カイト山 (白板山) 1342.9m
2020.2.29(土)
晴れ 単独 白井関所跡から旧十石街道を往復。 行動時間:3H56M
@白井地区休憩所前6:10→(2M)→A水上神社6:12→(35M)→B渡渉点6:47→(31M)→C林道矢弓沢線に出る7:18→(24M)→D雨量計7:42→(2M)→E石仏の並ぶカイト山入山口7:44→(15M)→F林道矢弓沢線起点より6.6km地点で引き返す7:59→(6M)→G南尾根西側取付き8:05→(21M)→Hカイト山8:26〜33→(17M)→Iカイト山入山口帰り8:50→(18M)→J旧十石街道入口9:08→(58M)→K白井駐車場10:06
@白井地区の休憩舎。駐車スペースは、どう停めるのが正解なのかよく判らない。 | @白井地区の案内図 | 旧十石街道への最初の分岐。道標は無い。 | A水上神社は帰りに立ち寄る。 |
土嚢が積んであるのかと思ったら、白い自然石だった。 | 切通 | 石仏は落ち葉に隠れ気にしていないと判らない。 | 下側に林道が近接している。 |
深い場所は400mmほど落ち葉が堆積している。 | B渡渉点を渡った後。 | Bここを渡るようだが、段差が大きくなっており、ずり落ちて這い上がる感じ。 | 右岸側の小尾根の切通。 |
堰堤下の左岸で、距離20mくらい崩れてしまっている。右岸側に移って通過したが、結構大変。 | 右岸側から見る左岸の崩落場所。 | 左岸側の道形に戻る | 林道に出る手前で、上の林道が崩れた為に下の旧道が通過し辛くなっている。夥しい倒木。 |
C林道に出る。 | 19号台風の崩落場所の起点。 | カーブの場所が崩れ、総重量100tほどの土砂が動いたように見える。 | 崩落場所の下側。下側は旧十石街道。 |
残雪にビブラムソールパターンが残っていた。 | D三岐雨量計 | E石仏の並ぶ場所。この北東側の山道を入るのが一般的なカイト山の目指し方。 | F林道矢弓沢線起点より6.6km地点。ここで引き返す。西からのアプローチを狙ったが・・・。 |
南西に取り付き用の梯子があるが、その上の道形は消滅。 | Gカイト山の南尾根は、西側からも取付くことが出来る。道標は無くコンクリート階段がある。 | 旧十石街道が尾根を乗越す場所に石仏がある。天保十一年と彫られている。 | 南尾根の様子。道形は無いが下草が無く歩き易い。 |
西の手前峰から | 直下。この先はリッジ。 | Hカイト山山頂。南北は切れ落ちている。 | H三等点 |
H山名板はあるが文字表記は無くなっている。 | H北側 | H東側 | H南東側 |
H南西側 | Hヤキソバパンと | H南眼下に矢弓沢線 | Hリッジ尾根を戻る |
カイト山の西側峰からは、西尾根にマーキングが続いていた。 | 天保十一年の石仏の場所。 | I林道に出る | I林道から旧道への入口。伝うと途中はイバラの濃い場所がある。 |
I石仏の並ぶ中で、一番西は木彫仕様。 | 崩落地帰り | J旧十石街道への入口。道標無し。 | 堰堤下の崩落地手前。帰路は高巻きしたが、足場がかなり緩い。 |
渡渉点帰り。見える中央あたりで、迷犬は踏み外して滑落した。 | 水上神社 | 水上神社の奥社はコンクリートブロックで囲われている特異仕様。 | K白井地区に戻る。 |
カイト山は地形図にも山名事典にも記載がなく、未踏になっていた。山名からは凧山なのかと訳したくなるが、そこは上野村でありアイヌ語のような地名もあるエリア。麓の集落は白井地区しかなく、住まいする方にその意味を聞いてみたいと思った。
アプローチには、国道299が伝えれば早いが、まだ冬季中で車での通過は不可。また、矢弓沢線を車で登ればいいが、ここは前年度の19号台風の影響で依然として不通が続いていた。車やバイクが上がってこないことは非常に嬉しいが、不通箇所がどのようになっているかも気になった。万場の栗木平から先のように、完全に抜け落ち通れないとなると犬連れだとリスクが大きい。こうなると、旧十石街道を歩いた方がまだリスクは少ないのではないかと思えた。それが実際は・・・。
毎週のように上野村に通って入るが、夜明け時間が日に日に早くなってきているので、出発時間は少しずつ早めている。5時15分頃に南牧村は桧沢を通ると、この日もトラオさんのパン工房は赤々と炎が見え既に作業の巡航温度に達しているだろうことが見えた。湯の沢トンネルを潜って上野村に入り、川の駅手前を小海側へと折れてゆく。1kmほど進むと、右側に白井の関所への道標が現れ折れて進む。
