岩岳    1519.7m                                                                                                                                                                                                    
 
 
2018.9.8(土)


 くもり     単独    余慶橋から往復       行動時間:4H22M


@余慶橋5:24→(20M)→A火打石谷渡渉点5:44→(109M)→B主尾根に乗る7:33→(31M)→C岩岳8:04〜09→(16M)→D主尾根からの下降点8:25→(61M)→E火打石谷渡渉点帰り9:26→(21M)→F余慶橋9:47


   
@余慶橋から入山 @ピンクのリボンも見えるが、赤いリボン側に進む。 A火打石谷と小常木谷の出合 A火打石谷の橋は架かっておらず渡渉。
       
右岸側に炭焼き釜跡がある。 小常木谷の橋は使える 3番目の橋 掛け小屋
     
植林帯の中を登る 途中の枝道分岐。右へ。 枝道分岐点の尾根下側に、小屋跡が見られる。 植林帯の中の小屋跡。
       
鋭角に曲がる場所 B主尾根に乗る B主尾根に乗った場所の林班界 岩岳の西側の登路。
       
最後は北側から登る C岩岳山頂 C三角点は僅かに顔を出している。 C三等点
     
C小さな標識が一つ。 C岩岳deヤキソバパン 主尾根からの下降点のみ展望あり。 ブナの中を下って行く
       
小常木谷に降り立つ  小常木谷左岸通過 D火打石谷渡渉点帰り E余慶橋に降り立つ。旧道側に駐車。 




 野湯と抱き合わせにした東北の山を予定していたが、西に水災、東に地震と重なり、遊ぶことに対し忍びない気持ちになってしまう。こんな時でも気にせず遊ばないと、みな沈んだ気持では国がどんどん沈んでしまうのですが、でも普通の感受性を持った人なら、影響を受けない方が稀だろう。

 

 行こうと思っていた吾妻山山塊では、翌9日に火山性地震増加による注意発表が気象庁からされた。山ばかり気にしており、地震が頻発していることなど露知らずであった。この週末に何があったわけではなかったが、リスクを思うと行かずによかったとも言える。

 

 関東の南側以外は雨予報だった。奥多摩域は曇りのようだったので、落穂となっている岩岳まで登ってみることにした。経由地にして前飛竜まで登るのが教科書コースのようでもあったが、熊倉尾根は既に歩いてしまっているので、あまり東側には興味を抱かなかった。まずは岩岳まで登って、天気の様子で周回か下山か決めようと思った。

 

 1:00久しぶりにこの時間に家を出る。秩父を経て、名栗を通過し軍畑で411号青梅街道に乗る。相変わらず走り屋の聖地で、淫らな音を撒いて走る車が多い。山ヤなのだが、煽られると少しかんばってしまうので嫌な性分だと自分で思っている。奥多摩湖を過ぎて、丹波山村役場前を通過し、その先の何でも屋の前を過ぎたら目的地となる。駐車は旧道側へと寄せて停める。経路3時間、日が短くなったので夜明けまではしばらくあるのでゆっくり仮眠に入る。ちなみに、ここはギリギリ携帯が使え、メールの対応ができた。

 

 5:24余慶橋の東側から山中に入る。ここは入ってすぐ右に進むのだが、正面山腹にもリボンが結ばれているので誘われない方がいい。進んで行くと、熊倉尾根を乗越す場所になるが、尾根にはハッキリとした踏み跡が見えていた。右に見て通過してゆく。破線路にしては状態がいい。道幅も十分、そして以前はよく整備された場所と判る。通常の登山道ではないことが察知できる。

 

 高巻きの道が下降に入り、火打石谷の流れが眼下に見えてくる。ここの下降路には立派な石積みの階段ができていた。この奥にワサビ田でもあったのか・・・と最初に思った。火打石谷の渡渉点は、そのまま小常木谷との出合いで雰囲気のいい場所であった。しかし見える橋は、流れに壊されたようで川を跨いでおらず川と平行になっていた。この時は雨の後ではなかったのでいいが、場合によっては水没しないと渡れない場所となろう。4つの石を伝って対岸に行く。濡れた石の上に足を置くので、結構に神経を使った。

