碓氷山 (旧中尾山)       1069.6m          
         
                                  
                                 
                                                                                                      
  2021.4.10(土)


  晴れ    単独     県境峠より       行動時間:1H42M


@見晴台入り口5:43→(3M)→Aお墓の東(登山口)5:46→(22M)→B1089高点6:08→(12M)→C碓氷山6:20〜25→(51M)→D見晴台7:16〜24→()→E戻る7:25
                       


 
@見晴台入り口前に4台ほど停められる余地がある。他は有料。門を潜ったらトイレ前を通過し東側へと進む。 見晴台東側に墓地があり、その僅か東側に(登山口)と書かれたこの表示がある。 1140m峰 碓氷峠トンネル上。最初の急登。
       
細尾根が連続し周囲展望がいい。 1089高点峰北で、道形は西を巻いてゆく。往路は道形を逸れて登る。 B1089高点峰 1089高点峰の東で、南に切られた道形と合流。
   
1060m付近で針葉樹が現れる。これが見えたら目的地は近い。 碓氷山北で、ここでも道形は山頂を通らず北斜面を通って東に進んでいた。 C1069.6m峰到着。 CG標も置かれていた。
       
C状態の良い三等点 C‘よく来て下さりました。ありがとうございます‘と書いてある優しい標識。 C碓氷山から浅間山。 Cヤキソバパンと
       
碓氷山の東側のここで道形は終わっている。 道形の終わりあたりのマーキング。 1050m峰まで偵察。ここの東側も針葉樹が見られる。 東側から見る碓氷山。
     
1089高点峰東。帰りは南を伝う道を進む。 お墓の場所まで戻る。水澤家の立派なお墓が並ぶ。 D見晴台にも上がる。 D絶景!! 妙義側
       
E駐車場所に戻る。 熊野神社に立ち寄る。信州側は改修中であった。    




 志賀高原に上がろうかと、目的地のライブカメラを前日に見ていたが、金曜日は予報通りの降雪で、さらには予報サイトでは風が20mほど吹いていると表示されていた。翌日も早朝は10m予報でマイナス10あたり、硬く締まり歩き易そうには思ったが、ノーマルタイヤに替えてしまった事もあり、降った事のリスクを思って予定を変更。

 

 旧碓氷峠の場所から、旧中山道とは別に谷を挟んで南にオフセットした位置に破線路が描かれている。尾根末端のめがね橋から繋がるのではなく、峠と1069.6三角点峰を結んでいるのみの表記となっている。それを反映させたろう破線がエアリアマップにも見える。無名座に向けた登路とずっと気になっていた。それでも1069.6m峰には絶対に名前があるはず。いつか登ってみようと思いつつ居たら、このエリアも次第にヒルの生息地となってしまった。それを思うとグリーンシーズンはむず痒くて入山できないので、温かくなる前のこの時期に踏査してみようと思った。

 

 碓氷バイパスを上がり、旧軽の歩行者天国を突っ切って行く。ここが通れるのもこの時期の特権。春の連休からは迂回せねばならない。旧碓氷峠を訪れたのは21年前で、当時のうっすらとした記憶が、現地を訪れ蘇る。茶屋の駐車場はロープで封鎖されていたり、「有料」表示が出ていた。見晴台側に進むと、門の前に4台ほど停められるスペースがあり、そこに停車する。既に2台停まっており、うち1台は撮影目的で来られていることが運転手が持たれている大きなカメラで判った。もう一方は、湿気で窓が真っ白くなったカップルの車であった。ここで車中泊したのだろう。

 

 5:43スタート。地形図を見ながら破線路を追う。見晴台への門を潜ったら、すぐ左にトイレ舎があるが、その前を通過し先に進むと薄い林道幅がある。伝って行くと進行方向の右手に墓地が見えだす。どれも立派な墓石で高さは5尺ほどある。さらによく見ると「水澤家」と彫られたものが多く見られた。破線路の北側に建物マークが二つあるが、その場所には何もなく、残骸として屋根瓦などがちらほら見られた。

 

