カラカラ山 925.2m 熊倉山 896.2m
2020.4.4(土)
晴れ 単独 林道芳の元線に絡ませ周回 行動時間:3H39M
@標高510m枝林道入口5:36→(51M)→A標高840m峠6:27→(14M)→Bカラカラ山6:41〜47→(18M)→C炮烙峠7:05→(26M)→D熊倉山7:31〜37→(21M)→E810m作業小屋7:58→(20M)→F新しい林道に降り立つ8:18→(33M)→G芳の元線に乗る8:51→(24M)→H戻る9:15
@標高510mの枝林道入口。舗装路を跨いで麓側へも道がある。 | @平成7年度の整備事業看板 | 600m付近。南進が東進に変わると平たん路になる。 | 平成12年の改良事業銘板 |
640m付近の分岐マーキング | 分岐してゆく道 | 550mから560mの地形に畑の跡地がある。これ以上に耕地は無い。 | 平成10年度の改良事業銘板 |
610m付近から見るカラカラ山。 | 790mの地形図に載る分岐点。炮烙峠側へは舗装されている。 | 810m付近の分岐。左側を選ぶ。 | A840mの峠 |
A峠から北東進開始。 | 870m付近の尾根の広がった場所。 | Bカラカラ山。 | B綺麗な白みかげの四等点。 |
B久しぶりに見る「だんだら棒」。 | B本日の最高所でヤキソバパン。 | Bカラカラ山の東側の高み。 | 910m峰西にアンテナ設備。 |
屈曲点となる910m峰の最高所。 | 掘れた道形 | 尾根上を通る林道幅に乗る。 | 奈良山線に出る。 |
C炮烙峠 | C炮烙峠の手書き標識。 | C藤岡市設置の絵図。藤岡側は奈良山線。 | C甘楽町側は芳の元線。 |
896高点峰南から西側が開けてくる。 | 896高点から北西の展望。 | 896高点の北東鞍部から甘楽町側へ道が降りている。右の林道は地形図未掲載の道。 | 平成19年の改良事業銘板。 |
870m付近のゲート跡。 | 市町界の尾根の頂部を林道が通る。 | 900m峰南で林道は西側に降りだす。 | 林道は下り路と判ったので、900m峰へ這い上がる。 |
900m峰通過中。 | D熊倉山。ひっかけたのか、ひっかかった「かかり木」なのか、刃物跡の残る木がこのように在る。 | Dすかいさん関の標識が唯一。 | D植林された木の根元近くに三角点が埋まる。 |
D三等点 | D河内晩柑で水分補給 | 尾根の東側の道形(実線路) | 尾根上の林道幅に戻り西側へと降りてゆく。 |
E810m付近の小屋 | E小屋内部 | 790m付近。900m峰からの北西尾根辺りで道形は消滅。 | 700m付近で林道幅の道形に出合う。破線路の末端付近。 |
道形を追うと擁壁の途中で行き止まり。ここから擁壁の際を下側へと降りてゆく。 | F擁壁工事の棚地形への通路があり、これにより林道に降り立てた。 | 林道は押し出しが酷く車の通過は不可。 | 水線が描かれている一番東側の谷。広範囲に押し出されている。 |
そして大きく抉れている。 | 水線が読める真ん中の谷。ここも同様。 | 階段が設置された場所も見られる。 | 水線が書かれている一番西の谷は夥しい量の木が堆積。 |
何処も同じように谷側は抜け落ちている。 | 738.7高点の北西位置で大きく地滑りしている。 | 地質が緩いようで広範囲に続く。 | こちらに19号災害の終点と打たれている。西側が終点で東側が始点。 |
G炮烙峠に通じる舗装路に出る。 | G「林道 草喰八丁河原線」と書かれた標柱が立つ。 | 610m付近のカラー舗装された階段歩道。 | 右の小屋は堆肥置き場 |
Hスタート地点に戻る。 | 大石橋の架かる林道芳の元線入口に出る。 | 「秋畑マス池」の看板が目印。 |
