岩殿山   1007.6m               
                    
                                                  
                                      

   2018.2.17(土)


  小雪     単独       岩殿寺より反時計回り    行動時間:3H38M


@岩殿寺6:21→(31M)→A林道終点6:52→(43M)→B奥の院三社権現7:35→(51M)→C岩殿山8:26〜34→(23M)→D別所への下降点8:57→(9M)→E遥拝所9:06→(21M)→F萩道祖神9:27→(14M)→G別所登山口9:41→(18M)→H岩殿寺9:59


   
@岩殿寺駐車場をお借りして行動開始。 @1日4本のバスがある。 橋を渡り林道へと進んでゆく。 中嶋画伯の絵図が掲げられている。
       
寺沢ダム A林道終点地 道標がこまめに立てられている。 単管パイプでの梯子の手前が知っていないと積雪期は判り辛い。
     
渡渉点では沢沿いの獣のトレースに騙される。 九頭竜社の大岩 雷神社の大岩 五輪塔
       
B奥の院。三社権現。信仰の場としてはここが最終到達点。 開山塔 大岩にはステップが刻まれる。 天狗岩に乗る。東側に雪が付いておりドキドキ。
       
天狗岩から大城側 兜岩 途中の展望岩場からの景色 展望岩場の先に、積雪期はいやらしい場所がある。通過して撮影。低温時は要アイゼン。
     
岩殿山の北側のリッジへは下から這い上がれなかった。西を巻く。 C岩殿山。北から南を見る。 C標識 C角の割られた三角点。
     
Cヤキソバパン C山頂一帯は止山のテープで淫ら。 Cリッジ側に進んだが、やはり上からも降りられなかった。 ツクバネの種が落ちており、ちょっと遊ぶ。
   
D分岐からは別所側へと降りてゆく。 山腹を進む登山道は、流れ留めの丸太が見える。萩・別所地区の方の作業であろう。 E遥拝所 菖蒲沢と別所地区への分岐。どちらに進んでいいか判り辛い。別所側の道が薄く、その先もやや不明瞭。ここに至る手前にも別所への分岐あり。
     
途中のピークに廃屋が見上げられる。 そのピーク下の石積み。 F萩道祖神。菖蒲沢への道が分岐している。 荻地区の廃墟。これはトイレのよう。廃墟は現存するもので前後して3棟見られた。
       
山道途中の石仏。 別所地区の様子。寒村。 G別所登山口を振り返る。 この土蔵は郷倉と呼ぶらしい。
       
H岩殿寺に戻る。  




 湯沢の雪山を予定していたが、一日雪模様の予報となり信州の方へと足を向けることにした。この日は早々に家に戻って林業作業したいので、午前中で遊べる場所をと地図を眺める。信州も雪がちらつくようであり、多かれ少なかれではあるが、少々は良くて多いと苦情を言うのだから難しい。

 

 岩殿山はSK氏は西麓からアプローチしているが、多くの人は東側より登っているのが見える。山麓の近い場所で登山道が2路あるのが見えたので、その二つを使い周回とすることにした。積雪期の記録はあまり出てこない。雪があると都合が悪い場所のようだ。判らないのでアイゼンに加えワカンも用意してみた。

 

 1:15家を出る。すぐに高速に乗ってしまおうと思ったが、この日は異常なほどに国道にトラックが居なかった。これならと地走りすることにして18号を進む。碓氷峠も驚くほどにスキスキであった。いつもなら、突いたり突かれたりしながら小諸側へと抜けてゆくのだが、バックミラーを気にすることなくのんびりと向かうことが出来ていた。上田から千曲市に入り、そこからの峠越えが面倒に思え、坂城から麻績まで高速に乗ってしまう。17号の三国峠越えが面倒で月夜野から乗ってしまうのと同じ。403号を伝い中島橋の所から生坂村に向かい、途中の岩殿寺の道標に従う。

 

 岩殿寺周辺は、住居が少ないので暗く、空の星がとても綺麗に見えていた。久しぶりに見る細かい星で、しばらく首が痛くなるほどに眺めたりもした。夜明けまでは2.5時間以上ある。仮眠十分でスタートできそうであった。毛布をつっ被る。通過した、訪れたエンジン音は寺への新聞配達のみであった。

