エンマ山(伽羅陀山・炎高山)    2380m        
                                                   
                                      
   2018.4.29(日)



  快晴     単独     室堂平の積雪期利用ルールマップに準拠し立ち入り禁止区域外を歩行     行動時間:6H49M


@扇沢5:30〜7:30→(85M)→A室堂8:55〜9:02→(22M)→B称名川右俣(ソーメン滝上流)を跨ぐ9:24→(13M)→Cエンマ山9:37〜43→(41M)→D室堂10:24→(115M)→E扇沢12:19


   
@さすがのゴールデンウィーク。5時半から並び始め、7時を過ぎてこの状態。てっきり6:30始発だと思っていたが、7:30だった残念。 @つづりでの複数枚形態から1枚になったのは画期的。そして荷物券も廃止されたのはいい事。しかしピッケルやストックはカバーや保護具が無いと車輛持ち込み禁止になった。 黒部ダム堰堤上を競歩でごぼう抜きを挑む。 ケーブルカーはこの位置で。
       
A室堂到着。 A外国人が大はしゃぎをしている。ピーカン。 A天狗山側へと進む。 称名川右俣の左岸より見るエンマ山。
     
保護区は正解でライチョウが見られた。 つがいで居たよう。 B称名川右俣を雪に乗って跨ぐ。この西側で噴気の出ている場所がある。風向きによっては引き返した方が得策。 ハイマツの際が階段状になっていて登り易い。立ち入り禁止になる以前には、登られた場所なのだろう。
       
南は立ち入り禁止なので北側の残雪を伝ってトラバース気味に進む。 室堂乗越からの谷と称名川左俣の出合。ここも湯気が見えた。 エンマ山の西側には観測装置らしきものが置かれている。 Cエンマ山最高所のケルン。
       
C赤ペンキで「山」 C北(室堂乗越)側 C東(地獄谷と主峰群)側。 C南東(龍王岳と室堂山)側。 
     
C南 大きな石がここまで積まれている。中に社があると聞いているが見られない(南に行けない)。 C西(大日岳)側 C北側に戻る。奥大日の斜面にソロハイカーが登っているのが見えた。 Cヤキソバパンとエンマ山ケルンと雄山。
     
Cエンマ山の座標を示す。 ハイマツの際を下る。下に見える青色の場所が湯だまりで噴気が出ている。 回廊側は観光客がこのように見える。 称名川下流。
   
雷鳥の羽は、非常に密度が濃く羽毛量が多い。 観光客の流れに合流。 D室堂に戻る。 大観峰から黒部湖。
       
大観峰の名物売り子。  黒部ダム堰堤上から大タテガビン。ここも登らないとならないか・・・。 くろにょんが中華圏の方にひっぱりだこ。 E扇沢に戻る。





 2011年はロッジ立山連峰側から登ることが出来た。

 2012年に雷鳥保護区域が出来た。まだ北から尾根を伝えた頃。

 2013年は雷鳥保護区域の変更がされる。この年までエンマ山山頂は解放されていた。

  2014年では雷鳥保護区域が大きく消滅。東の小さな区域のみに。北からの尾根通しの進路が地獄谷立ち入り禁止区域の広がりにより閉ざされる。この年から山頂の祠が公式に拝めなくなる。

 2015年で雷鳥保護区域が2013年同等に戻る。2016年マップ見つからず。

 2017年。北も南も閉ざされ称名川左俣からくらいしか狙えなくなった。

 
 2018年で南側のエリアに変更があった。これにより南から狙ってみることにした。詳細に採寸して違反にならないよう地形図にウエイポイントをプロットし、できた予定図が次の通り。

 
 (400×300ピクセル以内での添付:届け出不要) 

 北アで最後に残ったエンマ山。地獄谷が立ち入り禁止区域となり、山スキーの場所であったエンマ山も、ロッジのスタッフでさえ登らなくなってしまっている。そしてまた、環境省は信越自然環境事務所発行の「室堂平の積雪期利用ルール」が2010年以降で出され、地獄谷のそれと併せて雷鳥保護区の制約も出来てしまった。地獄谷の火山ガスに関しては、濃度が濃くなっている=噴火が近いとの話題もあり、生き死にに関わることと強く思わされ、異議異論は無い。

