産泰山 750m 御岳 963.2m 御殿 1000m
丁須の頭 1057m
2010.02.06(土)
晴れ 単独 丁須の頭登山口から御岳経由で丁須岩直下まで行き、御殿をピストンして鍵沢を下る 行動時間7H47M
@登山口7:48→(8M)→A麻苧ノ滝東屋分岐7:56→(6M)→B麻苧ノ滝8:02→(36M)→Cザンゲ岩8:38→(34M)→D産泰山9:12〜15→(36M)→E岩屋9:51〜54→(26M)→F御岳10:20〜30→(59M)→G丁須の頭直下の分岐11:29→(48M)→H御殿12:17〜36→(48M)→I丁須の頭直下分岐帰り13:24→(13M)→J丁須の頭13:37〜14:15→(44M)→K第二不動滝14:59→(36M)→L登山口15:35
表妙義のモルゲンロート | @丁須の頭登山口から入山。道なりに進み、最初の分岐を左(東)に進む。 | A途中にブッシュなどがあるが、道形を伝うと麻苧ノ滝の東屋前に出る。 | 麻苧ノ滝への散策路。 |
B氷瀑となった麻苧ノ滝。 | 滝から登山道となる。ここが凍っており、最初から緊張した登りとなる。 | 鎖を伝ってのトラバース。 | 登ってきた鎖場。 |
白い道標があるが、そのほとんどが表示が消えてしまっている。 | やっと道標が現われ、丁須の頭を導き出す。 | ここも凍てついて足場が凍っていた。かなり腕力を使う通過点。 | Cザンゲ岩から見下ろす霧積側。 |
Cザンゲ岩から高崎(東)側 | D産泰山。山塊の南端にある。 | Dご存知「テプラ標」 | D産泰山は東側に展望あり。 |
D産泰大神と彫られた石碑。 | 産泰山から南に下ると、途中に崩壊した祠がある。 | 新しいペンキ道標に従い谷部へ入って行く。 | 雪溜まりになっている谷部。積雪は膝上ほど。 |
登ってきたルンゼ。 | E大きな岩屋。奥が深く、幅も広い。さらに温かい。 | E岩屋内部から外を見る。 | 岩屋のすぐ上の鎖場。 |
この祠が見えると御岳はもうすぐ。 | F御岳山頂。 | F遠くからも目立つ山頂標識。丁須の頭からも肉眼で見える。 | F三等三角点。 |
F「御嶽神社」と彫られた石碑。 | F御岳から見る丁須の頭。 | F御岳から表妙義。雪雲が一次覆いだしていた。 | 2連の鎖場の下側。冬季は足場が判らず、腕力が必要。 |
この鎖場も下側の1mほどが難儀した。足がかりが無い。 | 痩せ尾根の鎖場を振り返る。 | 痩せ尾根を行く。 | 途中から見る御殿へ続く岩稜。 |
G丁須の頭下分岐。ここから僅かに国民宿舎への道を辿り、途中から稜線に向かう。 | 分岐側から見る御殿(中央左) | 振り返ると丁須岩がこのように。 | 途中の核心部のキレット。最低鞍部から降りてきた(右側)斜面を見上げる。 |
御殿側の最後の登り始め。岩のところに捩じれた木が蔓延り、掴んで這い上がる。 | H御殿山頂。かなり狭い。 | H「k」と書かれた赤布と、この上にペットボトルが引っかかっていた。 | H御殿から見る御岳(左)と産泰山(右)。 |
H御殿から丁須の頭。 | H御殿の東側峰から見る最高点側。 | H御殿から東側。 | H御殿から表妙義。 |
キレットの帰り。御殿側から鞍部を見下ろしている。ここは北側に巻いて進む。 | 左の写真の場所から丁須側の稜線。判り辛いが、写真ほぼ中央を伝って登下行すると容易。往路は左の雪を伝って降りてきた。 | I丁須の頭下分岐。国民宿舎側の鎖を伝って登り上げてくる。 | I丁須岩(横川)へのルートを伝ってゆく。 |
J丁須岩直下。鎖場は雪が乗ってかなり滑りやすい。 | J丁須の頭から烏帽子岩。 | J丁須の頭から西大星。 | J丁須岩直下。上に見える根元まで上がって風の止むのを待ったが、なかなか止まずに断念。 |
