愛宕山
690m
立岩
692.9m( 720m)
2024.1.1(月)
晴れ 単独 上立岩停留所より 行動時間:2H16M
@上立岩停留所8:04→(5M)→A薬師堂8:09〜11→(16M)→Bぶどう畑タンク分岐8:27→(17M)→C愛宕山8:44〜48→(12M)→D南東麓に降り立つ(水路渡渉)9:00→(8M)→E立岩神社9:08→(25M)→F立岩最高点9:33〜34→(9M)→G立岩三角点9:42〜55→(25M)→H上立岩停留所10:20
西から見る愛宕山 | @上立岩バス停の南に余地あり。 | A途中の薬師堂 | 最初はここを左折。戻って右へ。 |
堰堤下が渡渉できず諦める。 | Bぶどう畑内にタンクがあり、ここから西進。 | フェンスゲートあり。フェンスの西側は果樹畑だが荒れている。閂が非常に留めにくい。 | 南西に進むと道形に乗った。 |
フェンスの無い頃は公的に歩ける場所だったよう。 | 峠地形。西の谷から林道幅が上がってきていた。 | 峠の南にラミネートされたこれが。止山と判る。 | 林道終点地。ここには「入山禁止」とある。 |
途中にベンチが設置されていた。 | 手前峰 | 伝い易い尾根筋 | 途中鳥羽山側を望む |
C愛宕山 | C愛宕山から南 | 南尾根は倒木が多い | 尾根筋に有刺鉄線が張られていた。 |
D南には降りない方がいい。降りるなら東側がいい。たまたま南東に降りて水路を跨ぐことができた。 | D南には深い水路がある。「急傾斜地崩落危険地域」の看板あり。 | 来福寺内へ入って行く。 | Eお寺の敷地を通過して東進すると立岩神社がある。 |
E神社前からの参道を登る。 | 急階段の先に奥社あり。馬頭観音の分岐から北に道形を登る。 | 北からの道形に出合う。 | しかしか細い獣道のようになる。 |
か細い道形の先で、南に降りてゆく道あり。 | 座像があり | 祠と灯篭があった。新年の紙垂も祠に見られた。 | さらに南に進むと、林道幅の道形が上がってきていた。 |
道形は伐採地の為のようだった。伐採地に出る。 | 伐採地は、作道した場所にも落葉樹の幼木が植えられていた。 | ため池はエメラルドグリーン。その向こうに学者村の別荘地が尾根上に見える。 | F立岩山体の最高所 |
F最高所から東。 | G立岩三角点ポイント。石像が待っていた。 | G南を向いた座像。 | G南西 |
G西 | G三角点は伐採木の下で見ることはできなかった。 | ここも地形図の破線が描かれた場所。道形がとても薄く細い。 | 参道階段帰り |
立岩神社の南に行ってみると、赤い祠が見えた。駒形岩側から、最初に見た座像の場所へ登路があるよう。 | H上立岩停留所に戻る。 |
2024年のスタートは、長窪古町図内記載の愛宕山と駒形社のある高み立岩を目指す。久しぶりの元日登山。愛宕山の方は、西に見える道形により山体を分断しているかのようで惑わされたが、よくよく見れば同定は判り易かった。一方の駒形社がある高みは、地形図では三角点が存在し点名は「高岩」となっている。駒形社は、依田川岸に見える駒形岩よりの名前で間違いない。そして立岩の名前の由来は駒形岩にあると長和町の公式ページで解説している。岩壁で岩の名を使っているので、岩峰全体としては名前を変えたって事だろう。少し不思議なのは、三角点はこの小さな山体の最高所ではなく、僅かに離れた低い場所に設置されている。三角点を拝みつつ、山体の最高所も踏む予定とした。こちらはありがたいことに地形図に破線路が見える。
困ったことは、ストリートビューで現地を見て行く中で、駐車スペースが無いこと。来福寺は部外者が停めづらい位置に駐車スペースがあり、和紙の里に置くと駐車スペースのために往復1km以上のアルバイトになる。机上で悩んでも仕方ないので、ここは現地で探すことにした。
国道254を伝い佐久を経て行くのだが、高架や道の駅では初日の出を見るために東の空を仰ぎ見る方が多かった。みな西進する車に顔を向ける格好で寒そう。時間になっても来光がなく、バックミラーで見ると東の空は高い位置まで雲で覆われていた。古町に降り依田川左岸の旧道に入り、駐車スペースを物色しながらゆっくりと進んで行く。すると来福寺から駒形橋を渡ると上立岩停留所があり、この南側がごみステーションとなっており、広く余地が設けられていた。元日には間違いなく集荷は無いはず。他に無いかと山手側に上がったりもしたが、ここは古くからの住宅地で、道は狭く余地は個人所有地らしき場所ばかりであった。和紙の里にも行ったが、やはりちと離れすぎており停留所脇に停める。
