三岐山 982m 三ッ石山 987m
2020.12.12(土)
晴れ(くもり) 単独 矢久峠から往復 行動時間:2H27M
@矢久峠6:33→(15M)→A906高点6:48→(18M)→B三岐山7:06〜07→(24M)→C992高点7:31→(18M)→D三ッ石山7:49〜56→(41M)→E三岐山帰り8:37〜38→(22M)→F矢久峠9:00
@矢久峠から。駐車余地は路上。 | @矢久峠西側の祠 | @祠の横に不動明王 | 峠からヤセ尾根を進むと、南からの掘れた道形に出合う。道形は、昔の山道のよう。 |
A906高点のピークは、県境の標高点より南に、2〜3mほど高い高みがある。 | A南の高みから、標高点をとっている県境側を見ている。 | 880m付近。快適尾根。 | 910m峰に起立した岩がある。 |
三岐山の東に無名峠あり。祠に「文化三」「青梨」の文字が刻まれる。 | 三岐山の東斜面は急峻。 | B三岐山。 | B三岐山の西側。 |
神流町側に、長大なフェンスが張られている。 | 992高点の東斜面も急峻。 | C992高点 | 970m峰の北側は切れ落ちている。 |
三ッ石山の東斜面。ここもやや急。 | D三ッ石山 | D二つの標識がかかる。 | DフジオカTK氏のリボンが残る。 |
D三ッ石山から二子山 | D三ッ石山から叶山。 | Dヤキソバパンと | E三岐山帰り |
E齧られた境界標柱の所に、標識があった。 | E三岐山から赤久縄山側 | 峠帰り | 植林帯付近で、南斜面に等身大の起立した岩がある。 |
道形を伝い林道に降り立つ。矢久峠より西に30mほどの場所。 | 伝ってきた道形(右)を振り返る。 | F矢久峠に戻る | F峠の東側に北向慈母観音が立つ。 |
F駐車風景 | 神流町側の林道は、一か所大きく崩落している。コーンや表示板が落ちていたので、崩落が進んでいるよう。通過は注意が必要。 |
旧中里村の二子山の東、珍名山で知られる父不見山西の県境稜線が未踏になっていた。未踏の県境は他にも多いが、そこに目的座がない為。今回の場所には三ッ石山と三岐山が存在する。東の矢久峠へは車でアプローチできるようであり、出来なくても北麓地形から周回路でも探ってみようと考えていた。
三週連続で神流町詣でとなるが、この日は季節柄の薪集めを予定しており、二兎を追うためにも午前の早い時間で登頂できる場所を選んだ。前週はノーマルタイヤで少し冷や冷やしたが、ちゃんと学習しスタッドレスに履き替えている。西上州は年間の降雪日はそう多くは無い。それより路面の凍結対策での冬用タイヤだった。
4時15分に家を出る。南牧村のトラオさんの竈はいつものように赤く火が燈り、右に見ながら新道側へと登って行く。この登りで路面凍結しており、タイヤを替えてきて良かったと思えた。上野村もメロディーラインの東側で、何か所も凍結路面が現れた。少しぐらいだから大丈夫だろうではなく、上野村に行くのなら履き替えねばならないと言える。
矢久峠に向かうには、青梨バス停の場所から国道を離れるのだが、手前の八幡宮をカーナビから追いながら進むのだが、この時に気づいたことがある。このエリアにはやたらと寺が多い事。老眼が進みカーナビの文字が読み取れず、東側の寺の方に行ってしまい、西に戻って矢久峠への入り口を見つける。ここには小さいが峠を示す道標がある。
青梨の集落を抜け登って行く。途中大きく崩落した場所があり、バリケードも何もなく乗って大丈夫な路面なのか心配であった。尻がむず痒い思いをしつつ、ひやひやしながら通過する。大型車両の通過は無理で、普通車両でもかなり気を使う通過点であった。この場所がこの日一番の危険個所であった。矢久峠に到達し駐車余地を探すが、これといった広みがなく、峠のT字路に停めた。東に西に探したが、どこもパッとせず、東の坂丸峠に向かう林道入口も候補としたいが、どこも路上駐車に変わりなかった。
仮眠をしていると小鹿野町側からヘッドライトが上がってきて私の車の後ろにぴったりと停めた。それもエンジンをかけたまま。仲間との待ち合わせで私の車を仲間と見間違えているのか、はたまた覚せい剤の売人で、ここが受け渡し場所となっているのか・・・。あまりにもピタッと停めているので気味が悪かった。夜が明けだし居た堪れなくなり外に飛び出し、まずは停まった車をナンバーを含め撮影した。窓に黒いフィルムが貼られ中は見えない。車種は希少車となったアトレーセブンだった。″そういえば、これやまねずみさんも乗ってたっけ″と思いだす。車の後ろに回り何か情報を掴みだそうとする。ナイフや拳銃を向けられてもいいように、蹴りと掌底の意識をしながら体をほぐしつつ近づく。リアハッチに貼られたステッカーからは山ヤのようだった。すると相手にも私が怪しく見えたのか、運転手が降りてきた。足には既に登山靴が履かれている。登山靴で運転して来たのか・・・経路からやる気満々であり、私はまだサンダル履きであった。そして「ここに停めていいのですか」と尋ねられた。「ほかに適当な場所が無いのでここでいいでしょう」と返す。父不見山に行くようで、中二と小4の子供も同行だそうだ。全くもってクスリの売人ではなかった。でも、私ならこんな場所で近接して駐車しないが・・・。
