堀切山   1157.5m               
                    
                                                  
                                      

   2018.6.23(土)


  くもり    単独   西麓桑根井地区から扇状に伝い周回      行動時間:3H30M


@581高点西分岐5:56→(2M)→Aゲート5:58→(50M)→B1000高点南で林道に乗る6:48→(46M)→C峠7:34→(7M)→D1150高点7:41→(11M)→E堀切山7:52〜57→(13M)→F峠で岩登り8:10〜14→(8M)→G林道からの下降点8:22→(47M)→H680mで林道に出る9:09→(13M)→I600mのゲートと分岐点9:22→(4M)→J分岐に戻る9:26


   
林道桑根井線600m地点のゲート。 @581高点西側の分岐点。右に進むと左の写真の場所。入山は左の道を進む。 @分岐に掛けられたプレート。 Aフェンスゲート。紐で縛ってある簡単なもの。
       
620m地点。水線の描かれない沢を橋で渡る。流れのある沢。 640m付近。膝丈くらいに野草が茂る。 650m付近に大ぶりの小屋が在った。この先にも道形があるが分けて進むような場所が続く。 710m付近。両岸にも沢の中にも道形は無い。まだ流れがある。
     
明るい場所に出る。涸れ沢。 790mの谷の出合は右俣に入る。破線路は左俣に描かれている。 880m付近の平坦地。この先の東側斜面は植生が濃く西側を選ぶ。 B1000高点の南側で林道に乗る。実線路分岐として描かれている場所。920m付近。
       
1040m付近。尾根を乗越す峠道のような道形。林班に係るもののよう。 峠下のお知らせ看板 峠への道形。足場が緩く斜度がある。 ジムグリだろう蛇が見られた。ほとんど動かない。
       
C1110mの峠には起立岩があり目立つ。 C東側のルートは塞がれていた。 尾根上は道形が続く。 D1150高点
     
ハッキリと続く道形。 E堀切山。アカマツの大木が多く東側は止山になっているよう。 E三等点 Eヤキソバパン
     
1150m峰から東に踏み跡が降りていた。東側山腹にも水平道のような道形あり。 F1110mの峠に戻る。見える南側には立入禁止の看板がある。 F起立岩を南から見上げる。 F岩の上
   
F岩から下(北側) F南側入り口の看板 F峠から西側山腹にも道形があり伝ってみる。林道には降りずに北西側に進む。 G林道に降り、峠下のこの場所から谷を下る。ここも立入禁止の看板がある。
     
1040m付近の下草の無い場所。 1040m付近から降りてきた場所を見上げる。シダ類が視界を塞ぐ。破線路が描かれている斜面だが・・・。 堰堤の上になり道形が現れる。 最初の堰堤。この仕様が近接して二つ続く。
       
大ぶりな鋼製堰堤。右岸を巻く。 鋼製堰堤の下側の堰堤の左岸には、僅かに林道幅が残る。谷の中の道形は、抉られ流されている場所が多く、ほとんど伝えない。 やっと林道幅が現れるが、再び途切れる。 H680m付近。林道カーブの場所に飛び出す。
       
H伝ってきた谷。下にペール缶が見える。 当り沢への分岐。 I600m地点のゲートに戻る。最初の写真の場所。 I桑根井線の表示あり
       
J581高点西側の分岐に戻る。撮影している左側にも余地があるが、斜度のある草地。その先は大堰堤。      




 金曜日の仕事場は東京ビッグサイトであった。帰着が遅いので翌土曜日の山旅は無理かと思っていたが、ここで負荷と思って止めたら生温く、頑張ってこそ伸びてゆくと思い決行してみることにした。スーツを着た中で汗したので不快極まりなく、新緑の中でもっと心地よく汗をかきたいと思ったのも本音であった。


 帰着は23時近くになった。ビールを飲みたい疲れようであったが、グッと堪えて準備に入る。山を探す時間はないので、サッと頭に浮かんだ松代の堀切山に行くことにした。奇妙山まで伝ったときに下調べし、その後も復習とばかりに各記録を読み漁った。東麓の軌跡は見られるが、西麓の破線ルートを伝っている人は見られず、ちょっと踏査してみようと考えた。夕飯を食べ終えたのは24時近くになっていた。腹が膨れちょっと仮眠に入ったら、起きたら3時を回っていた。慌てて出立する。


