樽沢山        850.6m          小山        676.6m                                                                                                                                                                                              
  2024.3.2(土)


  曇り     単独      地蔵菩薩より       行動時間:1H37M


@地蔵菩薩前7:12→(10M)→A鳥屋城址駐車場フェンス7:22→(12M)→B林道終点・トイレ7:34→(13M)→C樽沢山(鳥屋城址)7:47〜53→(13M)→Dフェンス8:06→(9M)→E地蔵菩薩前再び8:15→(13M)→F小山8:28〜37→(6M)→G北東尾根入山口8:43→(6M)→H地蔵菩薩前三度8:49   
                                                                                                                                           


 
@地蔵菩薩前よりスタート @大ぶりな木彫の地蔵尊 経路の分岐に城址解説あり A城址駐車場
       
Aフェンスを開閉して抜けてゆく B林道終点地にトイレあり 尾根に乗り上げた場所の道標 最後は東進
   
C樽沢山(鳥屋城址) C東側の展望。 C城址解説 C三角点埋設場所は、最高所のこんもりした場所。
     
C四等点 C北東角が大きく割られている。 C三角点ポイントから見る山頂部(北側) C北西(国道254)側
       
九十九折を戻って行く 林道終点地 Dフェンスゲート帰り 鳥屋地区から見る小山
       
E地蔵菩薩に戻る。山腹に道形が見えるが・・・。 道は利用者が居ないようで自然に戻りつつあった。 と言うより、途中で道形は止まっていた。だから使われないのだった。 西尾根に乗り上げる。尾根道は特にない。昔は存在したのだろう。
       
F小山最高所 F南に進むと4mほどある大きな石塔が現れた。 F御嶽大神とある。南東麓の神社の関係だろう。 F三角点は西側の斜面ぎりぎりの位置に埋まる。
       
F歯槽膿漏な感じだが、綺麗な状態の四等点。 Fヤキソバパンと F何か山名が記してあったよう。 北東尾根には階段路が見られた。
       
G北東尾根の末端部。 帰路の歩道は広く安心して歩ける。  H地蔵菩薩に戻る。   


この日は、美ヶ原の物見石山の北東麓の山を予定していた。武石地内からは茂沢川沿いの道に入って行くが、木曜の降雪を除雪した壁が出来ており駐車余地が全く無かった。除雪自体は上流にある土建屋に為であり、6時台で既に作業員の姿が見え、好き勝手にその敷地に入ることも憚れた。先に進む林道は轍が進むが、おそらくは猟師の車だろうと思える。この日は四駆で来ていないので、入ったとて停められないと思われ、こちらからのアプローチは諦める。

 
 次は岳の湯側の道を上がって行く。渓雲荘前までは除雪がしっかりされていたが、そこから先はツルツルの路面が待っていた。車のスリップ警告灯が頻繁に明滅する中、FF駆動を頼みに何とか這い上がって行く。美しの国別荘地があるのでこの道も除雪されてはいるが、スタッドレスでも厳しい状況になった。九十九折途中に配水施設が右に見え、その横が2台分除雪してあったので、ここから歩いてしまおうと突っ込む。下界は晴れていたが、ここは雪が降っていた。

 ちなみにとバックしてみると、フロントタイヤが空転して動かない。道側より少し勾配があり、勾配側に頭を向けて入っている格好だった。前進も後退もダメで、降りてフロント下を見ると除雪の塊の中に突っ込んだ格好で、氷の上に乗り上げたような状態だった。春めいたのでスコップを降ろしてしまいストックで雪かきを始める。掻いてはバックを試み、4度ほどそんなことをしても動かず、半泣きになりながらもうJAFのお世話になろうかとも思った。気分はどんどんブルーになる。でも諦めない。諦めが悪い。とことん雪を搔きだそうとストックをピッケルさながらに使って氷の塊を除去してゆく。そしてわずかずつ前進後退と揺らすことが出来るようになった。もう少しとばかりに助手席の座布団をタイヤ下に入れる。動いた・・・もう予定した場所は中止。車道に戻るも、ツーッと滑っていきそうで下るにもかなり神経を使った。

 
 転進の場所を武石地内の所沢峰にしようと思ったが、標高1000m付近でもだいぶツボ足になるのが先ほどの経験から見えていた。もう少し標高を下げないと・・・と鳥屋城址である樽沢山に向かう事にした。ただし麓の鳥屋地区にしても低い除雪の壁が出来ており、何処でも車を突っ込める状況ではなかった。唯一、地蔵菩薩前が、壁が崩されており入ることが出来た。入ってみると、目の前の高みに道形が登っているのが見えた。地形図を調べると、埋設してある点名は小山(こやま)であった。ちょうどいいので2座のはしごとした。

