不動峰    1374.3m           鉢伏山    1453.8m              
                                                                       
                                      

   2018.6.9(土)


 雨のち晴れ     単独     林道黒沢線入口を基点に周回   行動時間:3H48M


@黒沢線入口4:51→(5M)→A鹿島神社4:56→(7M)→B道形終点5:03→(14M)→C北尾根に乗る(1110m)5:17→(27M)→D1290m峰(1295.1三角点)5:44〜46→(29M)→E不動峰東峰6:15→(9M)→F不動峰6:24〜29→(5M)→G風越峠6:34→(60M)→H鉢伏山7:34〜39→(11M)→I1380m東尾根から南に下降開始7:50→(29M)→J1050m地点(赤柴)8:19→(20M)→K黒沢線入口8:39


   
@黒沢線に入ったが、適当な駐車余地がなく林道入口に駐車。 @黒沢林道入口。この東側に鹿島神社へ向かう下降路がある。道標無し。 二つ目の木橋を渡るとゲートがあり、ゲートの先で神社へ行く道(左)と、谷へと進む道(右)が分かれる。 分岐点にある「小鎌立」表示。
       
神社への道。踏み跡になっておらず、あまり伝う人が居ないのが見えるだろう。 A鹿島神社。寂れた雰囲気の場所。 鹿島神社西の小谷左岸の道形を伝う。 B現在の道形終点地は、谷の出合の場所。東側の谷に入って行く。
     
C1174高点のある尾根の、1110mのコルに乗る。 1180m付近に西側からの巡視路が上がってきていた。 最初の鉄塔。ここには東側から巡視路が上がってきていた。水線のある谷の、破線路の延長線が巡視路のよう。 D1290mピーク
       
D巡視路の三叉路分岐道標 D東側に進むと鉄塔あり。 D1295.1三角点 D四等点
       
尾根は南側が止山で有刺鉄線で守られている。 E1370m峰には石碑が並ぶ。 E不動峰東峰とふられていた。 E馬頭観音があり、ここに人馬が通っていた事を知らされる。
     
F不動峰 F高遠との境界だが、旧美篶村側管理の場所だったよう。 F御料局三角点 Fこれが話題の謎の標柱。横には国土地理院の三角点の場所を示す標柱が立つ。彫られている文字が判読できないが、三角点ではないもよう。
     
F対角に向けた十字。一般的には三角点ではない表情。でもユニコードが埋められている。 G風越峠 G西側への下降路 G東側への下降路。黒沢線を進むと、ここへ登る入口があるよう。
   
1381高点 1381高点の西側に踏み跡あり。信州大学管理の場所のよう。 この白矢印もいくつも目に付く。 1300m付近を横切る山道
     
1346高点。東に薄い踏み痕。 終始快適な尾根。樹木に覆われ涼やか。 H鉢伏山 Hかなり朽ちた標識。なんとか「鉢」の文字だけ読める。
       
H四等点 H黒沢地区側を向いた祠 Hこの日は河内晩柑 1400m付近の虫ようが出来たアカマツ。
       
I1380m地点から南に下りだす。1350m付近からの南東に進む場所は注意が必要。 1140m付近まで下ると、南の谷側に林道幅の道が上がってきていた。 1130m付近。流れの中に大木が2本倒れている。 1132高点からの沢が道形を横切る。手洗いがてらにサワガニを探す。
       
すぐに見つかった。ここにはたくさんいる感じ。 J1050m付近の広見。 J「赤柴」とふられていた。 神子沢沿いにも林道が上がっていた。
       
谷の中には大きな堰堤がある。その右岸にも左岸にも道があり、堰堤に下る道も存在する。上流側で変則四差路となっていた。 地形図で実線路で分岐している場所(990m)。 左の絵の場所から振り返ると、鉢伏山線の看板がある。 途中、強固に守られた中に蜂の巣箱が置かれていた。熊対策だろう。
       
ゲート到着。普通に開閉できるのかと思ったら、開かずのゲートだった。  チェーンだけでなく鍵がかけられていた。フェンスの上側は有刺鉄線が張られ、通過するのは結構大変だった。 K林道黒沢線入口に戻る。




 梅雨入りをし雨予報の土曜日となったので、道のある場所を織り交ぜつつ、ちょっと藪っぽい未踏座を探す。目で見て探すって言うよりは、記憶を遡って過去に地形図を下見し行動に移そうとした場所を思い起こすってのが本当のところ。それで杖突街道の西に二つ未踏座があるのを思い出した。

