観音山 540m 瀧峩山(観音山・滝峨山) 597.6m
2018.1.8(月)
くもり 単独 不動の滝駐車場より 行動時間:1H18M
@駐車場9:42→(7M)→A象ヶ鼻分岐9:49→(13M)→B東大岩窟10:02→(12M)→C観音山10:14〜16→(18M)→D瀧峩山10:34〜37→(18M)→E金堀穴10:55→(3M)→F登山口10:58→(2M)→G不動の滝11:00〜02→(2M)→H駐車場11:04
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@登山口は、斜上する道の右側に分岐する側。 | 案内図には象ヶ鼻からの山腹の道は描かれていない。 | 登山口 | 胎内窟。中に入れる(通過)ようになっている。 |
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北向き観音窟はルートから逸れる。行き止まり。 | ルートはこんな感じ。落ち葉が多い時期は道の場所が見難い。 | 金堀穴。復路は谷を下りここに戻る。 | A象ヶ鼻。道標は南大岩窟の方面は潰されていたが、通行止めにされてはいないようで進んでみる。 |
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振り返り撮影。ここはハングした岩の場所で、身体やザックを擦る。 | 南大岩窟 | 南大岩窟アップ | 南大岩窟の先の崖がコースかと思って登ってしまった。戻る。 |
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大日の窟。この日に見た中では一番岩屋らしい空間。 | B東大岩窟。ここは裂け目のような場所。 | B東大岩窟の石像。表情がいい。 | 九十九折りの道形がある。南大岩窟から先は道の場所がはっきりと見えない場所が多い。 |
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金堀穴の所にあったのと同じ道標が東にもある。 | ピンと張られた鎖場。 |
C観音山。首を落とされた石像が二体。 | C祠 |
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C頂上標識 | 北西側の平地。城址なので二の丸の場所。 | 最初の堀切。全部で5つの堀切が連続する。 | 堀切3つ目 |
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4つ目 | 5つ目。ここまで綺麗に連続する場所も初めて。相応に起伏が大きい。 | 堀切を南に進み分岐になる。五差路的になっている。左の道形は送電線鉄塔側に進んでいると思われる。 | 左の写真の右の道を選んだが、すぐに有耶無耶になった。分けやすい笹の薮。 |
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瀧峩山西側直下。 | D瀧峩山 | D西側には棘のある植生が多い。 | D東側から見る山頂 |
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D三等点 | D表情のいい石像 | 一体は調査がされたよう。道形を戻る。 | 往路に分岐した場所に戻る。南東に進む道形を追ったが、途中で消滅していた。 |
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道が無くなったので谷下り。細い流れがあり、深い場所は膝上までズブッと踏み抜く。 | E金堀穴の場所に飛び出る。 | E金堀穴の中 | E降りてきた谷。伝わない方がいい。 |
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F登山口に戻る。 | G不動の滝。不動堂側から見る方が全景が見えて綺麗。 | G駐車場に戻る。新設のトイレが出来ていた。 |
東吾妻町の観音山。その西の岩櫃山が有名でやや隠されてしまっている感じだが、こちらも柳沢城址で同じ城山でもあることを知った。ヤマランルートコメントでは、540m峰で観音山としている。一方日本山名事典では597.6三角点峰で座標をとっている。どちらがどっちなのだろうと迷うのだが、こんな時は両方登ればいい。二つ存在する中で、KUMO氏が540m峰しか登っていないと言う事であり、あらかた状況は見えてきたりもする。
8:30ゆっくりと出発する。406号に乗って旧倉渕村を経て吾妻に入り、国定忠治で有名な大戸の関所跡を右折してゆく。しばらくすると真正面に岩櫃山が見え、ちょうどいいタイミングで山名看板が設置されている。145号沿いには、登山口となる不動の滝への案内道標は目に入らず、地図を見ながら分岐し、川沿いに走った最後の分岐まで進むと初めて目に入ってきた。
駐車場はそう広くはないが、新設のトイレが出来ていたり、休憩舎のベンチやテーブルが新しかったりと、相応にインフラがされていた。登山口が判らず案内看板の所へ行くと、分かり易い絵図で付近が描かれていた。最上部へと登る歩道の途中に登山口はあった。欲を言うと、案内看板が駐車場にあると分かり易いだろう。
登山口から登ってゆくと、視界のほとんどが岩の壁となる。ルートが判りにくく、胎内窟の先で北向き観音窟側に登ってしまった。ここは行き止まりで戻る。ようは谷筋を登ってゆくルートで、岩と落ち葉のみで踏み跡にならないので判り辛いのであった。途中には鉄製の小梯子などもある。金堀穴の場所まで上がる。入口と書かれたプレートに、いたずら書きで「奥行20m」と書かれていた。入ってみたいとも思ったが、5mほどの胎内潜りもしていないほどなので、入る入らないは帰りの判断とする。