 上信越道を長野インターまで乗り、松代から真田に向かうようにして地蔵峠への道を進む。そして豊栄のJAのある交差点から桑根井地区へと入ってゆく。谷に入ってゆく道はどんどん狭まるので、コンパクトカー以下の大きさの車でないと厳しい林道幅であった。藤沢川に沿うようにして登ってゆくとゲートが現れ、そのゲート前に4台分の刈払いされた余地が作ってあった。これを見て、この地域の人は良く管理ができていると解釈し、不躾に勝手にどこにでも停められないと思った。


 林道を戻ると、581高点の西にある分岐の山側にわずかな余地があり、ここに無理やり突っ込む。反対側の大堰堤側にも余地があったが、普通タイヤではスリップしそうな勾配のある草地で、この日の車では停める勇気はなかった。準備をするのに外に出ると、瞬時に蚋に取り囲まれた。車の排気ガスが誘引剤となり、すでにたくさん集めてしまっていたようであった。


 5:56歩き出す。分岐の場所には入山禁止のプレートが下がっていた。コンクリート舗装路を進むこと2分で防護柵が現れゲートになっていた。イノシシが突進したのか、扉の下側左右で拉げていた。実線路が破線路に変わる谷には、水線が描かれていないが流れがあり小橋で渡って進む。尾根を跨ぐように東側の谷に入ってゆくと、ひざ丈の野草が茂るようになり、車が進める林道ではなくなっていた。でもゲートの先ではあるが、Uターンのためにか、下草が刈られた場所も見られた。上がってくる車があるようであった。


 650m付近には大ぶりの小屋が西側に残っていた。作業小屋のように使われていたのか、別荘のように使われていたのか、判断のつきにくい小屋で、少し離れたトイレがあることからすると前者のようであった。ここから先は道形が追えるものの、分けつつ潜りながら進むような場所が続く。そしてやたらと蜘蛛の巣が多い。道形が判らなくなったあたりで沢の中を歩いてゆく。左右の斜面を見ても道形は在りそうになく、在った当時も沢の中を歩かせていたようだった。流れが出ていた場所もあるが、すぐに涸れ沢に変わり頭大の石がごろごろしている中を登ってゆく。大雨時の水量が多いのか、地形が削られている場所が目立ち、乗った石が動くので歩き辛い。油断していたわけではないが、2度ほど動く石の上に乗って予期せぬ転倒となった。前日の疲労が瞬発力の悪さで現れていた。


 790m地点では二つの谷の出合いとなる。破線路は左俣の方へ進んでいるようだったが、右俣に入ったほうが早くに上の実線路に乗れると思い右に入ってゆく。880m付近の平坦地形まで進むと、北東側は植生が濃く、薄い場所を選ぶと自ずと西側に進む格好になってしまった。途中破線路の場所を跨いだようだったが、全く判らずに通過し、林道に乗った場所は1000高点峰の真南にある林道分岐点であった。南東側に進んで行く。


 林道に乗って5分ほど歩いた場所には、慰霊碑が立っており、いやに新しくお供え物も伴うことから、側面の刻みを覗き込むと、2017年10月13日と読めた。すぐさまスマホで検索したが、それらしい事件事故は見られなかった。林道は1045高点を巻き込んで進んで行く。途中には林班のためか、林道北の尾根を乗越す峠道のような場所も見られた。


 1150高点の南西の実線路(林道)と破線路の合流点に着く。この上側が1110mの峠で、帰路はここから破線路を辿って谷の中へと進む予定であった。しかし谷側を覗き込んでみたが、それらしい道形は全く見られなかった。往路の谷もそうだったように、こちらの谷でも道形は消滅してしまっているようであった。峠に向けて薄い踏み跡を伝ってゆく。


 峠の南側には、起立した8mほどの高さの突起岩があった。昔からの峠道であり、おそらくなにか名前がついているはずだが、それにしてもスクンとした立ち姿がいい岩で、帰りに登ることに決めた。東側の保科側への道は直径100mmほどの木で塞がれていた。縛っているひもの様子からして、マツタケ山であることから塞いでいるように見えた。尾根上を進んで行くのだが、はっきりとした道形が通っていた。人が通るというより、頻繁に獣が通るのだろう。道の上を覆う樹木は多い。