カラカラ山の存在を知ってしまってからは、もう登らずにはおれなくなった。カチカチ山のような耳心地で、なぜに「カラカラ」なのだろうと好奇心が湧く。藤岡市と甘楽町の市町堺にあり、どちらからでもアプローチできるようだ。スッキリとしているのは南麓の名無村か奈良山からのアプローチで、反対の北麓は地図を見ると目が回りそうなほどに道が記入されている。ここほどに混雑している地図をあまり見ないが、道が存在しても地形図には記載していない場所も多い中、よくぞここまで記載したと思える。
カラカラ山だけでは消化不良なので、焙烙峠を挟んで北に位置する熊倉山も抱き合わせにすることにした。この場合も南麓の177号を基点にして大きく周回路が計画できる。ただしこれは半分が車道歩きで、会場鬼石線は意外と交通量がある。そして狭い。犬連れにはややリスクがある。ここは北麓で周回路を計画することにした。尾根筋と並行するように富岡神流線があるが、その中間麓をよく見るとくねくねとしているものの並行しているように道が読める。これを使う事にした。
大石橋のバス停分岐、内久保バス停分岐、入り口を躊躇しているうちに来波地区まで進んでしまう。カーナビを拡大しても地形図同様に雄川の右岸はごちゃごちゃとしており判りづらい。梅ノ木平まで戻り、琴平山運動公園の分岐を皮切りに、各分岐で地形図とにらめっこしながら焙烙峠への道へと入って行く。民家の見える地区内の道は狭かったが、高度を上げてゆくと意外とゆったりとした道幅となった。最終民家はまだ暮らしており、ナンバーの付いた車が置かれていた。
事前にストリートビューで確認したので、スタート地点と決めた場所はすぐに判った。489高点から北東に進むと、510mの場所から枝林道がある。ここをスタート地点とした。ストリートビューで見えなかったこととしては、地形図に描かれない道が北へと降りて行っていた。ただし廃道化しているようで、入り口にはバリケードが置かれていた。その下からの道の出口となっているので、そこに駐車余地が2台分ほどあった。すぐに準備開始。
5:36行動開始。枝林道の入り口には平成7年の作業道整備の看板が見られる。ジムニーであれば何とか入れる状態で、軽トラだと折れた枝が多くスリップしそうな場所が続く。車はしばらく入っていないことが見える。南進していた道が東進に変わる辺りから、道の状態が良くなり、ここから上は概ね車両で通行できるだろう路面状況であった。路肩に立つ平成12年度の森林組合の事業看板からは、ここは「長開」と言う地域名と判る。
640m付近にはマーキングがたくさんされた分岐点で、別れる道が鋭角に左側へと登って行っていた。そしてそのすぐ上側の650m付近には平らな拓いた地形が二層あり、ここは以前に畑をしていた場所で、当時の農具やビニールハウスの材料が北側に置かれていた。地形図を見ると、確かに畑マークが記されている。畑の周囲には電気柵があり、耕作をしなくなってそう年数が経過していないようにも見えた。ここより先には耕地は無く、ここが最上部の畑であった。畑を巻き込むように道は上がって行くが、この畑の周囲だけ地盤がふわふわとしていた。耕作しやすい地形と地質なのだろう。
畑から20分ほど進むと、平成10年の事業看板があった。入り口が7年、途中が12年、今度は10年。上下ランダムに作業をしているようだ。これらは下から順番にやるものと思っていた。進路が東進になると、向かう先にいい形の山が見えてくる。それがカラカラ山であった。790mには地形図に描かれている分岐があり、コンクリート舗装路が左に分かれ、これが焙烙峠側に向かっている道となる。それを左に見送りながらダート道を右に進んで行く。
810m付近も分岐になっており、当てずっぽうで左側の道を選び進んで行く。高度を上げてゆくのは左側だった。ここからは林道幅ではなく山道風の幅となっていた。以前は車も通れたのだろうが、通らなくなり自然に帰りつつあるようであった。向かう先に市町界のたおやかな主尾根が見え峠が近いのが判る。
840mの峠到着。道形は乗越して南東側に降りて行っていた。何か峠名がふられているかと思ったが、鳥獣保護区の看板が立つだけであった。ここまで枝林道入口から平面距離3kmを約50分。休憩入れずに東に向かってゆく。主尾根を伝う形ではあるが、870m付近は広い斜面となり、ここは南に振って登って行く。雪山での雪庇の下に見るような地形であった。
