西御荷鉾山 1287m
2020.2.22(土)
曇り 単独 北尾根(不動明王山道)より 行動時間:2H53M
@山の神峠登山口4:47→(34M)→A鼠喰城最上部(祠)5:21→(41M)→B稜線分岐(北尾根下降点)6:02→(2M)→C西御荷鉾山6:04〜19→(9M)→D1130m付近で登山道を離れる6:28→(24M)→E886高点6:52→(16M)→F690m付近で林道幅に乗る7:08→(26M)→G山の神峠7:34
エースゴルフクラブへ向かう道の途中の分岐にこの標識があるが、本道からは見えない位置に置かれ、枝道側に入って初めて見える。 | @山の神峠。駐車余地があるが狭い。 | @不動明王 | @「不動明王山道入口」と彫られた標柱が立つ。 |
@計3つの祠がある | 急登が続く。最初のロープが現れた場所。 | タイガーロープが長く流されている。 | 鼠喰城としての城址らしい地形の場所。 |
折り重なったような岩場 | 露岩の場所 | 大きな岩屋もある | A鼠喰城最上部と言われる場所。 |
尾根の西側に林道幅が見える場所もある。 | この仕様の杭が続く | 見栄えのする大木が見られる。 | 城址より上側もロープ場が長く続く。 |
ロープ場もそろそろ終盤 | B主稜線に乗る。新旧の道標とも北尾根をしっかり示している。 | 北側を向いた不動明王。旧日野村側での設置だろう。 | C西御荷鉾山登頂。疲れたようで腹ばいになっている。 |
C二等点 | C神流町設置の標識 | C南側を向いた不動明王。旧万場町側設置だろう。 | C石柱にも「不動明王」と彫られている。 |
C南側の展望はメガソーラー施設により、やや悪くなってしまった。 | Cおにぎりを握って持ち上げる。 | C南東 奥は武甲国境 | C南西 |
C北西 | C北東 | C眼下にエースゴルフクラブ(スタート地点) | D投石峠側に下り、階段路途中の1130m付近から北に落ちる尾根に入る。 |
下草が無く快適。新緑が美しい。 | 新緑のシャワーの中。 | 886高点を南から見ている。 | E886高点 |
886高点の北側は岩場。東を巻いた。 | 尾根を外れ北西に進むと、植林帯の中は伐木が夥しく、歩き辛い。 | F標高690m付近で林道幅に乗る。地形図ではまだ上に進むが、現在はここで終点のようになっていた。 | 660m付近のT字分岐 |
北尾根だけでなく、一帯にこの仕様の杭が打たれている。 | 護岸工事された沢を渡る橋は壊れ、その先の林道は酷く荒れていた。渡らずに右岸を降りる。 | 降りてゆくと向かう先に林道が見えてくる。 | 林道脇にゴルフ場の表示が見えてくれば峠も近い。 |
G山の神峠に戻る。 | 山路の説明が彫られている。 |
西御荷鉾山の北尾根。地形図には破線路掲載は無く、以前から持っていた1996年のエアリアにもルートは載らず存在を知らなかった。がしかし2018年版を見ると、しっかりとコース案内されルートがあることが見える。旧版との変化点は、買って有益な部分。ただし破線路で、途中に鼠喰城なる城址も在るようで、そのネーミングからも一度伝ってみたい場所となった。
しばらく同行者ありの山行が続いており、それがために少し優しいルート選びになっていたが、この北尾根は等高線が密な場所が多く、相応に負荷となると思えた。負荷を与えないと鍛えられず、迷犬にもそれが言え、緩い場所だと物足りなそうな顔をしているのだった。新型コロナの最中であり、ササっと登って帰り、日中は何処へも行かなかったような顔をして家にいる魂胆であった。
県道175号を鮎川に沿って名無村側へと進んで行く。小柏バス停のある所から分岐を南に入る。耳二ツ山には登っており、一度訪れているので楽に思っていた。その緩慢さで、鮎川を渡った先で分岐を左折してしまう。民家のある場所を最後に舗装路からダートとなり、走れども思うような景色にならず、見えるのは伐採現場ばかりであった。投石峠へと上がる道を伝っていたのだった。周囲は明るくなり歩き出そうと思っていた頃合いになり、間違えに気がつき来た道を戻る。