丁須の頭の鎖場斜面。 | 谷の下降に入り、途中で振り返る。 | 下って行く深い雪の谷。 | この大岩が岩屋のようになっている場所から西の谷に伝うと、西大星は狙いやすい。 |
K第二不動の滝。右岸の巻き道は封鎖され、流れの脇を通るルートとなっていた。 | L登山口に戻る。 |
完全な冬型。当初は石川の大瓢箪山を狙う予定でいたのだが、経路の妙高付近を越えるのにも一苦労しそうであり、あっさりと諦めた。高所に上がりたいが、流石にこの状況だと西風も強そうであり、上がっても寒さに耐えるほうが大変で辛い行軍になることが予想できた。こんな時の関東平野、日本海側に相対するウソのように晴れ予報。自然と関東平野に行き先を定めるのだが、それでも折角のこの時期、雪を踏んで遊びたい気持ちもある。少し天気を意識しつつ、関東平野が終わるぎりぎりの場所で遊ぶ事と決めた。その名は妙義山。
上州においては上毛三山と呼ばれる、赤城山と榛名山、そして妙義山がある。各山塊に足しげく通い、地形図と山名事典に載る未踏座は、妙義のある一部の場所のみとなっていた。少しもったいぶって残していたのだが、どうせ行くなら負荷をかけて行きたいと思い、雪が降るのを待っていた。と言うのは、妙義は奇岩峰で名高い岩山であり、冬季は敬遠される。無積雪期ならフィールドアスレチックのようにその奇岩を辿れ、多くの人が登りに来る。その反面、岩場が多く幾多の命を奪ってきた場所。ただでさえ緊張せねばならない場所であるが、あえて冬季、それも降雪を待った。上毛三山の全クリに箔をつける為なのだが、全ては自己満足。これで事故に遭えば笑い話であるが、それでも雪の妙義山と言うのはとても魅力であり、自分の現在の能力を推し量るにも予てからやってみたかったのだった。
基本的に岩に氷が着いているのがこの時期の妙義山。そこに雪を乗せているわけであり、各通過点では緊張続きだろうと思えた。しっかりと岩装備をザックに突っ込み、40mのザイルも持った。アイゼンの刃先は少しヤスリをかけて尖らせる。行き先を探し、夜中にこんな作業をしていたら、3時に近いくらいから強い雪が降り出してきた。こうなると長野などの高所を選ばすに良かったと思うのだが、舞い落ちる雪は、今回の予定にも更なる緊張感を与えてくれていた。
数時間の仮眠を入れて現地に向かう。既に夜が開け、妙義山塊の顔と言うべき表妙義が朝日に輝いていた。完全に雪を纏った景色で、いつもは見える「大の字」を探すのに一苦労するほどであった。横川から回り込み、丁須の頭登山口に着く。ここでの積雪は10センチほど。再度装備を確認して出発となった。
道標に従って進むと、最初の分岐で右(西)に進ませるように書いてある。その進んだ先にも「丁須の頭」の文字が見え、先へ先へと導いているようであった。しかしその方向は鍵沢ルートであり、丁須の頭に登るメインルート側。今日は裏ルートと言えよう御岳経由で向かう。その分岐から東に向かう道形を追う。ほとんど歩かれないのか、ブッシュ状態の中を分けてゆく。途中で左下(北側)に麻苧ノ滝への吊橋が見えてくる。今日は下山路を鍵沢ルートとしたので、このような入山方法であったが、仮に御岳のピストンだったら、見えている吊橋側から入山した方が判りやすいだろう。
登山口から8分ほど歩いたところで、麻苧ノ滝の散策路と合流した。そこには東屋があり、その前でにこやかな布袋様が出迎えてくれた。“山に布袋様?”と目の前の石像を見入ると、この先の展開がすぐに予想がついた。進んで行くと案の定、次に毘沙門天が現われ、福禄寿と続いた。散策路の上には二人分のトレースがあり、滝の方へ向かっていた。ソール形状から一人は山屋、一人は長靴であるから滝マニアかカメラマニアであろうことが推測できた。大黒さんを見て、その先で麻苧ノ滝の大迫力の氷瀑を見る。氷がもう少し繋がっていればもっと綺麗だが、ここは滝を形成する周辺地形がとても綺麗であり、それを補っていた。
