水落山 1235.2m
2022.1.29(土)
晴れ 単独 丸山地区水落観音入口バス停から 行動時間:2H40M
@175号カーブ水落観音入口バス停6:36→(22M)→A林道終点6:58→(21M)→B水落観音7:19〜26→(29M)→C水落山7:55〜59→(21M)→D1145.5三角点峰8:20→(20M)→E水落観音再び8:40〜45→(11M)→F林道終点帰り8:56→(20M)→Gバス停9:16
@水落観音入口バス停からスタート。路肩余地は十分あるが、バス停であり回転場所のよう。枝道の入口もあり要注意。 | @この表示が唯一方向を示す。 | @入山口。田口峠は通行止め中。 | 最終民家の先にお墓がある。その入り口の石仏。 |
石仏の道向かいに大きな石塔と祭壇のような場所がある。 | 経路には丁目ごとに石仏が並ぶ。六丁目。 | 八丁目 | 入山口以降で、この場所で初めて道標が現れる。 |
A林道終点。左から細い山道が始まる。 | 水場は荒廃していた。 | 植林帯の中の道は一部不明瞭。 | この標識が現れる |
標識の先の岩。獅子と言うのは獅子頭のよう。 | ステップ幅の狭い急な階段。冬季は要注意。 | 次の階段は崩壊して使えない。無理して抜けるか、西側を巻ける。 | B水落観音本殿。山号は「水落山」というらしく賽銭箱上に書かれている。 |
B名前の由来になっている流れ。岩溝から豊かに流れ出でていた。 | Bお稲荷さんも併設。 | 東から見る水落観音。 | 東に進むと分岐があり上に向かう。下からではなく、上から降りてきている林道。 |
林道幅であるが、スイッチバックするようなカーブで続く。 | 主尾根の分岐点。大木が横たわる。真新しい轍があった。猟師が西から入ってきているよう。 | 林道幅が続き、玉切り材が残置されていた。1190m地点 | 1200mの小尾根上で林道幅は終わる。南側の高みに進んでいるように見えた。付近はシカの足跡だらけ。 |
1220m峰から見る水落山最高所。 | 南の林道側に割られた石柱が見られた。 | C水落山 | C四等点 |
C古いマーキングが残る。 | Cヤキソバパンと | C三角点横の杭には図根点の表記。 | C南。尾根の東寄りに道形あり。 |
C南の様子 | 林道の南側に大ぶりなヌタバがあった。 | 分岐を西から見ている。左側から伝って来た。復路は右側へと進んだ。 | 分岐点にある「右水落観音入口」と書かれた標柱。 |
途中の古い山の神 | 林道から見る1145.5m峰。 | D1145.5m峰 | D四等点 |
水落観音への下降点分岐。大きな丸太が玉切りにされている場所。 | E水落観音再び | E山号板に「平成甲戌」とあるので平成6年に更新されたよう。 | 階段の下降は、積雪期はザイルを流したいほど。スリップすれば止まらないだろう斜度。 |
F林道終点帰り | F今日はサン富士 | 「右 水落山」と書かれている | 「左 やまみち」と読める |
経路にはメガソーラーがある。 | Gバス停に戻る。 |
佐久市は旧の田口村の水落観音が気になっていた。尾根の直下にあり、山村でこんな高い場所に在るのは珍しい。麓である丸山地区に造ってもいい筈であるが、名前の由来となっている湧水地がその高度にあるよう。一度行ってみたい。でも山の場所ではないので、どうしようかと躊躇していた。そんな中、前週の「大久保山」を紹介されている方が、古地図に載っているようで東の三角点ピークを水落山として登っていた。
Googleのカーナビに「水落観音」と入れると、不思議なことに西の清川地区からの道を案内し、最後は破線路表記として歩いて行けと出てきた。何度入れても同じ事だった。地形図からは南麓に唯一の破線路が読め参道があることが判る。今回はここを伝う。そしてGoogleの示した理由は現地で判った。そしてGoogleの、リアルタイムでの情報量に驚いた。
