戸沢山        1060m         馬屋尻        (1090m )                                                                                                                                                                                              
  2024.1.6(土)


  晴れ    単独      信綱寺駐車場より       行動時間:2H20M


@信綱寺駐車場6:57→(8M)→A尾根末端7:05→(24M)→B925.7三角点7:29→(21M)→C戸沢山7:50〜52→(15M)→D1130m峰8:07→(9M)→E馬屋尻8:16〜17→(6M)→F1070m峰8:23〜26→(26M)→G蚕影神社8:52→(7M)→H戸沢神社8:59→(18M)→I駐車場9:17   
                                                                                                                                           


 
@信綱寺霊園駐車場から 信綱寺側から見る戸沢山(左) A尾根末端。捕獲檻あり 780m付近。松くい虫の薬剤処理が点在。
       
830m付近で東側より道形が上がってきていた。 B925.7三角点 B四等点 北進から東進に変わる場所。向かう斜面に細かい露岩が目立つ。
   
東へ向かう道形 C戸沢山山頂。東側より西。 C西から東 C人工物皆無。絶縁テープを残す。
     
1090m付近。快適尾根。 1100m付近。 D1130m峰。北から尾根道が来ていた。 D杭
       
1130m峰の南東側は、起伏が激しい地形。 林道終点地の広み。 E馬屋尻と思われる場所。城址のような山頂部。 林道終点からの山道を南西に進むと、この高みに出合う。
       
F1070m峰。西から見る。 1025mの肩下は奇形露岩が多い。 830m付近で道形に出合う。 G蚕影神社。後ろ側より。
       
G大きな石に馬鳴菩薩が彫られている。 小池の東側は大倒木帯。 降り立った場所の「大柏木の跡石碑」道標。 H戸澤神社
       
尾根末端に戻る。 信綱寺前を通過し I駐車場到着。


  今回も旧長村図内の山を計画する戸沢山と馬屋尻で、戸沢山の方は南麓の戸沢地区が山名の由来で間違いなく、地形図で山座同定するにも絵図がとても分かり易い。その戸沢山の東に馬屋尻なる珍名の場所がある。最初は山名ではないと思い見て見ぬふりをしていたが、何度も見ると間違いなく山を示している。周囲表記と見比べてもそう。そう思い地形図に場所を投影するのだが、かなり難しい。そこに顕著な高みは無く、尾根の肩の場所で馬屋尻としているようだった。絵図から得られる情報から、北からの実線路が南進してきている末端部らしきことは読める。ここはたぶんおそらく、現地地形で判断できるだろうと思えた。

 西上州をマイナス2℃で出立すると、珍しいことに軽井沢の温度計もマイナス2℃であった。標高差からはもっと下がるはずだが、ちょっと変な気温の日であった。真田の現地に入っては2℃を示しており温かい印象だった。十分寒いのだが・・・。この日も信綱寺の霊園駐車場をお借りする。お寺からは2サイクルのエンジン音が既に聞こえていた。チェーンソーってことは無いだろうから、エンジン式のブロワーで落ち葉掃除をしているようだった。その音を聴きながら準備に入る。

 6:57駐車場から東進してゆく。信綱寺では、やはりエンジン式で参道を掃除しているのが見えた。向かう先に戸沢山が左に見えてくる。橋を跨ぐ先が大柏木林道入口で、以前十二山などを歩いた時に入った場所。ここから尾根に這い上がってもいいが、僅かに南に進むと、尾根末端があり取付き易い。ここには大型獣用の捕獲檻が置かれている。そして尾根には道形があり、尾根の左右にも枝道が分かれて行っているのが見える。

 尾根道があると書いたものの、伝う人は少ないようで若干分けて進むような道ではあった。そしてとても薄い。790m付近から松くい虫駆除の、薬剤散布の木積みがあちこちに見えだす。それらがあるからとて、道形がはっきり表れることは無かった。様子が変わったのが825m付近からで、ハッキリとした道形が東側から上がって来ており、そこからは昔道なのだろう、よく踏まれ掘れた道形が上に続いていた。ゆるく切られた道で、登山道と言うより遊歩道な印象であった。馬などを使った道なのだろう。尾根の東側を伝わせる場所が多い。

