尼巌山   781m             奇妙山   1099.6m                                                                                      
   2018.2.24(土)


  くもり   単独   玉依比賣命神社登山口より奇妙山まで、下山は岩沢地区経由    行動時間:3H40M


@玉依比賣命神社登山口6:17→(6M)→A北尾根南尾根分岐点(石碑・お墓)6:23→(42M)→B尼巌山7:05〜06→(22M)→C岩沢下降点分岐7:28→(23M)→D出会いの石(分岐)7:51→(44M)→E奇妙山8:35〜45→(27M)→F岩沢下降点帰り9:12→(15M)→G岩沢登山口9:27→(30M)→H玉依比賣命神社9:57


   
@この山は公的な駐車場がない。紹介されている鳥居の場所は、参拝者用と注意書きがあった。そしてバリケードまで置かれていた。やむなく路上駐車。 フェンスゲートは閂をあけるのが大変で、施錠するのも面倒。 A北尾根コース南尾根コースの分岐点。石碑とお墓がある。 A分岐道標
       
アカマツの尾根を行く。松枯れ対策だろう薬液の空の入れ物が多数落ちている。 岩壁の巻き終わり付近。 途中の展望地から見る皆神山。 B尼巌山。好展望地。
     
B城址解説の横に標識。 B三角点の場所。 B四等点。 B北側の様子。高嶺は雪雲の中。
       
尼巌山山からの最初は、やや急下降。ロープが流してある。 C岩沢地区への下降点。復路はここを下る。 D出会いの石分岐。奥の石がそれなのかと進んでみるが、標識の横の石が該当品のよう。 D分岐道標
       
高見岩は往路はトラバース。 奇妙山直下
E奇妙山山頂の入口。現代表記では蚕養となろう石碑。吾妻山は谷地平に記号される石碑と同じ内容。 E奇妙山の山頂部
     
E標識 E小学生の登山記念標識 E祠 E東側に円形が彫られている。
     
E三角点を掘り出す。四側面は踏まれ硬く・・・。 E山頂から少し南に進むと、赤野田側への道標が見られる。 Eヤキソバパン 高見岩最高所
   
高見岩からの展望 F岩沢への下降点分岐 山道がいつしか林道幅になる。 G岩沢登山口。こちらのフェンスは開かずの扉。
     
G駐車余地は2〜3台分。 岩沢地区には迷路のように道が切られている。適当に降りてゆく。 岩沢地区内には湧水地も見られる。緑色はクレソン。 H玉依比賣命神社登山口に戻る。




 またまた湯沢を狙っていたが、新雪が嵩むようで中止にしてしまう。1日使う予定なら決行なのですが、半日で切り上げたいので、登りたいのと帰りたいのが同居しているので困ったものである。

 

 奇妙山は既登済みとずっと思っていた。西上州から長野側を見た場合、同じ方角に二つの奇妙山があり、須坂市の奇妙山に登ったことで自分の中で松代の奇妙山までも登ったことになっていた。珍しい奇妙な名前が近接してある場所であり、混同してしまったと言い訳にしたいのだが、既登した場所には赤えんぴつでチェックを入れる山名事典のその場所には、きちんとチェックがされてしまっていたのであった。登らねばならない。

 

 奇妙山が登っていないと言う事であり、尼巌山も登っていなかった。この近距離なら普通に抱き合わせにしている場所。そして堀切山も未踏であり、雪の状況によりだが3座狙いとした。標高から鑑みると半日で狙えそうではあるが、降雪の様子は現地に入ってみないと判らない。現地で臨機応変に行動を決めることとした。

 

 1:00家を出る。18号をひた走り、松代の玉依比賣命神社の鳥居前の余地に到着する。しかし推奨駐車場所のはずであるが、参拝者用、ゲートボール場利用者用、長時間の駐車を遠慮する等の注意看板があり、さらには駐車を抑制しているバリケード的に置かれたコーンが並んでいた。停め難いようになっていた。登山者のモラルのなさがこうしたことに繋がったのか、ここまでされると圧が強すぎて安心して停められないと感じた。しょうがないので玉依比賣命神社まで行き、その前の路上駐車とした。あまり気が進まないが、鳥居前よりはこちらの方が気が楽であった。いつものように毛布をつっ被るのだが、南の中央物産よりの空調音がかなり煩い場所であった。

 

 特異なメロディーで6時が告げられる。前週に忘れたスパッツは今日は持ってきていた。でもカンジキは不要だろうと持ってこなかった。これがどう出るか・・・。玉依比賣命神社登山口から入山してゆく。熊注意の標識が並び登山者に緊張を与えていた。ゆったりとした登路を進むとフェンスゲートが現れる。上下に二本の閂がされ、これを開放して扉を開ける仕組みになっているが、閂が抜けてこなく跨いで越えてゆく。

 