エースゴルフクラブへと向かって行くとある、500mの所からの分岐路が正解路であった。ここにはエースゴルフクラブに向かう道からは絶対に見えない位置に「御荷鉾山登山道」と書かれた標識が置かれている。登山道が廃道化したので、見えない位置に置き換えたのかもしれない。枝道に入らないと標識が見えないのだった。この道の先には、奥ノ反地区があるが、まだ住まいしているお宅があった。ゴルフコースに挟まれた道を進み、T字分岐に突き当たったら、左に登るとわずか先が山の神峠で、鳥居が見えてくる。路上駐車でも邪魔にならなそうであるが、西側に小さな余地があり小型車なら停めることができる。ここはゴルフ場の刈った芝を捨てているようで、あまり突っ込むと柔らかくて危険な場所と判った。
5:17出発。石段を上がると鳥居の右手前に「不動明王山道入口」と彫られた御影石の標柱が立っていた。登山口はここでいいのか半信半疑だったが、標柱により登山口から入山しているので間違いないようだった。鳥居と前後して3つの祠があり挨拶してから登りだす。最初こそ緩やかな植林帯の中の道だが、すぐに急峻尾根となり脹脛が伸びる感じが続く。鳥居からの最初は、道形がやや狭く登山道風ではない印象であった。
植林帯が終わると広葉樹林帯となり新緑が眩く心地いい。そしてロープ場が現れ、長く流してある場所が次々と現れる。別段使わずとも登れるが、問題は下りだろう。使いたいような滑りやすいザレた場所も多いのだった。破線路なので当然であるが、道形の薄い場所が多く、概ね尾根頂部を伝うのが正解で、急なので西側を巻いて頂部に戻ったら、そこにロープが流してあり頂部を通るルートだったのが判った場所もあった。あと、このルートは落石が多い。先を進む迷犬も落とそうと思って落としているわけではないはずだが、拳大の石が何度も落ちてきていた。この点からは、入山は単独の方が安全だろうと思う。
最初の急登が終えると、城址らしい平らな地形が現れる。右に45度ほど屈曲するように進むと平たい石が積層したような露岩帯となり、迷犬は登り辛そうにしていた。少し露岩帯が連続し、足場を選びながら進んで行くと東(左)側に岩屋が現れる。張り出した岩の屋根部は2.5畳ほどあり、垂直落下の雨であれば十分凌げる場所があった。誰かここで休憩したのか、それもかなり以前に、コーラの瓶が落ちていた。この岩屋のすぐ上が鼠喰城最上部と言われる場所で、木の祠が2基と石の祠が1基置かれていた。裏を見ると、登山口の鳥居のことだろう、建設委員の名前が達筆で列記してあった。平成九年と書いてあるので鳥居は20年ほど前に建てられたようである。
城址最上部から南進を始めると、3分ほどで西側に林道幅の地形が見えた。地形図に読める西側の実線路からの枝道だろう。「大倉」と刻印された境界標柱が相変わらず進む。この付近は緩斜面で、少し周囲を楽しむ余裕も出てくる。西側を見ていると瘤をたくさん擁した大木が現れる。これはけっこう見栄えのするものであった。芽吹き出したころ合いで葉が小さ過ぎ、樹皮だけでは何の木か判断できなかった。
再び急登が始まりロープ場が続く。流してあるロープの総量も尋常ではないだろう。上の方に行くほどに新しいように思えた。そして上の方ほど、下りにロープを握りたい場所が多かった。登りより下りの方が時間がかかりそうなルートと思えた。スタートから80分で、主稜線の分岐点に乗り上げる。新旧の道標が見られるが、どちらもしっかり北尾根のルートを示していた。西に進み北を向いた不動明王に出合う。北を向いているので旧日野村の人が建てたもので間違いないだろう。登山道に対し背を向けるよう位置取りであるが、これは稜線のルートを考慮してオフセットして建てたと理解できる。
西御荷鉾山登頂。1997年が前回なので、23年ぶりに訪れたことになる。大きく違っていたのは、ここからの南側の景色で、麓側にメガソーラーが出来たために自然破壊されたような絵面であった。あとは神流町の山頂標識が設置されていた。それ以外は以前のままであった。南を向く不動明王にも挨拶をする。山頂の温度は10℃で、じっとしていると寒いほどで、握ってきたおにぎりの温かさが美味しさに繋がっていた。迷犬と分かち合い朝食とした。
往路を戻ろうかとも思ったが、急峻地形の長さからは出来るものなら避けたいと思えた。ここに、東側の886高点がある尾根が目に入る。こちらはなだらかで、麓側に行けばスタート地点と繋がっている林道に乗ることができる。この日の遠望は南の武甲国境は見えていたものの、北側はかすんだ景色で、モワッとしており榛名や赤城の輪郭を楽しむことはできなかった。
