羽黒山        820m          
         
                                  
                                 
                                                                                                      
  2022.1.22(土)


  晴れ    単独     東町第一駐車場より天満宮経由     行動時間:38M


@東町第一駐車場9:05→(3M)→A天満宮参道入り口9:08→(4M)→B天満宮9:12→(9M)→C羽黒山三角点9:21〜23 →(8M)→D羽黒山最高所9:31〜32→(11M)→E駐車場9:43   
                                        


 
@仲好食堂前の、東町第一駐車場に停めスタート。 A線路を渡って参道入口。石塔も案内表記は何もない。 参道は急。 B石組みの土台だけで社は無い。正月飾りに「天満宮」と書かれていた。
       
小屋と資材置き場があった。 こんな道形だが、地形図記載の破線路。往路は右へ。復路は左から降りてきた。 城址のようで石組みが見られた。 C三角点ポイントであるが、すぐに見出せず。一帯は細かい起伏が多数ある。
   
C三角点発見。イバラ類があり進み辛い。 C四等点 東側の道(実線路) 岩壁などもある。石組みの付近。
       
中間峰と言える場所には3本の立木にブラケットが打ち込まれていた。 ベンチもある。 小屋があり廃車があり、畑もある。 唯一の「羽黒山」表記。運動公園になっているが、今はグランドゴルフ場のよう。
       
綺麗なトイレもある。 D羽黒山最高所。グランド整備のために削られたよう。 D最高所から見るグランド。 往路の分岐帰り
       
参道帰り 参道入口帰り 立派な庚申塔群。参道が小海線に分断された形。 E駐車場に戻る。駐車場は無料。




 大久保山の後は羽黒山に向かう。南麓からは車道が上がっているので、それを伝えば全く労せず登頂できる。それでも、地形図からは北側に破線路が見え、ちゃんと登ってみようと思えた。経路には神社もあるようで、そこまでは実線路で描かれている。今日の主目的は大久保山よりはこちらであったのだから。


 昭文社のマップルは、データベースを何を使っているのか判らぬが、地図上に羽黒山が明記してある。地形図に載らない場所であり、地形図と抱き合わせで他の地図データも引用していることが判る。マップル上にこの羽黒山を見つけてから、ずっと気になっていた。ただしここだけでは行動時間が短すぎるので、今回は東の大久保山との梯子登山としてみた。一筆書きで抱き合わせにも計画してみたが、一帯はトメ山のようであり、コンパクトになるように二つの計画とした。


 栄橋のたもとにある東町第一駐車場は、その前を頻繁に通るのでよく見知った場所であった。地元民がよく利用しているが、幸いこの時はガランとしてどこでも停め放題であった。街中での登山スタイルはかなり浮いているように見えた。多分誰もここからザックを背負って羽黒山へと登る人はいないだろう。交差点の角であり、信号待ちで停車する車から珍しいモノを見る目が向けられていた。まあ大型犬がピンクのシャツを着ていたからかもしれない。


 9:05行動開始。地形図を見ながら庚申塔の場所に這い上がる。そこからの尾根を見るも道形は無い。小海線が敷かれたために、なにか変わってしまったのかと思った。地形図をよく見ると、線路を跨いだ先から北に入る実線路がある。いわみず踏切を跨いで東に行くと斜面に階段路が見えた。入り口には何も文言は無かった。少し高い位置に石仏が見られた。階段を上がり北にズレると、そこから東に一直線に参道の階段が上がっていた。あまり利用する人が居ないようで、ステップとなる石にはだいぶ土が堆積していた。不均一の削りだしの石段を踏み、途中の鳥居を潜って行く。本日一番辛い登りであった。


 石段を登り切ると緩斜面が現れ、視界の中に5つの石祠が数えられた。その中央部に祭壇のような場所が見られる。何かあったのだろうことが判り、近づくと正月飾りが残り、そこに「天満宮」と読めた。あっただろう社を想像しつつ通過してゆく。跡形もなく消えているってことは木製の社が在ったのだろう。地形図の鳥居マークは北斜面側にあるが、本来はもう少し南に描きたかったであろう。道の表記のために北にしたのだろう。進んで行くと北からの実線路と合流する。これは林道幅の道であった。今伝ってきた道も実線路表記ではあるが、階段があったように車が通れる道ではない。


 進む先左側に小屋が見える。その先には藁が詰められた作業小屋もあった。その前から810.1三角点ポイントに向かうために南の道を選ぶ。道形は薄いものの、地形図通りに分岐もハッキリと存在していた。斜上する道を左に見送り、右の水平道側へと進んで行く。進んで行くと不思議な地形が現れる。石切り場のようにも見えるのだが、上田城とか懐古園とかに見るような深い谷を見ているような場所で、そこに石積みの場所もあり、それからはここが城址だっただろうと思えた。

 だいぶ足元の道があやふやになってくると、その付近が三角点ポイントとなる。一帯は小さな起伏が多く、嫌なことに棘が蔓延って進路を妨げているた。三角点のありそうな場所を予想をつけて歩き回る。すぐに見えてこないので無いのか、埋没してしまっているのかと思ったが、しつこい探しようにやっと姿を現した。そこは周囲を棘が守り近づけないようになっていた。そのおかげか、無傷の四等点であった。標石の上に丸いタグが無いので、四等点でも古いもののようだった。北を見るとここより高い。北進してゆく。


 先ほどの石切り場のような切れ落ちた場所を左に見ながら、その縁を尾根のように使い進んで行く。落ちれば7〜8mほどは滑落となるか。そして一番の大岩壁の上が小高く、進んで行くと楢の木が均等配に3本あり、その3本に特異なブラケットが打ち込まれていた。なにか在ったのだろう。そしてなぜか大きな木製ベンチも置かれている。展望は無い場所なので、山頂で涼を得られるように造った場所のように見えた。ここの東には大ぶりな作業小屋があり廃車も置かれ、フェンスで囲まれた畑も存在した。三角点付近の高みとしてはこの場所が最高所であるが、地形図からはもう一つ等高線が加えられた高みが北にある。進んで行く。


 衛星写真からは、山頂に広い場所がありなんだろうと思っていた。現地には「羽黒山運動公園」と書かれ、今はグランドゴルフ場となっていた。明るくきれいなトイレもあり、地域の老人にとっては憩いの場のようであった。北に進むと確かに高みがあるが、地形図に読めるような高みとなっておらず三日月形をしていた。多分、グランド造成時に削られてしまったのだろうと思えた。ちなみにとスーパー地形アプリを立ち上げて標高を確認すると、815mと出た。820m表記に対し5mほど低くなってしまっているようだった。


 羽黒山としての最高所も踏んだので下山となる。雑木林の中を西に降りて行くと薄い道形に乗った。北進してゆくと見覚えのある往路の分岐が現れた。この時、シカの警戒音が聞こえた。こんな住宅地に近い場所まで来るのかと思えた。天満宮の場所で石祠の刻みを確認してみる。「明和八年」と読めた。すぐにスマホで確認する。1771年は江戸時代の建立のようであった。参道の階段を降りて行く。迷犬は、その階段が伝いづらいようで、脇を降りてきていた。


 参道入口に降り立ち小海線を跨いで戻る。庚申塔群の中に大きな灯篭が見える。街道の要所だった頃もあるのだろう。駐車場に戻ると、ちょうどそこに仲好食堂の女将が買い物から歩いて戻ってきたところだったニコニコと朗らかな優しそうな女将であった。いつかラーメンを食べに寄ろう。




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