 
 地蔵菩薩に挨拶をしてから鳥屋地区内を北進してゆく。県道62号側には無かったが、地区内に入ると鳥屋城址を示す案内看板が現れ、分岐の場所には詳細な絵図までが見られた。最終民家を右に見て、その先で廃墟のような農具置き場が右に見える。そのわずか先が城址の駐車場であった。雪が乗った冬季はここまで入れるのはやや酷で、駐車場は踏まれない無垢の雪が覆っていた。駐車場の先にフェンスゲートが在り、開閉して先に進んでゆく。この時季では誰も訪れないようで、トレースは無くツボ足で進んでゆく。

 
 林道の終点地には簡易トイレが設置してあった。トイレからは残り270mの表示が出ている。ここから山道となり、九十九折りで登って行く。尾根に乗り上げると、また立派な道標が現れ、鳥屋峠側からもルートが在ることを知る。北進から東進となる。今まで北風が遮られていたが、ここからは吹き曝しで至極寒い。城郭だろう棚地形の場所で道は不明瞭になるが、おそらくは雪が無かったら見えるのだろう。適当に這い上がって山頂に立つ。

 
 樽沢山登頂。中央に城址の案内看板が設置してあり、北東の丸子城址へのルートもあるようで指し示す道標が見られた。やや広い山頂部で、何処に三角点があるのかと、探す範囲が広そうで少し萎えそうになっていたが、平らな山頂部の中で一部だけこんもりと高くなった場所があり、そこへ進むと三角点を示す白い杭が見られた。ここは判り易い。城址にある点の多くが、平坦な場所に在り目立たないが、ここはしっかり最高所にあった。しかし埋設してある点を覆う雪を退かすと、北東の角が大きく割れていた。山頂から東側に展望が得られ、鳥羽山や長窪古町側が見下ろせる。木々の間からになるが、北側の国道254が走る谷地形も望むことが出来た。解説を読んでも「樽沢山」に関わる解説はされていない。由来は何なのだろうかと調べると、「鳥屋城の山を鳥屋村では鳥屋入山、腰越村では樽沢山、東内村では大年寺山と記 しています。」と武石の公報で説明されていた。さて下山。

 
 往路のトレースに足を乗せて戻って行く。トイレまでの下りが段差が不均一で少し足場が悪い。林道終点地から降りて行くが、枝道が東側に複数本入って行っていた。どうやら南尾根にも道形が在るように思えた。再びフェンスを開閉して鳥屋集落へと下って行く。向かう先に小さくこんもりとした小山が見えている。この時はまだ、登路があるから簡単な場所だろうと思っていた。

 
 地蔵菩薩に戻り、そこから南東に上がって行く道形に伝って行く。誰も利用しないようで道形は自然に戻りつつあった。分けながら、分岐は上に行くものを選び進んでゆく。しかし・・・予想外にも道形は途中で終わっていた。てっきり散策路が存在するものと思っていたが、こんな小さな山で途中で止っていることが理解不能だった。ここからやや密な植生を分けながら南に上がって行く。西尾根の650m付近に乗り上げる。尾根道は薄く存在するようだが、現在は無いと言った方が適当な植生であった。

 
 小山登頂。広く意外や居心地がいい。南側が明るいので進んでゆくと、そこに大きな人工物が立っていた。文字のある南側に回り込むと、「御嶽大神」と彫られていた。と言う事は、南尾根に登路があるようだった。石碑前には木の板が置かれ何か書かれていた痕跡が見られた。三角点探索に入ると、西側の斜面に半身預けるような感じで設置されていた。ニョキっと出ていたから判ったものの、この位置で深く埋められていたらなかなか見つからなかったろうと思えた。石碑に対する参道を邪魔しないように設置したのだろうか。最高所より1.5mほど下がった位置であった。その最高所に戻り下山路を考える。

 どうにも止まっていた道形が解せない。往路に東に分かれ進んでいた道も在ったので、北に降りて行ってみる。一帯のあちこちに松くい虫の駆除散布の木積みが見られた。その中に小径の自然木で造られたステップが見られた。続く道形を進むと北東尾根に続いていた。そのまま降りて行くと、北東尾根の末端に降り立つ。振り返っても道が在るようには見えないし、道標の類もマーキングも無かった。場所を違えれば、散歩に適当な地形だが、この地域ではあまり見向きもされないようだった。西に車道を戻り、県道62号は歩道が車道ほど広く安心して歩ける場所が作られていた。

 
 地蔵菩薩に戻る。後で調べると、小山の方も城址であった。確かに山頂部が平で広かった。




            

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