巣場    1350m                                                                                                  
   2018.10.13(土)



 くもり     単独     奥志賀高原栄線より巣場を踏み極野林道経由で戻る      行動時間:6H55M


@奥志賀から27.6kmポスト5:58→(81M)→A1458高点7:19→(132M)→B巣場9:31→(54M)→Cムジナ沢1200m付近10:25→(16M)→D極野林道3kmポスト付近で林道に乗る10:41〜45→(85M)→E極野林道8.6kmポスト(ゲート)12:10〜13→(40M)→F戻る12:53


   
@奥志賀公園栄線から、下る形で狙う。 @奥志賀から27.6kmポストが出発点。 @126−127林班界 入ってすぐに全く進まず困った。林班界標柱の場所から入ると道形があるよう。
       
1500m付近。ここまでは笹藪の中に道形が見える。道を伝うには、笹が強く繁茂し跪き進むような場所もある。 途中にあったマーキング。もう一つ金色のリボンも見られた。どちらも古い。 A1458高点。目印らしきものはない。 1440m付近。朽ちた切り株から幼木が生え、その横に2本の大きなブナが立つ。
     
1440m付近。ブナの根は大岩を巻いている感じ。 1410m付近でやっと向かう先が見える。よく見通せる場所は無い。 巣場手前、西側の鞍部には細い流れのある沢状地がある。 沢状地から巣場側斜面
       
B巣場山頂。強い笹藪。 B上を撮ったが・・・。 初めてクロロプレンゴムの手袋を使用。ずぶ濡れになったが、手は冷たくなかった。 山ぶどうでビタミン補給。すっぱ美味い。
       
細い沢を使いムジナ沢へと降りてゆく。二本目。一本目は途中で切れ落ち伝えなかった。 Cムジナ沢。ここからしばらく遡行。 D極野林道に乗る。3kmポスト(東)付近。 Dムジナ沢から離れ登ってきた斜面。
     
D林道から巣場(右側)。 地形図でムジナ沢と林道が接する場所は、実際は林道下を流れが潜っている。 ムジナ沢をそのまま遡上しても奥志賀公園栄線へ行けるが、疲れ気力が無かった。 山頂で食べるはずの秋映だが、激薮の中で食欲が出ずここで・・・。
     
E極野林道の奥志賀公園栄線側ゲート。通年で封鎖のよう。 E全長8.6km。6kmほど伝ったことになる。 E極野林道と奥志賀公園栄線との出合付近のポスト。残り3km。 途中の竣工記念碑。
   
奥志賀公園栄線から巣場(中央右側)。 2℃に冷えても、綺麗に一輪だけ咲いていた。 F出発地点に戻る。 F1台分の余地があるが、舗装路面から段差があり、地上高の低い車は底を擦るだろう。
       
Fカーブの西側に停めた。       




 奥志賀の巣場を狙う。そう聞いても全くピントが合わない人の方が多いだろう。地形図にも載らず、そもそも山の名前らしくないので書いてあっても山と気づかないのではと思う。以前はスキーで狙っている記録が見られたが、それでも残雪期を含め登頂している記録がない場所であった。日本山名事典に掲載されており、どう狙おうかと思案する。

 

 雪を利用するなら、栄村は北野地区がある北東麓からの入山になるが、北野川と天代川とその支流が複雑でどこをどう攻めればいいか判断に迷う。林道が奥まで入っているので、西樽沢川沿いを選ぶのが正解とは思うが、タイミングよく計画しないと、除雪最終端からかなり長い林道歩きになってしまう。それでも残雪期ならこの一択であった。

 

 次に無積雪期の場合は、奥志賀公園栄線から狙うのが最短となる。最短としてもおしっこがちびりそうな志賀高原の藪である。1.6kmほどであるが、ひどく苦労する1.6kmで跳ね返される可能性もある。衛星画像を見ながら各方位から省力出来る場所を探る。探った中では、ほぼ地形図と同等の場所で、描かれていないような林道は無かった。とりあえず奥志賀公園栄線から狙おう。届かなくてもしょうがない試行としよう。

 

 前日は栄村でのキノコ採り2名の遭難がニュースになっていた。このニュースではまだ場所が特定されていなかったので、志賀高原での事故なのかと少し思ったりした。そして巣場と言う名前からは、熊の巣と言う解釈もでき、いろんな意味を含めて緊張感をもって挑むことにした。

 

 1:15家を出る。流れがいいので18号をしばらく走り、更埴から上信越道に乗って信州中野インターで降りる。本当は野沢温泉側からのアプローチが近いのだが、道をよく知っている側の志賀高原側からアプローチする。上州出発は9℃だったが、志賀高原は2℃まで冷え込んでいた。林道上に光る濡れた落ち葉に注意しながら大次郎山側へと進んで行く。深夜帯でも、どんな目的かすれ違う車があった。まあ相手もそう思っているだろう。そして目的地である下り尾根の下降点がある場所に到着する。1台分の余地があるが、水分を含んで地面が緩いのと、舗装路との段差を最低地上高で吸収できなそうなので、西側の路肩に停めて夜明けを待った。ここは携帯が繋がらなかった。

