硫黄岳  2553.6m                             


  2010.04.24(土)   


  晴れ    単独       七倉ゲートより往復        行動時間22H08M


@七倉0:36→(76M)→A高瀬ダム堰堤上1:52→(78M)→B林道終点3:10→(28M)→C名無避難小屋3:38→(78M)→D竹村新道分岐4:56→(10M)→E水俣川吊橋5:06〜17→(34M)→F硫黄尾根へ取付5:51→(26M)→G尾根に乗る6:17→(145M)→HP1・8:42→(8M)→IP2・8:50→(22M)→JP3・9:12〜17→(11M)→KP4・9:28→(14M)→LP5・9:42→(31M)→MP6:2246高点10:13〜24→(170M)→N硫黄岳13:14〜31→(69M)→O小次郎ノコル14:40〜43→(40M)→PP6帰り15:23〜25→(71M)→QP3帰り16:36〜38→(20M)→RP1帰り16:58→(66M)→S尾根末端近く下降点18:04→(8M)→《21》湯俣川右岸18:12〜17→(5M)→《22》水俣川吊橋帰り18:22→(10M)→《23》竹村新道分岐帰り18:32→(69M)→《24》名無避難小屋帰り19:41→(25M)→・林道終点帰り20:06〜11→(76M)→《25》高瀬ダム堰堤上21:27→(77M)→《26》七倉ゲート22:44


ge-to.jpg  damuentei.jpg  tonneru.jpg  rindousyuuten.jpg 
@七倉ゲートを越えて行く。 A高瀬ダム堰堤上分岐。 高瀬トンネルへ。ここはいつも内部温度が高く暖かい。 B林道終点には、水俣川の吊橋が「通れない」と書いてある。
hinangoyao.jpg  iouonemaxtutan.jpg  seiranturi1.jpg  syusuiseki.jpg 
Cひっそりと静まる名無避難小屋。 湯俣近くから硫黄尾根末端の様子。 D竹村新道分岐からの吊橋。左に取水堰の明かりが見える。 取水堰。施設の脇を通り抜けてゆく。
hunsentougawa.jpg  turibashi.jpg  hokra.jpg  houraku.jpg 
湯俣川を見ると、噴泉塔の湯気が奥の方に見える。 E水俣川に架かる吊橋のちょうど中央部が崩壊していた。 E硫黄尾根末端にある祠。 E北鎌尾根へのルート入口は崩落している。高巻をして通過。
tuukashitaato.jpg  ru-to.jpg  torituki.jpg  oneninoru.jpg 
15〜20mほどで道形に乗る。(写真は吊橋側を見ている) 崩落地やザレた通過点もある。写真左の先辺りから斜面に取付いた。 F中央に道形がある。入口に青いリボンあり。ここを入り、その先の大崩落地の北側を伝って登った。 G尾根に乗る。平坦で雪がびっちりと乗る。赤い布が散見できる。
1520.jpg  shitagawa.jpg  hourakuchi.jpg  1940.jpg 
1620m付近の痩せ尾根。 1620m付近麓側。 途中の崩落地の痩せ尾根。 1940m付近。急峻が続く。
daiten.jpg  minamimasago.jpg  omoteginza.jpg  2080.jpg 
途中で展望が開け大天井岳側。 南真砂岳と湯俣岳。 表銀座側。 2080m付近で、槍ヶ岳が見えてくる。
p1.jpg  p1kita.jpg  p1p2.jpg  p2.jpg 
HP1南峰 HP1北峰 P1からP2への雪の様子。 IP2の上には細引きがフィックス。ここの北側の岩が登り難い。
p2minami.jpg  p3he.jpg  p3kita.jpg  p3.jpg 
IP2から南側。 P3への痩せた尾根。 P3(北面)を手前にして。 JP3.沢山のシュリンゲがフィックスされている。
p3nansei.jpg  kakouru-to.jpg  shiten.jpg  p4.jpg 
JP3から南西のカンテを見下ろす。写真右側から下れるが、次の写真に続く。 JP3の南側には朽ちた細引きが下がり、ルートを示している。雨が降れば危険度は増すが、乾いていれば通過は容易。 JP3ピーク直下の支点。ボルトとハーケンはかなり錆びている。 KP4からP5に向かう下降路。尾根の西側を伝う。
p5.jpg  p5minami.jpg tocyukarap6.jpg  2246.jpg 
LP5を越えて振り返る。 LP5からP6への尾根の様子。 途中からP6を望む。ここから見ると「前硫黄岳」と言えるか。 MP6(2246高点)から見る硫黄岳。
p6yari.jpg  tenba.jpg  p6kakou.jpg  2180.jpg 
MP6から槍ヶ岳 MP6山頂のテン場。 MP6から小次郎ノコルに向けて下降。すぐにハイマツ・シャクナゲ帯に入り、その中の道形に伝う。 2180m付近
kyuuryou.jpg  2270.jpg  2300.jpg  2230.jpg 
2180m付近から小次郎ノコル側を振り返る。かなり急峻。 2270m付近。獣の足跡が多い。 2300m付近。右手に深い谷を見ながら上がって行く。 2300m付近から急峻斜面を振り返る。
mousuguone.jpg  oneninoxtutabasyokara.jpg  sancyoutemae.jpg  hidarimaki.jpg 
もうすぐ尾根に合流。雪質はガチガチ。 尾根に合流した場所から見る槍 雪が割れ、ハイマツが出ている場所がある。 正面は、左のダケカンバ側を巻いた。
ioudake.jpg  ioujyan.jpg  ioudaiten.jpg  akadakegawa.jpg 
N硫黄岳。手前と奥に緩やかな高みが二つある。  N硫黄岳から見る硫黄ジャンダルム(中央)。  N硫黄岳から大天井岳側。  N硫黄岳から赤岳側。 
warimosawa.jpg  pixtukeruto.jpg  zaxtukuto.jpg  kakou.jpg 
N硫黄岳からワリモ沢側。  Nピッケルと槍  N裏銀座側。  硫黄岳から下降開始。 
kojirouhigashi.jpg  p6kaeri.jpg  p6kaeriiou.jpg  p6kara.jpg 
O小次郎ノコルからP6側。  PP6帰り。正面は南真砂岳。  P硫黄岳を振り返る。  PP6からP3(中央) 
kakoucyuu.jpg  p5kaeri.jpg  p3minami.jpg  kusaxtutazairu.jpg 
途中からP3  P5帰り。  P3の南面。写真中央やや右、針葉樹の見える付近に登路がある。  P3斜面。朽ちた細引きが流してある。 
2dannme.jpg  shiten1.jpg  p3p6.jpg  p2kaeri.jpg 
最初の20mほどが終わり、次の20mへの登り。  P3直下の支点。左のハーケンはかなり痩せてきている。  QP3に戻り、P6と硫黄岳を振り返る。  P2帰り。 
p1kaeri.jpg  onekarano.jpg  yumata.jpg  oritekita.jpg 
RP1帰り  S尾根末端近く、1510m付近から湯俣川へ雪を伝って降りて行く。かなり快適。  21 湯俣川右岸に降り立つ。周囲は硫黄臭。  21 降りてきた斜面を振り返る。見える針葉樹の辺りから雪がある。 
yu.jpg  turibashinimodoru.jpg  seiransouturi.jpg  oshidashi.jpg 
いたるところから湧き出している湯。  22 水俣川吊橋帰り。水俣川側に降りなくて正解だった。  23 竹村新道分岐帰り  川九里沢の大量の押し出し。下流側から撮影。 
hinangoyaf.jpg  koyanaibu.jpg  damukaeri.jpg  ge-tokaeri.jpg 
24 名無避難小屋帰り。  24 小屋内部。青い畳が居心地良さそう。  25 高瀬ダム堰堤上通過。  26 七倉ゲート到着。 


