芝原山        644m        白井指        639.1m             
         
                                  
                                 
                                                                                                      
  2021.2.13(土)


  晴れ    単独     反平地区より     行動時間:2H47M


@R140付け替え道路旧道(廃道)側6:43→(3M)→A公会堂(八坂神社)6:46→(13M)→B工事最奥(堰堤)6:59→(48M)→C芝原山644m7:47〜54→(11M)→D白井指8:05〜14→(3M)→E630m峰8:17→(27M)→F390m林道出合8:44→(17M)→G林道終点9:01→(14M)→H林道ガニ沢線出合(巡礼道入口)9:15→(12M)→I公会堂帰り9:27→(3M)→J戻る9:30
                


 
@反平地区西の、国道が改修され付け替えられた旧道(廃道)側に駐車。 A反平区公会堂。敷地内に神社もある。 A八坂神社 虚空蔵尊のような建物が西に見える場所で、現在は工事封鎖。
       
B工事最奥 B堰堤を越え、緩やかに下って行く。 道形が崩れている場所は高巻き。この先に山の神がある。 山の神には、新しいしめ縄が縛られていた。
   
山の神から奥は、谷は荒れていて何処を伝えばいいか判らなかった。主尾根に向かう斜面も道形不明。 尾根に乗った。 尾根上の巡視路道標。南に道形が見えた。ここまでの往路は、もう少し東寄りを歩いた方がよかったよう。 620m峰西側で道形が分かれる。左を選ぶ。尾根上には道は無く南北に水平道が切られている。
       
620m峰北側の分岐。北側の破線路の分岐点付近。 644高点峰の山頂部は綺麗に伐採されていた。 C644m峰登頂 C芝原山と名前がふられていた。
       
C芝原山の北側。最高所より10mほど北側に図根点が埋まっている。 C三角点のような仕様の図根点。小鹿野町設置。 C本日最高所でヤキソバパン。 C芝原山から望む和名倉山。
     
手前峰(630m)から見る白井指。 D白井指到着。 D似つかわしくないしっかりとした道標が立つ。 D「品пvシナリと読めばいいのだろうか。
       
D標識が三角点を強調している。どうしてかと思ったら・・・。 D二等点だった。 D荷紐にいたずら書きが残っている。 D白井指から見る武甲山。
       
E鞍部からの破線路の道形が見えず、630m峰に戻って尾根を下る。 尾根上の木に「た」と書かれている。 水線の描かれた谷。右岸に破線路も書かれているが、跡形もない。 二つの谷からの破線路の合流点(分岐)。道形はほとんど探せない。
       
林道の終点地に乗り上げる。地形図では実線路。 終点地から振り返ると、北側の植林帯内に道が上がって行っていた。 F地形図の二重線路に出合う場所。 G林道終点。Uターン場所もなく、いきなり終点となった。ここから破線路が尾根を乗越して東に進むが、探せなかった。
       
尾根を南に降りる。道形が在る。 尾根を下ると道に出合う。 「江戸巡礼古道」と知る。 大指地区に向かう道のよう。 
       
H鋼を渡した橋もあった。 この道標付近で引き返す。 古道らしく石仏が見られる。  朽ちた橋の向こう(右岸)側に山の神がある。 
       
H林道に出た場所。 H出た林道は「林道ガニ沢線」。分岐に巡礼道の道標あり。捕獲檻が置かれている。 ジビエ料理を提供するいのしか亭。 I八坂神社の社の中には、古そうな石祠が安置されていた。
       
J駐車余地に戻る。国道上(廃道側)の車線ど真ん中に停めている。砂利の余地もある。     




 白井差と言えば、両神山への最短ルートとして知られた場所。ただしルートは、個人の所有地で維持管理と納税との絡みでいざこざとなり封鎖してしまった。廃道扱いとなり今は伝う事が出来なくなっている。代わりの白井差新道が作道され、新旧と分別され利用されるようになった。この「白井差」とは漢字表記が異なる「白井指」が旧荒川村と小鹿野町との境にある。両神の方は登山口の名称だが、白井指の方は山名である。

 
 アプローチは北の小鹿野町側からだと、あまりにも楽々コースで時間が余ってしまうので、北側を封印して南側で検討してみる。地形図には破線路がたくさん見られ、古くから登られた場所のようにも見えた。今回は南の反平地区から登り、大指地区に降りての周回路を考えてみた。

 
 南に秩父鉄道が走っているので、電車でのアクセスはいい場所。国道があるので車でのアクセスもいいが、下郷地区・反平地区には停めて良さそうな余地が乏しかった。停められそうだが、しっかり草刈りがされていたりし、管理している様子が見られ停める勇気が無かった。着いてから駐車場所を探すのに右往左往して、結局国道140号に戻り、道が付け替えられた場所の旧道側に停めた。ここは行き止まりで使用していない道であった。旧道側であるが、国道のど真ん中に停めて山歩きするのは、この時が初めて。

 
 6:43行動開始。反平地区の水線沿いの林道に入るべく西に進み、反平区公会堂の脇を北に入って行く。公会堂の敷地内は八坂神社があり、参拝してから進んで行く。細い歩道幅の道を行くと舗装路に出て、その先で民家が終わると向かう先の左上にお堂のような社が見えてくる。その入り口付近に、現在は工事のためのバリケードが置かれていた。この場所から5分ほど進むと工事個所があり、現在進行形な工事現場があった。