カラカラ山到着。最高所よりやや下がった位置の西側に四等点が埋まっている。よって三角点標高がこの山の標高ではない。点の脇には久しぶりに見るダンダラ棒があり、紅白の色は既に退色していた。この場所には標識類は無かった。三角点から10mほど東が最高所で、一応ここでヤキソバパンで朝食とした。東側に進むと、東峰とは呼べないほど高低差のない高みがあった。藤岡側から鶏の鳴き声が上がってきていた。会場地区からだろうか。静かな山里においてのひと気を示す音であった。
カラカラ山からの北進、そして北東進となる辺りで、若干薮の煩い場所がある。距離にしたら20mくらい。それ以外で薮の場所は無かった。市町界が炮烙峠へと屈曲する910m峰は、その西側にアンテナが立ち、最高所は845高点側の東側に存在した。北に降りてゆく。道形や踏み跡も無い状態が続いていた中、尾根途中から掘れた道形が現れると、尾根の東側には沿うように林道が走っていた。その林道が尾根上を進むようになり、伝ってゆくと焙烙峠越えの道に出合う。150mほど進んだ先が焙烙峠だった。
焙烙峠には、甘楽町側を芳の元線、藤岡側を奈良山線と表示してあった。そしてここにしては立派な絵図表示が藤岡市により立てられていた。北に進んで行くと、本コースで初めて開けた場所が出てきた。896高点の南西側から、西側の立ち木が無くなり遠望が利くようになる。そして896高点峰を越えて北東の鞍部に降りると、そこから甘楽町側に枝道が降りて行っていた(後から調べると、ここが奈良山峠であった)。ここには平成19年度と最近の改植事業銘板があった。ここでで林道に乗る形で、わずか先870m付近にはゲートが在り、今は両側のポールのみが残っていた。
尾根の林道を伝っている時、地図表記の誤差で、尾根の東に読める実線路を伝っていると思い込んでいた。それが、900mの高みの南側で尾根の西側に進みだした。それでも少し伝い、途中で下降しだした時に初めて違う林道に乗っていたことに気づいた。修正すべく東側の植林斜面を這い上がり900m峰を経て熊倉山に着く。
熊倉山には、かかり木を処理した後なのか、三角点の西側の木には刃物痕の残る丸太が挟まっていた。ここにはすかいさん関の標識が結わえられていた。三等点は植林された木の根元近くに埋設されていた。実際は木の方が後に植えられたのだろう。もう少し距離を置いて植林した方が良かったような・・・。南は針葉樹の植林帯、北は広葉樹帯で葉が落ちているので、その間からなんとか遠望を楽しめた。東の亀穴峠側にも興味があるが、今日はここまで。14時に高崎市で約束があり遅れぬよう戻らねばならない。河内晩柑で喉を潤し往路を戻る。としたかったが、東側の道を伝っておらず東寄りに降りてゆく。
地形図の実線路はちゃんと東に存在した。そこは倒木も多く使われていない現状であった。しばらく水平路だった道が下降しだしたあたりで離れ、再び尾根上へ行くべく北側へ這い上がって行く。900m峰の南で尾根道に乗り、再度尾根西側へと続く道を伝ってみる。当初予定は、900m峰から702高点峰へ続く尾根を下るつもりでいたので、その方角に進む林道と判ったので渡りに船と思ってしまう。
北進からターンして西進に変わると、しばらくして下の方に小屋が見えてくる。それは作業小屋で、既に扉は無く開放的なものだった。使われなくなってかなり経つようで、この類の小屋にしては珍しいが、中には何もなく埃をかぶったヘルメットが見えるくらいであった。小屋が見えたので、そのことにより下側とルートが繋がっていると安心したが、そこからの道幅を北東に進み、当初予定していた伝う尾根とぶつかった場所で道形は消滅していた。標高は790m付近。上を見ても下を見ても尾根上に道は無く、そこから東を見ても同じであった。と言う事は、作業小屋へのアプローチは、上側からしかできない事となる。
