雷電山        418.2m         堂山         250m                                                                                                               
         
                                  
                                 
                                                                                                      
  2021.12.25(土)


 雨のちくもり      単独      雀川砂防ダムより周回       行動時間:2H8M


@雀川ダム駐車場6:35→(7M)→A登山口6:42→(40M)→B雷電山7:22〜27→(29M)→C堂山7:56〜8:00→(16M )→D吉沢地区入山口8:16→(27M )→E雀川ダム8:43     
    
        


 
@雀川砂防ダム駐車場から。トイレは夜間も電灯が点る。 橋を渡り、右岸側の堰堤脇を進む。 よく整備された散策路がある。 A左岸からの林道終点地が登山口。
       
A登山口道標。ここから雷電山までは、各分岐に道標が立つ。 麓側は明瞭な一級路。 なんども屈曲する登山道。 2か所ほど野草が覆う場所もある。
   
B雷電山山頂。南と北とに、二つの木祠がつくられている。 Bときがわ町の標柱は分かり易い。 B南の祠。石祠も二つ。 Bヤキソバパンと
       
B三等点 尾根上320m付近で展望が得られる。 帰路はここから下山した。堂山西の日影地区への下降点。 C堂山の標柱は、最高所より低い場所(東)に設置されている。
       
C標柱 C元日登山の場所のよう。 Cシナノゴールドと 下降点からの道形は、落ち葉に埋もれ不明瞭。道の幅を示す杭が続くが、それでも不明瞭。
     
尾根に乗ると、よく踏まれた掘れた道形が在る。 地形図の破線路に合流。分岐道標無し。 私有地の脇を通過してゆく。吉沢地区。 個人宅の敷地に入って行く感じ。
       
D伝って来た道を振り返る。私有地のような道。この分岐にも道標は無い。 日影バス停(見える車の向こう側)。 日影神社 E雀川砂防ダム駐車場に戻る。




 深夜1時。大粒の雨が屋根を叩いていた。しつこく上州の東毛エリアを予定していたのだが、出足を渋らせる雨。どれほど続くのかと雨雲レーダーを見たら、9時くらいまで降るようだった。降らない予報だった中での計画で、雨ならと別の場所に行くことにした。パソコンを立ち上げ、広範囲に雨雲の様子を確認する。奥武蔵エリアが雨雲が薄かった。連週になるが、また比企郡エリアに行こう。

 

 雷電山。都幾川町より、東御市に在ったほうがしっくりいくような気がするが、おそらくは力士雷電の生きた時代より先に、この山が雷電を名乗っていたのだろう。北の大峰山と抱き合わせにした周回をと思っていた場所であるが、天気が芳しくない中では切り離して遊ぶことにした。雀川砂防ダムよりルートがあるようであり、駐車場の確保は出来た。あとは堂山まで抜けた場合、その先をどう一筆書きにするかだが、県道30号に抜ける登路もあるようであり、地形図に読めない部分も解決できた。

 

 4時に家を出て、地走りをして5時40分に現地に着いた。県道30号の小北入口には、ダム湖を示すような道標は見えず、ダムへの正規ルートは日影交差点経由なのかもしれなかった。雀川砂防ダムの駐車場は予想以上に広く、トイレは夜間でも明るく、しっかりと園地開発した場所となっていた。園地内には絵図が描かれているが、ここには雷電山に関わる表記は無かった。知っているハイカーのみ訪れる感じだろう。あとは、左岸をさらに伝って登山口まで車でアプローチできるようだったが、周回計画の為に後半の登り上げを省力するために下側の駐車場でヨシとした。雨に叩かれながら夜明けを待つ。

 

 6:35雨具を着込み行動開始。この時は僅かに降っていた。9時頃まで降るのを見ていたので、このあと降ってくるものと思っていた。駐車場からの橋も在ったが、園地内の橋を渡って右岸側の散策路を進む。どちらの橋を渡ってもよかったようだった。さらには右岸にも駐車場が作られていた。散策路は箒で掃いたかのように奇麗で、冬枯れの寂れた感じのする場所ではあったが、路面は苔むしておらずくすんだ感じはしなかった。

 

 右に堰堤が見え、階段路を上がると水を湛えた湖面が見えるようになる。この先で進路が二分するが、予想をつけて左を選び進んで行く。ここに道標は無い。進んだ先が広くなり、そこが林道終点地だった。そしてここに来て初めて雷電山の文字を目にする。登山口を示す道標が立っていた。山道に入って行く。

 

 ルートは緩斜面に続いていた。里山の杣道を利用して作道したようで、地権者に借りて作道してある旨が入り口に書かれていた。地形図に読める破線(電子地図は縮尺により、現れる破線が異なる)を辿るのかと思っていたが、何度も屈曲点を入れながら大きく山腹を進んで行く。より緩斜面を選び登りやすくしたのか、もしくは少しでも長く楽しめるようにコースを長く作ったのか。屈曲点には必ず道標が立っている。もしこれらが無かったら、絶対に明後日の方角に進んで行く自信があった。里山なので、たくさんの道形があり、それらを組み合わせて今の登山道となっているように見えた。