4:30家を出る。この日の冷え込みは優しく、佐久でマイナス4℃だった。いつものようにヤキソバパンとコーヒーをセブンで仕入れてから山間部へ入って行く。龍岡五稜郭を霞めるように雨川沿いを東進してゆく。丸山地区で道標が出てくるかと待っていたが目に入らず、砂防ダム近くまで上がってしまう。地形図を確認し、入山口となる場所まで戻ると、看板は北ではなく南のガードレールに取付けられていた。目に入らない訳である。林道に入っても駐車余地はあるとのことだったので、車で登って行ってみた。舗装林道ではあったが、残雪が凍りスリップしだしたのでリスクを思って戻る。水落観音入口バス停には、広く駐車余地があった。ただし東側には枝道の入口があり、南には畑への入口があり、西にはバス停。広いようでどこでも停められる場所では無かった。それらを気にして適当な場所に停める。70mmほどの積雪が残っていた。夜明けを待つ。
6:36バス停を出発。登りだしての最初の民家は室外機が唸っていたので住まいしているようだった。その先に墓地があり、石仏の座像が出迎える。その道向かいには、高さ2mほどの石塔があり、祭壇のような石組みも見られた。先に進むと丸山配水池の施設があり、その道向かいの建物は住まいしている気配が無かった。配水池上からは電気の唸り音が聞こえる。この上側一帯にメガソーラーが設置してあった。それらを左に見ながら舗装路を登って行く。六丁目と書かれた石仏が目に入る。先ほどまで目指す水落山が見えていたが、ガスに包まれ観音堂があることを思うと厳かな山体に見えてくる。七丁目の石仏は石の上に立っていた。
沢沿いは耕作地があったようで石積で土留めされた段々畑が続く。耕作をしなくなってだいぶ時間が経過しているようで、乾ききっていたり水没して湿地になっているところも見られた。十丁目まで石仏が続き、次は十一になる場所であるが、そこには特異な剣先のような石碑があった。何か刻んであるが読めない。雪でもあれば詰めてみたが周囲に落ち葉しかなかった。この石碑の基部に「水落」と看板があり、入山口にあった以降で初めての案内看板であった。
十二丁目の女系の石仏を拝んだら、その先で林道は終点となる。地形図で読めるより実線路は奥に入っていた。終点地の西側から細い山道が入っている。ここにも特に道標は無い。駐車は出来て1台。ただし経路の左右の余地に何台も停められそうであった。初めて訪れた人にとっては、何も案内が無いことから何処に停めるのがいいか判らないだろう。歩いて入山する方が無難であろう。
十三丁目を見たら、次の十四丁目に臍石なる奇石が石仏に伴うと事前情報を得ていたが、十四丁目を見ることなく十五丁目が見えた。植林斜面を見下ろすも見出せなかった。ここは九十九折の参道があるが、水場より上側でやや不明瞭になる。九十九を切っているカーブの場所がよく判らないのだった。あまり踏まれていないのは、訪れる人が少ないのだろう。祭事も無くなってしまっているのかもしれない。
十七丁目も女系の石仏で、その先で獅子岩の標識が現れる。目立つ大岩がその先にあり、横から見るとあまり獅子のようには見えなかった。進む先が明るくなり観音堂の敷地も近いことが判る。残雪も100mm程残り、最初の石段は足を置く幅が非常に狭く、滑ったらすぐに膝を打ちそうで怖かった。それほどに急こう配の階段であった。登りきると林道幅が横切り、その先の階段は酷く崩壊していた。灯篭も在ったようだが、パーツとしてしか確認できなかった。倒壊した中を這い上がって行く。