 マップルでは天王山と記されている場所には大きな石碑があり、個人のお墓も立っていた。そして北尾根と南尾根の分岐になっており、遠回りはせずに南尾根を選んでゆく。アカマツが多く、松枯れ病なのか倒木も散見出来、その為だろう薬剤の入れ物もたくさん落ちていた。気持ちいい登路なのだが、ちょっと淫らな部分も持ち合わせていた。徐々に松代の町が下になってゆく。

 

 鎧の様な岩壁を東に巻いて進む。鋭角に戻るようにして北西に登って行く。この途中に展望のいい場所があり、下界側と奇妙山側がよく見えていた。皆神山の特異形状が見下ろせるのだが、降雪直後のここからの展望はかなり楽しめると思えた。気温はマイナス2℃ほどでさして気にしないような数値であるが、やや風がありそれにより雨具でも着込みたいほどとなっていた。

 

 尼巌山山頂は尼巌城址とのことでその解説板が立てられていた。展望は北側が優れ、奇妙山は木々の間から黒く見えていた。西側にある三角点は四等で、四個石があるのだが四辺のうち二辺のみ守られていた。夜明けから1時間ほど経過しているが、ここではまだ朝日が見られなかった。尼巌山の西側はやや急峻で、滑る雪面に注意しながら下って進む。ルートを示す目的もあるのだろうロープも流されていた。

 

 落ち葉と降雪のハーフ&ハーフな登路を進んでゆくと、岩沢地区への下降点がある。この次の分岐が出会いの石の場所で、表示した横にある石なのか、その奥に並ぶ石なのか判らず奥まで進んでみたが、示す石は表示のある場所の石のようであった。ここで積雪量が急に増えた格好となる。ここまでは固く滑る場所に気を使っていたが、今度は柔らかい流れやすい雪に注意が必要になった。滑り易そうな雪の高見岩は端折ってトラバース道を選んでゆく。獣もそのようにしているようであった。

 

 奇妙山到着。北西側には大ぶりな石が置かれ、そこに彫られている内容は、吾妻山の谷地平の立つ石碑と同じものであった。まったく展望が無いわけではないが、北側の一部のみ楽しむような狭角な展望だった。2枚あるうちの1枚の標識は、小学校の記念登山のものであった。堀切山にそのまま進もうと南東側に降りてゆくのだが、ツボ足で進むには酷な状態で、迷うことなく本日はここまでとした。トレースがあって尼巌山からここまで1.5時間。この先、距離と雪の状態を考慮して堀切山まで2.5時間ほどと予想できた。半日では無理がある。今日の雪は進むには負荷が大きい。山頂の岩に腰を下ろし休憩とした。風は相変わらずで動いていないと寒く感じる。急いでヤキソバパンを食べ、往路を戻る。その前に、三角点があったことを思い出し辺りを足で探る。こつんと当たったのが国土地理院の標柱で、その横から三角点の頭が出てきた。周囲は踏み固まって掘ることが出来なかった。

 

 帰路は高見岩に上がってみる。下から見上げると、大して展望は無いだろうと思えたが、上に立つと意外といい展望であった。食わず嫌いは良くないのであった。出会いの石の分岐を往路側に折れ、その次の岩沢下降点からは尾根を離れてゆく。しばらく登山道風味の山道だったが、ふと気付いた時から林道幅を歩いていた。廃林道が分岐している場所などもあり、歩き易い側を進むのが正解のようで、見定めつつ降りてゆく。

 

 岩沢登山口側にもゲートがあり、こちらは落ち葉や土砂が堆積し、開かずの扉になっている。ここも往路同様に跨いで通過する。分岐道標には、ここからの尼巌山への指示道標もある。集落側へと降りてゆくと、石像が立つ場所があり駐車場も設けられていた。地形図を見ながら下って行くのだが、そもそものどこが現在地なのか判らず、適当に集落内の道を降りてゆく。この地域は住まいしているお宅も多いが廃墟になっているお宅も多い。みなリンゴ農家なのだろう、辺りに植えられているのは、ほとんどリンゴの木であった。

 

 鳩舎のある場所を降り、やっと現在地が把握でき、北寄りの道を降りてゆく。この途中には湧水地のような場所がありクレソンが周囲に生えていた。ただし飲みたくなるような澄んだ水ではなかった。この周囲の各家には池などが見られたので、間違いなく湧水が得られるのだろうと見えた。リンゴの木の剪定をしている気さくなお母さんが大きな声で挨拶をしてくれる。こんなちょっとした触れ合いも嫌いではない。最後は善徳寺の前を通過し、民家の前のダート道を通過し玉依比賣命神社に戻る。

 日中に神社前の車通りは多い。路上駐車は地域の人の邪魔をしているようであった。マイカー登山の場合は、岩沢登山口からの方が安心と思えた。

 
 



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