8:04停留所を出発し駒形橋を渡る。来福寺前から狭い村落内の道を進んで行くと、途中には解説板が立つ薬師堂があった。その先は、水線と実線が絡む場所に行こうと北進してゆくが、選んだ道の先に堰堤があり、その下流では水路が深く渡ることが出来ずに、愛宕山山体の東側を走る水線がらみで進むのは諦めた。あとは、鹿よけのフェンスが多く、地形図に見える実線路に進めない場所も多かった。アプローチの方法を変更し、当初は東麓からとしたのを北麓から南進して狙う事にした。
東に進み二重線路に乗って北にゆるく上がって行く。車道の西側にはぶどう狩り農園が広がっており、その先はワイン用のブドウだろうか、それらの支柱がこれまた広大に設置されていた。そこに銀色の大きなタンクがあり、その脇から一本の道が北西に入って行っていた。向かう先にフェンスが見えるが、多分開けられるだろうと判断し進んで行く。フェンスは縦型の閂仕様でロックされていた。開けるのは容易いが、扉が大きく重く閉めた後に閂の入る筒を合わせるのに難儀した。3分くらいは格闘したと思う。
フェンスの西側は果樹畑で、梅のような幹の果樹が並んではいるが、管理されていないようで敷地は野草が覆っていた。それらを分けて進むのだが、取り付くのにあまりいい斜面ではなく。南に少し進んでみる。すると途中で道形に出合う。地形図では実線路が「へ」の形で止っている場所があるが、その延長線のような道で斜上してゆくことが出来た。何十年も使われていないのだろう。倒木も多く、自然に帰りつつあった。途中には山火防止の看板もあり、以前は誰でも通行できる林道だったようだ。
登りきったところは尾根頂部で、そこは峠のようになり道形は西側へと降りて行く道と、尾根上を伝い南に進む幅も見られた。ただその入り口にはラミネートされた注意書きが吊るされ、「この山のキノコ採るべからず」と書かれていた。確かに赤松は見える。書くからには採れるのだろう。一応キノコ採りではないので先に進ませてもらう。やや分け進むような林道幅を行くと終点地があり、白字で入山禁止と書かれた赤いコーンが二つ立っていた。もう十分入山してしまっているのでここでも南進を続ける。終点地から這い上がると、細い踏み跡が尾根に続き、途中にはベンチも設置してあった。何だろうここは・・・と思ってしまう。最初の高みから先は、心地いい細尾根で踏み跡はさらに続く。右手には789高点峰がこちらを見下ろしている。細長い山頂部で最高所が見出しにくいが、南側の高みでピークとした。
愛宕山登頂。西側に展望があり、悪くない明るい山頂であった。経路にベンチはあったが、手前峰を含め人工物は無かった。峠の場所まで戻り西に下ってみようとも考えたが、地形図を見ると南麓に鬚のようにちょこんと破線路が描かれている。そこよりの山道が南麓にあるんじゃないかと予想した。南に降りてみる。
少し分けながらの尾根で、最初は無かったが1分ほどの場所から尾根上に有刺鉄線が張られていた。尾根の左右は東と西、朝日側と夕日側だと、どちらがキノコの生育がいいのだろうか。左右のどちらかを守りたいがための鉄線のはずである。ひっかけないよう注意したいが、かなり錆びて地形と同化しているのでひっかけて気が付く場所もあった。降りて行く先の犬が猛烈に吠え立てていた。このまま行くと対峙することになり、住まいしている近隣に迷惑と、少し進路を東に振った。この判断は後から正解を導くのだった。
東に高度を下げて行くと、飛び越えられない幅の深い水路が麓を取り巻いていた。これを見てドキッとした。渡れない・・・。戻り先ほどの進路であったら、破線路の橋の場所に出たろうが、飼い犬の吠え声は地域の騒音だったろう。諦めず東寄りで進むと、水路の始まりの場所があり、そこは沢筋に入ることができ危険なく渡渉することが出来た。北を見ると、確かに水路沿いの道形が存在していた。少し西に行くと、今伝って降りてきた斜面を崩落危険地としている注意看板が立っていた。立岩地区内を通り再び来福寺前に戻る。