滝前のベンチの場所に一人の男性がいた。アイゼンを着けているところで、“この時期にこの尾根を登るのは珍しいな〜”などと挨拶をすると、驚いた事に、あの片山さん(富士山の)そっくりなのであった。背格好も一緒。私は一度、東京駅で御仁を見ているのだが、目の前の人は全く同じ人に見えた。あえて見ないように滝の方へ進むと、滝つぼ付近に三脚を持った御仁が歩いており、その方のおかげで、滝の大きさが対比できた。先ほどのベンチまで戻り、男性の前を静かに通り過ぎて登山道に入る。
最初からいきなりの鎖場。それも足場が凍っていて一瞬の隙もみせられない。トレールがここで一度戻っており、先ほどアイゼンを着けていたのは、ここの氷を見たからのようであった。1.5mほどの段差をほとんど腕力で攀じり上がる。そうそう妙義の楽しさは、この攀じる楽しさであり、苦労はするのだが一つ一つクリアーしてゆく楽しさがある。後ろから御仁か来るのなら、しっかりとしたトレースにしないと拙いかと、足の置き場に注意しながら登ってゆく。斜上する鎖場は、その鎖のほとんどが雪の中にあり、掘り出して握ってゆく。そして鎖場のチェーンを握ると、一瞬にして張り付いてしまい、パリッという音をさせて離す繰り返しであった。
道標は、麻苧ノ滝の東屋の場所に一つあり(無記名)、その先は黄ペンキがルートを示し、当然鎖もその役目をしていた。ただ、暫くは向かう先の文字が見えないので半信半疑に思えていた。それが「丁須の頭」と書かれたプラスチックプレートにより、払拭される。雪に足を取られやすく、早々にアイゼンを着ければいいのだが、“まだまだこれしき”と我慢のつぼ足が続く。そして途中で右上に斜上する岩ルートとなり、流石にここは緊張した。足は僅かに添えているくらいで、腕力で上がって行く。上がりながら、“明日は筋肉痛だな〜”なんて思うのだった。標高630m付近だったか、ルート上の岩に青ペンキで大きな落書きを見る。まさしくこれは「井上昌子」であった。出向いている場所が出向いている場所なので、久しく見て居なかったが、何か懐かしくその文字に見入ってしまっていた。山岳界をしばし震撼させた落書きをこんな場所で見るとは・・・。
ザンゲ岩到着。と言っても経路に展望の良い場所が数箇所あり、どこがザンゲ岩なのかは不明であった。その一つの場所から見下ろすと、鉄道文化村が、まるでおもちゃ箱のように見えた。そこには列車の展示車両があるわけであり、それがミニチュアの模型のように見えていたのだった。浅間方面を見ると雪雲が覆っており、この場所にもその破片と言えよう雪が舞ってきていた。ここから先は、少し安定した尾根歩きになる。しかし足許の勾配が楽になったが、今度は西からの強風を受けるようになった。右半身だけが冷され、まるで「阿修羅男爵」か「キカイダー」のように左右の温度差を感じつつ足を進める。
産泰山は、登り上げた北側のピークが一番高いようであったが、南へ進むと「産泰大神」と書かれた小さな石碑があり、そこが山頂のようであった。しっかりとテプラ標も取り付けてあり、靡く青い荷紐に、御仁の行動力に驚いたりした。東側が開け、安中市街が見下ろせる場所であった。ここから僅かに下ると、祠が壊れた状態で雪に埋もれていた。目の前にはスクンとした御岳が見えている。日差しがあるが、それより何より寒風が西から襲う。雪煙が舞い上がりながら東側に落ちて行っていた。