下側は荒れていたが、水落観音堂の敷地はそれほどでもなかった。北に岩壁を背負い、登り上げた真正面あたりから水が湧き出ていた。クラックの中を水が通っている仕様で、流れを見ることはできないが耳心地いい音がその中で反響していた。すぐ右には貯水枡か、壊れた塩ビのホースが繋がれていた。その繋がる先の東側には氷柱が出来ており、頻繁に奇妙な音がしていた。流れが落ちての音だろうが、静かな敷地内に良く響く音であった。二十丁目の場所となろう、流れの西側には大日如来が鎮座していた。嘉永五年と裏に読める。そのさらに西側には、幹径が300mmほどになった藤があり、龍のように岩壁に登って行っていた。石灯篭は寛政十年と読めた。
観音堂の本堂にかかる山号板に「水落山」と読める。「水落観音」ではなく「山」と表記されていることが嬉しかったりする。まあこのあたりは街中の寺社にも見られることだが・・・。西の岩壁の下にはお坊さんのお墓がいくつも並ぶ。ここが修業の場だった感じはしないので、住まいしていた歴代のお坊さんなのだろう。土蔵があり、その向かいにはトイレもあった。そしてその東側に隣接してお稲荷さんもあり、登ってゆくと立派な舞台まで存在した。これらの各建物前にはアルミのプレートが角柱に縫われ立っていた。何か解説がされていたのか、佐久市としての管理物と言う事なのかもしれない。
東を見ると林道が進み、進んで行くとすぐに分岐となった。下る側は違うと思え上側へと進んで行く。この林道は、各カーブがスイッチバックするかのように鋭角に切られていた。軽トラ御用達のような感じであるが、軽トラでも切り返しが必要だろう。倒木が残る場所もあった。5回ほどターンしただろうか、普通乗用車はまず通れないだろう。
尾根に乗り上げると、雪面に新しい轍が見られた。どこから上がってきているのだろうと思いつつ、その林道幅を東へ伝ってゆく。すると轍は途中でUターンしていた。と言う事は西から入ってきていると判り、ここでGoogleのナビがなぜに西からの道を示したかって言う事が理解できた。Googleは西の林道の存在を知っていたって事だった。林道幅を進んで行くと、標高1190m地点には伐採木が玉切りされ残置されていた。道形は東の小尾根に向かって一直線に上がって行く。地形図を見るとその先の東斜面は急峻地形。道形は間違いなく乗越してはいない。その答えが見たくて急いで這い上がって行く。
コルに着くと道形らしき幅は南に進んでいるようだった。このコルで林道幅は途絶えたと言ってもいいかもしれない。北には全くその気配はなかった。北に進んで行くと1220mの高みに到達し、ここが山頂なのかと間違えを誘うような境界標柱がその中央に埋まっていた。さらに東に高みが見える。一帯はシカだらけのようであちこちに足跡が残り、鹿道も濃く出来ていた。東に進むと林道幅に出会い、ここでも車の轍が確認できた。最後、水落山山頂への屈曲点には、四方が割られた石柱が埋まっていた。こんな場所でここまで割られるとはなんだろうと不思議であった。三角点でもないのに・・・。
水落山登頂。里山のとある高みと言った感じの場所で、登山対象とするには到達感が薄い場所だった。展望はほぼゼロで、この時季でこの状態であれば、葉が茂ったら全閉と言っていいだろう。三等点が雪面から顔を出している。なぜかその横の杭には図根点と書かれていた。その真上の枝に千切れたマーキングが残されていた。北を見ると、尾根の東側に歩道幅が続いているようだった。一つでも標識があると雰囲気が変わるが、そのうち誰かが設置するだろう。と、なんとも他人任せ。さて戻る。
