大谷        1195.4m                          
       
                                                                                                      
   
  2020.12.19(土)


  くもり    単独     大谷地区(北)から     行動時間:2H40M


@大谷地区終点地6:33→(81M)→A大谷峠7:54〜55→(9M)→B大谷8:04〜10→(7M)→C大谷峠帰り8:17→(56M)→D終点地9:13
           


 
@大谷地区の林道終点の袋地 最初の植林帯が終わり、伝ってきた左岸を振り返る。 800m付近。左岸の勾配が緩やかになる。 太いワイヤーが現れる。
       
920m付近。沢が広くなる。枝沢があるが、本流は右に進む。 またワイヤーが現れ、沢筋に沿うように長く残されている。 940m付近。中洲的地形を登って行く。 960m付近。上側にスギの植林帯が見えだす。
     
炭焼き窯跡が複数カ所見られた。 植林斜面の中に、斜度の強い獣道のような筋が見られる。 主尾根直下はホウ葉が一面。 A大谷峠。一帯に割れた瓶が散乱している。
       
古いマーキングが見られる。 B大谷最高所 B北東側の三角点 B三角点の場所から見る最高所。
       
B大谷三等点 B大谷から両神山 Bヤキソバパンと 大谷峠の東側の大岩は、北も南も巻ける。(振り返り撮影)
     
大岩の場所で北側に導くマーキング。(振り返り撮影) D大谷峠帰り 谷の中でワイヤーが縛られていた大岩。 ややゴーロの多い谷で、落ち葉の下には注意が必要だった。
       
大谷地区が近くなると植林地の中にハッキリとした道形が現れる。 E林道終点地に戻る。




 両神山の東に、辺見尾根と呼ばれる長い尾根が宝泉寺まで続いている。そこの東側は四阿屋山経由で、両見山まで伝っている。ちなみにこの両見山だが、大昔の誤記が背景にあり本来の場所は違う場所だそうだ。そんなことは知らない時に、エアリアマップと山名事典を見てアプローチした。この時には大谷の存在は知らなかった。後になりKUMO氏の行動を見聞きすると、東から大谷まで足を延ばしてピストンしてきていた。”大谷まで行けばよかった”と思ったのは後の祭り。尾根上で大谷が落穂となってしまっていた。

 
 長い尾根なので、素直に東側もしくは西側からアプローチするのが順当だろう。ただし伝う人が少ないのには訳がある。一般向きな地形でなく、やや危険が伴う場所が待っている事。こうなると犬連れは無理なのかと考える。押してダメなら引いてみろ。東西がダメなら南北がある。北麓と南麓でアプローチできそうな場所が無いか探す。


 大谷の西に大谷峠と呼ばれる場所があり、現に祠もあるようだ、となると北の大谷地区と南の市場地区を結んでいた峠道が在ったと考えられる。さて道を切るならどう作道するだろうかと想像する。南斜面には針葉樹マークが見え、尾根にも谷にも杣道があり、それらは峠道に絡ませているだろうと想像できる。北は広葉樹が多く、一部植林された場所がある。南に比べると穏やかな等高線が刻まれている。大谷地区まで道が上がっていることから、そのまま沢沿いの峠道が在るだろうと思えた。北からアプローチしよう。久しぶりに少し緊張感をもって挑む。


 4時15分に家を出る。秩父側に行くのは久しぶりだった。皆野町経由で小鹿野町に入り、薄川沿いの279号へと入って行く。奥に進むとすれ違いが出来ない道幅になり、帰路の日中での通過が心配になる。大谷地区へは、出原バス停の先にハッキリとした道標があり案内していた。薄川を渡り舗装路を進む。この舗装林道には等間隔に除雪用のスコップが置かれていた。奥で暮らす人が考えた知恵なのだろう。


 入山地点にしようと考えていた、大谷地区へ向かう最後のカーブの場所に辿り着くと、地形図に載らない道が水線沿いに西に進んでいた。全て舗装路で、何処まで行けるのかと期待半分だったが、カーブの先30mくらいの場所で袋状の行き止まりとなっていた。沢の水量を確認しようと闇夜に出ると、結構流れの音がしていた。これだと沢の中を進むのは無理かと、見えないながら判断できた。夜が明けるまでしばし仮眠。