産泰山から15分ほど進むと、目の前に大岩が現れる。そこにはしっかりとしたペンキ道標があり、左側を巻くよう導いている。そしてこの先でルンゼ内の登行となる。谷は雪溜まりになっていて、深いところは30センチ以上ある。そこをラッセルしながら進んで行く。たいした雪ではないだろうと、スパッツを着けて来なかった事が仇となり、靴への沢山の雪の進入を許してしまい、冷たく酷い事に・・・。やや急登に九十九折を切りながら進む。振り返ると、“滑ったらやばいな”と思える勾配であった。そしてもっと後を気にするのだが、後続の御仁の姿がいっこうに見えない。どうしたのか、こっちはトップであり、進度は遅い。すぐに追いつくと思っていたのだが、全く姿が見えなかった。
ルンゼから這い出ると、やや狭稜となり、風を気にしながら進んで行く。そして狭稜から岩を右にして左上に斜して行くような場所になった。その途中の岩腹に岩屋らしき窪みが見えた。良く見るような窪地だろうと思って近づくと、その内部の広いこと。16畳ほどはあり、その中央に囲炉裏が作ってあった。壁には2つの石碑が掲げられており、その手前にマーキング用なのか、ペンキがデポしてあった。先ほどまでの外の寒さがウソのように中は温かい。居心地の良い岩屋であった。壁には先ほど見た「井上」の文字もあった。そして外に出ると、その温度差にヒヤッと身が引き締まる。3度くらい違っているのだろうか。この岩屋の上側には、測量用の三脚もデポされていた。鎖場を山手側に寄りつつ登って行くと、その先の岩と岩の間からは突風と言えよう強い風が、息つく暇もないほどに連続して吹いていた。
ルート上の祠の前を通り、その先のピークが御岳であった。登り上げる直下は腕力を必要とする場所が多く、雪に足を取られて難儀するような場所となっていた。山頂の赤錆色の標識がなんともここに似つかわしくない。三等三角点が鎮座し、「御嶽神社」と書かれた石碑が建っていた。明るい山頂で360度に近く展望があった。次に目指す丁須の頭。そしてそこから東に続く鋸の歯のような稜線の先に目指す最終地点の御殿がある。果たして辿り着けるのか。足許の状態がだんだんと悪くなってきており、ここで12本爪を装着。東側の木にはフジオカTKさんの紐も縛られていた。
爪での制動を効かせて、安心して下って行く。次にすぐに3mほどの垂直に近い鎖場で、ここも腕の力が重要だった。とは言え、これほど腕を使っていると、握力と共に疲労が嵩み、その結果スルッと滑る。凍結する手袋と鎖の締結力も、体重(66キロほどか)には勝てないようであった。ヒヤッとすると我に返るもので、張り穴に糸を通すが如くの集中力で這い上がる。3mほどの先は4mほどの鎖場が続いた。さらに10分ほど進んだ先に4mほどの急な鎖場がある。ここは最初の一歩の足がかりが無く、片足のアイゼンの刃先を岩壁に突き立て、ボールペンの先ほどの面積で命を支える。ここも腕力で登る場所となった。
丁須の頭が近づいて来ると、周囲からの獣の匂いが強くしてくるようになった。それは以前に嗅いだサルの糞の匂いであった。打田さん曰く、御殿にかけてはサルの棲家らしいから、そのエリアに入ったのかと頷けた。だんだんと丁須岩が近くなり、直下の分岐に到着する。さあここからがルートの無い藪尾根コースである。ただ、妙義はルートの無い尾根も歩かれた形跡が残る場所が多い。それほどに沢山の方がバリエーションルートを楽しんでいるのだが、ここも一縷の期待を胸に突入してゆく。
分岐から国民宿舎の方へ30mほど下り、稜線を気にしながらトラバースするように進んでゆく。そして稜線に乗った場所は、岩がオーバーハングしている東側の場所となる。ちなみに北側が辿れなかったかと覗いてみたが、通れないことはないが、南側通過の方が無難であった。さて稜線に乗った。既に御岳側から、この先のアップダウンの多さは見ているので、それがあるのは判っているのだが、そのアップダウンがザイルを使わねばならないような場所なのかどうかも気になっていた。もっとも、ザイルを出してまだ動けるなら良いが、断念して引き返さねばならないことも有り得る。気合を入れなおして東進してゆく。
