ミノ山        834m                                                                                                                                                  

 
 
2020.3.7(土)


  晴れ     単独     尾佐波神社から周回     行動時間:2H41M


@南牧村民俗資料館(たけきや)前6:05→(6M)→A尾佐波神社6:11→(4M)→B530m峰6:15→(55M)→Cミノ山7:10〜16→(7M)→D850m峰から下降7:23→(44M)→E破線路渡渉点8:07〜20→(26M)→F民俗資料館前8:46


   
@民俗資料館は10時にならないと駐車場に入れない。道向かいの「たけきや」さんの駐車場を使わせていただく。 民俗資料館の北側、旧焼きまんじゅう屋さんとの間に山道が上がっている。ここを伝う。 旧焼きまんじゅう屋さんの裏側。 道形は一部薮化している。通過して振り返る。最近は管理されていない道のよう。
       
北に向かう道形。 東(民家脇)側から別の登路が上がってきている。 A尾佐波神社。長い階段路の参道が美しい神社。 A狛犬の、前足の角度が絶妙。漫画に出てきそう。
     
A神社の南側の山道に水栓が立っている。ここから尾根に取り付く。山道は西へ。 山腹の架線は、手の届く高さを通過している。 530m峰の東側は人為的に削られた跡が見られる。 B530m峰には、社だろうか構造物が在ったよう。屋根瓦が散乱し、基部らしきものが立っている。
       
550m付近の大岩。東と北側の通過は難しく南を巻く。 南巻き途中。勾配が強い。 620mの岩峰の上に到着。 620mからの尾根筋。
       
710m峰へ突き上げてゆく。700m付近。 710m峰。顕著なピークではあるが人工物は皆無。 710m峰側から見るミノ山 640m付近。吊り尾根的場所。こちらから710m峰を見ると岩峰。
     
660m付近。北は植林帯。 市川さんの土地らしい。上のテープにはフルネームが書いてある。 670m付近で明るい場所となり、ここがコース唯一の展望場。 670m付近から見る大岩・碧岩。
       
Cミノ山到着。展望は無い。明るいのは東に少し戻った辺り。 CフジオカTK氏の朽ちた荷紐が残る。 Cヤキソバパンと 西側の830m峰
       
D850m峰。ここから南に下降。南斜面は危険個所が多く下らない方がいい。 細尾根がいくつもあるがどこも岩尾根で急。 岩尾根を振り返る。西側は岩壁で切れ落ちている。 馬坂川左岸には、石を積んだ畑跡がある。お茶などが今も生えている。
       
E地形図に読める破線路の場所(渡渉点)。水位は浅いが、両岸の通過が大変。右岸側は車道まで15mほど這い上がらねばならない。  E左岸側に植林地があるが、管理できない場所となっている。 E左岸を東にズレたが、石積みの場所から先は斜面が削れ進めなくなっていた。西に戻る。  E渡渉点の対(右)岸に見える沢筋のトンネル。 
       
E馬坂川渡渉  E右岸側から左岸を見る。尾根末端の左の場所から、写真の中央右に向けてバントがある。  E右岸から見る左岸の尾根末端。写真の中央(少し上)にバンドが見える。  E登ってきた右岸側。降りる場合はザイルが欲しい。 
       
勧能大橋  勧能集落。養蚕で生計をたてていたことが、家の形状から見える。  F民俗資料館前に戻る。たけきやさんは冬季はやっていないよう。奥に見えるお宅は住まいしているよう。  




 ミノ山は、北麓の星尾地区からアプローチすれば簡単に届いてしまうだろう場所。梯子登山での1座であればいいが、それでも簡単すぎると記憶に残らないのが常。そこで北麓を封印し南麓で遊んでみることにした。まだ寒い時季でもあり、南側で暖かい日差しを受けながら遊びたいと言うのが本音の部分。羽根沢地区から東進し、破線路を降りる計画とした。

