入馬山 901.8m 源五郎山 1185.5m 大猿山 1332m
小猿山 1310m 羽毛山 1377.8m 物見山 1461m
2020.3.28(土)
雨のち晴れ 単独 大山祇神社から 行動時間:4H51M
@大山祇神社5:31→(19M)→A入馬山5:50〜52→(53M)→B源五郎山6:45〜48→(22M)→C1240m峰7:10→(27M)→D大猿山7:37〜43→(8M)→E小猿山7:51→(20M)→F羽毛山8:11〜13→(15M)→G物見山8:28〜35→(10M)→H羽毛山帰り8:45→(18M)→I小猿山帰り9:03→(8M)→J大猿山帰り9:11→(18M)→K1240m峰西側で南進9:29→(15M)→L林道に降り立つ9:44→(22M)→M会場橋10:06→(17M)→N大山祇神社西駐車余地10:23
@大山祇神社前が尾根末端。 | @神社から見る尾根側。左に見える電柱の場所から取付いた。 | @電柱の場所から道形の幅が上がっている。駐車余地は緩いカーブの場所。 | 段丘地形を経て尾根に乗る。 |
尾根をケーブルが横切り進路を塞いでいる。 | A入馬山山頂 | A入馬山北側。ここもアンテナが設置してある。 | A入馬山の南側は、アンテナのケーブルが流されている場所が切り開かれている。 |
A入馬山の最高所 | 入馬山の西側に行くと、北側から林道が上がってきていた。 | さらに西に進むと、別の林道と出合う。880m。 | 真新しい伐採痕が残る。 |
1070m付近。勾配が強くなる。 | B源五郎山 | B黒色でなぞられた四等点 | B国土地理院の大ぶりな角柱が倒れている。 |
1120m付近 | 1160m付近。急登。 | C1240m峰 | 1220mに送電線鉄塔が立つ |
鉄塔の西側に巡視路道標が現れる。 | 甘い。これは甘楽町の境界標柱。 | D大猿山の山頂部は露岩が多い。 | D標識 |
Dすかいさん関の標識も見られる。 | D犬猿の仲。猿に登ってしまい「反省」している。 | D大猿山山頂から北側の池表記の場所を見下ろしている。 | E小猿山には人工物無し。 |
ササが現れるが、見事にシカの食害に遭っている。 | 鹿道が濃く見られる。鹿道の分岐場所。 | F羽毛山の三角点は、最高所より1mほど低い場所にある。 | Fここも黒くなぞられている。 |
F羽毛山のすかいさん関の標識。 | F羽毛山最高所から物見山側。 | 物見山は東西に二コブとなっている。 | 東峰の方に大きなサルノコシカケが見られる。 |
F物見山。向こうに白髪山の高み。 | G物見山のすかいさん関の標識。 | G標高点をとっている場所は、最高所より若干低い場所となる。 | GこれはG標の残存品であろう。 |
G物見山から赤久縄山側 | G本日最高所でヤキソバパン。 | G物見山から北西側。 | G物見山の東峰 |
H羽毛山は、この標柱の在る場所が最高所。 | H羽毛山から見る稲含山。 | I小猿山から大猿山。 | 大猿山の池マークの中。水分は無し。 |
J大猿山再び。 | 鉄塔再び | K1240m峰西から南へ下る。 | 1150m付近から植林帯の中に入る。 |
植林帯の中で横切る道形に乗る。 | 巡視路道標が現れる。 | L林道に降り立つ。 | L巡視路入口の西側にはゲートあり。 |
Lこの看板もあり巡視路の場所は分かり易い。 | 林道を東に向かうと水場も設けられていた。 | M会場橋からの入口は、350mmほど掘れていた。車での進入は無理。 | N大山祇神社西の駐車余地に戻る。 |
