比津羅山  1201m         手前山    1514m        日留賀岳     1848.8m   
 

 2010.03.13(土)   


  曇り時々晴れ のち小雪     単独       小山邸からピストン          行動時間8H41M


@小山邸6:03→(37M)→A鉄塔の先で林道に出る6:40→(12M)→B尾根取付き6:52→(51M)→C比津羅山三角点7:43〜44→(3M)→D比津羅山最高点7:47〜54→(105M)→E1510m峰9:39〜44→(7M)→F手前山9:51〜55→(101M)→G日留賀岳11:36〜51→(47M)→H手前山帰り12:38→(79M)→I林道終点13:57→(29M)→J鉄塔帰り14:26→(18M)→K小山邸到着14:44


koyamasantaku.jpg  uramichi.jpg  tozanguchi.jpg  saisyono.jpg 
@小山邸駐車場より小山邸側。 @小山邸の裏を通る道。こちらは通らない方がいい。 杉林の中に登山口の道標がある。 最初の尾根で分岐道標あり。
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鉄塔を潜ると林道。 A林道に出る。特に道標は無い。 B比津羅山へ向かう為に尾根に取付く。 B崖地の上から見下ろす。
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尾根の西側が植林帯で、その際が歩き易い。 地形図に載る破線ルートを跨ぐ。 破線ルート南側。 標高1100m付近。
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C比津羅山三角点ポイント。山部さんの標識が浮立つ。 C南西側に防火帯のような幅が降りている。 D比津羅山最高点。 D最高点から見る日留賀岳。
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比津羅山北側斜面には大きなブナが多い。その中には傷つけられたものもある。 1490m付近 E1510m峰。手前山最高点より、ここのほうが居心地がいい。 「スープ入り焼きそば」のパンを齧る。
temaeyama.jpg  temaeyamaminami.jpg  temaeyamakara.jpg  saiteianbuminami.jpg 
F手前山北側。 F手前山南側。 F手前山から日留賀岳 手前山から、北の最低鞍部に向けて下って行く。
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1530m付近。 酷い団子状態。付着量は3キロくらいあるだろうか。 1650m付近。先に見える高みが山頂に見えるが、まだ先がある。 1650m付近から振り返る。
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1750m付近。ここでやっと山頂の姿が・・・。 カモシカが出迎えてくれる。利発そうな器量良し G日留賀岳到着。 G日留賀岳から男鹿岳側。
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G高原山方面。 G祠とその脇に山部標。  G標識。これを見ると積雪量は1mほどなのか。 G北西側の会津・新潟方面。
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G鹿又岳に続く尾根。 G長者岳側。自衛隊道路が山腹を横切る。 1750m付近帰り。 ガンガンと高度を下げてゆく。
temaeyamakaeri.jpg  torii.jpg  hidurani.jpg  rindousyuuten.jpg 
H手前山帰り。 手前山南側にある鳥居。 比津羅山手前鞍部に向けて谷状地を下って行く。 I林道終点
textutoukaeri.jpg  takebayashi.jpg  koyamasankaeri.jpg  cyuusya.jpg 
J送電線鉄塔帰り。 竹林を抜けると小山邸。  小山邸に向けて石段を下って行く。 K小山邸の納屋の奥にある駐車スペース。


 
 男鹿岳を含め塩那林道に絡むこのエリアには、私にとっての未踏座がゴッソリと残されていた。それを以前からゴッソリと登ってやろうと思っていた。それには藪が埋もれる冬季に、スキーハイクがいいだろうと思っていたのだが、そのスキーハイクの記録はほとんど見られない。やってやれない事もないのだろうが、積雪量や地形的な部分から適さないのかもしれない。塩那林道のその距離からいくとスキーが適してあるはずだが、それは林道が平坦な場合。もし先日のショウガ山の帰りのような押し出しの連続だと、今度は完全に裏目に出る。かなり悩む。で、出した答えはカンジキ歩行。やはりスキーはギャンブルなのであった。週中に降ったからとて、根雪がどれほどあるか全く読めなかった。ライブカメラも無ければ、ここらへんは現地で判断するしかなかった。もう一つは気温が高い事。締まった雪の上に先日の降雪があったわけで、スキーではズリズリと登り難い事も予想も出来た。