 

 標高300mより上では、これまで一級路だった道形が、やや野草が覆う場所が出来、獣道風味に狭まる場所もあった。背景には、利用者がそう多くない為だろう。登山口から気持ちよさが伴うのは、樹林の中ではあるが見通しがいい事だろう。陰鬱な感じがなく終始明るく歩けるのだった。

 

 雷電山到着。北と南に1基づつ木祠が設置されていた。似た仕様ではあるが同じではない。各々で建てているのが見える。南は山腹の雲河原地区のものだろう。ほか石祠も2基見える。北はどの地区の信心のものなのだろう。若干東に曲げてあるので、日影地区のものなのだろう。旧碓氷峠の、熊野神社と熊野皇大神社と同じようなものなのかもしれない。歩き出しから1時間も経過していないが、本日の最高所であり、ヤキソバパンで朝食とする。三角点は北西側にあり、そこから伸びる尾根に踏み跡が続いて行っていた。これが新道に対する旧道なのだろう。

 

 新潟に見るような立木への刻みが見える。「松井勇二」と読めるが、このご時世なら、どの麓の小学校の卒業生なのかすぐに検索出来てしまうのだろう。消えないいたずら書きはしない方がいい。堂山を示す道標に従い南に降りて行く。出発時以降で雨には降られず、防寒に必要でもなく、蒸れて冷えるのを嫌って脱いだ。西平地区への下降点分岐の先、320m付近で急に尾根筋が明るくなる。伐採した痕はあったので、見通しがいいようにしたのだろう展望がいい。向かう堂山も望むことが出来た。

 

 東進してゆく尾根筋は、このあと急峻箇所を経てたおやかな道となる。落ち葉が堆積しやすいようで、イノシシだろう土抗の跡が多い。この時に獣が多い事に気づき、ある事にも注意すればよかった。それは後で判った。この尾根には地形図に描かれない下降路が在り、その全てにときがわ町の道標が立って指し示していた。堂山手前には「東光寺 日影バス停」と書かれた下降点もあり、これを見た瞬間、堂山から東に抜けるのは止めてこの場所から北に下る事とした。さらに東側にも、日影バス停への下降点分岐があった。

 

 堂山山頂は樹木に囲まれた展望のない場所だった。山名標識は最高所を外し、少し下がった東側に設置してあった。そのはす向かい付近に「元日登山記念」の標柱もあり、ときがわ町民における元日登山の場所と知る。少し気になるのは、ご来光が拝めるのだろうかと言う事。樹林が邪魔して、上がってもなかなか見えてこないようにも思えた。最高所に行くと、ピンクのリボンが結ばれていた。

 

 西に戻り「日影バス停」を示す下降点分岐から北西へと降りて行く。道標があったので不安は無かったが、雷電山側の様子とだいぶ違えており、不明瞭な場所が続く。緩斜面に作道されているので、落ち葉に覆われてしまっていて、予想をつけて探さないと見えてこない。道幅を示すように、頭が黄色い杭が埋設されており、それをマーキングがわりに追って降りるような感じであった。立木へのマーキングは一切なく、道標の類も皆無。北に進むのかと思ったら、ズレるように北東に進み、地形図の破線路と繋げてあった。

 

 標高160m付近で破線路と出合う。ここにも道標は無い。破線路の場所は、昔はよく通られたようで峠道風味であった。途中鋭角に曲がって行く道があり、方角からして東光寺側に進む道だろう。左に見送りながら本道を行く。向かう先に吉沢地区の民家が見えてくる。その民家の敷地の柵に沿うように進むと、進む先が民家の敷地内のような場所となる。降りてきた格好だからいいが、入山であったなら、かなり躊躇する場所だろう。庭を通り、その個人宅の専用道路のような道を通過し村落内の本道に出る。おそらくは、公的道を私有地のように利用しているのがこのお宅なのだろう。この場所に一軒しかないので・・・。

 

 西の谷(やつ)地区へと山道を辿るルートもあったが、ここからは舗装路を伝って戻って行く。日影バス停のある県道30号に出てから、雀川に沿って緩やかに登って行く。車道から雀川を見ると、堰き止められているので当然か、流れはほとんどなく、クレソンが大量に生えている場所も見られた。途中の日影神社は、鳥居の様子からは広い境内の場所を想像したが、見えるその場所は意外とこじんまりとしていた。

 

 147高点の北側には、庄屋のような立派な作りの家が見える。八ッ場ダムのように、水に沈んだ集落もあるが、ここのようにダムが出来ても昔のまま集落が存続する場所もある。砂防ダムの駐車場に戻る。

 帰宅後、まさかと思ったが、迷犬にダニがたくさん着いていた。あの土坑の場所が頭に浮かんだ。獣がダニを運んでいる。そしてこの厳冬期にも生息している。一般的には駆除薬を休止する期間であるが、当家は年中山に連れてゆくので冬季も投薬している。獣医から勧められたからなのだが、冬にダニが着いたのを初めて見た。




 
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