 

 雨は降らなかったが、しっかり夜露を溜めているようであり、雨具を着こみクロロプレンゴムの手袋をし、雨具の腕首には侵入防止のカヤック用のバンドを施す。久しぶりに完全防備である。カーブの場所には標柱があり、奥志賀からの距離が27.6kmと表示してある。もう一つ標柱があり、これは倒れているのだが林班界が書かれていた。これが見えたので、少し道があると期待した。でもでも、林道側からは一切それらしい筋は見えてこない。岩を削って林道を通したような場所で、その岩部を回避するように西側から入山する。

 

 意気揚々と行動開始したが、入ってすぐに笹に掴まってほとんど進まない状況になった。この密藪が続くのなら、意志を強く持たないと目的地まで届かないと思えた。強引に分けて進むのだが、太いの重いのって、跳ね返りが危険なので久しぶりに保護メガネを装着する。西から入ったので、尾根頂部のある東側へと進んで行くと、予想したとおりに道形があった。ただし薄く、その上は強靭なササが覆っていた。分けて進める場所はまだいい方で、跪いて潜って進むような場所もあった。こうなると、在っても無くてもどちらでもいいような道形となっていた。

 

 時速何mなのだろう。カタツムリかナメクジか、そんな進度で分けてゆき、できるだけ薄い場所を選びながら東西に振りながら進んで行く。衛星画像では東側に落ち葉が写り植生が薄いように見えたが、決してそんなことはなかった。それでも好事家は私だけではなく、先駆者が居るようで、途中2本のマーキングが下がっていた。これがあったのが1460m付近で、後にも先にも他に人工物は見られなかった。

 

 何度も撤退しようと考え、頭の中は後ろを向いている中で、体だけが前に進んでいた。“また残雪期に来れば楽じゃない” “こんな苦痛をわざわざしなくても” “キノコ採りの二の舞になったら”などと頭の中は前向きさは一つもなかった。志賀高原を嘗めていたつもりは一つもないが、やはり手ごわく厳しいのを目の当たりにしていた。

 

 1458高点までで、80分も費やしてしまう。三分の一ほどの距離にこれだと、1.6キロ進むのに3時間はかかる計算になる。時速は0.5kmほどであった。何度もザックカバーをはぎ取られ、ザックが引っかかり、時にツタに首を括られ手荒い歓迎を受ける。今戻ればまだ出発地点は近い。でも、来たからには結果は残したいし諦めたくはない。時計を見て、マージンを見て10時までに着かねば諦めようと考えた。

 

 道形は消えたが、時折何となく道形のような筋がある。もしかしたら残雪が長く残り、その場所の植生が薄くなっているのかもしれない。1440mには、大木があった場所に幼木が生え、その北東側に2本の大ぶりなブナが生えていた。あまり特徴のない尾根の中では、このブナの基部が大岩を抱き抱えているので印象的であった。ここまでにもツタは多かったが、この先さらに多くなる。密に蔓延り、分けて進め無くなり高さ3mほどの笹に絡まるツタをストックで押して潰して、その上を踏んで進むような場所も続く。準備段階で、ナガサを持とうと思ったが、本当の準備の時に失念してしまっていた。鎌でも鉈でも、ククリでもナガサでも持って入ったほうがいい場所であった。

 

 相変わらず細い尾根上を左右に振りながら密な場所を回避するように進む。1410m付近でやっと前方側が望めるようになるが、見えたのはわずかな距離間で、再び笹に没するのであった。スタートから北東に進んでいた進路が東に変わる1370m付近、幸いにこの辺りは一帯にしたら植生が薄く、向かう先を見定めるのに助かった。1360mの広い地形も、方角を間違えずに地形に沿って下り勾配を伝って行けた。いくつか気づいたことがある。ブナにクマの爪痕が少ないこと。無いことはないが、新しいものはなかった。そしてこの時期にしてキノコ類が少ないこと。シカの糞はほとんど見なかった。シカ道もない。自然の深い場所でありながら、いくつかの不思議があった。

 

 1340mの鞍部には、東寄りの場所に南北に沢筋が通っており、南から北へと細い流れが見られた。堀切のようなその場所を経て、巣場への最後の登りとなる。1350mの山頂大地に乗ると、再び植生が濃くなり笹の丈も高くなった。ここでは目測4mくらいにも思えた。

 