790m付近から尾根を北西に向かって降りてゆく。広かった尾根幅が窄まり702高点に向かっているのが判る。そんな中、掘れた道形が現れだす。くねくねと切られており掘れようからは結構使われていたと思えた。そして700mの、ちょうど地形図の破線路の突端当りで、林道幅の道形に乗った。そしてその道は破線通りに尾根の東側へ進んで行った。伝ってしまうと戻れなくなるので、尾根の西側に続く道形を追ってゆく。方角的は破線の二重線路にぶつかるはずであり、あとわずかと思って気を緩めるのだが、こんな時に限って罠が仕掛けてあるのだった。
進んだ先は大きな擁壁斜面で大々的な工事個所であった。道の先がバリケードがされ進め無くなっていた。やむなく擁壁の際にある細い緑のロープを使って急斜面を降りてゆく。降り立った場所は、擁壁途中の作業道のようなバンドの場所で、そこからは下に見える林道に向かってスロープのような道が降りていた。道形が西に下降しだす前、北に進む道形もあったので、そちらを選んだ方が安全だったのかもしれない。迷犬が、行き止まりのバリケードの先へ進んでしまい、コンクリートの擁壁の上に行き見ているこちらがドキドキさせられた。
さて林道に乗った。伝ってゆけば620mの所で炮烙峠から降りてくる林道に出合うことになる。天気も良く呑気に歩ける勾配ではあったが、ここも2019年の19号台風の爪痕が酷かった。三つある水線の読める谷は、悉く路肩が落ち、山手側からは大量の押し出しがあった。そのほかにも緩い地形の場所、特に738.7高点の北西は酷く崩れ、麓側への土砂の流出量が尋常ではなかった。この西側にも小規模の押し出しがあり、ここに「台風19号災害 終点」と書かれた杭があった。てっきり始点であるのかと思ったが、どうやら今伝ってきた道は、702高点の北麓を結んで東側の破線二重線路と繋がっているようだ。そうじゃないと東側が始点とならないだろう。林道の終点が無いから東に始点があることになる。
620mの場所で舗装林道に出合う。焙烙峠にはこちらの道を指して「芳の元線」とあったが、ここに立っている標柱には「草喰八丁河原線」と書かれていた。今伝って来た林道を指しているのか・・・。降りてゆくと、舗装林道に対し縫うように歩道が付けられている。園地整備している途中なのかとも思ったが、作道以上に何かしている様子が無い。ここで地形図を確認した。実線路で描かれている場所が舗装歩道になっているのだった。なぜにそのようにしているのか・・・。歩道を伝う利用者はほとんどいないような場所に、ここまでインフラする必要があるのか・・・と言うのが率直なところ。520mより上でその整備がされていた。
510m付近は広くきれいに耕された畑が広がっていた。往路に見た650mの場所も同じようであったのだろう。こちらは舗装路、向こうはダート、道の状態により使えなくなったのかもしれない。入山点に戻る。
振り返る。道がある里山であるが、枝道数が多く、迷う箇所が多い。その点ではバリエーションハイクが楽しめる場所となる。その悩む箇所が多いのが甘楽町側で、すっきりしているのが藤岡市側だろう。鮎川を挟んでの御荷鉾側は、この標高差から初めて見る角度であり、とても新鮮であった。普段は上信越道側からしか見上げておらず、この尾根筋からだと至極顕著な高みが並んでいるのが見えるのだった。
甘楽町に問い合わせをしたら、歩道整備された場所は、自然災害による崩落場所を県が整備し、今の歩道が付けられたらしい。甘楽町としてその周囲に植栽をして、森林浴の森として園地にするよう。案内役のネイチャーガイドも準備しているとも言う。途中にあった広みが駐車場で、車で容易にアプローチできるようにしてあると言う。ただし、ただし植栽は無残にも鹿の食害に遭っていた。計画構想に対し前途多難であり、さらに2019年の19号台風の影響を受けてしまっていた。荒野を歩くような場所になってしまっている。
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