 
 長駆になるのでヘッドライトをしっかりと準備する。ロングコースの場合、いつもなら夜から入山する形を取るが、ちょうどダイヤ改正に伴う「北陸」と「能登」のラストランがあり、それも興味があった。それらが高崎駅に停車するのが、ちょうど日が変わるような時間帯。現地入りに際し、ちょっとした寄り道をせねばならなかった。山に集中していないと怒られてしまうかもしれないが、全てに最大限楽しむのが私である。

 23時に家を出て高崎駅に向かう。そして高崎駅構内に入ると、カメラをぶら下げた「撮り鉄」と呼ばれる人らがちらほらと見える。そして入場券を買いプラットホームに降りる。撮影に際しなるべく明るい場所をと、自販機の明かりのある、そして渡り廊下の明かり漏れる乗務員室の前を陣取った。ダウンジャケットを着込んでいたが、下半身がスースー冷える。山を歩く分には動いていて暖かいが、じっとしているのも辛いのであった。そして最初の「北陸」がやってくる。懐かしいブルートレイン。ノスタルジックな若き記憶が甦る。そしておおよそ30分後、「能登」も入ってきた。春は出会いと別れのシーズンであるが、こんなでっかいものに別れを告げたのは初めてである。“ごくろうさま”とつぶやき、高崎駅を後にする。1時を少し回った時間だったが、まあいつもの出発時間と言えばそれまで・・・。

 
 122号で足尾から日光と進み、今市で121号に入り北上する。各有料道路は夜間は無料なので、スイスイと流れてゆく。そしてショートカットの為に日塩もみじラインに入るが、凍結箇所が多々あり、カーブ毎にツルッとやってドキドキの連続であった。夜間無料だからと通ったが、上三衣経由で400号を通った方が、この時期は良かったかもしれない。早出のスキーヤーが登り上げてくる中、上塩原温泉の硫黄の匂いを嗅ぎながら下って行く。そして交番前交差点で400号と合流し、塩原温泉街に入って行く。この温泉街のコンビニで面白いパンを見つけた。その名は「スープ入り焼きそばのパン」と言うネーミングであった。どだいスープとヤキソバは別もんであり、二つが融合したものなど食べたことはない。こんな変なもの(失礼!)は買ってみるに限る。食料も確保できたところで登山口へ向かう。

 やはり日留賀岳に登るには「小山邸」は外せない。長年ハイカーに対し暖かく対応してきたこの家の配慮は、賞賛に値する。その意味もあって氏の家から入山する事と決めていた。塩那林道側から進んで行くと、適時に「日留賀岳登山口 小山邸」と書かれた道標が導いてくれる。週中の雪が残り、畑の中の細い道がちょっといやらしかったが、目の前に小山邸が見えてくると、ホッとした。手書きの案内看板に従い、納屋側の駐車スペースに突っ込む。このスペースは除雪の山が出来ており、ここでも登山者の為の配慮が感じ取れた。納屋に入っているSUVには、アマチュア無線のアンテナが見える。見えない家主に親近感を覚えるのであった。高崎駅からほぼ4時間、5:03に到着。夜が少しづつ明けだしてきてはいたが、高崎駅で寒気に当った1時間ほどの影響が大きく、なにかどっと疲れた感じ。よってちょっと仮眠を決め込んだ。それでも寝入って数分で、外から声がした。小山邸の朝は早いのか、奥方にエンジン音が聞こえたので見に来たようだった。挨拶をしたいところだが、そのまま30分ほど体を休める。

現在の夜明けは5時35分くらい、急いで準備をしだす。今日需要なのは、足回り装備とヘッドライト。足回りは、アルミワカンにするかスノーシューにするかであるが、急峻箇所も多いようなので前者とした。バッテリーも予備を持ち、いざスタート。小山邸の前を通るのが順当らしいが、早朝から申し訳ないので、家の裏側を通らせていただき登山道に入る。竹林の中の鎮守様(屋敷守か)に挨拶し、雪の覆った細い掘れた道を登って行く。そして10分ほど歩いた所で尾根に乗った格好になり、90度方向を変えて左(北)に進んで行く。するとすぐに大きな寄進碑があり、その奥に小さな山の神のような祠が見える。降雪後に登山者は居ないようで、まっさらな雪の上にトレースを残して進んで行く。すると目の前に大きな送電線の鉄塔が見えてくる。そこを潜るとすぐに林道と合流する。するとこの林道には二人分のスノーシュートレースがついていた。往復の足跡なのだが、降雪後に頑張って狙った方が居るようだ。この林道出合いの場所には道標が無いが、そのまま林道を上手に向けて伝ってゆく。復路はこちらを通らない予定であり、当然のように比津羅山を狙ってゆく。