白井地区に着くのだが、休憩所前の路上には車が3台縦列駐車されていた。広い袋地形の場所であるが、このほかにどこに停めていいのかが判らなかった。少し傾斜していることもあり、住まいしているお宅の入り口もあり、正解が判らず駐車余地を探しに一度124号に降りてしまう。川の駅からスタートした方がスマートかもしれないと思えたが、帰りに白井の関所を見学したいと思っていたので、よくよく考え再度登って行く。
休憩所の案内看板(絵図)を見ると、休憩所の南側が駐車場と書いてある。そこは縦列駐車されていてスペースがなく、西の「御判形」と言う史跡の前に1台停まっていたので、そこに並べるように停めた。誰か住人に駐車の可否を聞きたかったが、煙突から煙が出ているのが見えるお宅はあったが、人の気配は無かった。多分大丈夫だろうと思うことにした。村落内の通路が集まるのが駐車場の広みで、出入りに邪魔にならない場所がどこなのか難しいのだった。
旧十石街道への道標は駐車場には無く、休憩所前の絵図が唯一の進路を示すものであった。現地地形を絵図と見比べ、6時10分行動開始。西に緩やかにカーブする道を登って行くと最初の分岐があるが、ここにも道標は無い。が、絵図の表記からはここを左に入るのが正解。半信半疑で進むと、右手に鳥居が見えてくる。水上神社となるだろうから進路はこれで合っていることが判る。
神社から先は、道の中央に側溝が埋設してあり、その蓋をしばらく踏んで進むような場所となっていた。山水を引いているのか黒い導水管も見える。それが途中にある水栓の場所に繋がっていた。街道途中の変な場所に水栓があり、なぜにこんな場所に繋がっているのだろうと思えたのだが、気にして歩いてゆくとバルブがいくつも見られたので、特異な結線方法には管理上の意味があるようであった。進む先に白い土嚢が見えてくる。ここも19号台風の影響なのかと瞬時に思ったが、近づいてみると白い自然石での通過点であった。
白井地区からしばらくは道の状態は平坦で歩き易い。それが切通付近から落ち葉の堆積が多くなり道の上を覆うようになる。山と高原地図に読める石仏があるはずで、気にして探していた。切通の先、4分ほど歩いた右側の小さな窪みにそれを発見する。全体の三分の二くらいは落ち葉に埋もれており、顔が出ていたから判ったが、あと60mmほど多く堆積していたら、全く気が付かずに通過しただろうと思えた。
石仏の先で一帯が伐採現場となり、そこに矢弓沢線から新たな作業道が上がってきていた。ここでの作業は間伐のようであった。ここから10分ほど進むと、今回のコースで一番落ち葉の深い場所が現れる。深いところでは400mmほど堆積しているようで、先行する迷犬は泳いでいるかのように見えていた。残雪ではなく軽い落ち葉ではあるが、足を抜き刺して進まないと負荷となり、ここでの長靴の中に入り込む落ち葉の量は尋常ではなかった。
左岸を伝い続けている中で、進路の先が二股となり、導水管が左岸と中州地形へと渡っていた。左岸の道はその先で消滅している。導水管はC型チェンネルで補強されているが、人が乗って進めるような構造にはなっていない。何処が渡渉点なのだろうとしばらく探すも判らなかった。多分ここも19号で大きく削られた場所なのだろう。左岸から1.5mほどズリ下り、沢を渡って中州尾根に這い上がる。この中州の小尾根に九十九折の道が上がっておりクネクネと折れながら登って行く。
道が続いているのでホッとしたのもつかの間、向かう先に堰堤が見えてきた場所で、その下流側左岸で道が消滅していた。対岸に渡るのか高巻きなのか、どう進めばいいのか辺りを見回すも、それらしい踏み跡は一切ない。犬が居なければ左岸の高巻きをするが、居るために渡渉を入れて右岸を伝ってみることにした。渡渉した後に左岸を振り返ると、堰堤の辺りに道形が見え、20mくらい道が消失してしまったのが判った。こうなると一般的には伝うことが困難だろう。先ほどの渡渉点とここで、公道とするならば一般的には不通状態と判断となろう。
植林地内の九十九折を登って行くと平坦な地形に乗る。向かう先に堰堤が見え、その手前の場所には夥しい倒木が折り重なっている。続いてきた道形もどうなっているのか判らなくなった。柔らかい土砂を乗り越え進むのだが、何とか堰堤を左岸から乗り越えられたからいいものを、ここで越えられなかったら目も当てられなかった。その越えた先が林道であった。