 1150高点からは東の尾根に踏み跡が降り、ピークから5mほどの場所から南の山腹に、尾根道と違う道形が通っていた。大きく下り登り上げる。道形は普通に堀切山を通るのだと思ったら、直下から東斜面を通るように付いており、そのまま1111高点へと続く道となっていた。途中で逸れて西に這い上がる。


 堀切山到着。峠で通せんぼしていた木を縛っていた紐と同じものが山頂に縛られていた。これは1150高点にも見られた。ほかの人工物は地中から顔を出している三等点だけで、きれいな状態で埋まっていた。マイナーピークらしい場所で展望は一切ない。おかげで夏でも涼やかと言えるだろう。南に戻ってゆく。


 峠の岩に登る。岩のある南側にも立ち入り禁止のプレートが出ていた。南から岩を巻き込むと、最終的な高低差は6mくらいの岩となっていた。八ヶ岳の二十三夜峰のような雰囲気の岩だが、グレードはそこまでではなかった。それでも落ちればかなり痛い思いをする場所であった。峠からは、よく見ると北北西に進む道が存在していた。はっきりと人が作道した道と判るもので伝っていってみる。どこかで下に下ろすものと思って伝ったものの、そのままずっと北北西に進んでいた。林道ができる前の1045高点に通じる尾根道なんだろうと思うことにした。適当なところで林道へズリ下り、再び峠の西の下降点の場所に戻る。


 谷斜面のどこを見ても何も見えてこない。シダ類が大きく繁茂し見えないってことでもあるのだが、意を決して降りてゆく。地面をシダが覆っているので、一歩一歩がすべてギャンブルのような踏み出しで、踏み下ろした場所に倒木があり、この斜面で3度ほど転倒する。1040mくらいまで降りると、一度無毛のオアシスがある。がしかしそれより下側はまた同じような植生が待っていた。無毛の場所を含め一切の道形は見えてこない。


 920m付近。谷の中に鍋が二つ落ちている場所があった。この場所に小屋があったのかと見たが本当のところは判らない。下ってゆくと道形が現れ、すぐその先に堰堤が現れ右岸を巻いて降りる。地形図の860mのところに破線が突起している場所があるが、表示通りに堰堤が存在していた。堰堤が並ぶので作業道が在ったはずだが、そのほとんどが大水で削られてしまっているように見えた。


 鋼製谷止と銘板に書かれた大きな堰堤が現れる。ここは右岸を巻く。その下の堰堤は左岸を巻くと、そこには林道幅のつづら折りが20mほどのみ残っていた。おおかた流された道形だが、3割ぐらいは現存しており伝える場所になっていた。谷を降りてゆくと680m付近で、林道のカーブしている場所に飛び出した。地形図には表記されていないようで進む先がどこに行っているかは判らない。降りてきた谷を振り返るのだが、逆コースをとった場合、この場所から谷に入っていける自信はなかった。林道を登ってきたら、そのまま林道を伝って南側にカーブして進んでいっただろう。入り口には目印となるペール缶が錆び錆びになって転がっている。


 林道を降りてゆくと、作業道当り沢線と言うのが分岐していた。沢の名前の場所は、南の尾根を跨いだ先の谷のことだろうか。左に見ながら下って進むと到着したときに見た600m地点のゲートの場所に着く。ゲートは開閉できなく、乗り越えて通らねばならなかった。緩やかに林道を降りてゆくと北側山腹から草刈り機の音がしていた。581高点東の分岐からの先で作業しているようであった。見える田んぼは、この場所にしてきれいに管理している場所が多い。きめ細やかな管理のできる所有者が多いようだ。土手や畔は、ゴルフのグリーンの様に短く刈り揃えてあり綺麗なのだった。


 581高点西の分岐に戻る。蚋の襲撃はなく、サッと着替えて温泉へと急ぐ。虫歌の湯から代わったコトリの湯に入ろうと思っていたが、オープンまでまだ30分もあり、地蔵峠を越えて真田で浸かる。


 振り返る。道がほとんどないので自然味があり楽しく歩くことができた。ルートファインディングするほどでもないが、道が無いので自分の進路は探さねばならず、それが楽しさになっていた。マーキングは非常に少なく、谷の中の地面に行政の杭が刺さっているのは見られた。林班のものかもしれない。斜度の強い場所と谷の中に切られた道なので、ほとんどが流れてしまっているのだろう。









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