事を知った。
この鬼ヶ城山であるが、地形図を見ると1482.5高点側に名前がふられている。一方山名事典からは、1501mで標高を取っている。山塊の最高所ということらしいが、前者の方に神社がある状況。さて「鬼ヶ城山」に相応しい場所はどちらだ・・・と自分の足で確かめてみることにした。
矢筈トンネルに向かうR474は何度も通り走り慣れた道。ただし、この道から枝道には入った事がない。貸又地区の方へ途中から入って行くのだが、そこにはしっかり鬼ヶ城山神社を導く道標が設置してあった。集落内の分岐点にもあり、右折し細い林道を登って行く。進んで行くと林道脇は鹿除けのフェンスが続く。そこに小鹿が2頭ヘッドライトに映る。逃げるに逃げられず1mくらいまで近づくも、右往左往している。動物には罪はなく可哀相でもあった。
小松樽沢橋にさしかかると、目の前に鹿よけのフェンスが通せんぼしていた。強固なフェンスにカギは無く、通行者が自分で開閉する仕組み。閂とフックと、下側の棒と、三箇所で留められていた。ここを開けて進む。侵入な感じでドキドキするのだが、幾重にもフェンスがあるわけでなく、あったのはこの1箇所のみ。上に乗った落ち葉の量が相当量で、路面が見えないほどであるが、舗装状態は良好。そうこうしていると、右側にそれらしい場所がヘッドライトに写った。登山口に到着。とりあえず林道の奥のほうを調べる為に進んでみる。その先ダートになり1分ほど進むと行き止まりとなった。登山口まで戻り、沢を挟んだ西側の余地に車を突っ込む。ここは焚き火をした跡も残っていた。持ち込んだブランデーをちびちびやりながら夜が深けてゆく。ラジオは入るが携帯の電波は入らない。ネット環境が無くなる時間など無い事が多い中、閉ざされる時間も新鮮であった。
6:00もぞもぞと起き出し準備に入る。一応ザックにはザイルを入れる。鬼ヶ城までは破線があるが、その先が未知数。外気温は思うほど低くなく5度ほどあった。低くなくと思ったのは前夜のアルコールのせいか。ここは横に沢があるから給水して山中に入ることが出来る。湯を沸かし、テルモスに入れて準備完了。今日はしっかり登山靴を履く。
登山口の標識を見ると、平成24年と書かれている。今年にこれらを整備したようだ。踏み跡が急斜面を登って尾根に行っている。こんな場所を登るのかという急登。でもそれが正解だった。上がりきった場所に「十丁」の石柱があり祠があった。一日の無事を願って頭を垂れる。緩やかな道が痩せ尾根の上に続く。石柱は一丁毎にあるのかと思ったが、かなり飛び飛びで残っていた。でも最初はあったのかもしれない。
二十番台まで進むと、緩やかだった道が勾配を増してゆく。三十三丁には注連縄を張った祠があるが、この先から本格的な急登に変わる。ある意味地形図通りとなる。落ち葉が乗り、かなり滑りやすく、ストックにスリップを助けられることしばしば。上に行くほどにそんな場所が増えていた。そして正規ルートが何処なのか判らなくなる場所もあり、適当に立木を掴むように這い上がってゆく。そんな中に白く石柱が見えると、ここで合ってるのかと思わされる。
鬼ヶ城山1482.5高点到着。この場所にして大きな屋根が目の前に見える。高さはなく特異な様子。進んで行くと、その社の前に五十丁の標柱があった。社の正面側に行くと、氏子衆の登頂(参拝)した過去の書き物がたくさん残っていた。安政、文政、文化、その年号に見る残っている字の綺麗さに驚く。よくよくこの年代の石碑などを見るが、朽ちたものばかり、ここは書き物なのに薄れてもおらずしっかり残っている。これには驚いた。山頂の南側には円座が組めるように木が並べられていた。少し休憩して南に降りて行く。南・・・そうこの時、地図を見ていなかった。登ってきた延長線上に進めばと思っていた。ましてやガスで展望はない。そもそもこのピークは樹林で覆われている。南に続く刃物痕と、マーキングに誘われて何も考えていなかったとも言える。休憩した分を取り戻そうとグングン高度を下げるも、どうにも下がる一方でおかしい。地図を見てドキッとした。明後日の方向に進んでいる。山頂に着いたら90度曲がるように東に進まねばならなかったのだ。1410mほどまで降りた場所で踵を返し登って行く。
鬼ヶ城山に戻り、今度は東斜面を下りだす。するとすぐ下に、高さ5mほど幅2.5mほどのキレットが待っていた。ザイルがあるので真っ直ぐ進んでも良かったが、ここは北側に降りて、巻き上げるようなルート取りをする。対岸側と言えよう東斜面には、色褪せたタイガーロープが流されていた。それを掴みつつ這い上がってゆく。そのまま尾根まで上がればすんなり進めたのかもしれないが、ここは北側をトラバースするように巻き込んで進んで行く。そして主尾根に乗って僅かに登り上げると、山名事典の鬼ヶ城山の場所となる。二つのピークを踏んで、相応しいのは前者で間違いない。通過して行く。