南に戻り林道に乗る。そのまま南斜面を見下ろすと、そこに大きなヌタバが在った。シカの踏み跡が多いのはここを訪れているからのようだった。林道を右に見送り植林斜面を西進してゆくと、沿うように北側に林道が見えたので再び乗ってしまうことにした。雪面には轍が残る。その踏まれた硬い雪面を伝いながら進むと鋭角に曲がる枝道が現れた。又の場所には「右水落観音入口」と書かれた古い杭が立っていた。清川地区から東進してくるこの道をGoogleが知っていたことに驚く。帰路はこの場所から観音堂へと進んだ。この分岐からさらに西進してゆくと、5分ほど進んだ先南側に古風な石祠が現れた。お神酒が備えられた山の神で、その屋根の強い勾配からは、かなり古いものに見えた。壁面には手彫りの痕が見えた。南を向いているので、おそらくは丸山地区の方が置かれたのだろう。
進む先右側に高みが見えてくる。細尾根で弧を描くような最高所が、1145.5m三角点峰だった。山と言うよりは尾根。そこに四等点が埋まっていた。これで観音堂に近接している二つの三角点峰を踏んだのだが、西側のここが水落山ってことはまずないだろう。水落山と名付けるならば、東の方が適正だろう。二つの目標点を踏んだら、あとは戻るだけ。
先ほどの分岐まで戻り、南へと進んで行く。すぐに大木の玉切り材が残置された下降点が現れ、スイッチバック仕様の九十九折を降りてゆく。この場所は地形図で示される崖マークの中であるが、その中に切られている。現地は地形図ほどに危険個所では無かった。水落観音に戻り、再度見落としはないかと具に見る。相変わらず北の壁から音がしている。鹿威しのような感じで、その音がこの観音堂を守っているかのようだった。崩壊した階段の場所は危険なので西を巻く。西にはスロープ状の地形があり降りて行ける。下側の階段は、迷犬はすいすいと降りて行ったが、人間様はへっぴり腰で降りてゆく。まともに足を置くと、靴の半分は飛び出してしまう。そこに雪がある。剱の長次郎谷を下る時より怖く、滑ったら絶対に停まらないだろうと思えた。でも単調な歩きの中では、ここの緊張感は楽しい。
帰りは往路に見なかった十四丁目を探したが、やはり見つからなかった。現在の道と旧来の道が在るのかもしれない。でも、こんな近距離で丁目が刻まれている場所で見つからないのも解せなかった。そして往路は気づかなかったが、丸山配水池の取水場所が途中にあった。集落の人は水落観音からのご利益のある水が生活用水のようだった。ただしただし、上にトイレがあった。間違いなく水洗ではないはずで、汲み取り式。汲み取り車など入れない場所であり・・・その先は書かない方がいいだろう。林道終点地に戻り、いつものようにリンゴで水分補給とする。
十丁目の先、剣先形状の石碑がある場所の南側で思わぬものを発見した。ただの石柱にしか端からは見えないが、近づいてよく見るとそこには、「右水落山」「左やまみち」と刻まれていた。観音堂を指しているともとれるが、古くからこの山体が水落山と呼ばれていたともとれる。いいものを見つけた。些細なものでも興味を持ってみると、発見があると言う事だろう。
メガソーラーの敷地を右にしながら降りてゆく。パネルの上は7割ほど霜が覆い、冬季のここは陽が射してからの発電開始時間はタイムラグがあるように見えた。デマンド交通のバス停留所に戻る。水落山のみだったらやや面白みに欠けたが、水落観音に関わる石仏や建物があり、けっこう面白く歩けた。
帰路丸山集落前を通ると、3つほど大きな石塔が立っている場所が見られた。参道としての本来の入口は、バス停の場所ではなく丸山集落からなのだろうと見えた。
地形図からは読めないが、マップルの地図には、見ての通り尾根道と北麓の道が記載されている。1235.2m三角点峰(水落山)を狙う最短路は、北の林道からのアプローチと判る。登山後に記録を書くのにこの事を知った。道が書いてあって、実際は無い場合もあるが、このエリアに限っては、地形図よりマップルの地図の方が詳細に道が描かれている。
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