塩野山三等点       1384.3m               

            
                                  
                                 
                                                                                                      
     2024.2.24(土)


  くもり    単独           行動時間:2H28M


@寺沢川非常時採水場余地6:12→(3M)→A林道分岐6:15→(12M)→B寺沢四等点6:27〜36→(5M)→Cチェーンゲート6:41→(6M)→D林道終点6:47→(4M)→E上側の林道に乗る6:51→(6M)→F取付き6:57→(33M)→G塩野山三等点7:30〜48→(17M)→H林道出合8:05→(15M)→Iチェーンゲート帰り8:20→(4M)→J寺沢四等点8:24〜28→(12M)→K戻る8:40
                                                                                                                                           


 
@林道が寺沢川を跨ぐ場所に駐車。 @ここは非常時採水箇所 A寺沢地区北側分岐。路面はツルツル。地区内は勾配が強く冬季はチェーンまで準備した方がいい。 途中の配水所?
       
B寺沢三角点ポイント B3畳分ほど探したが見つからず往路は諦める。 C左に分岐路が現れると、その先にチェーンゲートがある。 Cチェーン。一応ここまでは車が入る。
   
D標高1210m付近で林道終点となった。上側の林道と繋がっていると思ったが違った。 E上側の林道に乗る 畜産草地研究所敷地の北側 樹氷が綺麗
     
鹿が飛び越えた場所。何頭も通過した足跡が見られた。 F警笛を鳴らせの場所から取付く。 1260m付近。破線路に乗る。 古い伐採地に出る。
       
樹氷 1285m付近。 1320m付近。笹枯れが広範囲にみられる。年を違えたらササ漕ぎの場所だったよう。 破線路(東)側から西進してゆく。
       
G塩野山三角点の埋設場所。緩斜面に灌木が生え、分けながら雪を退かしながら探す。 G捜索開始から11分かかって見つけられた。 G落ち葉に埋まっているかと思ったが、頭が見えていた。この場所にしてマニアに割られていた。 Gこんな斜面の場所。この点は「点の記」に絵図は無く、GPS関連機器が無かったらおそらく見つからないだろう。使っても11分かかった。
       
Gヤキソバパンと G見える太い三本の木の中央に埋設してある。と言っても同じような場所は多い。 やっと陽射しが出てきた。 伐採地上から
     
H林道出合 H出てきた場所。ここは林道が袋になっている場所。 H林班の境界表記あり 林道からの下降点。破線路はフェンス沿い辺りだが、薮化しており漕ぎながら降りてゆく。
       
Iチェーンゲート帰り。この東側に紫のテープが流されている。その場所が破線の場所。 I紫のテープ。道形は消失。 心地いい麓側の展望。佐久盆地が見えている。 J寺沢三角点ポイント帰り
       
J四辺をしっかり守られた四等点。状態はいい。 J畑側の最高所から5mほど西に在った。(写真:犬の鼻先位置に埋設) 御代田町の車両が2台停まっており、制御機器を点検していた。 寺沢地区北側分岐に戻る。
       
K余地に戻る


 天皇誕生日を含めた三連休。初日は雨の中に薪割りに斧を振り、少々疲労過多で迎えた土曜日だった。以前から気になっていた御代田町の塩野山を目指すことにした。ここは山名と言うよりは三角点名で、浅間南麓に塩野地区があり、その北側を塩野山と呼んでいるようだった。小高い場所があるわけではないが、「山」とつくと行ってみたくなる。そして埋設されている場所は斜面で、見つけるのはハードルが高そうに見える。そしてここは、国土地理院の「点の記」には絵図での記載がない場所で、ヒントが得られない難しい点でもあった。だからこそ見つけてみたい。なお、埋設は明治時代となっている。

 

 4:30家を出る。軽井沢の温度計表示はマイナス6となっていた。前日の降雪で薄く白く覆われた周囲。浅間サンラインに入り御代田町に入ったら右側にひらまつホテルズの看板が見えてくる。その先で、細い農道が北に入っている。これが寺沢地区へ行く本道だが、入って行くと工事中であった。一度サンラインに戻り、一本西側の道から寺沢地区を目指す。細くすれ違いがし辛い道を進むと、全戸数が数えられるほどの寺沢地区に入る。勾配のある地区内の道に雪は無く、あったらかなり怖い勾配に思えた。生活道路であるので、降ると総出で除雪するのだろう。東御市の傾斜地区である祢津地区がそうであった。北に登って行くとT字分岐となり、左角地が畜産をされているお宅のようであった。上側の道はツルツルに凍り、そこに乗り上げる最後の勾配も凍っており、空転しつつもなんとかタイヤが噛んでくれ登ってくれた。駐車余地を事前に探しておらず、まず西に振ってみる。西に進むと、林道が寺沢川を跨ぐ場所があり、ここに余地が得られた。