 比津羅山へは本来なら林道出合い付近から取付く方が無難のようであったが、目の前のトレースに少し導かれ、林道を進んでしまった。やはり冬はトレースに惑わされるもんである。斜面を見ながら地形図を見ながら取付き場所を探すと、途中でカーブミラーが45度に倒れたカーブが有り、そこの尾根末端が何とか登れそうに見えた。前後しても適当な場所が無く、ガレた岩混じりの斜面を這い上がってゆく。足場が滑り、石もぐらついている。ちょっと緊張する時間であった。尾根に乗るとやや密生した雑木林で、西側に逃げると植樹帯があり、その際が歩き易い場所となっていた。高度を上げて行くと、南側から来た道形が尾根を乗越して北側へ延びて行っていた。これが地形図に書かれている破線である事はすぐに判り、現在地の把握にもなった。この道形を跨ぐように尾根を繋げてゆく。つぼ足で頑張れたのも1100m付近までで、沈み込み量が増してきたので途中でカンジキを装着。格段に浮力が増した。それでもやや急峻地形であり、つま先を蹴り込む様にして這い上がって行く。


 南西からの大きな尾根が迫ってきて、こちらの尾根と合流する辺りに見慣れた標識が見えた。山部さんの3D標識であった。彫刻よろしく、経年変化での風合いも美しい。そしてまさに文字が浮き出て見える。レタリングと彫刻と塗装との関係であるが、良く出来た標識である。どうやら山部さんは三角点愛好家であり、最高点でなく三角点ポイントを標識設置場所にしたようだ。南西尾根側を見ると防火帯のような幅で樹木が無い。道でも有るのか・・・。ここから3分ほど北側に進んで行くと「栃木の山紀行」の達筆すぎる標識がかかっていた。これを見て少し安心した。本当はここに短冊になっている標識を思い浮かべていた。それがあり、出向くのにあまり気乗りがしない場所であったが、この数なら許容範囲。ましてや反対に好感が持てる配置である。展望は無いが、雑木の間から日留賀岳の雄姿は見える。まだまだ遠い。


 比津羅山からの北側にはブナの大木が多く、切り刻んだいたずら書きも見られた。これは痛そうであり、是非止めてもらいたい。下って行く尾根と、向かいにある尾根との接合点が見つからず、コンパスの指針を北に決めゆっくりと足を下ろしてゆく。すると途中に先ほどのスノーシュートレースが尾根を横切るように右(東)から左(西)へ通過していた。夏道破線ルートより、かなり西側を伝っているようだが、この日の雪質では、トレースに伝った方が早いと判断して追って行く。かなり大きなストライドで、トレースの主は男性である事が判る。そして等高線の密生する急斜面に差し掛かると、上からシリセードして降りてきた跡も見られる。こうなると登り辛い。蹴り込みながら、ほとんど下を向いたままの辛抱の登りが続く。


 尾根に乗り上げ、夏道の道形に合流。なぜにトレース主はこんな大回りしたのか、私が知らないだけで冬季はこのルートなのか。進行方向右側に相変わらずの凛々しい姿の日留賀岳がある。少しは近づいたが、まだまだ遠い。それでも左側を望むと、先ほどまで高かった無名峰がだんだんと並び、そして下になって行った。継続は力なり、一歩一歩の積み重ねが・・・などと感じるのだった。時折、日差しもあるが、何処からか小雪も舞ってきており、複雑な天気でもあった。振り返ると高原山が大きな裾野を従えてこちらを向いている。“上に行ったら那須連山も見られるか”などと期待したりもした。

 この先、1514高点が事典から手前山となっている。しかしその手前(シャレではなく)にある1510m峰の方が顕著に存在し、こちらの方が山頂らしかった。最初、この1510m峰に着いて、“やっと手前山に着いた”なんて思ったのだが、地図を見てまだ先だと判る。一旦下ってから登り上げるのだが、その高点を取っているポイントは、全くの通過点のような場所で、休憩するには先ほどの1510ピークの方が開けていて居心地は良かった。そして1510m峰と1514高点のちょうど中間部には、尾根西側に朽ちた鳥居が二つ残る。エアリアには1514高点の北側に書かれているが、たぶん誤植ではないだろうか。手前山山頂でしばし休憩。まだ日留賀岳は遠くに見える。