Googleの地図を見ていると、地形図では見られない山名が掲載されていたりする。以前御荷鉾山付近の地図を見ていた時に、「源五郎山」とフラれた場所が見つかった。同じ尾根上には他にも名が入った場所がある。この場所は雄川(甘楽町)と鮎川(藤岡市)の分水嶺になっている尾根で、里山でありながら奥深さもあり、とても面白そうに思えた。名前の場所をクリックすると登山情報が現れ、安中山の会の横田さんの著書で紹介されていることを知った。
各山名を検索すると、稲含山(北)側、藤岡市(南)側、大山祇神社(東)のある尾根末端からと、いろんなアプローチがあるようだ。白髪岩は踏んでいるので、その北東の物見山を最終目的地とした場合、面白そうなのはやはり大山祇神社からのアプローチだろう。迷犬にはやや長駆になるが、概ねたおやかな尾根なのでそう負荷にならないだろうと思えた。
甘楽町秋畑からの峠道が19号台風により不通が続いていた。鮎川湖のある東側から西へと鮎川沿いを遡って行く。途中にある名無村は珍名地名で有名な場所である。ちなみに読みは残念ながら「ななしむら」に非ず。一度会場橋のところまで進み、ベストな駐車余地を探しながら大山祇神社まで戻る。神社の30mほど南西に適当な余地が見いだせた。外は雨、夜明けを待つ。
5:31行動開始。大山祇神社にお参りしてから尾根に取り付く。この取り付き場所は、神社から南西に20mほど進んだ場所に電柱が立っており、そこから斜めに道形が上がっていた。ここからの上側は段丘のような地形で、城跡のような雰囲気が続いていた。なにか耕作していた跡なのか、明るい地形が続いていた。取り付き易かったのですんなり尾根に乗れるかと思ったが、どうも甘楽町側から取り付いた方が楽なようであった。すぐにサッと乗れるかと思ったが、5分ほどかかって尾根に乗った。
870mの肩付近には、尾根を南北に横切るようにケーブルが流され、その先の北側にはアンテナが立っていた。間違いなく会場地区のお宅のアンテナだろう。榛名山のアンテナ塔に向けられているようだった。もう少し施工のしようがありそうなものだが、尾根を通せんぼするように敷設されているのは珍しい。もっともここは、敷設した人の自分の土地ってこともある。自分都合で勝手を言う前に多角的に物事を考えねばならない。ケーブルを持上げ潜って進む。
入馬山は広く平らな山頂で、ここにもアンテナ設備があった。何エレだろうか、数えるのも億劫なほどにエレメントが付いている。これらもみな南側からケーブルが来ており、その方角に行くとケーブルを流してある南斜面は切り拓かれているように見えた。そして平らな山頂の中での最高所は南側のようであった。ここで一つミスをした。三角点のある山頂であったが、出発したてで地形図を見ていなかった。到達した時に三角点があることに気づいておらず、探すことをしなかった。山名板が無い場所であったが、点の付近に在ったのかもしれない。早々に一座踏んだと意気揚々と西へと足を出して行く。
入馬山を出て3分ほどすると、北側の甘楽町側からの林道が尾根に合流した。次に一山越した先の880m付近でも再び林道幅が現れる。そしてこの西側一帯では、最近の伐採痕が広く残っていた。間伐作業のようで間引かれたものは細かく刻まれていた。緩斜面が1050m付近で終わり、その先は源五郎山への急登が待っていた。先を行く迷犬も横腹をこちらに見せながら九十九を切りながら登っていた。雨はまだ止まずで、そのうち止むだろうと雨具を着ずにいたので、迷犬共々けっこう濡れた状態になっていた。
