大崩山 461m
2020.7.4(土)
雨 単独 西麓から入山し、山塊一帯を徘徊し東尾根を下り周回 行動時間:2H8M
@入山口5:38→(24M)→A390m峰(北側)6:02→(15M)→B440m峰6:17→(13M)→C340m峠(祠)6:30→(16M)→D大崩山6:46〜47→(9M)→E秋葉神社(380m付近)6:56〜57→(20M)→F青岩公園入口西7:17→(29M)→G戻る7:46
@入山口 | @道中に道標は一切なくマーキングのみ。 | 南からの道が合流。 | 370mのコル |
390m峰。南側の高み。 | 歩き易い尾根筋 | A390m峰西峰。北側の高み。 | A390m峰東峰 |
440m峰北側直下 | B440m峰 | 440m峰西側の伐採谷。 | C340m峠地形にある祠。明治6年と読める。 |
痩せ尾根 | 露岩 | D大崩山。 | D今年作の標識 |
D川井山側 | 東尾根の450mの肩 | 450m肩の標柱 | 450m肩は東側が開けている。 |
歩き易い尾根筋が続く。 | E380m付近に祠が現れる。地形はこの先は急傾斜。 | E燈台も添えられた祠。東を向いている。 | E「秋葉神社」とあった。 |
E秋葉神社から東側を見下ろす。下仁田バイパスが見える。 | 東尾根を離れ北に下ると、鏑川の手前に水路がある。個人の敷地があり、水路沿いを伝うのがいい。 | F青岩公園入口西側に出る。 | 牧口橋から見る380mの高み。ここから大崩山の山頂は見えていない。 |
380m付近からの東尾根の勾配。降りなくてよかったよう。ただしどこかに道はあるはず。 | 南牧川と青倉川の出合。右に甌穴のような大小の穴が見られる。 | 上に大きいのが二つ。下に4つ。 | 青倉への分岐道標。片方は会社名で珍しい。 |
カランが設置された水槽。捻ると水が出る。造られて60年以上は経過していると思われる。 | 青倉側の水路。北麓で見た水路と繋がっているのかどうか・・・。 | 跡倉のクリッペを学ぶ。 | ここがクリッペの痕らしい。 |
林道分岐 | 440m峰から見下ろした伐採谷を、下から見上げる。 | G駐車余地に戻る。入山口の15mほど下。 |
2020年の今年は、例年以上に梅雨らしい梅雨じゃないだろうか。西上州では4週連続で週末に雨となっている。そしてこの土曜日は降り止む時間の少ない完全に雨の土曜日。いろんな策略はあったが、遠出はせず近場で遊ぶことにした。
大崩山は2002年が初登であった。18年ぶりに再登となる。ずぶ濡れになるのは間違いなく、そうなってもいいくらいで登下山出来る場所と判断した。本来なら梯子登山にいい山であるが、それは晴れている時。濡れての車移動は私は苦手で1座の予定とする。
山と高原地図では、駐車を旧青倉小学校の敷地としているが、林道に車が入れることから、ピストンを考えていたので入山口まで上げてしまうことにした。林道の実線路と水線の描かれている谷は、最近の伐採作業の跡が見られた。林道が泥濘で、以前の入山口まで上げられず、手前の入山口下の広みに停車した。
5:38雨具を着込んで出発。入山口には白いビニール袋がマーキングとして縛られている。山頂までの経路に一切の文字案内は無く、マーキングのみのルートとなっている。僅かに登ると、南からのルートに出合う。18年前はこれを伝って歩いてきた。谷を左にして道形を進んで行く。途中でマーキングは左に逸れるが、すぐに山頂に着いては面白くないのでまっすぐの道を伝ってみる。
道形は東進して行き、390m峰を前にして西側に向いた場所からルートを離れて東側に直登する。登り上げた場所は370mの尾根上で、北に登って390m峰に立つ。この場合、その北側にも390m峰があるので、「南側の」「北側の」で分別して記述します。下草のない尾根を北に進み、登り上げると北側の390m峰。南東側にも高みがあり、両方踏んでから南に戻る。
二つも三つも同じと、南の440m峰にも上がってみる。上に行くに連れ西側が明るくなる。伐採斜面があるからであった。440m峰に立つと、西側はガスの中に伐採痕が見られ、晴れていれば関平地区が見下ろせたであろう。北に下り、350mから北西に向かう尾根を伝って行く。下に実線路が見える辺りから、やっと大崩山本峰に向かうべく北進してゆく。
一度伝っている道形に合流し、峠の雰囲気のあるコルに到達。ここには祠が立つ。その祠の刻みは「明治六 酉年」と読める。やせ尾根を左右の地形に注意しながら伝って行く。露岩をタイガーロープで西巻し、最後は北に振った後に南に戻るようにして登頂した。