気温はマイナス気温になり、周囲の霧氷が白く育ってゆく。早く日が入らないものか、東の高みを前にしているわけであり、陽射しは当分入らない。覚悟はしているのだが・・・。遠く、中央アルプスの方はモルゲンロートとなっている。早くこちらも・・・。1580m峰は顕著な場所で、木と石の標柱が埋められていた。ここから北にはっきりとした道形が降りていっていた。1533.4高点へ続いているのだろう。マーキングも伴っていた。それを左に見つつ東進して行く。
このルートの一番のポイントとなる場所が次ぎにやってくる。危険で言えば先ほどのキレットが危険。今度は迷う危険。1670mの肩の場所がピークになっており、そこからはっきりとした道形が南西に降りている。今ほど伝って来たルートの方がか細い道形。吸い込まれること間違いなしの場所であった。こう注意していたのだが・・・。1688高点の先から、周辺ではササ枯れがおきており、食害と相成ってか、緑色のササは乏しい場所となっていた。1660m付近には一升瓶とワイヤーが見え、ここで林業作業がされていたことが見て取れた。最低鞍部まで下って最後の登り。ここまで快適も快適。足にササを絡ませることもなければ、濡れることもない。道があると表記しても良いほどに尾根歩きが気持ちよかった。山頂が近くなると高さ15センチほどのササが見え出す。残雪もちらほらあり、適当に登って行く。
氏乗山到着。標識が乱打されている。落ちているものも多く、そのほとんどを喬木村が設置したようであった。それらに隠されるように、明治大学のおなじみの標識が付けられている。その左肩にMLQ氏のいたずら書きが見える。5年も経過すると、味のあるいたずら書き。退色しておらず、先ほどの神社同様に環境的に残りやすいのかとも思えた。まず日が入らないって事が重要なのだろう。三等点は僅かに顔だけ出した状態だった。ここに来ると大鹿村が眼下に見える。その谷を覆うように白い雲が蛇のように垂れ込めていた。ヤキソバパンを貪り、その後にはリンゴを齧る。朝飯兼昼飯。鬼面山側が綺麗に見えるところは無いかと、齧りつつも北に足を進めるが、なかなかそれらしい場所がなく山頂へ戻る。下山に面白いコース取りは出来ないものかと地形図を見るも、よいアイデアは浮かばなかった。下山となる。
往路に快適と思った尾根は、復路はもっと快適になる。鬼面山からの稜線が右に見え、左には曽山もあった。少しづつ天気は回復傾向にあり明るくなってきていた。1688高点を過ぎ、1670峰で防寒のために着ていた雨具を脱ぐため立ち止まった。そして何も考えず道形に進む。何も考えず道形・・・。何か見慣れない景色、でも道形に乗っているから間違いない。70mほど進んだか、後頭部を殴られたような衝撃を受けた。あれほどに注意しようと思っていた場所で、まんまと間違えた。思っていても間違えたことに、自分に悲しくなってしまった。楽すぎての緊張感の欠落からだろうと判断する。でも間違えるほどに楽しいのだが。それでも昨年かにここで猟師が遭難死していることがあり、こんな踏み跡も理由なのかもしれないと思えた。
三度1670峰を踏んで、薄い踏み跡の方へ足を下ろしてゆく。こんな場合、この場所にマーキングでも残せばいいのであろうが、ここを通過する人が、その全てが鬼ヶ城山からのアプローチとは限らない。着けることがまた迷いに繋がってしまう。そう思い、ウエストポーチに伸ばした手を停めた。1580峰を越えてその先の優しい尾根筋を伝って進む。快適そのもの。伝いながらアクセントを付けるために、キレットはザイルを出して通過して行こうと考えていた。出すことでまた、強く記憶に留めておくために・・・。進路左の方に鬼ヶ城山のこんもりとした高みが見えてくる。もうすぐ。
再び1501高点に戻ると、往路に気がつかなかったのだが、赤い絶縁テープが巻かれていた。近づくと、独特の青い字が見える。こんな所にSK氏も来たのか・・・と率直に思った。もっとも、氏は山名事典を基本に登っているであろうから、鬼ヶ城山を目指した場合ここを踏むのは順当ではあるが、それよりも何よりも、日付を見て笑ってしまった。なんと一週前に来ているのである。完全なるニアミスとも言えよう。行動範囲は全国区同士、これだけ山がある中で、しかもマイナーピークの場所で1週差、笑いもこぼれる訳である。ここを背にして次の高みに這い上がってゆく。往路は北側をトラバースした場所。最高点からキレットに急下降して行く。