源五郎山到着。ここは見逃しようがない場所に堂々四等点が埋まっていた。北側には旧式の大きな国土地理院の標柱が転がっていた。昔はこの大きな標柱が横に立つ三角点が多かったが、いつしか小ぶりなスマートなものが多くなった。山頂をよくよく探したものの、このピークには山名板は無かった。珍名座であり、在って欲しかったがしょうがない。さてこの先の地形は地形図からは鎧のような地形で、今回のルートでの一番の急峻地形となる。1240m峰を通らずに北斜面を抜けて鉄塔側に出ても良かったが、ひょっとして1240m峰に何かしらの名前がふってあるんじゃないかと想像し、まともにまじめに急峻を這い上がって行く。
1240m峰には境界標柱と見出し標があるだけで、山名板などは見られなかった。ここほどの体格であるならば、源五郎山や大猿山に対し引けを取らない場所に思えるが、登頂してもなお無名座のままであった。向かう先に送電線鉄塔が見えてくる。吊り尾根を経て登って行くと、土留め工事がされているのが見え出し、細い尾根上に何とか鉄塔を立てた様子が見える。1220mの肩にそれはあり、鉄塔下にはグラススキーの下地材のようなものが敷かれており、霜のせいだろう留め具(ペグ)があちこちで浮き上がっていた。
鉄塔を潜り進むと巡視路道標が現れた。南からの道がここに上がってきているようであるが、そこから見える谷を見下ろしても存在が全く判らなかった。尾根上の境界標柱には「甘」の文字が見られる。甘楽町設置と言う事か、北のこっちか甘楽町だよと言っているのか・・・。緩やかな尾根を伝ってゆく。雨は上がったが、西側には重そうなガスが垂れ込めており、いつになったら日差しにありつけるのかと思っていた。そして、猿に犬を近づけているが、何か起こるのではないかとちょっとだけ気にしていた。
大猿山登頂。これまでのピークとは毛色が異なり、ここは露岩がたくさん見られる山頂であった。そして地形図に読める池が北側眼下に見られるはずだが、水のみの字も見られないような、落ち葉が堆積した只の窪地だけであった。山頂には標識が3つもあり、それが為に賑やかな場所に感じられた。そしてこれ以上標識は増やさないで欲しいと願う。持上げた河内晩柑を分け合いながら西へと進む。ここからの西進は、池側に降りてから西進した方がいいようだった。まともに西に進んでみたが、すぐに北にズレねばならないような地形となった。
1310m峰が大猿に対する小猿山。人工物の何もない素っ気ない通過点であった。1290m付近ではササの植生が一帯に見られるが、見事に食害に遭っていた。もう数年すると下草のない地形となるだろう。その頭数を示すかのように、濃いシカ道が見られ、よく踏まれそこだけ耕されているような地質となっていた。シカ道の分岐の場所には道標を立てたいほどに、奇麗に分かれていた。進行方向右側には、稲含山とすぐに判る山容がある。上信越道側から見上げる山容と、この南側から見る山容とで大きく違いがなく南北の山容が似ていることに気付く。
羽毛山の東側には三角点に見間違えるような標柱が埋まっていた。そして下仁田町と甘楽町と藤岡市に接している場所に四等点が埋まり、すかいさん関の標識もこの場所に取り付けられていた。でも実際の最高所はわずかに南に行った場所で、そこには境界標柱が埋まっていた。標高を拾っている場所より、最高所は1mほど高いように感じられた。残すはあと1座。迷犬もさすがに疲れてきているようで、常々先行する役目であったが、この時は後ろを歩いていた。見える物見山は東西に二コブのピークで形成され、その鞍部を目指して登って行く。鞍部の少し東側には大きなサルノコシカケが出来ていた。ここではなく大猿山に在って欲しかった。
物見山登頂。南西にある白髪岩のピークが近い。標高点を取っている場所に標識を付けたようで、ここにもすかいさん関の標識が見られる。同じ場所にGさんのだろうテプラ標が一部になって残っていた。ここも最高所は少しズレた場所であった。そして登頂と同時くらいに、やっと日差しが現れた。ヤキソバパンを迷犬と分ける。旨そうに食べるので頑張ったご褒美に大半は与えてあげ分配率は4:1くらい。帰りは東峰にも寄って行く。郷の方を向いた祠があるんじゃないかと想像したが、予想を外れ人工物の一切ない高みであった。