大崩山登頂。山と高原地図からは360度の展望地となっているが、現在は東側の展望は植生に塞がれている。2002年時には、北に膨らむことなく南東から登頂したので、北東尾根の様子を見ていなかったが、この日は少し膨らんだことにより、歩き易そうな尾根と判断できた。車を置いた場所とは逆行で離れることになるが、折角なら北東尾根を踏査してみたいと思え、往路を戻らず東側の上吉崎地区側へと降りてみることにした。山頂には今年設置の新しい標識がビスで立ち木に縫われていた。素材が木製なので、木の成長により数年で割れてしまうだろうと思われる。
北東側に進んで行く。道が在るかのように快適。道が在ったかのように快適な尾根だった。450mの肩には、境界標柱のような杭が見られ、尾根上で杭が見られたのはここだけであった。450mの肩は東側が開けていた。伝い辛いところは無く尾根を進めていた。ここまでは北東尾根を降りて正解だったと思えた。
380m付近で、尾根上に人工物が現れた。そこには予想外の祠が立っていた。この事から、麓からこの場所への道が必ずあるはずと予想できた。祠には朱が入れられた刻みがあり、「秋葉神社」と彫られ、「昭和五十四年」設置のようで、あまり古いものではなかった。ここからは東側の眼下に下仁田バイパスが見下ろせる。さて下山路であるが、道が在るだろうと予想している中で、全く見えてこない。これまでの経路の延長としては東側に降りていきたい。しかし、東進はかなり急こう配で、雨の中ではリスクがあった。道形でも発見できれば伝ったが、少し降りても見えてこなかった。
地形図からは、370mから360m間の等高線が密なので、ここだけクリアーできれば後は安全地帯に見えるが、濡れた中に降りて行くにはやはりリスクがあった。この日はピストン予定だったのでザイルも持っていなかった。ギャンブルはせず祠の場所から北側へと下って行く。地形図には北側に尾根形状が下っているが、その上は少し伝いづらく、尾根の西側のザレ斜面を降りて行く。流れる地形で、立木が少なかったりするのでかなり神経を使う。標高300m付近まで下ると杉の植林帯の中に入り、棚地形があり伝いやすくなる。
北に降りて行くと、目の前には南牧川と青倉川が合わさった濁流(大雨の中なので)が流れている。西に進めば跡倉地区に出るが、大崩山の北東位置に居るために、生活道路に出るのは東進の方が早い。東に進むと民家のような建物が見えてくる。今は農具置き場であるが以前は民家だったろう建物だった。水路が鏑川と建物との間にあり、それを伝えばいいようにも見えたが、見える東側が薮化していた。建物の南側を巻くように進み、最後は畑の中の道を使わせてもらい青岩公園入り口前に出た。
鏑川を跨ぐ牧口橋の上から大崩山側を見る。先ほど伝ってきたからハッキリと判るが、ここから見える高みは390m付近であって、大崩山最高所ではない。そして秋葉神社の場所から東に降りなくて良かったと思える勾配が見えた。車道を歩いて青倉へと戻って行く。川井山の南東辺りの歩道は、鏑川にオーバーハングしたような造りになっているため、濁流を見下ろしながら歩くのはかなりムズムズした感じとなった。青倉川と南牧川の出合いには甌穴のような穴が見られる。甌穴なら景勝地となるだろうから、そうしていないってことは人工的なものなのだろう。
跡倉交差点に立つ高さ2mほどの道しるべには、「右 月形磐戸」と読めるが、左は「白石工業株式会社」とあり地名でなく社名だった。これも歩かねば知りえない事であった。そして少し登った場所に在る水槽は、カランをひねるとちゃんと水が出てきた。地域の共同水道だったのだろうと想像する。トタン屋根の古い住宅を左に見ながら上がって行くと、「跡倉のフェンスター」の解説板が見えてくる。ここに、北麓で見たのと同じ水路があり青倉川を渡ってきていた。向こうと繋がっているのかどうか、こちらには流れがあるが向こうは流れは無かった。
跡倉のクリッペも寄り道してゆく。丁寧な解説があるが、見る目が無いので地層を見ても良く判らない・・・興味はあるのだが。旧青倉小学校の二宮尊徳を見たら、関平橋を渡って林道を登って行く。雨は依然降り続いたまま、この日は最新の雨具を纏ったが、中は濡れて蒸れて不快そのもの。がつがつ歩かねばここまでにはならないのだろうけど。向かう先に白い車体が見えてきた。
振り返る。踏査としては8割くらい。あと2割は東麓の標高差100m間で、まだ不完全。明治橋のある真東か、もしくは実線路が鋭角にターンしている辺りからのどちらかに入山口があると見た。降りた北麓には獣道以外に道形は無かった。私も今後気にして探してみたいが、これを読んだ元気な方は道の場所を探って欲しい。