 

 不動峰と鉢伏山。より山中まで実線路が入っているのは西麓。SK氏も10年前に西側を踏査している。とならば東側となるのだが、東側もすでに歩かれており記録が読める。東西どちらにしようかと迷ったが、二座を結び綺麗な扇形の軌跡を残せるのは東側のようであり、西上州からより近いのも東側であった。東麓の黒沢地区からアプローチすることにした。

 

 1:10家を出る。動き出してすぐに天気予報を確認すると、好天に向くようで雨の気配が無くなっていた。エリア的に雨でないとやや暑い標高と思い、どこかに転進しようかとも思ったが、そう思いつつどこかがすぐに浮かんでこなかった。あとこの日は麦草峠経由を実施する予定でもあり、どうしても向かう方角は変えられず、付近に未踏座がないことも理由ではあった。麦草峠越えは2度ほどしているが、中部横断道と絡ませた走り方はしておらず、出来立てを試し、無積雪期限定の山越えの道が有効かどうかを確認したかったのだった。

 

 国道254号の佐久南から八千穂高原まで高速に乗る。141号も十分流れるので利用者がいないのか、対向車は降りるまでに2台のみであった。高速を降りてすぐが299号であり、くねくねと登ってゆく。雨の後であり、麦草峠を越えるあたりでは濃いガスに覆われていた。それにしてもシカが多い。小鹿も生まれている時期のようで小さい個体も多い。すでに10頭以上目撃していた。そのうち長野県の人口よりシカの頭数が上回るだろう。もうすでに上回っているのかもしれない。

 

 茅野に下り杖突峠への入り口にあるセブンで到達時間を確認すると、いつもの八ヶ岳南面ルートに対し15分しか速くなかった。よほど急ぐ時以外は「つかえねぇなー」って感じとなった。おまけにヤキソバパンも手に入らなかった。152号の茅野側は工事区間が長く、結構に停められてから峠越えをしてゆく。杖突街道を高遠に向かい、四日市場地区より黒沢川に沿って黒沢地区に向かってゆく。かなりの山村だが、こんな場所に黒沢バイパスなる枝道があった。地形図には実線路で読めなかったので、旧道側を選ぶ。バイパスの意味はすぐに分かった。地区内の道はかなり狭いのであった。この狭さから抜け出た場所が952高点のある変則分岐点で、ここでバイパスも合流する。

 

 952高点から北に進む実線路を進むと。分岐から200mくらいの場所にゲートがあった。分岐まで戻り、次は林道黒沢線のダートに入ってゆく。最初が堰堤の上のようで狭く、最初が大きくカーブする場所なので恐々進んでゆく。こちらは300mほど進んだ先にゲートがされていた。当初はこの林道を進み、途中を左股の方へ入り、破線路を南に突き上げようと考えていた。しかし暗いこともあるのだが、見える余地の地面が不安で、安心して停められそうな場所が見いだせず再び952高点に戻り、最終的にはこの場所に停めることとした。黒沢線に入り上空を通過する送電線の鉄塔巡視路が見えてくると思ったのだが、北側斜面には見つけたものの、在って欲しい南(南東)側に見えてこなかった。送電線の下となる場所あたりに見えてくると想定したのだが、無かったので地形図を見ながら作戦を再考する。

 

 送電線のある尾根の西麓はなだらかで道を切っても埋もれやすいので、その場所に切らなかったのかとも思えた。そうなると尾根の東側から上がっているのかと予想した。破線路が非常に多い場所であり、里山らしくさらにもっと書かれていない道もあるのだろうと予想できた。最終的に送電線尾根の東から狙ってみることにした。破線路を詰め、最悪はそのまま谷を突き上げれば送電線尾根に乗り上げる場所でもあった。

 

 4:51行動開始。黒沢線と同じカーブを描いた実線が東側に存在する。しかし実線路ではあるが車は通れず歩道幅。途中の橋も人間の体重しか考慮してないような橋であった。進んで行き二つ目の橋の先にフェンスゲートが現れ、抜けた先に「小鎌立」と書かれた表札が立っていた。ここで道が二つに分かれ、一方が鹿島神社に上がってゆく道で、その先に鳥居が見えていた。もう一方が沢沿いに進む道のようで、これが破線路のようであった。山中に入るのに礼は重んじる方なので、鹿島神社を拝礼してから破線路へと入ってゆく。神社は祭事も少なくなったような寂れた雰囲気であった。荒廃が進んでいる感じ。そういう意味でも、この状態を目に焼き付けておく必要があった。