 

 6:00村内放送される音楽で起こされる。スピーカーが近くにあるようで、かなり大音量が上から降ってきており、こんな中で寝られる人は居ないであろう大きさであった。広い駐車場にポツンと1台だけ置いてある状態。今日はだれか来るのか、このままか、寒村と言う雰囲気からは後者の様な気がしていた。登山靴に足を入れた時に気が付いた。スパッツを忘れた。これは雪山では致命傷になることがある。ここの雪の量はどうだろうか。だからってこのまま引き下がるタマでもない。

 

 岩殿寺は「イワドノテラ」ではなく「ガンデンジ」と呼ぶようで、山と差別化された呼び名となっている。駐車場前にはバス停もあり、バスでのアプローチも悪くない場所であった。入山してゆく橋の所には、中嶋画伯のルートマップが掲げられていた。橋を渡り、凍った路面に注意しながら林道を詰めてゆく。単独行者が往復した足跡があり、それを伝って進めていた。

 

 寺沢ダムが左に見下ろせ、その先の林道脇にはライトエースが廃車となって竹に埋もれていた。この場所から5分ほど進むと林道終点となり堰堤が立ち塞がる格好となる。往復であるならば、ここまで車を入れるのがいいだろう。林道歩きを終えて山道に入って行く。がしかし、どちらへ進めばいいか堰堤の先の進路が判らなくなる。獣の踏み跡が多く惑わされたのもある。よく見定め、単独行者の跡を探し出す。伝って進むと、単管パイプでのはしごの場所となった。

 

 登山道は雪があるからとかは別としても狭い幅の作りであった。山腹を進み渡渉点で再び向かう先が見えなくなる。下流側を見ると道幅があるように見え、そこに獣の足跡が濃く向かっていた。15mほど沢の中を進み、その道形の場所に乗ると、作業道のような幅があり、進んでゆくと深く狭い谷に中に入ってしまった。こんな場所を通らせるはずがない・・・。渡渉点まで戻ると、対岸に九十九を切るように単独行者のトレースがあった。道が在る場所を伝うのが苦手になってきている・・・。

 

 再び単管パイプでの階段が現れ、下った先が九頭龍社と言う大岩の場所であった。そしてここから僅かに登るとまた大岩があり、こちらは雷神社であった。全て農耕に対する水の関りであろう。ロープ場を経て、ここからは登りらしい登りとなる。五輪の塔は古い墓石にも見えるものであった。地・水・火・風・空が、残念ながらどの順番かを忘れてしまっていた。そして稜線に乗り上げる。

 

 奥の院の道標に導かれ笹の中の道を行く。風化した大岩に抱かれたような三社権現が現れ、小さいながら荘厳な雰囲気のある場所であった。この下の史跡まで行くのは端折り山頂へ向かってゆく。開山塔内に見えるのは、生坂の剣刷山にあった札と同じものであった。苔むした様子から古い塔にも見えるが、平成に入ってからの設置物であった。岩峰群帯へと進んでゆく。

 

 天狗岩はそそられ最高所に登るが、頂部を境に東側にべったりと雪が乗り、ちなみにと足を乗せるとズルっとし、試しながらもヒヤッとした。遮るものが無く京ヶ倉側がよく見える場所であった。向こうに居た時は、ここが岩殿山と見えておらず同定できていなかった。兜岩は横目に通過してゆく。信仰の山と思ったが、大勢がそれが為に登るには狭い場所との印象を持つ通過点が続く。

 

 展望岩場を過ぎると、雪が乗るとちょっといやらしい通過点がある。足の置き場所に注意しながら岩を抱き込むように通過する。この先、甲州の離山の岩峰群の様な通過点があり、通りながら似たような風景に思い出したりもした。そして山頂北側のリッジ下で行き詰る。どうすると越えられるのか、どこかにステップが切ってあるのかと広範囲に雪を落としてみるが、グリップしそうな場所が見いだせない。無い中でもエッジをひっかけようとトライしてみるも、暖簾に腕押しな感じであった。少し戻り、リッジの末端から跨ごうと思ったが、それも雪が着いており無利だった。どこかに巻道が在るはずと戻ると、止山のテープが流され、細い山腹の道が存在した。西を巻いて通過し、戻るようにして山頂に到達する。