 南牧村民俗資料館の駐車場が使えると思っていたが、現地には固くチェーンが張られていた。10時会館であり、それまでは使えないって事のよう。そこで羽沢側に進んで余地を探し、星尾側に入って余地を探すも、安心して置けるような場所が無かった。振出しに戻り、民俗資料館前の「たけきや」さんの駐車場を利用する。今シーズンは何度も前を通っているが開店している時に出合ったことが無い。奥に住まいするおばあちゃんが駐車場に居るのは見たことがあるが・・・。短時間なら置かせてもらえるだろうと言う勝手な判断でもあった。

 6:05今日も迷犬と歩き出す。尾佐波神社があるので、そこから取付けばと思っていたが、民俗資料館の北側に道標があり城址を示す表記と細い道が切られていた。その北には民家があるが、以前は焼きまんじゅう屋さんだったはず。民俗資料館と民家の間を登ってゆくと、上の方で道は薮化していた。7mほど笹類を分けつつ進むと、その先は1.5m幅くらいの道形が緩く北側に向かっていた。てっきり尾根に乗ってゆくのかと思ったら、北に進みだしたのでちと悩みつつ伝っていた。

 進んで行くと、右下に民家が見えだし、そこからの登路も確認できた。北西に巻き込むように進むと、その先には尾佐波神社が待っていた。日の入らない場所だが、長い階段の参道が雰囲気がよく、なによりここに構えている狛犬が愛らしい。ツルっとした凹凸の少ない仕様で、前足を前に突っ張っているのが独特であった。本殿に参詣してから山道をさらに辿る。本殿の西側の山道には水栓がニョキッと立っていた。境内にあるなら理解できるが、これは林道上にあるのだった。山道は北西に続くようであったので、ここから尾根に取り付く。

 尾根を登る途中に架線が見えるが、これは手の届く高さに張られていた。いたずらされることは無いだろうけど、こんな場所も珍しい。530m峰に向かって登ってゆくと、その東側直下は堀切のような地形を崩した場所が見られ、530m峰に乗り上げると、コンクリートでの社の基部なのか、四角い朽ちた構造物が立っていた。その周囲には柱と瓦が散らばっている。間違いなく社でいいだろう。位置的には尾佐波神社の奥社ってことになるのだろうか。ただし、入山口で見た城址表記も記憶にあり、山頂部の平坦地形を城跡にも見ていた。

 530m峰からの西側は等高線が詰まっている場所で、そこを見上げると岩壁が見えており、北側の通過は無理に見えた。ここは南巻きで通過してゆく。斜度の強い中に杣道だろうか薄く存在する。適当に繋げながら高度をあげ、620mの岩壁の上に立つ。逆コースだったら進路を迷う場所だろう。620mからは勾配はあるものの危ない場所は無く伝って行ける。

 710m峰登頂。顕著な地形なのでなにか山名板でも在るのかと予想したが、人工物は皆無。西を見ると木々の間からミノ山らしき高みが見える。西に降りてゆくのだが、710m峰の西側は岩壁で、岩峰があるように見上げられた。吊り尾根のような歩き易い場所を進んで行く。ここを過ぎると北側に植林帯が現れだし、土地の所有者だろう名前がフルネームで書かれている場所も見られた。そして進路の先南側にカヤトの原のような場所が現れ明るくなる。ここからは谷向かいの大岩碧岩が近望出来た。今回のコースでここ以外に展望のいい場所は無かった。7時になると防災スピーカーより「牧場の朝」が流れ村内に響く。

 

ミノ山登頂。東西に長い尾根の上の最高所で、山頂の雰囲気は薄い。山名板も無く、唯一ある人工物はフジオカTK氏のだろう朽ちた荷紐だけであった。陽が入らないので、少し東側に戻って休憩とした。北側には伝うのに優しそうな植林斜面がある。北東尾根を降りても道形に出合うようであり、星尾を地区を基点にして周回路も選べるよう。西進開始。

 

西にも地形図で読める830m峰があり、一応方角からミノ山の東峰と認識した。そこから下って行くと800mの肩にもピークがある。これをうっかりして、その西側に起立する800m峰だと勘違いしてしまった。そして三つ並ぶ一番東の800m峰から南西に下りだした。そうすれば、破線路に乗るだろうと思ったからであった。ナビを見てしまえば一目瞭然なわけだが、能力が劣化するのでなるべく見ないようにしている。

