増尾山        1440m       九竜(和熊山北峰 和熊岳北峰)     1610m                 
       
                                                                                                      
   
ゴトミキ山 (和熊山南峰 和熊岳 佐平次山)       1643.9m

 
 
2020.6.13(土)


  雨     単独     日向畑遺跡より往復      行動時間:4H5M


@駐車場4:14→(2M)→A日向畑遺跡入口4:16→(20M)→B松尾城跡4:36〜44→(51M)→C増尾山5:35→(31M)→D九竜6:06→(23M)→Eゴトミキ山6:29〜34→(20M)→F九竜帰り6:54→(24M)→G増尾山帰り7:18→(36M)→H松尾城跡帰り7:54〜57→(19M)→I日向畑遺跡8:16〜17→(2M)→J駐車場8:19  


   
@史跡に対し4台分の駐車場が用意されている。 A日向畑遺跡入口 僅かに登ると松尾城跡への道標が見られる。 尾根に乗ると、大きな社が見られる。
       
石塁 B松尾城跡。三角点が見つからなかった。 B松尾城跡の社。灯篭は崩壊していた。 巡視路が北から上がってきていた。
     
15番鉄塔脇を通過 1330m付近。やや露岩が多い。 1410m。増尾山の西側の肩。 C1440m増尾山
       
1380m鞍部 D九竜(和熊山北峰)1610m 1610高点の南東側は道形が見えなくなるが、1560m辺りになると薄く現れる。 Eゴトミキ山到着。広く心地いい場所。
       
E三角点は等級が見えないほどに埋まる。大きさからは三等点。 E「御刀御木山」 Eヤキソバパンとずぶ濡れ犬。 E東側から
     
1530m鞍部には赤ペンキ F九竜再び Fよく見たら、この標識が掲げられていた。 F北西尾根に入らぬよう赤ペンキが複数されている。
       
G増尾山帰り これは松尾古城遠見番所となろか。 15番鉄塔帰り 城跡の東側の堀切
       
H松尾城跡帰り。帰りも三角点を探し回ったが・・・出てこず。 社帰り 尾根の北西側に降り、お墓の並ぶお堂の場所も見てゆく。  I日向畑遺跡
       
車道に出る  J駐車場に戻る。     




 打田さんのハイグレード・ハイキング内に「ゴトニキ山」と紹介されている場所。Googleマップの衛星画像では、「佐平次山」と表記してある。また「和熊岳」や「和熊山南峰」と紹介しているサイトもあり、なかでも多いのが「ゴトミキ山」であった。この場所を知ったのは年頭ぐらいで、地形図を眺め計画をしていたのだが、新型コロナの影響で越県が憚れ決行できずにいた。梅雨入りもし暑くもなりだし、だらだらと長い尾根は夏向きではないとは思っていたが、宿題を先延ばしにするのは嫌なので、ここで決行してみることにした。

 
 前日の金曜日、Yahooの天気予想では、土曜日は午前中から雨予報であった。雨雲の動きも見られ、確実性の高い予報に思えた。一方Niftyの予報は、午前中はくもり予報だった。どうしてくもりなのか、誤発表しているか担当者が休みで更新されていないのかと思ったりした。昼以降深夜まで逐一見てもNiftyは「くもり」で予報されており、素人の私でさえ降られると思っている中、頑なにくもり発表しているNiftyのブレない予報も少し期待してみたくなった。どっちなのか・・・。

 
 2時半に家を出る。西上州は雨だった。碓氷バイパスを上がり軽井沢を経て浅間サンラインに入って行く。小諸から東御市に入った辺りから確かに路面は乾いており降っていなかった。ん、Niftyの方が正解を出しているのかとこの時は思えた。菅平に行くように進み、真田町の角間渓谷の案内看板を右折する。交差点から200mほど進むと車道南側に白線が引かれた4台分の駐車場が作られていた。ここはストリートビューで何度も見たが、それには駐車場看板が無い時に撮影したようで、広みは見えるが実際に何処なのか判らずだった。現地にはしっかりした駐車場看板があり安心して停めることができた。松尾城跡・日向畑遺跡用の駐車場であった。

 
 東を見ると、見上げるような位置にゴトミキ山が見える。二つ高みが見えるので、ここからは和熊山(岳)南峰・北峰と言った方が合っている感じであった。空は今にも泣きだしそうで濃いグレーの雲が一帯を覆っていた。駐車場脇の水路は強い流れで、水流の音は角間川より強く感じられた。強い雨になったら適当な場所で戻るつもりでいた。4:14駐車場を出発する。

