仙元山        298.9m       青山城址        267m         大日山        252.6m                
           
 物見山        286m          庚申塚        270m            小倉城址       136m                            
        
                                  
                                 
                                                                                                      
  2021.12.18(土)


  晴れ    単独     下里分校を基点に周回     行動時間:2H53M


@下里分校6:07→(12M)→A遊歩道入り口6:19→(36M)→B仙元山6:55〜57→(9M)→C青山城址7:06〜07→(18M)→D大日山7:25〜26→(15M)→E物見山7:41→(8M)→F庚申塚7:49〜50→(22M)→G小倉城址8:12〜18→(42M)→H下里分校9:00 
                                                                                            


 
@下里分校からスタート。島根地区の破線路を探せず北にズレてゆく。 A遊歩道入り口。最初は日中でも暗い道。 分岐点のみに道標があり、道中には見られない。 3mほどの笹原の中に道が存在する。
     
林道出合。 東屋。スカイツリーが肉眼で見える。 東屋からの道は一級路。 パラグライダーのフライト場だろう。
   
仙元山北の展望台 B仙元山 B行政の標柱 B二等点
       
B南西側が開ける。 心地いいスギ林の中の道 C青山城址 D大日山
     
D四等点 D西南西が僅かに開ける D山中で出会ったのは、この若者のみ。 大日山と物見山間は、園地内の散策路のような雰囲気。
     
E物見山 F庚申塚は石塔が林立している。 F山名をフルカバーしている。 G小倉城址は、最近伐採され明るい山頂部になったよう。
       
G一級基準点 Gヤキソバパンと G小倉城址から物見山側 G伐木でベンチが造られている。
       
小倉峠再び 小倉峠から北への道は、落石なのか土が流れたのか、足場が悪い。 坂下地区に降り立つ。道標が無いので、こちらから登る場合は迷うだろう。 坂田橋から見る槻川は、川幅が広く見栄えする流れ。
       
H下里分校に戻る。喫茶店は11時から。 Hグランドの駐車場は広い。ただ霜が溶けた時間帯は、足がドロドロになるだろう。




 同行予定の登行日、日中の最高気温は5の予想となっていた。まず最初に上州の東毛地区を選んだが、赤城山に近いと雪雲が流れるだろうと避け、小川町と都幾川町の町界尾根を伝ってみることにした。


 低山の周回として適当で、この山塊を伝っている人は多い。多くのハイカーが道の駅おがわまちを起点にしている。公的場所で駐車スペースが広いことが理由だろう。しかし一筆書きをするには、若干のいびつな形となる。天邪鬼なので、もっと楽は出来ないだろうかと探すと、仙元山東の下里地区にある下里分校跡地が駐車場を開放してあるようで、ここを起点とすることにした。寒い日なので、ササっと歩いてこようと言う魂胆でもあった。


 上記の通りの計画をしたものの、同行者は「寒い」と不参加を表明し、何のために頭を巡らせたのか判らなくなってしまった。もう他を検討するのも面倒なので、この場所で決行とした。


 4時19分に家を出て、R254を伝い地走りして現地へと向かう。ショートカットするのに、寄居から円良田湖を通過してゆくと、釣り師の朝も早く、ポイントへ向け駐車場から歩いてゆく姿があった。人などいないだろうと思う道路に、突如と現れドキッとさせられた。彼らはヘッドランプをしていなかった。月明かりの明るい夜だったこともある。


 下里分校は、特に門扉がされておらず、敷地内に自由に入って行くことが出来た。グランドの南側が駐車場で、手前と奥とで40台ほどは停められそうな広さがあった。周囲の民家との距離もあり静かで、槻川の瀬音がよく聞こえる場所だった。ラジオを聴きながら夜明けを待つ。都心に近いためだろう。上州で聴くよりクリアーにラジオが聴こえる。こんな時は、住まいする場所が田舎と感じる時だった。白み始めると、周囲の鶏が鳴き始める。聴こえはいいが、ここも十分田舎であった。外気温は1