 

降りてゆく最初は、普通に伝える尾根であったが、下に勧能の集落が見えるようになってからは、一帯が岩尾根となりザイル下降が順当な場所に変った。途端に進度が落ちる。ましてや犬連れなので配慮をしつつルートを見出さねばならない。岩尾根の西側は絶壁だった。それを見て東側に横ズレしてみるも、どちらも危険度は変わらず、最後が下に降りられないのが見えた。勧能地区の北側にはゲジゲジマークが鎧のように記されているが、西側もここまでとは思わなかった。そもそもルートミスをしているってこともあるのだが、何とか降りねばならない。でも降りられなくなり、打開点は無いかと岩尾根を登り返す。その途中に、西側に降りられるわずかなバンドが見つかった。滑落しても確保できるよう迷犬をリードに繋ぐ。どうなるかと思ったが、なんとか西側の谷の中に入れた。ここで西に尾根があるのでルートミスを初めて確認することになった。

 

530m付近まで降り、既にそこは馬坂川左岸の大地。そこには広範囲に石積みがあり、以前はここで畑を作っていたことが伺えた。名残として、今も茶の植生が見られた。難儀したのは、竹や雑木に覆われ足元が見えない中での深い段差。これには迷犬も悲鳴をあげ降りられず、何度も抱き抱えて降ろしてやらねばならなかった。500m付近の平坦地は杉の植林帯であるが、管理が良くスクンと立っていた。

 

破線の渡渉点に行ってみたが橋などは無く、渡っても右岸側は15mほど登り返さないと車道に乗れないような地形であった。それも、どこでも伝えるような場所ではなくピンポイント。これを見て、左岸を東にズレて勧能地区にゆくことにした。東進してゆくと、石積みが特に多い場所があるが、その東側はもう伝う事は出来なくなっていた。おそらくではあるが、集落があるのだから、畑があるのだから、道が在ったように想像するが、利用されなくなり気象にも寄り消失してしまったのだろう。西側からのアプローチも地形図を見る限りは見いだせない。それこそ孤島的な場所になってしまった左岸で、今後の植林された木の管理は出来ないように見えた。

 

左岸を右往左往し、最終的には破線路の末端付近に行く。そこに緩く南東側に降りているバンドが見えた。それが破線路なのかは不明だが、これを伝いなんとか馬坂川に降り立つことができた。木の根の張り出した場所があり、その先は岩盤なので足元に注意が必要な場所であった。馬坂川の流れは緩く、踝くらいの水深の中を渡渉してゆく。右岸には沢の水を逃がすトンネルがあり、そこに入って車道の南側から這い上がろうとも思ったが、20mほど東に進んだ場所から、擁壁工事の下を南西に上がれる地形が見えた。車道に出る最後が1mほど崩れているが、そこの最後は迷犬を持ち上げ尻を押してあげた。そして無事車道に乗った。途中どうなるかと思ったが、怪我無く車道に乗れたので結果オーライとしたい。

 

勧能地区に戻りつつ、左岸側の地形を注視する。やはり現在では伝うのは不可。地形が流れている上に落ち葉の堆積が酷いのが見えた。ミノ山の南麓地形を眺めると、あちこちに岩場が見えた。降りた場所も岩があって当たり前なのだった。勧能の集落は、落石を案ずるより、地盤の岩盤が固い上に立って地域が存在しているのだろうと思う。

 

民俗資料館までに行き交った車は3台のみであった。車道が歩き易い南牧村なのだった。たけきやさんの駐車場に戻るも、出発時同様に静かなままであった。

 

振り返る。2019年の19号台風の影響もあっただろう。以前を知らないのでどのくらい変ったかの変化量は見られなかったが、間違いなく判ったのはミノ山西の破線路は廃道化している事。谷筋の道は全く見えなかった。そして渡渉するにも、左岸も右岸もザイルが欲しい場所になっている。  





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