木曽の城山        1950m          
         
                                  
                                 
                                                                                                      
  2023.5.27(土)


  くもり    単独    1980m地点より      行動時間:34M


@1980m5:14→(13M)→A木曽の城山5:27〜36→(12M)→B戻る5:48
                                                                                                                                               


 
@1980m地点から入山。 @杭がある場所から西に道形が続く。 尾根の道形 途中ササが覆う場所もあり、潜ったり分けたりする場所が一部ある。刈り払いの痕が、針の筵のような場所もある。
     
A木曽の城山 A標石 A「戸」と彫られ墨が入っていた。 A山頂から20mほど西
   
展望尾根の帰り 南側の展望がいい 尾根から東 次に向かう乳山が目立つ。 B戻る。舗装余地がある。茶色い外装の建物あり。




 頻繁にNPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブを覗いている。その中の「奥山田村」の明治18年図内に「木曽の城山」なる場所を見つけ興味を抱いた。しかし山座同定を地形図上でするのにしたたか時間がかかった。なにせ昔の手書き図で、現在のように位置や縮尺が正確で無い状況で判別せねばならなく、この作業にトータル3時間ほど費やした。

 

 笠ヶ岳は「笠嶽山」と表記してあり、この場所も少し違和感があるが、東の中倉山が「中ノ倉」とフラれ判り易い。地形図の各谷に手書きで水線を記入し、描かれている形状と近似する場所を見つける。横手山も表記されており、そこと笠嶽山との距離比で換算すると、熊の湯スキー場のトップである1958高点が、木曽の城山に相応しいことになった。次に描かれている朱色の山道を見る。笠嶽山にも木曽の城山にも南の松川から突き上げている山道が見られる。その場所と水線の描かれている地形を地形図上で探す。東側で判り易いのは山田峠から下ってきて、松川を跨ぐ辺りからの山道付近で、その西側の木曽の城山を挟むようにある水線の描かれた沢筋を見て総合的に判断すると、1958高点峰より東の、1950m峰と読める。絵図と合致するのはその西の1930m峰ではあるが、山体を見ての最高所は1950m峰で間違いなく、山道は1930mへの尾根に書かれていると判断できる。なお、先ほどの1958高点峰に対する南斜面であるが、絵図通りに山道を当て込むと、1544高点付近から描くと、尾根が急峻過ぎるように思えた。あとは、白根沢が分岐する位置との関係も大きい。分岐する場所より東(右)に位置している。1958高点峰は西である。

 

 机上で山座同定を楽しんだ後は、今度は文明の利器を利用し現地を探る。普通に笹藪と思っているので、単身ならまだしも犬連れでは厳しいのではないかと思っていた。しかし衛星画像を見ると、高山村と山ノ内町との境界尾根上に一筋の切り拓きが見られる。何の目的で拓かれているのか、防火帯のようでもなく濃いササに埋もれているように見える場所もある。衛星画像が撮られたのが最近ならいいが、古い場合は「以前は道が在った」状態になっているだろう。なので少し期待するくらいにしておいた。その道の入り口は、東は1980mのカーブの場所。西の方はあやふやで良く判らなかった。目で追うと町村界に沿うように道形が在るようだった。到達できなければそれはそれで納得、ダメもとでチャレンジだけはしておこうと思った。

 

 笠ヶ岳を登った後に木曽の城山へと向かう。入山口としたカーブの場所には、茶色い構造物があり細長く舗装もされていた。車を停め下見に南へ進んで行くと、赤い杭が見られ、そこからハッキリとした登山道のような幅が西に向かっていた。衛星画像で見たとおりであり、すぐに準備に入る。

 

 5:14行動開始。杭から僅かの場所にキジ撃ちの痕があり迷犬が興味を示す。ここからの尾根は、展望尾根と言っていいほどに快適で南側に遮るものが無く松川を挟んでの万座山側がよく見える。この快適尾根はすぐに終わり、緩やかな下降に入る。刈り払いは続き伝って行くが、途中からササの切断面で針の筵のような場所となる。地面から50mmとか100mmとかで刈られていて、迷犬は痛いのかとても歩き辛そうにしていた。距離にして20mほどか、この悪場は長くは続かず再び歩き易くなる。ただ分け進む場所や、潜る場所が現れ、この辺りが衛星画像で道形が判別できなかった場所と思えた。登りになると笹の植生なので滑るような感じになるが、道が無いことを思えば雲泥の差で伝い易かった。

 

 木曽の城山到着。三角点ではないが、標石が埋まり、北面に「戸」と彫られ黒く墨が入れられていた。一応踏査と西に進んでみる。西側も町村界をトレースするように道形が降りて行っていた。西を見ると1958高点峰が望めた。20mほど進んで戻る。ネットで調べてもヒットしない場所であり、山名板なども当然ない。登頂しても木曽の城山ではない場所ではないのかと判然としない部分もあるが、まあ古地図からはこの場所になるわけで・・・。道形のおかげで、600mほどの距離を13分程で歩くことが出来た。藪漕ぎで進んで来たら、何倍かかったことだろうか。

 

 東に戻って行く。帰路は北斜面を気にしながら歩いたが、無積雪期に容易に進める植生ではなかった。積雪期であれば国道292号からひと登りだろう。ササを分ける場所は、往路に露払いが済んでいるので濡れは少なくなっていた。そして登り返して展望スカイラインとなる。こんなスカイラインがずっと続いていたら、人気のルートになるだろうに。このあとに向かう乳山が東に目立っていた。

 

 1980m地点に戻る。無事木曽の城山を踏めた。志賀高原において木曽とは不思議な感じがするが、浅間神社が各地にあるように、このエリアでは御嶽信仰が盛んだった背景があるよう。古地図の中では、剣ノ峰の場所が、立壁山と書かれている。どちらの名前も北麓から見上げて名付けたのだろう。あとは、その西の方に緕Rとあるが、これも同定が難しい場所であった。三沢山あたりを言っているのだろうか。次は乳山を目指す。




  
                戻る