 準備段階で計測したのでは、平面距離で1.8キロくらい。あと2時間くらいみていたほうがいいだろう。トレースはまだ先に続き、安心して伝っていた。しかしそれもつかの間、手前山の北側峰で引き返していた。先に進むには少し高度を下げて最低鞍部に降りねばならなく、先も長いのでここまでとしたのだろう。私もトレースに助けられて伝ってきているものの、ここまでで4時間ほど経過していた。見上げる日留賀岳は遠くに見え、萎える気持ちは良く判る。勇気ある撤退と言うか、良く頑張った撤退でもあろう。さあここから新雪の上にトレースを刻んで行く。気温の高さが雪をどんどんと溶かし、そして重くしてゆく。少し気づいてはいたが、カンジキに雪が着くようになってきた。防水スプレーをかけ忘れてきたこともあるが、長年の使用でアルミに傷がついており、付着しやすい状態でもあった。雪庇の張り出した東側に注意しながらアップダウンをこなしていくのだが、その地形的な注意より、全神経は足許に注がれていた。次第にゴットリと雪が着くようになり、それが重い事。全く進度が上がらなくなった。まるで鉄下駄を履いているかのような様に、ストックで都度落すも追いつかず、しまいには鉄下駄のまま歩くような事になった。ただこうなると雪の上では滑り出す。やはり落さないと急峻に対応できない。このいたちごっこのような雪との戦いに、足もそうだが叩き落す両腕も悲鳴を上げる。ここで「この雪では、男鹿岳は無理」と悟った。行って行けないことは無いだろうが、凄い時間がかかるだろう。エアリアマップを広げ、なにか得策が無いだろうかと探るも、塩那林道を切り離して山王峠側に降りても、今度は戻りがたいへん。タクシーもつかまらないだろうし、降りる時間には暗くなり、車道を歩くのはかなり危険。もう秘策は残っていなかった。残念だが、目標地点を日留賀岳に修正した。


 2〜3歩歩くと、トレースの上にゴトッと分厚い雪の塊が落ちる。脹脛も悲鳴を上げだし、もしやスノーシューの選択なら回避できたのでは、などと思ってしまった。でもスノーシューだって周囲はアルミ製、同じように着くだろうと勝手に判断する。ワカンの選択が間違っていたなどと思うと、至極悲しいのだった。私はスノーシューよりワカンが好きであり、汎用性の有るのはワカンの方だと思っている。それが今は否定されたような状態で・・・。もう一つ、スキーだったらどうだったろうか。同じようにシール団子になっていただろうか、意外とスイスイ登れたりして・・・。やはり道具は道具、適材適所と運不運は有るだろう。


 登りあげてゆく1622高点が山頂に見えていたが、いざそこに立つとまだ先はあった。次の1750m付近の高みも、山頂に見間違えるような場所で、たぶんそれほどに足の裏の雪団子に、神経を削り取られていたのかと思う。早く山頂が見たい。そんな心境で雪と戦って歩いていた。すると雪庇の下あたりで、黒い影が動いた。それはカモシカだった。立派な角を持ち、白髭を蓄えており、なかなか風格のある固体であった。そして良く見ると器量良し。優しそうないい顔をしている。時折、「ん?」なんて表情で小首をかしげる様が、とても可愛いのであった。数分の対峙が続いたが、静かに足を進めると、尾根を乗り越すようにして西側斜面に降りて行った。静かな誰にも会わない山旅を好むが、こんな出逢いは何度あってもいい。この出迎えがちょっとしたアクセントになり、幾分か足取りも軽くなる。さあ山頂へ向けてラストスパート。


 1830mまで上がると、東側に滑りたくなるような雪の斜面が広がる。林道を使えれば、上手く周回コースも取れる。しかし、長者岳側の林道を見やると、林道の半分以上が山手側からの雪の押し出しで埋まっていた。やはり林道を加味して計画を練るには少し時期が早かったようだ。まあこれが判っただけでも、次に繋がり、今回入山した意味を果たす。東側斜面が切れ落ちているので、慎重な足運びで尾根上を北にずれて行く。そしてそれ以上高い場所が無い地点まで到着した。


