時ノ巣三 等点      1252.1m       ほどがい四等点      1060.6m                                                   (当用漢字ではない漢字が使われ表記できず)                                                                                                                                      2025.12.6(土)


  晴れ    単独    余里日影橋西より       行動時間:2H46M


@余里日影橋西(花咲じいさんクラブ売店)余地6:33→(6M)→Aほどがい線ゲート6:39→(38M)→B林道終点1070m付近7:17→(29M)→C時ノ巣三等点7:46〜52→(17M)→D1170高点(三峰町村界)8:09→(22M)→E1128高点8:31→(13M)→Fほどがい四等点8:44〜49→(14M)→G915m分岐9:03→(16M)→H戻る9:19    
                                                                                                                                                                                                                                                             


 
@余里日影橋西の、開花時に花咲じいさんクラブ売店がある場所からスタート。 余里日影橋を渡ってゆく。上流に昭和橋。 分岐は、林道ほどがい線起点 A標高815m付近にあるゲート。許可を得ているので中へ。
       
915m付近の分岐。 960m付近から見る時ノ巣三角点峰(中央)。 1020m付近。古い石積みの橋。地形図では右岸への道になっているが、現在は左岸を通過。 B1070m付近で林道幅は終わる。破線路は西に上がっているが現地に道形は見えず。写真左の谷に入って行く。
   
1070m付近からの勾配の緩い谷筋。 1090m付近。細く薄く獣道のような筋あり。 1135m付近で扇状地形に突き当たる。ここからは急登。 1210m付近。西側の尾根に乗り上げる。
     
1240m付近。もうすぐ。 C北側から見る時ノ巣三角点峰 C南から C北西角が大きく割られた三等点。
       
Cヤキソバパンと C西側に、これは烏帽子か・・・。 C南側斜面も無毛で伝い易そう。 D1170高点峰には標柱が立っていた。「三峰町村界」
       
Dこれは落ちていたのをひっかけておいた。方角は合っている。武石村側を指す表示もあり。 Eコースを逸れるが1128高点峰に寄る。 Fほどがい四等点 Fこちらは欠損の無い綺麗な御影石。
       
F三角点付近は松枯れが目立っていた。 ほどがい点から西に下ると、920m付近にも道形が見られた。 G915m分岐の帰り。 ゲート帰り
       
余里地区を見降ろす。 帰路は昭和橋を渡ってゆく。 H戻る。ゴミステーション側の余地は、工事の関係資材が置かれていた。




 長和町の里山に入った時に、
机上で付近を眺めている中で見つけた点があった。名前の読みは「ほどがい」。この漢字表記が興味深く、調べてみたが当用漢字ではないようで現在の漢字に当て込めなかった。『ほど』は「火」へんに、作りは「共」のようなカンムリに左にハライがあり、その下に「用」のような文字が使われている。なにか炊事か暖房に関わる漢字に思うが、このネット環境にしてその文字が何を指しているのか判らなかった。次に『がい』だが、こちらは「天」が二つ並んだカンムリに、下が「貝」だった。に極めて近いが、カンムリに夫が並んでいるのではなく天が並んでいるのだった。何か記述を間違っているのかと思ったら、その南にある三等点、時ノ巣点の住所にもその漢字が使われており間違いではなく使われていた漢字と理解できた。そもそも国の機関の資料に残っているのだから、非公式の文字ってのは無いと考えた。ここで自治体に問い合わせをしたのだが、予想通り「判らない」との返答だった。現地の住民に聞けばいいだけと思うが、そこまでする必要は無いと判断したのだろう。
 

 

 あとちょっと面白いのは、ほどがい四等点が時ノ巣地内にあり、時ノ巣三等点がほどがい地内に置かれていた。名づけが逆になっていた方がいいと思うが、間違えたか、もしくは深い理由があるのだろう。現地入りするにあたり、ストリートビューで余里地区の最奥集落を見ると、そこからの林道に、「林道ほどがい線起点」と書かれた標柱が見られた。ほどがいに魅力を感じている最中に林道ほどがい線の存在を知り、アプローチはこの林道利用の一択となった。駐車場所は、花桃の花期限定で運営される「花咲じじいクラブ売店」前が広く停められそうだった。山村なので部外者は目立つ。空いているスペースは多いが、公的な停められそうな場所は限られた。 

 