 巣場山頂。と言っても日本山名事典の座標であり、地形図からは広い一帯が全て1350mなので、実際の山頂はどこになるのかは不明。おそらく残雪期には良く判るのであろう。山名事典は縦100m横250mと読める山頂の真ん中へんで拾ったのだろうと思える。足の親指ほどの太さがあるササが繁茂し、それが密に生えている。圧迫感が強く食事をする気にもなれずに、少しでも樹林間隔のある場所に逃げたくなった。

 

 往路に、もうこの尾根は戻らないことにしようと決めていた。辛くて伝うのが嫌なのだった。こう決めた中での帰路は、北野地区に降りるわけではなく、南に降りて極野林道を使って奥志賀公園栄線に戻る計画とした。等高線の密になった場所もあり注意が必要だが、真南に降りずに、南西に斜行するようにムジナ沢に向かうことにした。ここも相も変わらずササが濃く、薄い場所を求めると流れが通る筋で、そこを伝って行ったら、ストンと切れ落ちた上に出た。失敗。登り返し西にさらに振る。ブナの大木が見える場所を追うように選べば急傾斜地はないだろうと見定め追って進む。そして再び沢筋を見つけ、その中を降りてゆく。沢下りはご法度と言われるが、私の山旅は沢下りがかなり多い。危険のない沢だったら階段を歩くようで歩き易いのだった。

 

 二本目の沢は特に危険個所はなく下れムジナ沢に降り立った。ムジナ沢の流れは強くなく、渡渉も2歩で出来てしまうような幅であった。それでも淵などがあり深い場所もあるので、両岸を使いながら遡行に入る。このまま進めば上側で林道と近接する場所があるはずであり、そこで林道に乗るか、またはこのまま上の奥志賀公園栄線まで突き上げてしまおうか判断することにした。時にジャブジャブと浸かりながら進んで行く。南側の高い位置を見上げながら、林道が見えてこないかと期待していた。そんな中、気を抜いていたわけではないがスリップして沈没してしまう。強い藪で体力が奪われ疲労が隠せないのだった。無理をせず一番安全な林道で戻ろうと判断した。

 

 ムジナ沢を背にして南に獣道を伝って這い上がってゆく。ちょうど無毛の斜面があり、ザレ斜面の中にクライミングウォールのようなホールドのある場所があり使って登る。その上が林道で、這い上がった少し先に3kmポストが見えた。この距離は、最初は上側のゲートからの距離だと思っていたが、進んで行くと数字が増えてゆくので麓側からの距離と判った。そしてムジナ沢と林道が近接する場所の実際は、林道の下をヒューム管で流れを通しており、地形図とは少し違っていた。沢伝いで遡上してきても、ヒューム管を抜けた先は堰堤があり、どうしても一回は林道に乗らねばならなかった。林道に一度乗ってしまったら、普通にこちらを歩く方が楽と思えてしまうだろう。

 

 紅葉を愛でながら、リンゴを齧りながら極野林道を伝ってゆく。本当を言うと、この時は林道名を判っていなかった。奥志賀公園栄線にぶつかって初めて、その入り口にある銘板により名称が判った。「8.6km」の白いポストがあり、極野林道の全長を示していた。ゲート前にはキノコ採りの男性がおり、ゴソゴソと軽トラの荷台を整理していた。あとは奥志賀公園栄線を歩くのみ。こちらのポストは、奥志賀から24.6mとある。残り3km。外気温は9℃でゆっくり歩くには肌寒く歩調を早める。その脇を何台もの大型バイクが通り過ぎる。

 

 大次郎山の東、ここに上がってくるムジナ沢左股は林道への最後が大きく段差があり遡上しても林道に乗れない。これに対し本流となる右俣の方は、緩やかな勾配で容易に林道に乗り上げることができる。元気があればムジナ沢伝いでも進路は良かったことになる。でも伝っていたらヘロヘロであっただろう。そして何度も滑ってびしょ濡れだっただろう。バイクが通過するので路肩に寄って歩いていたら、奇麗な黄色い花が一輪だけ咲いていた。キヌガサギクのようであるが、背丈が非常に低く、それとは別種なのかと思えた。朝の2℃を思うと、健気に頑張って咲いていると思えた。私もこっそりひっそり、この花のように目立たず頑張りたい。

 

 出発地点のカーブに戻る。往路の尾根を戻ったとしたら、こんな時間には戻れなかっただろう。半泣きになってビバークしていたかもしれない。季節が夏でなくてよかった。夏だったら、途中で諦め引き返していただろうと思う。

 

 帰路は野沢温泉を経由し飯山を通って帰る。

 栄村の農林業統計を見ると、そこに植林地としての巣場の文字が見える。現地では広葉樹しか見えなかったが、地形図からは確かに針葉樹のマークが北側に見える。植栽年度は昭和63年から平成2年とあるので、もう30年が経過している。そして40ヘクタールとあるので北側一帯の針葉樹マークが間違いなくそれなのだろう。無積雪期としても北からのアプローチの方が易しかったかもしれない。






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