林道に乗ると、アスファルトの上に角の立っている石がごろごろしていた。これにより下側で車を停めているだろうことが予想できた。上に向かって歩いてゆくと、路肩が崩れている場所が見られ、そこに「令和元年台風19号災害起点」と書かれた真新しい杭が打たれていた。その先1分ほどにカーブがあるが、ここが大きく抜け落ちていた。カーブなので道幅が広い場所で、山手側の路肩の縁石が残るだけで、深く大きく抜け落ちており、先ほど旧道で見た土砂はここからのものであった。
旧道から新道に出ての危険個所は今ほどの崩落地だけであった。くねくねと進む舗装路に沿ってゆくと、送電線下の日陰に残雪があり、見ると真新しいビブラムソールが往復しているのが確認できた。不通状態ほど好事家の登山欲は強くなるのかもしれない。車が上がってこないのが判っているので、気を遣わずに歩けるのはとてもよかった。
雨量計を見ると、以前通過したときの記憶が蘇ってきた。そしてその雨量計から2分ほど進むと、カーブの場所に石仏が三体と、木彫された木仏が一体立っている。ここから北東に入って行く枝道があり、これがカイト山へアプローチするの旧十石街道のようであるが、変化をつけて西からアプローチしようと考えているのでさらに奥へと足を進めてゆく。南尾根を右にすると、朝日を受け無くなり途端に日陰で寒くなる。とそこへ信州側からオレンジ色の軽トラが1台やってきた。見るからに猟師で、犬連れのこちらがどう見えるのか挨拶もせず怪訝な表情をされていた。挨拶をすれば向かう先の不通情報を伝えたのだが、迷犬を横に寄せ無言で通過を見送る。車は来ないと思っていたが、来るのであった。高崎ナンバーであったので、十石峠を経てと考えるより、299号を伝ってきていると考える方が無難。と言うことは冬季でも天望山東まで上がれてしまうのか・・・。
カイト山の西側で、林道から這い上がれるよう梯子が造ってある場所があった。人間だけなら登れるが、犬は無理だった。あとは擁壁が続き登れそうな場所は乏しい。それらが切れているような場所を探しながら西進してゆく。しかし行けども行けども取り付けそうな場所が無い。そんな中、1298高点南で林道矢弓沢線の大きな看板が現れた。とそこで迷犬の行動が停まり、緊張しながら西側を凝視している。見ると大きなカモシカが林道上に居てこちらを向いていた。友達でも居るようにお互い見ていたのかもしれない。看板の表示内容を見ると、ここが起点から6.3kmの場所らしい。西進はここまでで引き返すことにした。カメラを出していると、そこに先ほどの軽トラが戻ってきて通り過ぎた。
持上げたリンゴを迷犬と分かち合いながら戻って行く。南尾根を林道が巻き込む手前の西側にも、尾根への取り付き点があった。擁壁の所にコンクリートの階段路が切られており、やや狭いステップであるが伝うことができる。途中から水平路になり巻き込むように進んで行くと道幅が広くなり、そこに一体の石仏が待っていた。よく見ると天保十一年と刻まれている。石仏の後ろには薄い踏み跡が登っており伝って進む。
尾根が広くなると道形もなくなるが、下草のない一本尾根なので迷いようがない。東側の展望が良く両神のゴツゴツした山容でそことすぐに分かった。突き上げたピークには赤い絶縁テープが巻かれ、これは西側へと続いて降りて行っていた。先ほどもう少し我慢して進み、1258高点西側あたりから取り付けたのかもしれない。東を見るとカイト山の最高所がある。全て岩で構成されており、怖いもの知らずの迷犬なので、危なっかしくてこちらが見ていられなくなるのでリードを繋いで通過させてゆく。東西に長く南北は切れ落ちている。風が強ければ難易度が変わってくる場所であった。
カイト山登頂。三角点がその場所を示し、航空撮影用の木材も見られる。金属の山名板もあるのだが、表示は完全に消えてしまっていた。それにしても展望がいい。360度に対し展望が得られ遮るものは無い。南側眼下には先ほど伝って来た舗装林道が見下ろせる。下から見上げたが、別名の白板山と言うほどにはこの岩壁は白くなかった。ただし、旧十石街道には白い岩が多く、昔はここも白かったと言う事なのだろう。あとは太陽の位置で白く見える季節もあるのだろう。ヤキソバパンを分かち合い、山頂を後にする。
南尾根を下るのだが、この勾配が好きなのか迷犬は駆け下って行き、遅れまいと駆け足で後を追ってゆく。石仏の場所まで戻ったら東へと降りてゆく旧道の道形を追ってゆく。しかし、そこはあまり伝われていないのか、イバラが酷く進めなく。少し西に登り返して南側の縁を東へと降りてゆく。しかしここも最後が舗装林道へと降りられず、北に登り返して北を向く旧道を伝う。イバラの区間は限られ、ここから先は被害に遭うことは無く矢弓沢線の石仏の並ぶ場所に出られた。