象ヶ鼻の場所で分岐道があった。南大岩窟を示す道標にはテープが巻かれ、それが意味することも理解できたが、ルートを塞いでいるわけでもないようなので進んでみる。鼻の下を屈みながら通過すると、その先に同じようなハングした岩場があり、エキスパンドメタルの橋が設置されている。落ちないよう柵があるのだが、その柵と岩に挟まれ通過しずらい場所であった。ザックを軋ませ強引に通過する。すると南大岩窟が現れる。高さ6mくらいの場所に大穴があり、中に石像が並んでいた。さらに先に進むと、小さいながら高音の警戒音が聞こえてきて、止むことが無かった。どうも蝙蝠が住まいしているようで、部外者が来たので威嚇の声を発していたようだった。
南大岩窟側から東へと進むと、壁側だけでなく足下にも大きな岩穴が見え、暗く底なしの穴のようにさえ見えていた。道標に「南大岩窟を経て山頂」とあったので、南大岩窟を過ぎたら登り始めると思っていた。それなので巻き込んだ先で上に行くと判断し、岩混じりの崖を登りだした。しかしどう見ても道形は無い。崩れやすく流れたのかと思い、諦めずに登ったが、どうにもソロでは厳しくなり下まで戻る。何のことは無い、やや下側に向かうような道形があったのだった。ここからの進路はかなり不明瞭で、昨今はあまり踏まれていないことが判る。
大日の窟は、岩屋の中が土俵ほどの広さがあり、とても見栄えのする場所で、奥に石像が安置されていた。ここが見られただけでも、こちらのルートを辿って正解だと思えた。東から北側へと進んでゆくと、東大岩窟が現れる。ここはチムニーと言いたい感じの岩溝で、これまで見た穴形状とは異なっていた。そのためか石像は穴の中ではなく手前に並べられていた。ここまで来ると北側には道形が見えだし、九十九折りに登ってゆく登路が見えだす。登ってゆくと金堀穴に在ったのと同じ道標があった。示す方に登ると鎖場となる。この鎖だが、いやにピンと張られている。土の斜面であり、地面に流すと土が削れて抉られてしまうからだろうと判断できた。テンションがかかっている鎖はとても硬い印象を持った。
山頂下の平坦地に乗る。城址らしい場所で通常なら天守の位置に対する二の丸的場所であろう。北に巻き込むようにして進み。途中で「頂上」を示す道標が現れ、別の道が合流した。山頂への道は後にして合流した道を降りて行ってみる。すると見覚えのある地形があった。わずか下が象ヶ鼻の分岐で、分岐から上のルートを選べば山頂までは僅かなのだった。確認をしたら山頂へと登る。
観音山山頂には首の落とされた二体の石像があった。廃仏毀釈のものだろうか。右利きの人が斬首するように刃物を振り下ろしたのが見える。祠も並び、細長い特異な石柱も立っていた。山頂標識では、南大岩窟側は塞がれていなかった。首のない石像が二体もあるので、山頂の居心地はあまりいいものではなかった。次の597.6三角点峰を目指す。
下側の平坦地からは、低い笹の植生が尾根上に続く。そこを進むと見事な堀切が5つ続き、これでもかとアップダウンさせられる。これほど綺麗に残っているところも珍しい。地形図を見ると判るが、平坦な尾根に堀切を作ったので、土が流れないで現状維持が出来ているのだろうと想像できる。5本目の堀切を西側に進むと、何のことは無い道形が走っていた。面倒なアップダウンをしてきたことに苦笑い。五差路的になっており、北西に進む道はおそらく送電線鉄塔側へと進んでいると思われた。北に進む道形を追ってゆく。しかしすぐに有耶無耶になり判らなくなってしまった。でも植生が弱く間隔も広いので、漕いで進むにも苦労は無かった。
西の590m峰との尾根鞍部に乗り上げ東に向かう。山頂直下は棘のある植生があり、分ける場所を慎重に選ばねば痛い思いをする通過点であった。左に内野地区の建物が見下ろせていた。里山らしい民家の近い景色であった。目の前に枯れた色の山頂が見えてくる。
観音山または滝峨山。瀧峩山が正解なのか、それとも無名峰なのか判らぬが、三等点の待つ山頂に到達した。嬉しかったのは、予期せぬ石像が出迎えてくれ、女性として彫られているので観音様と言うのが正解かとも思えた。柔和な表情をしており、見ていて飽きないいで立ちで、しっかりとお参りをする。裏を見ると「宝暦三酉」と彫られているのが判読できた。年号には疎いのでスマホで検索すると、265年経過しているものと判り、それにしては状態がいい石像だと思えた。木の根元に木片があるのに気づき、手にするとすかいさん関の標識であった。複芯の被覆線が見事に噛みちぎられ、歯痕が残されていた。縛るものが無かったので、枝に引っ掛けておいたが、すぐに落ちてしまうであろう。開けた山頂だが、標高からだろう展望のない場所であった。
往路を戻るのだが、地形が広くどこを歩いてきたがよく判らなくなった。マーキングをして進んだ方がいいような場所でもあった。降りてゆくと往路とは別の道形に乗った。こちらは完全に自然に戻ってしまっており笹が相応に生えていた。分けて進むと往路の道形に乗り、五差路的分岐点の場所まで戻る。東側の道は何処に連れて行ってくれるのかと伝ってみるが、すぐに判らなくなってしまった。状況を考えるに、堀切を通る形で北東側に続いているのだと理解できた。道が無くなったので、再び540m峰に戻るのもつまらないので谷下り決行。
急峻地形を谷の中に降りると、そこは落ち葉の堆積とわずかな流れのある場所で、踏み入れたら股下までズブッと入ってしまった。予想していなかったので、かなりドキッとした。硬い場所を選びながら谷の中ではなく斜面を伝うようにして谷の中を降りてゆく。しばらくして目の前に見覚えのある景色があった。金堀穴の場所に出たのであった。そこにも首の落とされた石像が立っていた。金堀穴に入ろうかと思って中をフラッシュを焚いて見てみるが、かなり狭い。怖いのを理由ではなく狭いのを理由にして入らないことにした。胎内潜りの場所もそそられたが、通過せずに登山口まで戻る。
駐車場に戻らず不動堂側に進み不動の滝を観瀑する。道があるので滝壺まで行けるが、そうすると下側の滝しか見えなくなってしまう。全景の見える不動堂の場所が一番いい。山も楽しみ滝も楽しみ山旅を終える。540m峰の観音山は、山腹の岩窟を見て登る方がよりこの山を楽しめるだろう。