 
 ヤマランでは、山名事典に掲載があるがエンマ山は対象外との発表が2008年にあった。安全のための配慮であり的確だと思う。これ以降で自分の頭の中でも除外しておいたものの、それでも気になり、毎年の室堂平の積雪期利用ルールは閲覧していた。2013年まではロッジ立山連峰からの尾根で登れたが、以降で尾根が立ち入り禁止にされ、称名川左俣(主流)側から巻き上げて狙うしかないようになった。この時にはまだ南からのルートを考えておらず、北からしかないと思い込んでいたので北しか見ていなかった。2015年になり、南に雷鳥保護区が発生し、ちなみにと前年度のマップを見ると、南にそれが無かった。早くに気付けばよかったと思った。

 
 2017年になり、この年は地獄谷の立ち入り禁止区域が西に広がり南からは事実上狙えなくなった。もう北側からしか狙えない場所と思い衛星画像などを織り交ぜながらルートを模索していた。残雪の様子も観光客がUPするWEB画像から見えており、狙おうと思った時は、もうかなり溶けていたので諦めた。もう狙う事も諦めようかと判断していた中、2018年度はまた少しルールマップに変更がされた。コメント注記で北側の境界がはっきり読めないこともあるが、前年度に対し西側が緩和され、これなら南から狙えると判断した。もう一つの禁止、地獄谷の散策路の進入禁止もあるが、残雪期であり雪に埋もれていることから、この時期は問われないだろうと判断した。ルールマップに定規を当てて禁止区域の境界位置を建物基準に採寸して、範囲に入らないように地形図にウエイポイントを並べルートを作った。熱源が近く雪解けが早い場所であり、ワンチャンスしかないと思っていた。大混雑を好んでゴールデンウイークに行かなくてもいいが、ドピーカン予報であり有視界の中に湯気も見易く危険回避もしやすいと思った。

 
 火山ガスに対する防毒マスクは、シゲマツ製作所のCA-7番シリーズのSOタイプで対応できるようであり、マスクは持つので吸収缶のみを買おうかと思ったが、ちょっとこれは時間が足らなかった。OVタイプの吸収缶があるのでこれを持つ。そして北アの2000m超の最終章として、何か面白みを加えねばならないと思い、折角なので立山かんじきを持つことにした。アイゼンで行動できるくらいでないと登頂は無いと思うが、腐るのが間違いない日であり、出番がないことを祈りながらキーホルダーのような位置づけでザックに結わえる。

 
 2:30家を出る。連休初日はさすがに大混雑と判断し、連休二日目での計画であった。前日は南会津まで800kmほど走り、やや体が重いが、ここで行かないと山が逃げてしまう。この日は、三才山トンネルを潜り池田まで進んで2時間で到達。過去最速のタイムであった。連休中日の日曜日でありトラッカーも少ないようだった。そして2時間半で扇沢に到着。有料スペースはまだまだスペースが沢山空いていた。この時まで、いやチケットを買うまで「6:30始発」だと勘違いしていた。本を読みながら時間を過ごし、準備をして5:30にチケット売り場に並ぶ。既に100名くらい並んでいた。1時間ほど待てば・・・と思っていたが、6:30になってもチケットが売り出される様子はなく列に動きだ出ない。その1時間後あたりから発券され始めた。列は長くなり、400mくらいに延びていた。これがゴールデンウイーク。

 
 浦島太郎だったが、以前のつづりのような券に対し、一枚のチケットで往復の各改札が出来るシステムに変わっていた。これはありがたい。そして荷物に対する超過料金も取られなくなった。煩雑さが無くなりスマート。ただし、ピッケルやストックをむき身のままザックに縛っての乗車が出来なくなっていた。係員から注意を受け、慌ててピッケルにタオルを巻き付け、ストックには手袋を被せた。周囲は8割が観光客で、その観光客の中の7割くらいが外国人に見えた。ここにお金を落としているのは外国人で、外国人のお金で黒部立山の維持管理が出来ているのかもしれない。