振り返ると丁須岩が、それこそハンマーの姿でこちらを見下ろしている。丁須の頭寄りの第1峰の東側に大きなキレットがある。まともに稜線上を伝っていると岩の上に出てしまうので、左(北)側を気にしつつ進む。するとキレットの谷に向けて、何とか降りられそうな斜面で続いている。雪があるのでかなり慎重に下る。ザイルを垂らすべき場所であったが、腕力頼みで潅木を掴みながら、アイゼンで足場を確認しながら降りて行く。降りきったら向かい側の壁も一筋縄では登れず、やや北側に進むようにして小尾根に乗り上げ、南に進んで主稜に戻る。そして第2峰と言うべき次のピークは正面が岩壁になり進めない。ここも北側を意識して巻き込むと、チムニー状の谷になり這い上がれる。このピークを越えてゆくと、オヤッと思うのだが、何となく道形がはっきりとしている。獣道のようでもあるが、人為的な道のようにも思えた。雪があるので全体が見えないわけだが、無積雪期に足を踏み入れれば全ては判るであろう。
道形が見えたのだが、それでも藪化している稜線で、途中の笹を漕いでいる時に、右目に違和感を覚えた。ふと見ると。目の先に枝があった。長さ10センチほど。直径1mmほど。抜いてみると、目の内側に5mmほど刺さっていた。まだ運はいいようだ。眼球に刺さらないで良かった。と思って数歩進むと、笹が目を横切った。これは流石に痛く、しばし足踏み。少し周囲の枝葉を気にしつつ進む。ここでは特に打田さんの表記する野猿の棲家というのが気になる。しかし積雪期のこの時期は、姿形、足跡さえも無かった。3峰目と言っていいのか、2峰目から御殿側の登りに入る所は、1.5mほどの岩を乗り上げるのだが、ネズミサシか、ちょうどいい根の様な、幹のような木が伝っており、掴みながら這い上がってゆく。岩に擦れたガリガリと言うアイゼンの音が響く。
御殿頂上。狭い山頂で、何とか表妙義側は見える。そしてここには、赤いリボンが縛られ、その布には「K」の文字も見られた。それとペットボトルを逆さにしたものも残され、好事家の人陰のある山頂であった。少し東に移動すると展望の良い場所があり、痩せ尾根の岩場の上でしばし休憩となる。歩いてきた産泰山からの尾根が一望出来。ここからの表妙義の展望もいい。晴れてはいるのだが、唯一の障害は風。雨具の風防をばたつけせながら白湯を飲むのであった。途中に道形のようなものがあったので、国民宿舎の方へ続くのかと思い、少し周囲の下降点探しをしてみたが、あまり良く判らなかった。地形図を見てもこの周囲はゲジゲジマークだらけ、そう簡単には調査に降りてゆけない場所であった。
往路を戻る。今日初めてトレースに乗って進むのだが、自分のものとは言え、それがあると安心感がある。尾根上を良く見定めると、御殿側の稜線は、稜線南側に薄っすらとした道形が有り、そこを伝う。そして第2峰に上がると、木々の間から烏帽子岩と赤岩のスクンとした姿が見える。どこを見てもゴツゴツとした周囲景色、妙義山系の深部に居る感じが強くする場所であった。2峰目の下降点には細引きを残しておこうかと思ったが、ここを訪れるのはよほどの好事家、人工物は余計なお世話になるだろうと思えた。そしてキレットを前にして、ここがこの稜線の一番の展望場所。丁須岩のハンマーが“おいでおいで”と手招きをしているようにも見えていた。慎重に北側を巻いて下り、登り上げも往路の斜面でなく、しばしトラバースするように北斜面を伝ってみた。すると雪の下に稜線に上がっていっているような九十九折があった。やはりどうやら道があった(たぶん)ようである。オーバーハングの場所まで戻り、ここが陽だまりになっていて温かい。西風はここでは完全にシャットアウトされ、日差しの温かさを感じられる場所となっていた。