キレット。底が見えないのでザイルが足りるのか足りないのかが読めなかった。持ってきたのは20m、よって10m分なら足りるのだが、立木に引っ掛けて末端同士を結んで投げるも、どうやら足りないよう。とりあえず肩がらみで降りて行くと、3mくらい届いていなかった。このままでは降りられず、少し北側にずれて高度を下げてから再度肩がらみでの懸垂下降。今度は何とか着地。降り立って北側を見ると、古いトラロープが流されている場所。ザイルを使ったが、なくても通れる場所。ただし、ズリズリと滑りやすい場所となる。そんなこんなで、ここで使うなら30mが適当になる。鬼ヶ城山に向けて、急斜面を這い上がってゆく。ここは特に踏み跡があるわけではないので、適当に歩き易い場所を伝って行く。
三度、鬼ヶ城山に到着。よくよく神社を観察して行く。おそらく、もう来ないであろう場所、来るとしてもだいぶ後になろう。であり、しっかりと記憶に残す為に目に焼き付ける。これをしておけば、再び訪れた時に喜びが増す。神社の奉納品の中に、「18年前の自分と再会し大感激!!」とあった。氏子であれば、毎年の登頂と考えられるから、子供の頃に登って・・・18年ぶりに再び登頂したと推測した。その文字に、こちらにも感激が伝わってきていた。屋根の瓦を数えると、320枚あった。社の横にも詰まれたものもあり、400枚ほどがこの山頂に在る事になる。一枚が数キロあり、良くぞ上げたと・・・その信心深さに感心する。昔の人の崇める心・・・見習いたい部分。
さて下山。この下山方向がいまひとつあやふやであった。細い尾根が北西側に2本あり、「あれっ、どっちだったっけ」などと降り初めから迷う始末。適当に左側を選んで進むと、その先のほうに「丁」の掘られた標石が現れホッとする。この付近には色褪せた絶縁テープがあるが、かなり同化して見づらいものになってしまっていた。急峻をソールのエッジを効かせながら、横ばいのように降りて行く。三十三丁まで戻ると、少しづつだが、勾配が緩和してくる。
標高1150m付近まで戻ると、見えない樹林の先から盛んに犬に吠え立てまくられる。猟師が上がってきたのか・・・と普通に思ったが、犬連れのハイカーであった。話をすると、名古屋から上村に移住した方であり、その方のビーグルが吠えていたのであった。場所柄か、人馴れしておらず誰にでも吠えるよう。犬嫌いな人の存在も判っており、私に気を使っているようであった。それにしてもよく吠える。土曜日に登山となると、定年での移住ではないと思える。話しながらも、片隅で、なんで上村を選んだのだろうと考えていた。この時季は、近所の猟師から、シカ肉やシシ肉が届けられるよう。販売が認可されたと言え、売るよりは配る方がまだ多いのだろうと思えた。上の情報を伝え背を向けた。
十七丁が見えると、もう5分ほどで下側に駐車している我が相棒が見えてくる。十丁の場所には、蜂の巣箱も設置してあった。急峻を滑りながら下り、登山口に降り立つ。ここで十丁と言うことは、この先の谷の中にカウントダウンのように続いていると思われ、本来の登山口、参道入口は別の場所と思えた。林道を挟んで下流側を見ると、予想したとおり、九丁と思しき標柱が見えた。細い中州尾根と言えよう場所にある。車に乗り込み、林道を戻りながらその尾根を注視するよう目で追っていた。しかし、小尾根形状は途中で沢に吸い込まれ、それらしい場所が無くなった。すると通過している林道上に八丁があった。となると、先ほどのは九丁で間違いない。この先も周囲を見ながら降りて行くも、残念ながらそれ以下のカウントダウンには至らなかった。
小松樽沢の右岸側に道があるが、そこに猟師の車があり、こちらの動きに合わせて下りだしていた。こちらはフェンスを開けねばならないので、猟師は先に降りて行く。そしてフェンスから下側では、猟師の車が5台ほどあった。ようはそういう場所であり、この時季は要注意の場所となる。地元も作物被害とかあり、駆除は必須。一概に「危ない」だけでは済まされぬ問題。やはり、猟師もハイカーも野生動物も、「共存」って事になるか。
標識の設置からして、今後喬木村は鬼ヶ城神社を観光地として表に出すのだろうか。その場合、アプローチ林道の鹿除けゲートがネックとなるだろう。そして駐車余地の問題。アナウンスはせず、現状維持かとも思える。急峻のルート。公表するにはやや整備も必要になる。地元における崇める場所と言う観点からは、知られない場所の方がいい。やはり現状であろう。