 
 工事現場の先は使われていない感の強い林道が続き、堰堤を乗越すように上流側で下って行く。すると道形は小沢の場所で崩落しており、高く巻いて進むと、下の道形の脇に山の神があるのが見え降りて挨拶に行く。ここからの道形はほとんど判らなかった。地形図を見ながら、在るだろう場所を伝って進んでみるが、何処にもルートらしき筋は見られなかった。

 
 地形図の破線路が沢筋から離れる場所では、同じように西進に切り替えてはみたが、この斜面も有耶無耶だった。獣道も乏しく、適当に九十九を切りながら登って行く。575高点東の鞍部に乗り上げると、ピンクのリボンが二つ縛られていた。このリボンは北側に降りていた。東に進むと巡視路標柱が現れ、この場所から南を見ると、うっすらと道形が確認できた。もう少し東寄りを歩いたら、もしかしたら道形に出合えたのかもしれない。

 
 東進してゆくと向かう先に620m峰があるが、その手前で巡視路は左右に判れ、山腹の北側と南側に道が切られている。向かう先が北側なので、左(北)の道を選ぶ。北側の尾根に乗った場所にも巡視路道標があり、ここは地形図の西からの破線路が突き上げた場所のようであった。周囲の植林された木は、枝打ちがされ青々した枝葉があちこちに落ちていた。

 
 644高点峰は山頂一帯が伐採され明るい場所となっていた。そして最高所の切り株の上に「芝原山」と書かれた山名板が置かれていた。伐採されてはいるがその周囲の針葉樹が展望を遮り、唯一南西側が開け、見える山を調べると和名倉山の雄姿であった。最高所から北に10mほど進むと、小鹿野町が設置した図根点が埋設してあり、その仕様は三角点のそれと同じであった。本日の最高所であり、早々にここでヤキソバパンを食らう。

 
 この山塊の尾根上は下草などは無く至極歩き易い。手前峰となる630m峰に上がると、この日の目的地が早々に目の前に現れる。帰路は、このピークと白井指との間から西に続く破線路を伝おうと考えていたので、鞍部から谷を見下ろす。しかしそれらしい道形は見えてこなかった。

 
 白井指到着。有名な場所なのかと思わせるほどの立派な標識が立っていた。その標識には「三角点」と書かれており、なぜにここまでと思って標石を見ると、立派な二等点だった。あと「品пvと書かれた標識もかかる。学が無いので全く読めない。展望がない中、木々の間から武甲山と大持山などが確認できた。南東側の木には、フジオカTK氏仕様のいたずら書きされた青い荷紐も縛られていた。目的達成でさて帰路。

 
 鞍部からの道が見えなかったので、630m峰の西尾根を利用することにした。630m峰に戻り西に降りて行く。道形こそないが伝いやすい尾根で、途中の植林帯には「た」と書かれた白ペンキが続く。西進から南進となり、谷に降りる最後をもう一度西進にせねばならないところを、上手く尾根を選べず南進となり水線の入る谷に降り立つ。

 
 荒れた谷で、右岸に破線路が描かれている場所であるが、全く判らなかった。そして水線の分岐点、破線路の分岐点も同様であった。この左俣右俣に分かれる場所から1分ほど西に進むと、ここに林道終点地が現れた。そこに乗り上げ東を振り返ると、東の谷側ではなく北東側の植林帯の中に道が上がっていた。

 
 林道幅となっているが、地形図上は実線路表記の場所で、西に進んで行くと二重線路の林道幅に出合う。林道は水線を跨ぐように書いてあるが、橋は無く地中を通して流れが通っていた。林道幅を南進してゆく。西の採石場の音だろう、掘削音が頻繁に聞こえてきて胃袋辺りに響く。麓で暮らす人らは毎日これを聞いているのか・・・。

 地形図通りの場所で林道は終わっていた。驚いたことに袋地になって居らす林道幅のまま終わりでUターン場所は無い。さてここから破線路となるが、尾根を乗越すような道形は判らず、その代わりに尾根上に道形が切られていた。沢を渡渉する覚悟で降りて行く。

 
 降りて行く先が切り通しのようになっており、そこから東を見ると縞板を敷いた鉄橋が掛けられていた。何の道だろうと西側踏査に進んでみる。すると看板があり、「江戸巡礼古道」であることが判った。さらに先には、H鋼が運ばれ橋材となっていた。「巡礼道」と書かれたプレートもみられ、おおよそが判ったので引き返す。谷向こうのやや高い位置に林道があるのが見える。どう戻ろうかと考えつつ東進してゆく。

 先ほどの縞板の鉄橋を渡る。迷犬が嫌がるかと思ったが、すたすたと前を進んで行った。その先で朽ちた橋があり、先ほどまで居た右岸側に立派な山の神が建っていた。左岸側には石を積みあげた構造物があり、近づくと苔むした石仏が置かれていた。道は鋭角にカーブし登って行く。北側に大きく戻らねばと考えていたが、ここで東の林道と繋がった。

 林道に出た場所には「林道ガニ沢線」と書かれた標識があり、緑の捕獲用の檻と、ここにも「巡礼道」のプレートが下がっていた。舗装林道を集落側へ降りてゆくと、最初にプレハブハウスが左に見られ、次にログハウスが右に見える。どちらも別荘的に使われる場所のようであった。空家風のそれらの中には売り家の看板もあった。向かう先にジビエ料理屋のいのしか亭が見えてくる。静かな山村で物音がほとんどしない。そんな中に人影があったので、挨拶をすると人懐こそうに返してくれた。

 公会堂に戻り八坂神社に無事の下山を告げる。駐車場所に戻り着替えるのだが、三峰側からの車が真っすぐこちらに向かってくる格好なので、微妙な位置取りだった。でもいい駐車場所だった。






 
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