 

 6:12出発。東進して行き、寺沢地区北端から北に向かう林道に入って行く。樹林帯を抜けると右側に牧場のような敷地が広がる。ここが「畜産草地研究所」であった。晴れ予報ではあったが一帯はまだ雪雲に覆われどんよりしていた。そんな中で東から朝日が照り、上側が雲に押しつぶされ山林火災が発生しているように見えていた。配水所のような施設を左に見る。ここまでゲートらしく物はないが、路面は凍り車で入るにはかなりリスクがある場所であった。素直に歩いてきて良かったと思えた。

 

 右側の研究所敷地内に作業小屋が見えてくる。小屋の東側には扇状の植栽がされていた。道が右にカーブし、次にすぐに左にカーブする場所がある。ここに寺沢四等点が埋まっている。道の脇なのですぐに見つかるだろうと雪を足で掻く様にして探し回る。しかし出てこなかった。畑の一角であり、邪魔なので抜き取られてしまったのかもしれないとも思えた。しつこく8分ほど探したが出てこなかった。帰りも通るのでいったん諦める。

 

 北進してゆくと、地形図では実線から破線に切り替わる場所が見えられる。現地は西側に分岐路が降りて行き、北進側にはチェーンゲートがされ南京錠で留められていた。跨いで進むと、しばらく寺沢川に沿うように進むが、標高1210m付近で終点となっていた。そのまま上側の林道に出合えると思ったが、目の前に人参をぶら下げた感じで直前で止まっていた。この時はまだ、破線路を進んでいる気になっており、オヤッと思って地形図を見ると、破線路は尾根上を進んでおりルートを外していることが判った。東に斜面を這い上がって行く。伝って判ったが、終点地と上側の道とでは高低差がありすぎて道が結べなかったようだった。

 

 林道に乗るも、轍があるかと思ったが最近の通過の跡は見られなかった。東に進み、破線路の正規の下降点の場所に行っても道形は見られなかった。東側には研究所のフェンスが続き、南にも尾根上に降りて行っていた。おそらくはフェンスに沿うように破線路が走っているようだった。これは帰路確認することにして、さらに東進してゆく。林道沿いにもフェンスが並び、このフェンスは所々で大きく拉げていた。研究所敷地と林道に見える足跡から、シカが通過した跡と判った。フェンス高さは4尺ほどあり、1200mmほどを飛び越えているのだった。ここに生息する鹿が特にジャンプ力があるのか判らないが、あの重さのシカがここを飛ぶとは信じられなかったが、足跡からは疑いようも無かった。このフェンスは雪を纏うと竹垣のようで、雪景色で京都にでもいるかのようだった。

 

 林道が南に膨らんだ場所から、北に破線路が入っている。現地は林道脇が少し袋地になっており、林班の標識が立っていた。ただそれらしい道形は無く、もう少し東に進みカーブの頂部辺りから北に取付く。伝い易い緩斜面で何処でも歩ける感じだった。そこに南北に何筋も掘れた場所が見られた。その一つが破線路のようだった。1280m付近で樹林帯から出て、そこは古い伐採地のようだった。と言うことは、別の何処からか林道幅がこの場所に来ていることになる。この伐採地の北側からは笹枯れが広範囲に見られた。枯れていないタイミングであったら、ひどく疲れたササ漕ぎの場所だったよう。枯れたタイミングで助かった。

 

 1360m付近から、少し西側に進路を向けて行く。小さいが高低差のある谷地形が存在し跨いで進んでゆく。その右岸側に大木の倒木があり、三角点がその下だったらアウトと思えたが、そこは回避していた。だだっ広い斜面、もうこの頃からスマホの「山旅ロガー」で自分の位置を把握しながら歩いていた。現地を見て、地形図だけで探すには相当時間がかかると判断できた。点の位置に到達表示になったが、それらしい標石が見えてこない。スマホを片手に歩き回る。当然GPSの測位精度の関係で誤差があるので、東西南北に対し直径15mくらいの範囲を探すことになった。細かい植生があり分けながらの作業で、なかなか見つからず落ち葉に埋まってしまっているのかと、最初は雪だけを退かしていた作業から、途中で踵で地面を掘るような作業に変えてみた。点の記の絵図があればヒントとなり得るが、無いのだから自分自身の探索能力如何になる。ただしそう長くは集中力は続かない。何回か諦めモードに入ることを繰り返し、都度気持ちをリセットして探索を続ける。その様子を不思議そうに見ている迷犬。多分彼には全く理解できない行動だろう。長い時間何やってるんだろうと思っていただろう。探索範囲を少し上に変え灌木を分けて進んでゆくと、見慣れた四角い形が目に入った。