 

 岩殿山の山頂は、意外なほどに簡素な山頂であった。展望がないこともそう感じさせる要因であるが、信仰の山であり、登山道が古くから存在しる場所であり、もう少し山頂らしく表示があると思ったのだ。実際は小さな私設標識と、割れた三角点があるだけであった。あとは止山としてのテープが淫らな印象を強くしていた。少し南を偵察に降りてみる。薄い道形が続いていた。

 

 山頂からリッジ側へと進んで行ってみる。しかしと言うか、やはりリッジの上からも登山道側へは雪があると降りられなかった。岩肌を滑り降りても、着地点を踏み抜きそうで怖いのだった。山頂に戻り、西側の往路の道で戻って行く。小雪が舞いだし、一帯の空が暗くなってきていた。

 

 展望岩を過ぎ3分ほどで別所地区への下降点がある。緩やかな下降路へと折れてゆく。なだらかな作りの道で、とても歩き易い。時計回りに登った方が楽だったかとも思えたが、緩やかな下りの方が雪がある場合は都合がいい。よく見るとスパイク長靴のトレースが刻まれ往復していた。直線的な道が多いために視界がよく気持ちがいい場所が続く。

 

 遥拝所には、ここが岩殿山の山頂に思えるような立派な石碑が立っていた。ここを見ると、とても信仰の山と感じる場所であった。これだけの大きな石をよくも持ち上げたと思うのだった。信仰心が無いと無理だろう大きさと重さ。この先もなだらかな道が続き、途中で雪が切れ深い落ち葉の道となる。途中、別所と書かれた標識があり、薄い踏み跡が分岐していた。信用できずに先に続く太い側の道を進む。すると再び分岐が現れ、先ほどより濃い道が分岐していた。濃いと言っても薄く不安になる分岐なのだが、方向からして分岐する側の道が正しく足を乗せてゆく。後で判るが、これまで伝ってきていた道を進むと菖蒲沢側へと行くようであった。

 

 薄い踏み跡は途中で完全に落ち葉に埋もれて判らなくなる。一部、距離6mくらい道形が崩落している様でもあった。そこに落ち葉が大量に乗っているので判らないのだった。そこから進路を見定めていると、見える左側のピークに大きな廃屋が見えた。住宅を構えるにしては山のてっぺん部でおかしい。林業作業小屋だったのかもしれない。そこからの尾根上には石積みの場所も残っていた。日当たりを思うとお墓があったのかもしれない。峠のような場所を経て山道らしい道形となる。

 

 荻道祖神の碑が見え、そこで分岐となる。降りてゆく道も菖蒲沢側で間違いないだろう。別所側に進んでゆくと、トイレだろう廃屋がある。この場合、便所と言ったほうが適切で、品よく言うなら厠が最適かもしれない。肥料にしたのだろう汲み上げる隙間が設けられていた。敷地は150坪ほどあろうか、釜やナベなど残置物の中には自転車なども見られた。進んでゆくと左側に畑が見られ、そこにも廃屋が残っていた。そして山道のカーブの場所にはお墓が残っており、そのことからも住まいしている人が居たことが裏付けられる。しかし軽四が通過するには厳しい道幅である。菖蒲沢側からの道の方が本道であったのかもしれない。途中の石像を拝み、その先の細かい九十九折を伝ってゆく。舗装路が現れ、眼下に別所地区が見えるようになってきた。

 

 消防小屋まで降りる。こちらにも中嶋画伯の絵図が掲げられていた。誰か住民が居たら、尾根の肩てっぺんにあった小屋の事を聞こうと思っていたが、どの家も住まいしているのだろうが人の気配が感じられなかった。気温が低く、外での仕事に向かない日であり、小雪が舞っていたので尚更ではあった。土塀で茅葺構造の郷倉と呼ばれる構造物を見ながら岩殿寺に戻って行く。

 

 駐車場に到着し、せっかくなのでお寺を拝観してゆく。馬に跨った阿修羅のような石仏があり、珍しいものであり興味深く見ることが出来た。





   

 
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