来福寺は、本堂の山号に「来福禅寺」と書かれており、禅寺と知ることとなる。その本堂は正月の為か開け放たれていた。本道の南側に住居があり、そのさらに南が駐車場となっている。駐車場と墓地の間の道を進むと、立岩神社がある。同じ敷地に寺社が混在するようで不思議な位置取りであった。社殿前からかなり急な石段が上がっている。これが破線路であろう。登って行くと馬頭観音が三体あり、左右に道が在る。右に行くと岩壁にへばりつくように奥社があった。反対側に進むと、落ち葉の堆積した中に踏み跡が登って行っていた。
上部で北側から来た道と出合い、そのまま南に伝って行く。道幅は非常に狭く滑落の危険が伴う場所であった。それでも進んで行くとやや広くなる。すると西側によく踏まれた尾根が現れ、その降りた先に何かあるのが見えた。降りて行くと優しい表情の座像があり、祠と燈台も在った。ここは馬形岩の上あたりであった。これらを見つけ出会えたことが嬉しい。ここに来なければ一生存在を知らなかった。東に登り返し道形をさらに追うと、今度は南側から林道幅が上がってきていた。そしてゆるく上側に伝って行くと伐採地に飛び出した。道形は伐採作業のための道と判る。
作業道を追ったので、完全に破線路を外していた。逆に伐採地に新たに作道されたために、破線路の場所が全く判らなくなっていた。東進してゆくと、ため池を見下ろせる場所となり、目線を高くすると、稜線にグリーンヒル別荘地の建物も見えていた。まず最高所をと高みを目指し北に進んで行く。作道された道には、広葉樹の幼木が沢山植樹され自然に戻す作業跡が見られた。
立岩山体の最高所到達。南側は伐採地なので展望がいい。それが無かったら樹木で展望はほぼ全閉だったろう。人工物はマーキングテープで、これらは伐採関連のものだろうと思う。これで一応最高所を踏んだので、次は三角点の場所に向かう。判り辛い場所に埋まっているのだろうと予想しつつ向かうと、その向かう先に顕著な小山が見えてきて驚く。そして山頂を中心に土俵のように四つ角に丸太が建てられている。車山山頂に見えるそれと同じ仕様。
立岩三角点ポイント登頂。ここにも座像があり、南側を向いていた。最高点に何もなくこちらに石像がある、だからこちらに三角点を埋設したのか・・・と理解する。ここの方が古くから山体として重要な場所なのだろう。伐採地の中の小山であり、見晴らし抜群であった。次に三角点探しに入る。石像の北を東西に道が走り、そこから枝道が南にある。その道の脇に、伐採した時の太枝が積まれていた。このまま腐食させるためにそうしてあるようだが、大量にある。それらが三角点の上に被さっているようで、いくら探しても出てこなかった。まさか作道時に彫りだされてしまったのかとも思って、スマホで探査してみたが、道の場所ではなくやはり枝が積まれている下のようだった。さすがに退かすことが出来ずに諦める。林業作業員が三角点の存在に気付いていれば、三角点の重要度を把握していれば、こんなことにはならないのだろうが、ちょっと残念な場所になってしまっていた。重機を入れないと退かせないように見えた。
下山は北尾根の破線路の場所を進んでみる。尾根通しで進め、東に膨らむよう書かれている場所が良く判らなかった。確かに現地は東側から道形が上がってきている場所はあった。ただ、尾根を乗越した西側で、また道形はか細くなり”ここでいいのか”と思う場所が続く。しばらく進むと往路に伝った道に出合い戻って行く。奥社まで戻ると、3名の拝観者が居り、「上に何かあるのですか」と聞かれ、「ありますが途中足場が悪いです」と伝える。階段を降りて立岩神社に降り立つ。
お墓前から南に行く道形があるので進んで行くと、緩く斜上してゆく道が在り、岩壁の下に赤い祠が見えた。その先はチムニー形状の地形で、その上が最初に訪れた座像の場所だった。直下までは行っておらず正確には言えないが、赤い祠の場所から上に行く登路が在ると思われる。下から登って参る場所が普通であり、その道を上から明かりで導くのがあの燈台であっただろと思えた。
来福寺を出て駒形橋を渡る。欄干の石は赤御影石で駒の形をしていた。停留所横の駐車余地に戻る。ここには駒形岩の解説板があり、謂れを学ぶことが出来る。今は、その上に2体の座像があることを知っている。