 925.7の三角点は四等点で、下から見上げると、そこに墓石があるかのように立っていた。真鍮製でなく御影石仕様だったことがありがたい。それでも左から書かれているので古いものではなかった。ここから10分ほど登ると、斜面に白い人工物が点在しているかのような場所となる。何があるのかと寄って行くと、それらすべては白い露岩であった。斜面を突き上げる予定でいたが、道形はここで東に進み、南東尾根に乗り上げてから北西に上がって行く。この南東尾根に乗り上げた場所で道形は有耶無耶になっていた。

 戸沢山登頂。広く平で、なんとなく城址の雰囲気もある場所であった。周囲にこれだけ城址があるのだから、ここもおそらくは在ったか候補になった場所だろうとは思う。人工物の一切ない場所で、ここに三角点もないことから好事家も登っていないようであった。展望も悪く、登山対象の場所になり辛いピークであった。まず1座は問題なく踏めた。問題は次。

 戸沢山から尾根を東進してゆく。途中にはクマの糞も見られた。古いものであった。やや広い尾根だが、見通しがいいので歩き易く、なにか西上州を歩いているかのような印象の場所であった。尾根の北側には雪が残り、1100m付近からは雪面を登って行く。ここまで特に下草は無くとても伝い易かった。食い物が無いからだろう、鹿の糞も少ない山体であった。

 1130m峰到着。広い尾根上には、北からの道形が通っていた。最高所には赤い頭の標柱が埋まる。人工物はこれが唯一だった。林道の延長線の実線路が東側に描かれているが、現地山頂からは見下ろすことはできなかった。さてここから踏査な感じで馬屋尻の場所を探さねばならない。南東に下って行くと、起伏の強い地形が待っていた。ここで”これは・・・”と思った。この起伏の深さにより麓から見ると尻に見えるのではないかと。机上の考察としては、馬屋があった場所の端っこのような地形と予想していた。降りてゆくと、林道の終点地が広くあり、ヌタバのような水溜りも出来ていた。その東側にこんもりとした高みがあり這い上がる。

 馬屋尻だろうピークに立つ。ここも山頂部は城址のような平たん地であった。林道終点地の広みは、林道設置後に造られたのか、それ以前からなのか、馬を多頭繋いでおくのには都合がいい場所。その端に高みがある。馬屋尻の名に相応しいピークであった。先ほど起伏の話をしたが、麓から見て右の尻に見える場所がここであった。ここを自己満足として馬屋尻とする。東に派生する尾根が書かれている場所なので、これ以下に高度を下げると絵図と異なり、戸沢山との位置関係と高さからも林道終点地東が適当であった。

 林道終点地からは、なぜか南西に踏み跡が続いていた。獣道なのかもしれないが、伝って行くと向かう先にこんもりとした大きな高みが現れた。馬屋尻はこれなのかとも思われたが、1130m峰の南に位置しており絵図と異なる。とりあえずそのこんもりとした高みに這い上がる。標高は1070mで尾根の肩と言うより独立峰のような位置取りであった。そうそう、道形はこの高みの北側鞍部で途絶えていた。下山はここから戸沢神社へ続く尾根を下る。

 1025mで尾根の肩があり、ここから下は米粒とか麦粒とか形容したいような細かい奇形露岩が数多く見られた。急峻地形を足が流れないよう踏んばりながら降りてゆく。しばらくすると、825m地点で道形と出合う。下からの道形は尾根の東側を登って行っていた。そして790m地点で大きな社が待っていた。これは蚕影神社で、祠の中には大きな石塔が本尊として安置され、そこに馬鳴菩薩が彫られ白で彩色されていた。退色が感じられずとても綺麗な菩薩であった。社の南側にはさらに明瞭な道が上がってきており、九十九を切りながら降りてゆく。最近はあまり使われない道のようだった。でも先ほどの社には新しい紙垂が下がっていた。

 村落の舗装路に降り立つ。そこには「大柏木の跡石碑」と今伝ってきた場所を指して案内していた。経路に墓石はあったが、それらしい石碑には気づかなかった。南に降りると鎮守様な感じの社があり、これが戸沢神社であった。 戸沢地区内を西に進み、大柏木林道への最短路で戻って行く。瓶の置かれた民家前から山腹を緩く登ってゆくと、往路に取り付いた尾根末端となり、そのまま進んで信綱寺前に戻る。朝の仕事は終えたようで、静かな古刹な雰囲気、綺麗にして拝観者を出迎える配慮をしている場所であった。

 駐車場に戻る。

   

   

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