 
 トロリーバースはぎゅうぎゅうになっての立ち乗りで、黒部ダムの堰堤上を競歩しながら先行者を抜きケーブルの黒部湖駅へ行く。それでもケーブルの始発に乗れなかった。室堂に着いたのが9時少し前だった。すぐにガスが入る立山であるが、この日はその気配が一切なくドピーカンだった。周囲の観光客は下界よりさらに大きな声を出して感動している。その多くは外国人であった。日本人と外国人の感情表現の違いを勉強させられながら、靴ひもを締めスパッツを装着して準備をする。

 金沢弁の猛者団体が立山かんじきに食いつく。「これ亜麻仁油塗らんとすぐだめになるげんて」と解説をいただく。「あーこれは蜜蝋塗ってあるんです」と返す。金沢(石川)の人は話の中に否定が多いのが特徴なのだった。気にしてみよう(笑)。それはいいとしてみくりが池へのルートを示すロープを潜って西に出ねばならない。天狗平への夏道の場所なので問題はないはずだが、世の中のルートを外れるようでやや後ろめたい。ただし迷っている猶予は無く、緑のロープを潜り、駆けるようにして天狗山側へと向かってゆく。自意識過剰かもしれないが、背中に視線を感じ振り向きたい心境でもあったが、ここは2016年の8月に千丈沢を降りた時同様に振り返らないと決め緩やかに降りてゆく。気持ち逃げるような意識があるのは、よほど自分に自信がないのだろう。

 
 進む先の右手の方に4mほどあろうかと言う長いポールが雪面に刺されているのが見える。通年であるとすると地面に刺さっていると言った方がいいのだろう。折角なのでと、計画当初は西の2314高点を通過して行こうかと思ったが、なるべくアルバイトはしないように北に進んでゆく。2340m付近には雷鳥のつがいが居り、私の姿にも全く逃げる気配が無かった。自然界に生きるのだから、少しは逃げて欲しいのだが・・・。称名川右俣を見下ろす場所でアイゼンを装着する。斜度の強さに対応するためと、スノーブリッジの渡渉に対し些細なミスを軽減させるためだった。

 対岸からエンマ山を見ると、山頂の西側に人工物が見える。監視カメラかと思ってズームすると、あまり見慣れない設備であり、地獄谷に係るものと推測した。そうしながらも硫黄臭が上がってきている。草津や万座、白根や吾妻の臭気との違いを敏感に鼻腔で探る。同じであればまず大丈夫。差異があれば危険で、ここで肺に試飲とばかりに深呼吸して臭気を送り込む。特に問題なし。暑いし汗しているのでガスマスクと吸収缶はなるべくなら出したくないので、早い予防策はとらなかった。地獄谷からソーメン滝に向けては、かなりの場所で流れが出ている。2280m付近には湯壺のような湯だまりがあり、前後して噴気が上がっていた。腐り始めてきている雪にアイゼンを刺しながら、ブリッジを使って右岸側に移る。ここからの境界線がちょっと疑問であった。ルールマップには上部の西尾根に2350から2250まで標高が入っているが、これは50m数値がズレていると感じている。水線位置からすると2350表記の場所は2300m等高線であろう。

 

 ルールマップの2350を有効にした場合、ほぼ直登的に登れてしまうのだった。雪に繋がりながら西側から巻き上げるように進んでゆく。笹斜面と上部でハイマツの海で、ハイマツは腰丈であった。もうほぼ山頂なので負荷には感じられなかった。尾根を乗越して北側の残雪に繋がる。そうして行動しないとルール違反になってしまう。トラバースしながら進む途中右手に、パンザマストを要したソーラー駆動の設備がある。そばに行きたいが、何度も繰り返すが南は立ち入り禁止区域なのだった。室堂乗越からの谷が称名川と出合う場所にも湯だまりのような湯気が出ている場所が見られた。