 6:33行動開始。通常なら、この場所から谷沿いに山道があるはずである。沢の右岸側は急峻過ぎて伝えそうな場所は無く、反対に左岸側は植林帯なので、作業道を含めた杣道があると想像できる。しかし林道終点地からの道はない。在ったけど崩落しているようだった。植林帯の上側を見ると、棚地形が見えた。大谷地区側からの道が在るかもしれないと想像できた。どうしようか迷ったが、林道終点地から上にあがっている薄い踏み跡があり、とりあえず這い上がって行く。どうも獣道のようだった。その先も沢沿いを薄く進み有耶無耶になった。斜面上側を見てもそれらしい筋は無く、ここを伝う杣人も居ないようであった。伝っているのは僅かに獣くらいで、その獣も数か少ないようで、他のエリアで見るようなシカ道とハッキリわかるようなものはなく、薄く何となくあるような類であった。


 最初は水面から2〜3mくらいを進むが、崩落で進めない場所は一度高く巻いて、その先で大きな倒木があり再び上側を巻く。するとすぐに植林帯が終わる。広葉樹のみとなった沢の中を進むと、標高890m付近に直径25mmほどの太いワイヤーが残置されている場所が現れる。沢の水量は当然のように遡るほどに少なくなっていた。流れが無くなれば沢の中を突っ切ってもよかったが、大きな岩がごろごろしている沢で、避けてしばらく左岸を歩いていた。


 920m付近で進む先が広くなる。細いながら流れのある右側の沢筋を選んで進んで行く。すると再びワイヤーが流されていた。今度は沢に沿うように縦に流されていた。麓に木を搬出した時のものがそのまま残されているような感じであった。このワイヤーは時折地中に潜るが、最上部は大岩に結わえられていた。大岩は地上部だけでも20tとか30tとかありそうな大きさをしていた。


 ワイヤーを追っていたら、自然と中洲のような地形を登って行き、この頃にはもう涸れ沢の中を歩いていた。落ち葉の下はゴーロだったりザレだったりで、ズリズリと登って行く感じであった。途中に「小鹿野町 新井屋」と底に書かれた湯のみが落ちていた。960mには炭焼き釜の跡が見られ、この上部にも同じような石積み状態になった釜が見られた。進む先の左上に黒い山頂部が聳えている。大谷のピークで間違いない。

 
 主稜線が近くなると杉の植林帯が現れる。峠が近くなるので何かしらの峠道が見えてくるかと思ったが、里山によく見るような道形はここにはなかった。ただ、斜上する勾配の強い筋があった。これを私は獣のモノと見たが、真偽は判らない。その道を迷犬が斥候で伝って進むので後を追わねばならなかった。

 
 1140mの主尾根に乗り上げる。何処に祠があるのかと探すと、少し西寄りの場所に祠があり、お供え物の残存品がその前に転がっていた。この周囲には割れた一升瓶が多く、峠でホッとすると言うより、着いて気を使う場所であった。この峠からの東進は、最初に大岩がある。南巻きは高い位置で巻け、北巻は幾分深く巻いて進む感じで、北側には黄色いマーキングが付けられていた。尾根上には馬酔木が多く、それも高木が多い。

 
 大谷登頂。三角点は最高所にはなく、北東側に1mほど標高を下げた場所に三等点が埋まっていた。どちらにも山名標識は無い。両見山のことがあり、地元の方が標識類は撤去するそうだ。そう聞いていたので、ここもそうなのかと思う事にする。西を見ると黒く両神山の山塊が見える。曇天で他に同定できる山は見えなかった。無事危なげなく登頂できた。下草もなく、獣道の薄さからも糞からも獣は少なく、猟場にならない雰囲気もあり、現に一帯エリアからは銃声は轟かなかった。ヤキソバパンを分かち合ったら下山。

 
 大谷峠に戻り、再度西に東に歩き回り道形を探した。結局なかった。もしかしたら大谷峠からは西寄りに進み、927高点のある尾根に切られていたのか・・・。少し伝ってみようかと谷の西寄りを降りて行く。しかし途中で地形が広くなり、自分の居場所が判り辛くなり、往路の谷へと戻って行く。戻りながら谷全体を見下ろしたが、やはり沢沿いの道は無かった。大水で流された可能性も無きにしも非ず。

 
 と言うのも、車を停めた林道終点地が近づくと、杉の植林帯の中に明瞭な道形が現れた。水面からの高さは20m付近で、その道は大谷の集落に向かっていた。カーブした先辺りに出る標高で、最後まで行こうかと思ったが、付近からチェーンソーの音がしていた。私の存在が作業を邪魔をしないよう避けるように下に見える終点地に降りて行った。
 






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