 

 最初は沢の右岸を進むと、途中から左岸を伝うようになる。地形図は忠実に表記しているようであった。しかし進む先の右俣左俣の出合いの場所で道形が判らなくなった。倒木も多く、歩き易そうなのは左俣の方なので、出合からは南に向かう谷に入ってゆく。すでにここで送電線尾根を伝う予定が、1174高点経由に変更している。早々に予定が二転し、この辺りは単独ならではの自由度であった。

 

 シカはここを歩いているようで、細く見えるシカ道を伝いながら高度を上げてゆく。濡れたザレた斜面でグリップの良くない場所であった。登り上げた場所は1110mのコルの場所で、ここからの1174高点への登りは、一部急峻な場所も待っていた。緩斜面の尾根になり、上空に送電線が見え追うようにして進むと。1180m地点に東側から巡視路が上がってきていた。このすぐ南に送電線鉄塔が存在するのだが、ちょっと地形図表記の場所とは異なっている場所のようであった。そしてここから東へも巡視路が降りて行っていた。

 

 快適過ぎる散策路のような尾根上を進む。下草は皆無と言っていい。1290m峰に到着し、ここで破線路と合流する。巡視路道標では三差路になっていた。せっかくなので1295.1三角点を拝んでゆくことにした。こちらの鉄塔も、地形図とは異なる場所に立っている。一帯の若干の誤差は何なのだろうかと疑問に思えた。四等点は、鉄塔の先の樹林帯の中にあった。ここの標石は、白黒に赤のはっきり混じる綺麗な御影石であった。踵を返し西進してゆく。

 

 なだらかな状態は相も変わらずだが、途中から止山としての有刺鉄線が南側に現れる。優雅に呑気に、やさしい道だからと楽に構えていると引っ掛けてしまうだろう。1290mピークまでは蒸し暑い登りであったが、西進に変わってからは快適で、温度計を見ると15度を示していた。私的に暑すぎず寒すぎずで最良の気温であった。

 

 1370m峰には、たくさんの石碑が並んでいた。そのいくつかを読むと「馬頭観音」と刻んであった。どのような利用のされ方かは不明だが、ここを人馬が通っていた時代もあったことが判る。何を運んでいたのだろう。石碑は判読できないものも多かった。相も変わらず涼やかで快適。西進してゆくと白い掲示物が見え、近づくと「美篶小学校PTA林」とあった。小学校の、況してやPTAの林とは、初めて見る語呂であった。西から太い道が上がってきており、そのすぐ先が不動峰山頂であった。

 

 不動峰到着。御料局の三角点と、もう一つ石柱が埋まっている。ユニコードが埋め込まれ、一見すると三角点仕様なのだが、上部の刻みは対角に向けて十字が切られており、通常の三角点とは異なる。側面に彫られた文字が読めればいいのだが、指でなぞっても判らないほどになっていた。その横には国土地理院のいつものプラスチック標柱が立っており、「ここに三角点がありますよ」示している。しかし本当の本当は、墨汁かで拓本を取らないと判らないだろうものであった。

 

 北に降りてゆくと、西からの破線路がぶつかる場所が風越峠と名がふられていた。地形図通りに西側に道があるが、東側の黒沢地区側への道も降りて行っていた。場所からして、間違いなく黒沢線の奥地から登路が切られているようであった。下草のほとんどない尾根筋を緩やかに進んで行く。これだけ平坦だと残雪期は雪が多く残る場所であろう。

 

 1381高点では、信州大学農学部の境界標が赤く目立っていた。西側に道があるように描かれているが、平坦すぎて道形が見えてこなかった。この北側の1380ピークからの下降は、この尾根筋にしたら急激に下降するので道を間違えてしまったのかと思うほどであった。この辺りにも美篶小学校PTA林の表示が散見できる。西は旧美篶村側で違和感がないが、尾根の東側を指してPTA林と書いてある。高遠側に属する土地に思うのだが・・・。

 