 
 エンマ山登頂。頭大の石を70個ほど積み重ねた大きなケルンがある。KUMO氏からは祠があると聞いているので間違いなくそれであろう。祠を見たいが南側に行くことが出来ない。全て北側で行動するのだった。そのケルンの北側には「山」と赤ペンキで書かれた場所が目立っていた。ヤキソバパンを出して記念撮影。この状態のエンマ山では、ヤキソバパンの撮影でなくてもここからの絵は見られないだろう。室堂からは目があり、地獄谷の臭気も回避したかったので、かなり急いて登ってきた。室堂から30分ほどだった。帰路は北に降りて東に周回しようかと思ったが、黒い場所が目立ち、各所で予期しない噴気の場所もあるようで、一度通過した場所を再び戻ることにした。正味30分ほどの登山のために9050円を費やしたわけだが、敗退に終わったらそれはそれで痛手であった。
まだ片道だが、気持ち半分は喜べた。生きて帰らねばならない。一番の問題は見えないガス。

 
 北側を伝いハイマツを漕いで降りてゆく。西風だったら好都合と思っていたが、この日は無風な感じで、谷に臭気が漂っている印象があった。防毒マスクを装着し降りてゆく。スノーブリッジも次週には溶けて無くなってしまうだろう。温かい湯が流れているのだから、溶けるのが速いのは当然ではある。トレースを伝って左岸に移り、臭気から逃げるように大車輪で雪面を駆け上がってゆく。短時間行動であるが、既に4時間ほど歩いているほどに疲労度があった。チケット売り場の2時間待ちが響いているのかもしれない。天気の良さからは、雄山に登っても良かったが、観光客の多さからは早くに扇沢に降りたいと思ってしまっていた。南進から東進となり、進む先に雪に足を取られて歩く観光客が見えてくる。

 
 室堂に到着しアイゼンを外す。ここに一組の家族が居り、父親が息子にこう説明していた。「立山は富士山の次に高い山なんだぞ。富士山が一番で立山が二番」。訂正してあげようと思ったが、親の威厳を損ねると思い、息子にとっての父親の信頼度が揺らぐと思い、間違った教えをそのままにした。記憶のいい息子だったら、いつか恥ずかしい思いをするかもしれない。父親を恨むことになったら、それは私が訂正しなかったからとなるのかも。どちらに転んでも私が悪者になりそうであった。

 
 往路は手袋やタオルで刃物にカバーをしたが、復路はフリースのシャツを脱いでザック全体を覆うようにした。ようは見えなければいいってことでもあろう。本当は保護なんだろうけど。トロリーバスに乗り込むと、往路に一緒だった女性三人グループが居た。こんな山ヤの恰好をしてどこに行ってきたのかと思われているだろう。この短時間で室堂から帰ることにちょっと恥ずかしい思いもあるのだった。

 
 黒部ダムの堰堤上からは、大タテガビンが見える。「大タテガビンは山に非ず壁の名前」であり登山目的にしていなかったが、3月の岩シリーズをやった者としては、そうであっても登らねばならないかと思ってしまう。鋭い尖峰が見え、我が力量では厳しい場所に見えるが、計画してみる自由は誰にでもあるはずである。準備しながら決行するかしないかは判断しよう。12時を20分ほど過ぎて扇沢に降り立つ。日本一勿体ない室堂の楽しみ方かもしれない。でも私にとっては重要な意味のある行動時間であった。

 
 振り返る。ロッジ立山連峰からの北に回り込むアプローチを長年思っていたが、多角的なものの見方がよくできていなかったよう。今年になり南ルートが見え目から鱗な感じであった。立ち入り禁止区域への侵犯は無いと判断しているが、そうであってもこのような記録は微妙なので関係者には好まれないだろう。2019年からのルールマップに変更があるかもしれない。じつは、
称名滝冬季初登をした宮城さんの本を読んで、諦め切り離していたエンマ山を再び気持ちの中に呼び寄せた。昔からの信仰の場所ではあるが、那智の滝はダメで称名滝は良くて、称名滝はよくてエンマ山がダメってことは無いだろう。称名滝がいいのならエンマ山も登っていい。合法的になら。ただし見えない火山性ガスが生き死にに係る。リスクヘッジとしては「登らない」のが一番。どうしてもの場合はビーコンより防毒マスクを持った方がいい。ビーコンの五分の一くらいの値段で入手でき自らを守ることが出来る。ここの話では、残雪の色を見た感じでは、雷鳥荘付近に足を進める観光客も携行した方がいい。「安全」のために行動範囲を強く言うのであれば。


 

 
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