 4:20家を出る。佐久の内山地区に上がるとマイナス8。旧武石村付近はマイナス7だった。花の時期ではないので寒村な雰囲気だった。困ったことに、予定していた駐車スペース(ゴミステーション側)には、工事用の資材が置かれていた。林道ほどがい線のすぐ北側の林道で工事がされているようだった。西側のスペースは工事車両のUターン場所とも予想でき、この日は土曜日であり作業もあるだろうからと、邪魔にならないよう場所を見出すまで悩むことになった。ジモティーに尋ねたいが人の気配なし。ここで大丈夫だろうとエンジンを切る。そして夜明けを待つ。 

 

 6:33行動開始。すぐ東にあるのが余里日影橋で、右岸に移るとトイレがあるような看板があるが、今は使われていないようだった。その先には「ほどがいハイキングコース」と書かれた看板があった。あとで判ったが、トレッキングと言うよりは花見コースのようだった。さらに南進すると、林道ほどがい線の起点ポイントで、東に折れて行く。住まいしているお宅を右に見ながら緩く登って行く。起点から4分ほどでゲートがあった。施錠はされておらず開閉して進んでゆく。周囲の樹林帯は薮や下草が見られず、よく管理されている場所に思えた。 

 

 ゲートから12分ほど進むと、地形図に読める破線路との分岐点で、ここが標高915mで、立入禁止の看板が倒れていた。三叉路の場所でどちらを指して禁止にしているかは不明だった。右折して上流側に向かう。950m付近の直線路の先には、時ノ巣三等点峰らしきピラミダルな高みが見えていた。そして1020m付近、ここは地形図では谷を跨いで進むルートになっている。現在は左岸を通る道になっているが、その古い道形の小橋が石積みで造られており遺構のようであった。この先の1070m付近が現在の林道幅の終点となっていた。地形図からは西に破線路が上がっているが、それらしい道形は見えてこなかった。向かう先が二股に分かれており、東の谷の方が三角点峰に突き上げる谷のようなので、左俣を選んで進んでゆく。 

 

 とても緩い勾配の谷筋で、左岸右岸の歩きやすい地形に薄く獣道のような筋がついていた。積雪後なので獣の足跡が分かり易い状態であったが、そこにトレースは無かった。わずかに流れがある沢筋を、流れを縫うように進んでゆくと1135m付近で緩斜面が終わり、そこからは急峻斜面が待っていた。少し我慢して上がったが、だんだん辛くなり北側の小尾根に逃げる。1210m付近で小尾根に乗りあげる。尾根上は快適だった。もう目と鼻の先が目的座。 

 

 時ノ巣三等点峰到着。標石が姿を見せて待っていてくれたが、残念ながら北西角が大きく割られていた。割って持ち帰ってどうなるものか・・・いくつもの点を破壊しているのだろうけど、分別できないだろうに・・・。人工物はこの標石のみだった。南尾根を含む南斜面も下草は無く旧の和田村側からも登り易そうだった。ちょっと早いが本日の最高所であり、迷犬とヤキソバパンを分け合い朝食とする。木々の間から雪を纏った目立った山容が見える。角度的には四阿山か烏帽子岳のようだが、けっこう木々が邪魔しており同定が出来なかった。まず1座登頂で次に向かう。 

 

 東に市町界尾根を進んでゆく。この尾根も下草が無く伝いやすい。屈折した尾根だが、進路を迷うような場所は無く見通しもいい。だからって展望尾根ではないのだが・・・。淡々と歩き1170m高点峰に到着し驚いた。白い道標が建っていた。こんな場所にハイキングコースでも在るのか・・・と思えるものだった。そこに書かれている内容、平成元年の設置とあり、その反対側に「三峰町村界」とあった。唯一武石村側の道標が残っており、他も在ったようで周囲を探すと木片が出てきた。長門町と和田村を指したもので、これで三町村の境だった場所と判った。長門と和田が合わさって長門町になり、武石村は上田市に取り込まれ、現在はすべての自治体は無くなっている。落ちていたのを拾い、元あった場所に残る釘にひっかけておいた。「三町村界峰」の方が判り易いが、「三峰」としたのはなぜだろう。次は道標が指す武石村側の尾根を進んでゆく。 

 