 6:07分校を出発する。地形図の「島根」と書かれている西からの破線路を伝おうと、村落内の道を行く。まず最初は、カーブの場所から北に入る実線路を伝う。向かう先には明かりが灯る住まいする家がある。その手前から西に向かう破線路が在るはずであるが、見いだせなかった。カーブまで戻り次は西に入る。二通りの道が選べると楽に構えていたが、こちらの進む先は廃屋があり、その前には廃車が置かれていた。ここでもそこから北に入る道形は見出せなかった。もっとも、後者は荒びようが半端なく、見出せたとしても避けたかもしれない。諦め島根地区の主要道に戻る。


 主要道を僅かに伝うと、八宮神社の南側に「仙元山遊歩道」と書かれた標柱があった。最初は舗装路で、すぐにダートに変る。麓側の各分岐には迷わないように道標が設置されている。少し白みだして行動しているものの、樹林の中のこの遊歩道は、ヘッドライトが欲しいほどに暗かった。軽トラが通れそうな道幅であるが、轍は無く通った形跡はなかった。


 途中の笹藪は、志賀高原に見るような植生で3mほどある。そんな中の道であるが、近年に刈払いされたような様子もなく遊歩道管理には手がかからないようだった。しばらく道標を見ないので、ルートを外していないかと心配になるが、林道出合いの場所に道標が立っていた。林道に乗ってすぐに終点地となり、分岐道標が立っている場所から南に道が降りて行っていた。見出せず廃道かと思っていたが存在するようだった。明るくなってからよく探せば、破線路は在ったのかもしれない。


 林道終点地うえの東屋からはスカイツリーが見えるようで、案内が掲げられていた。目の悪い私でも、その構造物を何とか確認できた。さてここからのルートはさらに良くなり超一級路となる。途中に大モミジがあるのだが、この時季に見ると大モミジにしては貧弱な幹に見えた。里山らしく道が幾重にも通っているようで、それに併せて道標を見る機会も多くなる。


 進路左に開けた場所があり吹き流しが見らることからは、パラグライダーのフライト場に見えた。この先の巻き道道標は山部3Dと同じ仕様で、配色含め酷似していた。避雷針が屋根に乗る展望台が左に見える。先ほどの東屋の場所と同じ景色なために、登らずに横目に通過してゆく。


 仙元山到着。北西側の展望があり、本来なら上州側が見えるようだが、雪雲が流れてきているのだろう遠望は利かなかった。ここの三角点は珍しい割られ方をしていた。通常は角を割られるが、辺が判れていた。と言って感心しているのではない。本日の最高峰ではあるが、まだ序盤なので先を急ぐ。この仙元山南の植林地は、ヒノキかスギか見なかったが、枝打ちがしっかりされスクッと育っており、その立ち姿が美しく見栄えする。


 青山城址への分岐点には、この先のルートに対し「自転車進入禁止」とある。超一級路と書いたが、そう広くない道幅であり、今まで伝った場所は通過OKだったのかと、逆に驚くのだった。少し勾配が増し、堀切を跨いで登って行く。


 青山城址は、史跡として案内板があちこちにあるが、一帯に針葉樹の植生があり暗い場所だった。地形は山頂部が広く城に適しているように見える。その広さで進路を迷うが、幹に巻かれた道標が進む先を示していた。南進してゆくと、右手から八高線の音が上がってきていた。迷犬はその音の発生源が判らないようで、不思議そうに音のする方を眺めていた。


 山では脚側(自分の横を歩かせること)ではなく、少し前を歩かせている。その迷犬が、急に後ろを気にしだした。振り返ると15mほど後ろに登山者の姿があった。私は全く気付かなかった。犬のセンサーの凄さを目の当たりにする。音なのか匂いなのか、私も野生感は長けているとは思うが、足音も聞こえていなかった。もし大型獣だったらと思うと、登山者はみな犬連れの方が安全とも言える(笑)。


 大日山登頂。僅かに西南西側のみ開け、狭角ではあるが遠望が得られる。後続者はソロの若者であった。本日山中で出会ったのは彼だけだった。ここにも四等点が埋まるが、こちらは作成当初の状態を維持していた。さてここでコース全体の半分ほどだろう。進路は南進から東進に変わる。


 大日山からの東尾根は、とてもたおやかで登山道と言うより遊歩道のよう。針葉樹の植生はあるものの、金沢市の健民海浜公園内の散策路に居るような錯覚を覚えた。同じような植生は各所であるが、色合いや空間の雰囲気が似ている。海浜公園は10年間朝に夕に先代犬と歩いた場所であるから、私の見立ては間違っていないだろう。若者に抜かされる覚悟で歩いていたが、大日山以降では見ることは無かった。