 1300m付近で尾根を横切る山道があった。はっきりと作られていても地形図に載らない道も多いようだった。1346高点は、標高点を取っている場所であるが全く目立たないような場所だった。この辺りからずっと、ホシガラスのような声をした野鳥が追いかけてきていた。外来者を珍しいと思っているのか、そうではなく鳴いて威嚇しているのか判らなかった。これだけ快適だと、鉢伏山のピークも快適な場所と想像して進んで行く。それが意外と・・・。

 

 鉢伏山の山頂は野草が茂りモシャモシャの場所だった。これは予想外で、その野草の中に四等点が埋もれていた。もう一つ標柱があるが、こちらは間違いなく境界標柱であった。東側の大木に山名板が縫われているのだが、かなり朽ちており鉢の文字のみ読めるような状態となっていた。ふとその下を見下ろすと人工物が見えた。降りてゆくと石の祠があった。東側を向いているので、黒沢地区の人が設置したのだろう。破線路が続く北側へは、これまでと同じ立派な道形が続いていた。この山頂のみモシャモシャなのだった。

 

 鉢伏山の南、1410mからの東尾根を下ろうかとも思っていたが、わずかでも戻るのは一筆書きとして面白くなく、東に尾根を降りて行く。そして1380m地点からの南東に下る尾根を伝ってゆく。ここはかなり広いスパンであるが、細いアングル仕様の境界標柱が続いていた。林班としてのものだろう。ただこれはかなり探し辛いのと、1350mからの南東尾根には一切目に入らなかった。途中では捕まえられそうな距離で小鹿を見たりした。生まれたてのようで覚束ない足運びで西側へ逃げて行った。

 

 1140m付近まで下ると、右に見える谷側に道形が見え、それに乗る。1132高点に進む実線路とは別に、一つ西側の谷にも道形が入ってきていた。1132高点のある沢を跨ぐ場所で、手を洗いがてらにサワガニを探すと、ものの30秒ほどで一匹見つかった。この沢には沢山いるようである。夏季のサワガニは食べないようにしているので解放してあげる。取水升のような施設もあり、そこから上に道が続くが、一部崩落し車は進めない場所となっていた。付近はほぼ地形図通りに道が存在していた。

 

 1050mの袋地の場所は赤柴と名前がふられ、1030mのS字カーブをする場所にある水線の場所は、神子沢と名前がふられ沢奥へと道が上がっていっていた。変則四差路は、そのまま谷右岸の道を降りてゆく。進んで行くと大きな堰堤が左に見えてくる。その左岸側にも道が見え、堰堤に降りてゆく道もあった。

 

 990mの地形図に読める実線路分岐からは、コンクリート舗装路が西に上がって行っていた。ここには、今伝ってきた道を林道鉢伏山線と表していた。降りてゆくとまた分岐があり、伝ってきた道の方が枝道のような分岐点となっていた。麓側に行くと、ごみステーションのような構造物があった。この付近にも家があったのかと見ていたが、その中には養蜂の巣箱が入れられていた。これならクマに襲われず、完璧な廃物利用だと思えた。ごみステーションでなかったら、失礼な言い方かもしれないですが・・・。

 

 偵察に入った時のゲートが現れる。開けたらちゃんと閉めてください的なことが書いてあるので、てっきり普通に開閉できるのかと思ったら、しっかりカギがかけられ固定されたゲートになっていた。ゲートの上には二条の有刺鉄線が張られ、抜けられるのは唯一ゲートフェンスの支柱の立つ場所からで、ガードレール上を伝うようにせねばならず、最後の最後で綱渡りな危険度がある場所となった。ダイヤル錠なので、時間をかければ開くのですが、何かそれをしている時間が悪いことをしているような時間に思え、危ない思いをしながらも越えて進む。

 

 最奥の民家を右に見たら、カーブがあり、その先が黒沢線の場所であった。半日ぐらいかかるのかと予想したが、終始快適で、四分の一日くらいで山旅を終えた。野草の収穫はあまり望めないような印象であったが、キノコ類はたくさん出るようで、この時期にして既にちらほらと見ることが出来ていた。西麓は止山であり入山には注意が必要だが、東麓はそれは無かった。ただし各山道入口にはフェンスゲートがあり、鍵の見える場所もあった。静かな山村でいい場所ではあるが、山歩き用には考慮されていない感じであった。道標なども一切ないことから。

 






 
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