 1170高点で東進から北進に変わり、アップダウンしながら高度を下げて行く。下草が無いので地面がよく見える。そこにシカの糞が少ない。周囲で鳴き声もしない。猟期であり、猟がある場所ではないかと気になっていたが、日が上がっても発砲音は聞こえてはこなかった。この先1128高点峰西尾根が分かれる場所で、高点は東の高みにある。進路を逸れる位置取りだが、先ほどの高点に人工物があったので、こちらにも何かあるのではないかと寄って行く。しかし何もない高みだった。戻って北西側に尾根を進んでゆく。相変わらず下草の無い尾根で推移していた。少し灌木が煩い場所もあったが、ほんのわずかであった。 

 

 ほどがい点に到着しドキッとした。この高みのみ常緑樹が6畳ほど生えていた。やや密生しており、標石がその中だったらかなり難儀すると思えた。落ち葉の堆積も多く、常緑樹がない場所でも探すのが大変そう。まず植生のある南側を足で落ち葉をかき分けながら探し始める。すぐに出てこないので、気分を切り替えるために、常緑樹の北側に出て探す。すると、その常緑樹の際に顔を出していてくれた。こちらは無傷の黄色味のある御影石だった。尾根の西側は止山のようで荷ひもが流されていたが、設置してからはかなり年数が経過しているようで千切れている場所が多かった。アカマツがそこに目立つが、この四等点周辺のアカマツの大木は、ほぼ松枯れ状態だった。一本尾根なので北に進むと分かり易いが、進んでしまうとスタート地点に戻るのに遠くなってしまう。ここからは西に降りて行く。 

 

 やや急峻ではあるが、危険な場所は皆無で、ここも下草が無く見通しはいい。920m付近には地形図に書かれない道形が在り、さらに下ると地形図の破線ルートの林道幅が現れる。915mの分岐に戻り、あとは往路に伝った林道を降りて行く。ゲートを越えて進むと山村を俯瞰できる位置取りとなる。いい感じに絵になる景色だった。帰路は昭和橋を渡って戻って行く。 

 

 着替えてから、漢字に関し情報が得られないか地元民を訪ねる。ちょうどゴミ出しに来た方がおられたので声をかけると、すぐ北側に住まいする方を紹介してくれた。質問を投げかけると、川向こうの「ほどがい」地内に住まわれる方を紹介してくれた。この方のことを後から知るのだが、花桃の里を纏めているリーダーの方だった。お宅を訪問し漢字に関して尋ねると、「おう、昔はこれ使っとったよ」とおっしゃった。漢字が知りたかったので今の漢字ではどう書くのですかと聞くと、何か話を濁した。今はカタカナで書いているから漢字など判らなくていいと。確かにそうなだろうけど、書いていたなら判っているはず。ヘンとかツクリとかを言ってくれればと話し出したら、「今は余里までしか使っていないから、そんなことはどうでもいいと。現地に人にそう言われてしまうとどうしようもない。突然の訪問を詫びてお宅を辞した。ここまで特徴のある漢字を忘れるとは思えない。漢字の背景をよく知っていて話を濁したように感じ取った。 

 余里地区の現在は60戸とのこと。そのうち薪ストーブを使っているお宅は3軒しか無いそうだ。あちこちから煙が上がっていてもおかしくない山村で、あまり見ないので気になってジモティーに訊ねてみたのだった。昔はほとんど薪で暖をとっていたはず。近代化が一気に進んだ地区のようだった。


 その昔は、確かにこの漢字を使っていたとのこと。現在登記書類ではカタカナを用いているとのこと。

 標石設置当時のほどがい四等三角点名表記   時ノ巣三等三角点の番地は字(あざ)がほどがい

 後日、地元の歴史研究家の児玉氏より解説を戴いた。少し要約して書き出すと、「鞴替」と明治14年に表記された資料があり、火へんの部分は書き間違えの可能性が高い。鞴(ふいご)は鍛治で用いる送風装置のこと。「鞴」は、「韛」が正しく、その異字体。火に関わる装置なので火へんに間違えた可能性が大。それを地域の人が常用していた。「替」は東側地区に東替があり、「かえ」の訛りで「がい」となり、本来は「ほどかえ」と呼ばれる場所だったと想像する。「ほど」は、囲炉裏の中心部のくぼんだ部分。炉の燃焼室。鍛造用の炉を表す言葉。木曽地区では炭焼き窯をほどと言う場所もある。余里のほどがい地区は、鋳物師が移り住んだのが起源ではないか・・・。

 と伝えていただいた。だいぶ前進。そして当用漢字に置き換えることができた。火へんの間違えと、替の字も微妙に違えて使われていたよう。








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