 
 角間橋を渡った先に日向畑遺跡があり、登路入り口に行政の白い標柱が立っている。そこからの道は少し細く、最初のターンの場所に「松尾城跡」の登り口道標が立っている。日向畑遺跡の場所からは、やや鬱蒼としている西側に進み、取水施設の鉄板の上を跨いだ先からは明瞭な道形を追うことができる。尾根に乗った場所には石仏が立っていた。その西側眼下にはお墓が並び、大きなお堂が見える。参詣は帰りにすることにして尾根を登りだす。

 
 尾根に乗ってすぐに大きな社が現れる。この辺りは尾根の北側を通らせるようにタイガーロープが導いている。露岩があり尾根上が通り辛いところがあるので、何か所か巻くように登って行く。すると今度は石塁が現れる。佐久の鉄平石ほどではないが、薄い石を選んで積み重ねられていた。城址に向かう雰囲気が徐々に増して行く。アカマツが林立している雰囲気も城にマッチするようだった。

 
 松尾城跡到着。平らな地形の周囲を西を除いて石塁が取り囲んでいる。解説板も設置されており、軽く学ぶこともできる。東と南に各1基の祠があり、各々に挨拶してから先に進む。進む前によくよく三角点を探したのだが、見つからなかった。帰りに再び探すことにする。城址の東側に堀切があり、これを見ると山城の雰囲気となった。石塁が取り巻いている感じは、八重山諸島に見る御嶽(うたき)のようで山城らしくないように感じられ、堀切を見て初めて山城と思えた。

 
 城址から東へ登って行くと、巡視路道標の立つ場所があり、北側から巡視路が上がってきていた。少し東へ進むと南へ進む巡視路もあり、これらの道標から南に立つ送電線鉄塔は15番鉄塔と判る。その鉄塔の南を通過し、そのすぐ先はゴーロのようで足場が良くない。さらにサンショウがちらほら生え、分けて進むにもトゲの洗礼を受けた。

 
 尾根上は樹林帯の中となり、この頃から雨が降り出してきた。新緑が覆うのでほとんど濡れずに歩けており、まだ雨具を着るほどではなかった。尾根上にやや露岩が多くなると、1370mの高みにはここにも石塁が見られた。事前学習からは、Googleマップに読める松尾古城遠見番所となろう。炭焼き窯の壊れたもののようにも見えるが、離島の山頂に残るトーチカのような要塞の雰囲気のある場所であった。歩き易い緩斜面の連続で、一本尾根の上に直線的な踏み跡となっていて、樹林帯の中にしては見通しがいい。

 
 1410m付近にテープがたくさん巻かれた場所があり、最初ここが増尾山なのかと思ったが、さらに進むと高みがあり、ここが1440mの増尾山であり、その先は下りになっていた。この付近から向かう先の九竜やゴトミキ山が木々の間から見えるようになる。この増尾山には山名板は無かった。雨は強くなるばかりで、あとはいつどこで雨具を着るかだけであった。着れば暑いのは判っているし、着なければ濡れ続ける。損益分岐点を探しているのであった。使い込んでいるザックは既にだいぶ水を吸っているようであった。だんだんとガスも濃くなってきており、この時間になると間違いなくYahooの予報が正解と判断できた。

 
 標高差60mを下り230mの登り返しで、ここでの登りが一番辛かった。雨が強くなりウエイポイントとしていた次のピークの九竜へと気持ちが急いでいた。先を歩く迷犬は、ここまでボトボトと降る中は歩いたことがないので、”いいのかこんな状況で”と言った感じで、少し登っては後ろを歩く私を何度も見返してきた。体に纏った雨をブルブルさせて払う所作が繰り返される。尾根が広くなる場所は、これまでに対しやや踏み跡が薄くなっていた。

 
 1610高点の西側には、二本の木に赤ペンキで矢印がされていた。帰路に北尾根に入り込まぬようにとの配慮からだろう。九竜には何かしらの標識があると思ったが、往路は何も目に入らなかった。それよりも雨具を着るのを急いでおり、それどころではなかったのかもしれない。ここまで来ればもう、大雨だからと引き返すことは無く最終目的地を狙ってゆく。

 
 九竜の東側は、道形が乏しく、1550m付近まで降りると細い筋が見えだす。1530mの鞍部には、ここにも矢印がペンキで書かれていた。尾根の北側斜面にはシダ類が多く、群生のそれら新緑で奇麗であった。最後の登りとなる。ここも上の方へ行くに連れて道形が薄くなり、あやふやな踏み跡を辿るような感じで高みに乗り上げた。