 日留賀岳山頂。360度の展望の場所。登り上げた方向の先に男鹿岳が見え、右に流してゆくと大佐飛山の姿も見える。今回予定に入れていた場所なのだが、もうここを踏めただけでも大満足。行けない歯痒さは皆無であった。振り返ると相変わらずの綺麗な姿の高原山が見える。西を見ると荒海山の山塊が見え、その奥の方に会津や越後の山々が幾重にも折り重なるように見えていた。展望が良いと言う事は風が強い。祠の東側に風除けにちょうどいい碑があり、そこを背にしながら休憩となった。さあ下りはどうしようか。雪団子のまま下れば、そのまま滑落しに降りるようなものであり、それは避けたい。となるとあとはつぼ足での下降。雪を払い落としながらのワカンでの歩行より、深くてもつぼ足の方が楽だろうと判断したのだった。ワカンを外すと、雪が固着してしまっており、ずっしりと重い。それこそ足かせになっていたような状態であった。下りは往路を戻る。


 ワカンを外したのは大正解で、つぼ足でもさほど苦も無く、どんどんと飛ぶように高度を下げてゆく。そして時折グリセードをしながら傾斜を楽しむ。さらにシリセードも。雪と戯れながら下って行く。最低暗部まではあっという間で、登り上げて手前山に戻る。再び鳥居を右に見て1510m峰に戻り、終始往路の踏み跡を追う作業が続く。目下に見えていた比津羅山が、同じ目線上になり、いつしか見上げる位置になる。峠のような鞍部には、周囲の木に赤ペンキが多い。何を意味しているのか良く判らぬが、目印としては充分過ぎるほど広範囲の木に塗られていた。さあここから比津羅山山腹をトラバースしながら林道を目指す。地形図で確認すると、あまり高度を下げてしまうとシラン沢側に降り過ぎてしまい、同高度を保ちながらほぼ水平に行かねばならないようだ。夏道の道形などは全く判らず、ここは林道経由で往復しているトレースに繋がってみる。20mほど高度を上げてから水平移動が始まった。なぜにこんな所をと思えるようなトラバース。半信半疑で伝ってゆくと、途中から道形に乗り、乗ったと所にはリボンもあった。トレースの主は夏道の存在を知っていながら、冬ルートとして安全なコース取りをしたようだ。少し高度を下げた方が一見歩きやすいように見えたが、途中で深い谷も入っていた。少し高度を上げたのはそれを回避する為の行動だった様だ。


 トレースのおかげもあって、林道終点に難なく乗ることが出来た。そこからの林道歩きは快適で、少し山手側からの岩が落ちている場所もあるが、周囲展望を楽しみながら下って行ける。往路に伝った尾根が右上に見え、あんな所を歩いたのかと、100m以上はあろうかと言う高度差を見上げる。雪融けはあからさまに早く、林道上の踏み跡のなかには地面が出ている場所も見られた。そして往路の取付いた尾根末端に到着し、ここから自分のトレースの上に足を乗せてゆく。送電線鉄塔もあっという間に過ぎ、植林地の九十九折が過ぎるともうゴールは近い。寄進碑の上にある祠に挨拶をしてから尾根を離れ、竹林の方へ進路をとる。さらに鎮守様にも旅の無事を挨拶をしてから小山さん宅の方へ降りて行く。そして私が家の前を通りかかると、わざわざ居間から奥様が出てきてくださり、にこやかに声を掛けてくれる。暖かい人間味のある方で、それが話し言葉の中から沁み出している。駐車させてもらった礼を言い深々と頭を下げる。何か土産でも持って来ればと思ったのだが、後の祭りであった。朝あった雪はだいぶ融け、その朝に判らずに踏んでいた雪の下からは、元気な水仙が青い葉を覗かせていた。


 予定よりだいぶ端折った内容であったが、致し方ない雪の状態であった。残した山を考えると、次回こそは自衛隊道路を絡めて計画をせねばならないだろう。雪が無い時の方が行動しやすいかもしれないが、雪があると周囲景色がかなり違う。次もまた冬季に狙おうか。2週連続で同じエリアに・・・なんて事もあったりして・・・。

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