国民宿舎からの道に乗り、鎖を掴みながら再び分岐に立つ。やはりそこには私のトレールしかなかった。後からはこちらには登ってこなかったようであった。そうならトレース作りを気にせず、ガツガツと淫らな足跡でよかった事になる・・・ちょっと残念。さあ最後の丁須岩登り。北側を巻いて直下に出る。ここはモロに西側斜面。まともに西風を食らう場所となっていた。ハーネスを装着し、ザイルを袈裟懸けにし、ギア類も確認。下の鎖場は凍っていたのでアイゼンで上がる。ここまではハイカーの領域。この上が岩屋の領域となる。岩壁に雪の付きは少なく、アイゼンを外し、とりあえず2.5mほど這い上がり最終ステージに立つ。
しかし凄い風。手がかりの場所を見るのに西側に回りこもうとするが、懐に入り岩壁から剥ぎ取ろうとする風が吹いていた。15mは優に超え、20m近く吹いていた。当然断続的であり、隙を突いて登ろうとしているのだが、それでも西や北が全く向いていられないほどであった。垂れている鎖にビレーを取り耐えるのだが、だんだんと今日は自然が「登るな」と言っているかのように思えてきた。それでもここは私のとって2回目のリベンジの場所。どうにか登りたいのだが、それにしても危険度はかなり大きい。丁須岩には雪が付いてないというものの、僅かにはある。右手を掛け、右足、左足とかけようとするが、またもや強風が・・・。結局、「また来よう」との判断になった。下に降り、寂しく岩装備を解除。再びアイゼンを着けて下降開始。
丁須の頭からの下降は、最初は鎖場の連続だったはず。それが今は雪の下になっている。いくらアイゼンを着けているからとて、下は岩場でもあり、凍っていたりするであろう。ここでピッケルを持ってこなかった事を後悔する。手袋を嵌めた手を、雪に突き刺すようにして、一歩二歩と足を下ろしてゆく。谷の雪は豊富で、膝上位まで足を沈ませながら下って行く。当然と言うか、こちらにもトレースは皆無。やはり冬の妙義は敬遠される場所なのであろう。少し高度を下げると道標と言うべき黄ペンキが現われ、拾うように降りて行く。雪の下にある岩が、ゴリゴリとアイゼンに反発する。雪が乗っていることで、とても歩き辛い下りであった。この下りは終始西大星が見える。登頂時に伝ったルートを見上げながらニンマリ。
第二不動滝まで降りるが、以前滝の西壁に付いていた熊野那智大社の御札は無くなっていた。ここでアイゼンを外し登山道を闊歩して行く。アイゼンが無いと格段に歩き易い。ここは沢ルート、ちょっと足の裏に当る岩や石が多いのであった。鍵沢を下って行くと、18号を通る車の音がしてくる。だんだんと聴覚からゴールが近づいてくるのが判ると共に、足許の雪の量もゴールが近い事を視覚に訴えてくる。まだ刺さった右目を見ていないのだが、どうになっているのか、ちょっと気になりつつ早足で降りる。登山口が近くなり、僅かに崩落地がある。以前に増して崩落が続いているようであった。そして往路の分岐箇所でトレールに乗って登山口に降り立つ。周囲の雪を見ても、今日は誰もここには訪れなかったようであった。急いで車内に入りバックミラーを覗き込む。赤くなっていたが大丈夫そうであった。
さて振り返る。今回のルート。破線ルートの御岳経由の丁須の頭、冬季の今は状況によって引き返すにしてもザイル必携であった。そして御殿側の稜線も、キレットのところでザイルがあったほうがいいだろう。まあ無積雪期なら要らないかもしれないが・・・。それにしてもこの日は緊張する時間が長かった。落ちれば・・・と言う場面が多々あり、冬季の妙義と言うものを全身で体感できた。おかげさまでこれ書いている今、筋肉痛が・・・。さあこれで上毛三山を全てクリアーとなった。あとは地形図や事典に載らないマイナーピークを登ろうかと思う。まだまだ妙義には魅惑のルートがあるはずである。そして御岳の中腹にもあったが、大きな岩屋も多い。そんな場所を巡る山登りも面白いかもと思えている。