 

 塩野山三等点到達。時間がかかった分嬉しかった。埋もれておらずきちんと顔を出していてくれた。雪を払うと、驚いたことに南西の一角が割れていた。ここにもマニアが訪れており、記念に割って持ち帰っている・・・。これにより他にも好事家が訪れていることが見えた。人工物はこの標石のみで、周囲にはペンキもマーキングの類も無かった。絶縁テープを残そうかとも思ったが、探す人の楽しみを奪ってはと止めておいた。見つからなければ残念でならなかったが、時間がかかって見つかると、こんな楽しい遊びは無いと思ってしまう。待たせた迷犬とヤキソバパンを分ちあい朝食とした。多分ここは、点の記の絵図を書こうとしても、多分書けない場所だと思えた。特徴を持つ大木が無いのだった。

 

 目的達成で下山に入る。ずっと曇っていたが、東の方から幾分明かりが射しこんできていた。南を振り返ると、浅間山の東側だろうか、白く望むことが出来た。伐採地上からは、この日山中で初めて下界展望が得られた。降雪後だからだろうか、研究所敷地内にはシカを多く見たが、こちらにはトレースも糞も少なかった。ようは食い物が少ないのだろう。敢えてトレースの無い場所を選び往路と違えた場所を伝ってみる。やはり掘れた道形のような場所がいくつも見られる。少し気にして、帰路は破線路に沿ってみる。林道に出た場所は、古い看板のある場所で、林道側から今伝った場所を見ても、道形が在るようには見えなかった。

 

 林道を西に戻り、今度は往路に逸れた破線路の場所を踏査してみる。フェンス沿いにそれらしい筋は無く。もしかしたら道が在ったのはフェンスの東側だったのかもしれない。降りて行くと、ゴソッと研究所敷地内に居るシカが三頭動き出す。フェンス沿いのカヤトの場所が塒だったよう。思い切り藪漕ぎな感じで、両手が休まらないまま下側の林道に降り立った。判ったことは、チェーンゲートの場所から北東側に紫色のビニールが流されている。そこが破線の場所であった。往路に林道幅が進んでいなかったら尾根を伝ったが、林道幅があったばかりに楽な方を伝ってしまったのだった。たた、紫のテープを追っても、現在は薮が待っている。

 

 以南は心地いい下界を望みながらの歩行であった。上の点が見つかったことで、下の点も見つけられそうな気がしていた。そして寺沢点の場所となる。もう一度往路に探した場所を足でなぞって行く。やはり気配がない。あとは西側の畝のような場所で、東から足を沿わすようにずり足で下って行くと、こつんと引っかかった。四辺を守る東側の石で、その西に奇麗な状態で四等点が現れた。四辺を守る石が四つあり、欠損部位は一つもない。良かった、予定していた2点を拝むことが出来た。現地は道のカーブである頂点が最高所なので、埋めるならここと思い探したが、地形図を見ての通り、カーブの場所より西側にあるように描いてあるのだった。今日の2点はどちらも変な位置に設置してある点である。変な位置と言うものの、意味がある位置なのだろうけど。

 

 南に降りて行くと、高速道路でよく見る白と黄色の車がヘッドライトを点けて停まっていた。近くになると御代田町と横に読め、もう一台ワンボックスも停まっていた。東側に何かの制御装置があり、それの管理に上がってきたようだった。一人が機器操作をし、もう一人は経路に飛び出す枝なども除去しており、雪の中でも管理しやすいようにしているのが見えた。挨拶しつつ通過してゆく。

 

 分岐まで戻ると、寺沢地区の方だろうアイリッシュセッターを連れた男性が散歩をしていた。毎日の散歩コースなのだろう。雪面に犬の足跡がたくさん見られた。セッターと迷犬とを挨拶をさせようと思ったが、よそ者とばかりに吠えたてられた。西へ戻って行く。林道沿いには不法投棄に関する看板が非常に多い。投棄が多い場所なのだろう。駐車余地に戻る。

 



   

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