 

 小常木谷の左岸を進み、木橋を3回渡って右岸に移る。最後の橋は15°ほどの勾配がある場所で、上手に踏板が縫われステップの水平が保たれていた。この先3分くらいの場所に状態のいい掛け小屋が見られた。同じ造りのものが山中にいくつかあったようで、在ったろう場所に波板が落ちており、それが2か所で見られた。すでにここで道の謎解きができていた。林業用の作業道であり、途中途中に炭焼き窯跡も見られたことから、勾配の緩い歩き易い登路となっているのが判る。植林帯の中を登って行く。先ほどの掛け小屋から20ほどの場所で、小尾根に枝道が上がっている。道標がない場所で少し迷うが、そのまま山腹の道を伝う。ちなみに尾根の麓側には小屋跡がある。この分岐から5分ほど歩き、さらに小屋跡が見られる。ここのヒノキには鹿よけの黒い繊維が巻き付けられていた。小常木谷の沢音は遠のき、411号からの人工的な音も聞こえなくなっていた。

 

 長い山腹の道で、ずっとトラバース的に進んできた道だが、途中で鋭角に曲がる。これも枝道ではないかと思うのだが、それ以外に道はない。厳密には獣などはそのまままっすぐ進んでいるようで、うっすらとは道ができている。最初に尾根上を登る枝道を見てから1時間ほど進んだ場所であった。経路に一切の道標はないので角度を変える場所は、よく見定めが必要だった。

 

 いつの風雨か、まだ緑の落ち葉が多く一帯の倒木も多いように感じる。35番と39番の林班界で主尾根に乗る。地形図と大きく違えて、西側に大きく巻き上げてゆく。谷を挟んでの見える西側の山稜には、濃く白い雨雲が垂れ込めてきていた。風も強くなってきており、もうじき目標点だが周回にはなりそうになくなっていた。地形図の破線路は岩岳の東側を通過しているが、実際の現地は西側山腹を巻いていた。巻ききった北峰と本峰の鞍部から鋭角に戻るように登る。

 

 岩岳山頂。山頂を通っている踏み跡はなかった。昔も今も、山頂を通した時期は無かったよう。三等点が唯一の人工物かと思ったら、よく探したら膝丈くらいの場所に小さな標識が見られた。今日はヤキソバパンが入手できたので記念に掲げる。展望は全くない山頂であった。山頂への登路は、北と南と、もう一つ西側が選べ、西が登山道から短距離でアプローチできる。そこを降りて大木の朽ち木の場所で登山道に乗る。

 

 往路を戻り、尾根からの下降点の場所(35と39林班界)で、ここのみ奥多摩湖(東)側が開け展望が得られた。西の雨雲に対し東はまだ薄曇りであった。ブナの植生の中を緩やかに降りてゆく。入山口にもう一台停まっていたので、誰かほかに登ってくるかと思ったが、どうやら釣師だったよう。今日は往路で、渡渉点で水を汲もうと予定していた中で、汲まずに水なしだった。最近はこんなことが多いのだが、歩き出しから4時間ほどが経過し、水を欲し流れの音を求めだしていた。道を見ると、上に居る間にシカが伝ったようで、真新しい足跡が下に向かって続いていた。

 

 小常木谷の橋上まで降り沢水をいただく。可もなく不可もなく、奇麗でもなく汚くもなく、そんな感じの水だった。3つの橋を経て、次は火打石谷。最後の最後でいつも気を抜くので、緊張して足の置き場を選びながら渡ってゆく。高巻きの登り返しをしながら戻ってゆくと、バイカーの吐き出す自然を汚す音が強くなってくる。山中でありながら下界に戻ってきてしまったことを感じる。

 411号に降り立ち山旅終了。

 




 
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