東に下って行き、階段路途中の1130m付近から北に進路をとる。ちなみに階段路の南側では大々的に伐採作業がされていた。北に降りる尾根へは最初がやや広い地形なので、ガスがあったりしたら方角を間違えてしまうかもしれない。のほほんと歩いていたら、有視界でも東にズレてしまい、西に尾根が見えだし慌てて修正した。尾根上は下草が無くとても歩き易い。そしてこちらは植林帯が無く広葉樹林帯で、それが為に新緑でとても気分のいい場所が続く。
886高点の場所は、顕著な突峰が存在していた。南側の鞍部からは標高差30mほどを登り返す感じで、山名板でもあるんじゃないかと思いつつ乗り上げると、古い境界標柱のみが埋まっていた。ここから北に尾根通しで行こうと思うと安全通過にはザイルが必要かもしれない。岩場があり、到底迷犬が通過できないので東側を巻いて尾根に戻った。
780m付近まで主尾根を伝って降りてきていた。このまま主尾根を伝えば670mで林道に出合う。それが一番判り易かったが、西側に植林地の緩斜面が現れたので、北西側に進んでみることにした。少し前から、尾根上に青いビニールひもが流されていた。なにかルートを示してしているようで、その紐が北西に降りて行っていたのだった。ただし踏み込んでみると植林帯の中は伐倒木が多く、跨いで進むのが厄介な地形で、やや水平に西に進むようにして地形図記載の九十九折の付近を目指した。
九十九折の在ったと思われる谷は、白い石がごろごろしており道形など判らなくなっていた。690m付近に現在の林道の終点地があり、それより上を見ても道を追って伝えそうになかった。東に林道幅を伝うと、地形図通りに660m地点にT字路の分岐が現れ、そこからの東側は歩道幅のような道で、西側へは林道幅で続いていた。ここにも大倉と刻印された北尾根に在ったのと同じ仕様の杭が埋まっていた。どうやら一帯に同じ仕様の杭が埋まっているようだ。
林道を西に進むと、600m地点で沢を跨ぐのだが、護岸工事された奇麗な沢になってはいたが、そこを19号台風により強い水流が通ったのだろう、林道の橋が壊され残骸で伝えるのは丸太一本になっていた。私は何とか渡ったが、ここは迷犬は無理で、リードを着けてサポートしたが、悲しそうに鳴いて嫌がった。北に進む林道を見ると、西側からの倒木混じりの押し出しで酷い状況になっていた。護岸工事がされたために高低差が大きく沢の中に降りての通過が困難でもあり、沢の右岸を伝って降りて行くことにした。
620mで沢を跨ぐ形となるが、ここはゴーロ帯で難なく通過でき、その北側の林道に乗ることができた。西に登って分岐点に到達し、橋を渡れなかったことに対するルート修正が完了。林道を西に進んで行くと、立て札が見え、その向こう側にはゴルフ場の芝が広がっていた。青い芝を右に見ながら歩いていると、こんな林道に車が入ってきていた。男性が小便をしており、私の姿を見て、そそくさと長い棒のようなものを車に隠した。男性に声をかけられる。「どこに行ってきたんだい」。私が「不動ルートです」と返すのだが、聞こえなかったのかもう一度聞かれる。「不動ルートで上がって東側を降りてきました」と言うと「速いねー」と驚かれていた。御仁の眼は何かを隠すように非常に動いていた。きな臭い感じがしたのでそそくさと車の脇を通過してゆく。
山の神峠に戻る。出発時はまだ暗くて鳥居下の碑が読めなかったが、この時間なら読める。御本尊消失とあるので、以前は木彫された不動明王だったのだろう事が判った。祠に無事の下山を報告し予定完了。この不動明王山道は、薮化する心配は無い場所であり、伝う人が少ないとしても、ずっとこんな感じで推移するだろう。
振り返る。伝わないと道形が薄れてしまうが、伝うほどに石が落ち土が流れる尾根で、微妙な鼬ごっこのようになっている印象だった。急峻に道を切った時の付きまとうリスクとなろう。でも、伝ったことで楽しかったし、新緑が美しい場所とも気づくことができた。何よりは、早朝の誰も居ない山頂を独り占め、いや一人と一匹占め出来たことがありがたい。スーパー林道がある南側のアプローチが本道となっているが、19号台風の影響でどの林道も車で入れない。そんな中では、北側に住まいする者としては、このルートがいま最短で西御荷鉾に登れる場所なのだった。