 南進が終わり道形が東に変る場所に真新しいパウチされた表示が掲げられていた。そこには「この道は『旧中尾山』へ向かう道です(登山口)。もみじ道(熊野神社〜熊ノ平)」と、抱えていた疑問が全て判るほどに書かれていた。行かずとも答えが判ってしまった状態であるが、登りに来たのだから先に進む。実際は下って行く勾配。山の名前も判り、破線路の先が熊ノ平まで続いていることも知った。850m以東は、尾根が複雑になるので南に降ろしてトンネルを通過する破線路と繋げてあるようだった。三角点峰で破線路が止まっていた不思議が、東へと繋がっている事と知り納得。

 

 道形は広く、以前は軽車両が通過しただろうと思えた。落ち葉の堆積が多く、前を行く迷犬の体を埋めてしまいそうなほどだった。1140m峰越え下って行く。細尾根を経て登り返しとなるが、ここでこの日初めての急登斜面であった。ちょうど新幹線の碓氷峠トンネルの上となる。現地では足の下に新幹線が通っていることなど全く判らない。それにしても予想外に展望がいい。新緑が茂りだすと塞がれていくのだろうが、今の枯れた状態だと、周囲展望がいい。南北の谷への斜面の勾配が強いので、道幅は広いものの狭稜を歩いているかのようだった。

 

 地形図の破線路は、1089高点を通過しているよう描かれているが、実際の道は、高点北で西を巻くように切られていた。道形を離れ1089高点を踏み東へ降りて行くと、西側から南を巻いてきた道形が右側から合流した。この緩やかな作道の仕方からも、以前は車両が通過していただろうと予測した。東に進み1060m峰があるが、この東側には針葉樹が見られた。峠からここまではずっと広葉樹で、ここに来て視界を遮るものが現れた感じだった。

 

 1069.6峰北でも、道形は山頂へと向かわずに手前から北側山腹を経て東側に向いていた。もう一つ、登路幅で西側山腹に登って行く筋があり、2者選択の中ではこれを伝う。しかし山頂まで導いているのかと思ったが、進む先で道形は消滅し適当に這い上がって行く。最後は南から登頂。

 

 1069.6m峰に登頂。「登山口」にあったのと同じ表示が2枚あり、一方には「よくここまで来て下さりました。ありがとうございます」と手書きされていた。優しい方が作成した標識のようだった。そして訪れてよかった。新たな山名がそこに記されていた。旧中尾山は、「碓氷山」が本名のようだった。山頂らしい広さがあり20畳くらいだろうか、その中央に三等点が奇麗な状態で埋まる。南東側の朽ちた木にはG標も見られた。道形から逸れて登頂しているので、先が気になり東側へと降りて行く。

 

 碓氷山の東に1050mの高みがあるが、そことの鞍部で道形は途切れていた。1050mの東側は、ここにも針葉樹が見られた。熊ノ平側への尾根に道が在るとのことだったが、ハッキリとしたそれらは1050m峰では見られなかった。道形の最終端を確認したので戻って行く。鞍部から碓氷山の北側を通過して北西への尾根に繋がる。

 

 1089高点は、道形通りに伝って行く。南を進み、南へ下る尾根を乗越したら北に進む。今は細い道形であるが、当初は広かっただろうと見えた。通常は帰路は下りであるが、この碓氷山は峠までの登り返しで、帰りの方が負荷となる。道形があるが、下草の無い地面でどこでも歩ける尾根であった。

 

 お墓の場所まで戻り、そのまま西に進んで行く。ここには古い道形があり、今は野草が茂っているが、以前はお墓を中心に、それを取り巻く三角形のような道形がここに在った様だ。見晴台への石畳に出合い進んで行くと、園地整備された見晴台に着く。そして展望の良さに来て良かったと思えた。絶景とはこのことで、早朝にカメラマンがやってきていたことも理解できた。カップルが居たことも理解できた。山々の陰影が美しく絵になるのだった。霜が降りてやや足元がぬかるんでいるが、展望の良さで全てを相殺している。ここの県境仕様は、どこかで見たことがあるような・・・山形宮城県境の笹谷峠もここみたいだったような気がする。

 

 大展望を楽しんだら、21年ぶりに熊野神社も参詣する。まだ観光客が訪れる前で静かな境内、凛とした空気感がある。参拝して降りて行くと、老齢な関係者だろう人が大荷物を持って石段を上がってきていた。

 




 
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