物見山からの帰路、地形と植生が似ているので北北西の尾根に吸い寄せられ、途中で気がつき東にズレる。低いササの植生が一帯にあり、それが為に往路もここを通過したと思い込んでしまった。羽毛山に戻り最高所から三角点の場所を見るも、やはり1mほど高低差があるようだった。三角点の場所にはワイヤーロープが木に巻かれている。巻かれた木の痛みようからはだいぶ力が加わった過去が見える。
シカ道に沿うように東に戻って行く。小猿山から見る大猿山はさすがに大きい。そして帰路は池の場所を偵察してゆく。しかしその中に入ったが水気は一切なかった。底が抜けてしまったのか、または温暖化で雪が少なく水が溜まるほどにはならないのかもしれない。南に這い上がって大猿山再び。雨から一転しての好天であるが、春を通り越したような強い日差しに思え暑い。迷犬も水を欲する目を向けてきており、ここで持上げた全ての水を与える。
巡視路道標の場所から下ればと思っていたが、反対側の甘楽町側を見下ろすと、ごつごつとした岩床が見えた。同じ地質だろうから南も同じなのではと考え、ここはパスした。鉄塔を潜り、吊り尾根の東側から南に下降する尾根にはリボンが降りていた。地形図を見ると下の方に行くと尾根形状が無くなっている。それより、1100m付近で顕著な尾根形状が見られる、一つ東尾尾根を降りた方が間違わないと判断し、1240m峰の西側で下降しだす。
1150m付近から下は植林帯で、向かう先が日中でもかなり暗い。ただしもうこの中に入れば杣道があるだろうと想像できた。すぐに道形は現れ、ちょっと予想外だったのは水平に走っていたことだった。どちらに行けばいいか判らず東に進む。九十九折に切られており、かなり緩やかに作道された山道であることが判った。伝う途中に巡視路標柱があり道が分岐していた。主尾根の標柱の場所から忠実に道が拾えたならば、ここに出たようだ。道形を伝い降りてゆくと下の方にダート林道が見えてきた。
林道に降り立った場所には巡視路標柱があり、「119号に至る」と書いてあった。林道の僅か西側にはゲートが在り開いたままになっていた。さらに水源整備の看板があり、下からの取り付き点としてはとても判りやすい場所となっていた。林道を東へ進んで行く。東にも門柱だけのゲート跡があるのだが、そこは水場が作られ流れは細いものの汲みやすいよう塩ビ管が埋め込まれていた。
会場橋がある林道の入り口部分は、大きく抉れ林道への車の侵入はまず無理な状態になっていた。それが為に入り口には黄色いテープが道幅を塞ぐように張られていた。舗装林道を降りてゆく。偵察に来ているのでここからの道両側の景色は見知ったものであった。会場地区は、釣り堀を経営する「赤久縄」だけが住まいしていると思い込んでいたが、道の北側に平屋があり、老人が掃除をしている風景があり、その横の二階家には洗濯物が見られた。住まいしている・・・。買い物をするにも大変であろう。道の下側には廃墟に隠れているハンターがオレンジ色の服で見えていた。
着替えていると本当に近くで銃声が轟いた。車道のこんな近くで発砲していいのかと驚いたのだが、その距離は30mくらいの近距離だと思える。乾いたその発砲音にかなり怖さを感じた。会場地区の住まいしている人も居る場所なのに・・・。
振り返る。ちょっと思ったのは物見山からの下りを、鮎川の源頭を辿るようにしたら面白いのではと当初考えた。ゲートの所にあった水源整備の絵図を見たところ、林道が奥にも通じているので、そのコース取りでも良かったよう。発砲には驚いたが、静かに遊べるいいエリアと思えた。