 物見山は地形図に記載されるピークではあるが、現地は山名板が無ければ素通りしてしまいそうなほどに山頂らしくなかった。展望もないので特に立ち止まらずに通過する。この先の270mピークは、エアリアマップでは仙元山となっているが、現地には庚申塚と記されていた。石塔が林立し、その中に庚申塔もある。「仙元大日神」なる石碑もあり、これにより「仙元」は「浅間(せんげん)」に通じる漢字表記と思えた。進路は北側に間違いやすいのか、尾根を塞ぐように枝が置かれていた。南東側に降りて行く。


 小倉城址へは、残り300mの表示が見えてからが意外に長い。実際はもっと距離があるんじゃないだろうか。直線的に向かうのではなく、南に膨らんで進むので、300mより歩いている気がするのだった。そして道を間違えているような気がしてきた頃に小倉峠に到着する。ここにも城址に対する自転車進入不可の表示があった。このエリアは、表示が必要なほどに自転車利用者が居るのだろう。東に上がって行く。粘土質の地面にラバーマットが敷いてある場所もあった。


 小倉城址は、近くなると山頂部で何か揺れているのが見える。風車などの構造物でもあるのかと思ったら、幟がたくさん立てられていた。そして山頂を覆っていた大木は広範囲に伐採され、展望のいい広い空間が作られていた。以前のここは青山城址のようだったのだろう。向こう側も同じように手を加えれば観光地化できるだろう。ただし史跡の場所は手続きや許可が必要で、ここでは伐木にその旨が書かれ、埼玉県が伐採許可を出しているようだった。山名の無い城址ではあるが、地形図上では標高点を取っている場所。そして一級基準点も埋設されていた。同じものは経路の山中にも見られた。


 長めの休憩をとって小倉城址を後にする。小倉峠から北に降りて行くのだが、足元に瓦大の石が多い。流れが土を流してしまったようにも思えるし、南側山腹からの落石のようにも見える。そしてそこに落ち葉が大量に堆積しており、足の置き場に気を使う通過点であった。麓が近くなると、道に沿うように古い墓石が並んでいた。そして坂下地区に出る。出た先の住宅は廃屋のようで、窓は無く入口扉は開け放たれていた。この入口分岐には道標の類は無く、ここから入山と計画した場合は進路に迷うだろう。


 下坂地区では、廃墟もあるが立派な庭を持つ家もあり、正月の準備だろう庭師が作業している風景があった。相変わらず外気温は1か2で上がらない。ここは南側に山が連なっているので、日陰の多さからは寒村な雰囲気であり、視覚的な寒さも伴った。66標高点の西の槻川に架かる橋は、東の坂下地区と西の田中地区の名前から、坂田橋となっていた。橋上から見る槻川の上流は、川幅が広く緩やかで、寒い中で見ていても飽きなかった。


 槻川の左岸に渡って田中地区。そして再び右岸に渡って、出発地点の下里地区となる。地形図を見ながら、この流れの曲がり方をどこかで見たような気がし、”そうだ”と思いだした。皆野町の出牛に見える小山川の流れに似ている。道路保全の作業員二人が、縁石下の排水溝の土砂を取り除いていた。とても効率的な作業方法で、1台の作業車を交互に移動させつつ作業箇所を移動する、言わばつるべ方式の作業風景であった。再び槻川を渡る。田中地区には路肩があったが、下里地区には無いので往来に注意が必要。本道から逃げるように枝道に入り、大ぶりなログハウス前を経由して進む。


 下里分校に戻ると、喫茶店はまだオープンしていないものの空調の室外機は唸り音を上げていた。開店前の仕込みをしているようだった。駐車場には、私の他にもう一台置かれていた。出発時はカチンコチンだったグランドだが、霜も溶けて湿気を帯び、若干ヌチャッとした地面になっていた。今日は寒いからまだいいが、暖かくなる日であったら、けっこう泥濘するだろう場所に思えた。駐車場の敷地内には、タイヤが嵌った跡もあった。踏み固まるほどに利用者が居ないって事だろう。






 
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