6:33矢久峠を出発する。西への尾根に取り付くと、すぐに家紋の入った祠がある。見えるお供え物も古くはない。祠の横には不動明王も居た。尾根は最初はやせ尾根でそこに木が蔓延り掴みながら縫うように登って行く。すると南からの道形に出合った。これは道幅が広く、クローラーや昔の車両なら通過できただろう印象であった。尾根上に掘られた道形が緩やかに進んで行く。一帯は植林地であった。植林用の作業道の可能性も思っていた。
870m付近は北側にふた瘤の高みがあり、葉が落ちたこの時期は展望台的場所であった。北斜面が切れ落ちており地形的には見晴らし台のようだった。グリーンシーズンだと何も見えないだろうけど。付近は二重山稜のような雰囲気の場所で、このふた瘤を通過せずとも南寄りの通過の方がスマート。
906高点の場所は、県境という役目上、東西に直線的な線で結んであるが、実際の現地は標高点を取っている南側30mほどに顕著な高みがあり、標高差は2〜3mほどあるように見えた。このピークの高さは、実際はもっと高いのだった。このピークの西側は伐倒木の細かいのがあり、北寄りが伝いやすい。そして880mの尾根上は、快適も快適でバリエーションルートではないような雰囲気だった。
登りになり910mの高みには2.5mほどの起立した岩が鎮座していた。ここは南側に巻き道が見られた。そして三岐山への登りに入る手前鞍部には祠があり、南北に峠道が通っていた。祠を見ると「文化三」と「青梨」と刻まれていた。青梨地区の人が建てたようだが、地区のある北を向けるのではなくお天道様の方に祠を向けたようだった。三岐山の東斜面は勾配が強く、大きく九十九を切りながら登って行く。そんな獣道があるのだった。
三岐山登頂。予想外にも人工物は無かった。全くゼロではなく境界標柱は見られるが、在るだろうと思った標識が見られなかった。マイナー中のマイナーピークのようだった。次の三ッ石山に向かう。このピークから2分ほど進むと、神流町側に青いネットフェンスが現れる。この沿面距離が長い事、食害から守る為だろうけど、前後して植林区間はあるが、守られているのはこの北側斜面だけであった。そこに針葉樹が見られない不思議。
992高点峰の東側も急峻地形が待っていた。この山塊は概ね東斜面が急峻のようだった。992峰を越えて、次に970mの高みがあるが、ここは北側が切れ落ちており少し高度感を感じられる通過点だった。目の前に二子山の山塊があるが、目的地の三ッ石山はそこに同化された感じで見えてこない、でも間違いなくこの先にある。緩やかに下って最後の登り上げ。ここも幾分急峻で、尾根上にゴジラの背びれのような大岩が並ぶ。そこを左に見ながら北寄りを登って行く。
三ッ石山登頂。地形図からは広い山頂かと見えたが、現地は山頂部が三畳ぐらいの突峰であった。地形に沿うなら、もう一つ等高線が欲しい感じだった。登り上げた先に二子山がある。北側に目を移すと、白くそれとすぐに判る叶山の石灰の産出場が見える。山頂標識は二つあり、やや朽ちたフジオカTK氏の荷紐も縛られていた。ヤキソバパンを迷犬と分かち合ったら往路を戻る。往路をただ戻っても面白くなく南に降りて林道を伝おうかとも思ったが、舗装路を長く歩くにもつまらない。藤倉川沿いの破線路に興味を抱くが、矢久地区からの登り返しを嫌った。往路を戻る。
シナノゴールドも忍ばせてきたので、迷犬と水分補給しながら戻って行く。992峰から982峰である三岐山を望むと、けっこうそそり立つように見える。こちらから見ると意外と格好いいのだった。その三岐山に戻る。もう一度山名板がないかよく探す。すると、齧られた境界標柱の脇に木片が見えた。これは三ッ石山に付けられた標識と同じで、判読できるものではなかったが、間違いなく標識であった。尾根を戻ってよかった。無いと思った場所に在ったのだった。
東側の峠の祠に挨拶してから、ここから続く道形を忠実に追ってみる。昔道のようで、山腹の林道が出来る以前から使われていたように思えた。そして舗装林道に出た場所は、矢久峠の30mほど西であった。入り口は野草に覆われ、10mほど潜るようにして進まねばならなかった。矢久峠には、父不見山からまだ戻ってないようで、アトレーセブンは置かれたままであった。その父不見山側への登山道に入り観音様を拝む。「北向慈母観音」と彫られていたが、建立者とか年月日とかの情報は一切判らなかった。この場所に不釣り合いなほどに立派な立像であった。