袴腰山        758.6m                                                                                                                                                  

 
 
2020.3.21(土)


  晴れ     単独      山浦バス停より往復     行動時間:1H1M


@山浦バス停6:16→(21M)→A山道入口6:37→(3M)→B袴腰山6:40〜6:53→(3M)→C山道入口帰り6:56→(21M)→D戻る7:17


   
@山浦バス停のスペースは広く駐車適地。ただ車両の回転場でもあるだろう。 @バス停前からの林道入口。 舗装林道を押し出しが覆い、車の通行は出来ない。 崩落した林道が上にあり、ここからの土砂で下側の林道が埋まっている。
       
A林道からの袴腰山への入口。 A展望台表記がある。 B袴腰山。山頂部は真っ平。北側から。 B四等点
     
B展望台のようであるが、麓側の木々が茂り、麓側の景色は観られなくなっている。 B南側から見る山頂。 B石像と石碑が北側に立っている。 Bヤキソバパンと
       
B西側に共同アンテナ。ケーブルは東側から引かれていたので西浦地区のものだろう。 西側山腹を巻く山道。 C舗装林道に戻る。車の通行が出来れば、この場所に2台の駐車スペースがある。 昔の山道を伝うが、棘が繁茂しているので通らない方が無難。
       
D山浦バス停に戻る。 Dバス停前は千曲小学校




 ここはJJ氏が家族で登っており、頭の片隅に場所を記憶していた。車を使うと簡単に登れてしまうので、麓から歩けば登頂感が得られると思い、林道の入口でもある山浦バス停から歩くこととした。

 
 18号は碓氷バイパスを経て軽井沢に入ると、外気温はマイナス4℃を示していた。春めいてきているが、まだまだ信州は冬の装いだった。懐古園側から中棚鉱泉前を通って千曲川左岸に行く。千曲小学校の西側には広いスペースがあり、その北側にバス停と待合所があった。ここからは舗装林道が袴腰山側へと上がっている。少し偵察にと考えなくは無かったが、この時に行動しなくて正解であった。

 
 6:16迷犬と歩き出す。廃墟が左に見え、道向かいの反対側には墓地がある。時節柄のお供えされた真新しい生花が美しい。先に進むと大きな墓石が見え、耳取城の城主だった掛川家の墓地と書いてあった。高度を上げて行き、ヘヤピンカーブの二つ目を過ぎると大量の土砂の押し出しがあり、ここから先は車では進めないようになっていた。おそらくは、間違いなく2019年の19号台風の被害だろう。でも、退かせば通れると思うが土砂を退かしてないのが判らなかった。

 
 3つ目のカーブを過ぎると、先ほどの答えがあった。上側の車道幅が半分崩落していた。一応これ以上流出しないようブルーシートがされている。先ほどの押し出しをそのままにしているのは、ここのためのバリケードなのだった。崩落個所は一か所でなく、その先でも同じようにブルーシートで養生されている斜面が見られた。簡単に登れる袴腰山であったが、19号の影響で麓から登る山らしい場所になっているのだった。

 
 袴腰山の南で、林道が尾根を乗越す場所には「袴腰展望台入口」と書かれた大きな標識が立っている。併せて狼煙台だったと解説がされていた。山道の入り口には2台分ほどのスペースがある。山道は西側を巻き込むように切られ、最後は山頂大地の北側に西から登るようになっていた。南から直登する道形も見られるが、倒木がそこを塞いだままになっていた。

 
 袴腰山登頂。見事に平らな山頂で、管理されているようで刈払い機で草を刈った痕が見られる。その草の中に小さな四等点が見られ、国土地理院の標柱は無いので、草が繁茂した時はみつけづらいだろうと思えた。山頂の北側には石碑と石像があり、石碑には奉賛者の名前が彫られ、石像は古いのかと思ったら明治34年作とまだ新しいものであった。展望地とあったので期待したが、山腹の木々が千曲川側の視界を遮り、懐古園が何処にあるのかさえも判らないほどであった。浅間山の山腹は見えるものの、小諸市街を俯瞰することはまずできない。塞いでいるのは冬でも葉を落とさない針葉樹なのだった。

 
 朝飯となるヤキソバパンを迷犬と分かち合い山頂を後にする。山頂の西側には共同アンテナが設置してあり、ケーブルは西浦地区側から引かれていた。展望台入り口に戻り登ってきた舗装路を降りてゆくのだが、よく見ると右側の斜面の中に昔道が見られた。せっかくなので伝ってみることにした。がしかし、入ってすぐに後悔した。棘が蔓延り歩き辛いのだった。下側に行くと倒木もあり、誰も伝わなくなって長く経過しているのが判る。なんとか舗装林道に降り立つが、歩き辛い鬱陶しさから解放されホッとしたのは言うまでもない。

 
 車が上がってこないことが判っているので、楽な気持ちで舗装林道を伝えるのが幸いだった。帰りにも掛川家の祖先之記を読ませてもらい、この地に名士が居たことを知る。降りながら各墓石を見ると、親戚親族なのだろう掛川家の墓石がいくつか見られた。山浦バス停に戻る。新型コロナの影響もあるだろう、千曲小学校には児童の姿は無かった。そもそもの児童数が少ないこともあるだろう。この場所にしては大きな校舎が印象的であった。

 
 振り返る。何もなければ数分でアプローチできる公園山のような場所であるが、台風被害により30分は歩ける場所となっている。そこそこの登頂感を抱けることとなっている。そして忘れてはいけないが、山頂にある石仏が美人である。自然石からの浮き出し方が魅惑的で美的な細工であった。






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