 
 ゴトミキ山到着。漢字で「御刀御木山」と書かれた山名板が待っていた。三角点は天面を見せるだけで深く埋もれている。山頂部は広く、視界が無いものの居心地がいい。大雨の中でもそう思ったので、晴れていれば休憩適地であろう。東の上信国境にある奥和熊山に対する和熊山になるが、ここにその表記は見られなかった。迷犬とヤキソバパンを分かち合ってから山頂を後にする。ちょっとだけ南の岩屋観音へと降りてみようかと思ったが、強い雨でありギャンブルはしないことにした。

 
 北(北西)に降りて行くのだが、尾根が広いのでガスがかかったこの日のような時は注意が必要。こんな時は鬼に金棒、鼻の利く相棒は忠実に往路のラインを辿り戻って行く。最大、人間の1億倍の臭覚を持つとされている。申し訳ないと思うのは、その迷犬にここの笹原でかなりのダニをつけてしまうことが予想できることだった。酷いササ漕ぎの場所ではないが、南峰と北峰の間は笹にずっと触れて歩かねばならないので、間違いなく付けてしまうだろうと思えた。彼はこちらの心配を知らないまま先を分け進んでいた。

 
 九竜に戻ると、立ち木に「和熊岳」と書かれた板が木ネジで縫われていた。これを見ると、名前もそうであるが位置に対しても混雑しているように思えた。和熊岳北峰ではなく和熊岳。ここで、着いたと思って引き返す人はいないだろうか。このルートは1643.9高点まで進んで価値があると思う。ここを和熊岳とした場合は、1643.9高点峰はゴトミキ山もしくは佐平次山とならないと変になる。雨は弱まる気配が全くなく、迷犬のブルブルと水気を飛ばす頻度がさらに増えていた。

 
 復路に1610高点に山名板を見出したことから、1440高点にも在るんじゃないかとよく探したが、それらしいものは無く、もっと言うと人工物は皆無であった。直線的な尾根を先の方を見通しながら降りて行く。相変わらず前を行く迷犬は頻繁に立ち止まって後ろを見る。何かをアピールしているのだろうけど、それを読み取れない飼い主なのだった。シカやイノシシを見つけ立ち止まることがあり、都度何か居るのかとドキッとさせられるのだった。

 
 遠見番所の石塁を越えて降りて行く。その先の送電線鉄塔からはビー玉のような大きさの雨垂れがボトボトと落ちてきていた。雨と文句を言っているようだが、洗われた新緑がとても美しく心地いい。梅雨時期の山歩きが一番好きかもしれない。春ゼミだろう、小さな個体が通過に伴いジジッと鳴きながら飛び立ってゆく。この尾根は雨でなかったら賑やかな声が聞こえたはずである。鉄塔の先、1170m付近からは、西へと進まねばならないところを南に降りてしまっていた。続いていた踏み跡が見えなくなったのでルートミスに気が付き、北へと修正する。

 
 松尾城跡に戻り、再度三角点を探す。倒木などで下敷きになっているのか、四辺を守る石を探しつつ、松葉の堆積する中を足でまさぐる。地形図に読める在るだろう場所に見えてこなかった。周囲の石塁からもそうだが、何せ石が多く見間違えるものが多すぎるのだった。5分ほど探して諦める。

 
 社を経て、尾根に乗った場所の西側にあるお堂をお参りする。読める表記は周囲の墓石の刻みだけで、お堂情報は判らなかった。日向畑遺跡に戻り車道に出る。東に角間地区の集落があるので、割と車通りのある道路であった。田舎道と思っていると、見通しのいい広い道なので、ビュンと通り過ぎてゆくのだった。

 
 駐車場に戻り、ずぶ濡れでありパンツまで替えようと思ったが、頻繁に車が通るのでそれが出来ず、濡れた上に我慢してズボンを履き、やや不快なまま帰路に就くのだった。

 
 振り返る。とても歩き易いコースであった。九竜とゴトミキ山だけだったら、北の和熊川よりの林道からでもアプローチできるだろう。今回の尾根をあと3時間ほど伝えば県境まで行けるように思うが、どんどんササの植生が強くなり、頭で思うより大変なルートかもしれない。アップダウンの連続であり、角間川源頭地形は複雑であり、それが為にルートをつけられなかったのだろう。公的な駐車場があり、安心して登行出来る場所であった。








 
 
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