さて帰路を考える。旧十石街道の障害ポイントは往路に経験した3か所。またその場所を工夫して通過せねばならないか、もう一方は淡々と舗装林道を伝うかである。常々周回路を工夫することからは、今回は舗装林道を下る選択になるが、淡々と進むより少しチェレンジングに歩いた方が面白いと判断し、帰路もう一度旧十石街道を伝う事とした。二度目の通過なら、障害点でもっといい通過の仕方が見えてくるんじゃないかと・・・。
石仏の場所から下ること15分ほどで大崩落地の場所となる。気を付けつつ縁を歩くのだが、興味津々の迷犬は崩れそうな縁に乗り谷を覗き込むようにしている。自然な習性なんだろう。見ている方が怖い。次のカーブの場所が旧道の入り口で、道標が無く往路に通過したから判るが、初めてだったら判らなかったかもしれない。地形図を見て、ここと判断していなかったら、完全に見過ごしてしまうような少し荒れた地形がこの時であった。
旧道に入ってすぐに崩落地からの堆積地がある。下りであり体重を乗せながら降りてゆくので、砂地を降りてゆくかのように足が潜る。少し堰堤に沿うよう土砂の尾根を伝うと幾分か伝いやすかった。まず一つ目クリアー。問題は二つ目の場所。10分ほど進むと堰堤上となり、左岸の進路は抜け落ちているのか見える。往路は右岸の通過だったが、今回は左岸の高巻きをしてみる。流れる足場に踏ん張りながら通過してゆくが、さらに上を高巻いている迷犬は斜度の強さにクンクンと悲鳴を発しだした。助けに行き少しづずつ進ませるのだが、安全な場所などは無いのだから危険を孕みながら通過してゆかねばならない。崩落地が終わっても急峻過ぎて降りられない迷犬に、見本を見せるようにずり落ちてゆく。四つん這いのグリセードで後から追ってきた。二つ目の障害クリアー。
九十九折りて小尾根を下ると渡渉点が見えてくる。やはり渡れる場所は一択で、渡る沢の右岸にバルブがある辺りだろう。その左岸には道形の切れている終点地がある。復路も迷犬は深い水深の場所をジャバジャバと通過していた。そして左岸では道形までの高低差を上がれず、持上げつつ乗せてあげる。体重32kgは結構大変だった。左岸に乗ったら一安心と思っていたら、5mほど進んだ場所で落ち葉の堆積で地形が無いのが判らなかったようで、迷犬は踏み外し沢に滑落した。ヤバいと思ったが、その下の沢は岩ではなく落ち葉が堆積しておりマットのように受け止めてもらえた。32kgの重量挙げのやり直しとなり、再度沢に降りて迷犬を持上げる。細い道幅の場所が20mほど続くので、伝う様子を注視する。落ちる場所が悪ければ下は岩盤の場所もあった。それでもこれで3か所の障害は全てクリアーで、あとは危険個所は無い。
落ち葉の堆積の中をかき分け戻って行く。天気がいいので誰か散策に来るかもと思ったが、今日の好事家は私らだけだったようで人の気配は無かった。最後に水上神社に寄って参拝してゆく。奥社がブロック構造で、その理由は山の斜面を背にしているためだろうことが見えた。雪や土砂対策なのだろう。無事戻れたことを挨拶する。
駐車場に戻ると、4名の地域の人がいて次々に声をかけてくれる。皆気さくな人で、田舎の人の人の好さが滲み出ている感じであった。カイト山の名前を出すと、知らない人はおらずみんな話にピントを合わせてきた。そこで山名の由来を聞くも答えは得られなかった。その代わりに、白井の関所跡の場所は教えていただき、着替えてから白井地区の散策となった。部外者が珍しいのか、人懐こい方ばかりで、会う人会う人みな優しい人であった。
振り返る。矢弓沢林道は、当分不通のままだろうことを考えると、麓側から歩いてのアプローチしかない。旧十石街道の崩落個所もすぐには直せないだろう。途中で軽トラが現れたことから推測する、国道299経由ってのが今伝える最短路となるのだろう。その場合も、石仏が並ぶ場所からは北東への山道に入らず、西側に進んで階段路を上がったほうがスマートにアプローチできる。ただし、登山対象としては距離が短すぎるので、楢原とか白井から登るのが適当になる。山頂からのあの展望のある場所であり、少し苦労して負荷を感じてアプローチすると、より登頂感が増す場所になろう。その場合も旧道がお勧めだが、崩落場所は小型重機でも入れられれば修繕は速いだろうけど、入れられない場所であり直すにも手作業だろう。それも白井地区のお年寄りの有志がやるってことでもあろう。そこまで思うとしばらく現状のままだろう。