 
 さあ今年もこの日がやってきた。連休に入る前の土日、1年も前から「硫黄岳」に入る日と決めていた。2009年に一度狙ったので、既に事前学習は十分。各紹介誌や報告を読み込むと、長期連休のゴールデンウイークでの入山が多い。赤岳と抱き合わせているから尚更のようだが、その頃になると僅かだが雪融けが進んでいるように読み取れた。1週の差で雪の量もかなり違う時期でもある。さりとて、それ以前だと天気が不安定であり、冬型の日もある。日を固定したのはそんな理由からだった(けっこう適当なのだが)。


 下界が雨なら上は雪。気になるのはザイルを出す硫黄ジャンダルムのP3の通過。ここがなければ天気を気にしないのだが、ただでさえ重いのがザイル。濡れてさらに・・・は避けたい。よって好天の場合のみで決行とした。そして硫黄岳の東から西へと攻め上げる斜面も、かなり急峻地形が続くようだ。完全に本気モードとなり、12本爪はヤスリでしっかりと刃を作り、同時にピッケルの丸くなった石突きにもヤスリを当てた。ザイルはP3用に40mを持つ。おかげさまでザックはずっしりと重くなった。水曜日の徹夜作業の疲れがやや尾を引いているが、こんな良い天気に行かない手はない。


 平面距離で見ると、片道17.4キロほどある。雪の付きの部分は現地に行かないと判らないが、往復26時間ほどをみていた。あのKUMO氏が、28時間半ほど要している。KUMO氏の場合は、山頂と避難小屋で休憩を長くとっていたようであった。その休憩時間を丸々抜いたのが、私の行動予定時間となった。硫黄尾根にもう一つ存在する赤岳も未踏であり、時間が許せば西側に縦走したいが、休みが2日間しかない中であり、今回は切り離して考えた。我が力量で踏めるのか。ドキドキとワクワクが入り乱れ、珍しく不安感をも抱く。硫黄尾根を伝っているのは、一握りの人、その一握りに入れるか否か・・・。


 21:00家を出る。今回の山行経路は急峻地形の連続であり、高カロリー食と、珍しくナッツやチョコレートを買い込んで三才山トンネルを抜けて行く。これまで池田町をほとんど通過していたが、珍しく147号を使ってみた。結果は、そう変わらないのである。深夜はどちらの道も車通りは少ないのだった。高瀬ダムへの道に入ると、完全に真っ暗となり、行き交う車は皆無。“何人かは居るだろう”などと思っていた七倉の駐車場は、ガランとしており、賑やかに聞こえるのは七倉沢の沢音だけであった(0:10)。今日は、仮眠時間はとれない。到着後、すぐに準備をしてスタートとなる。


 0:36七倉ゲートを越えてゆく。トンネルの連続は、その内部の明るさから夜でもとても歩き易い。しかし足音が木霊し、他にも人が歩いているようにも聞こえる。前方を見たり、後ろを振り返ったりして、現実を確認する。前日の雨がアスファルトを黒く濡らしている。ロックフィルの斜面は、濡れた石の上を避けて、長く続く九十九折を選択。堰堤に登り上げると風が強く、ここでザックの中の雨具を出そうと探すも、無い・・・。そんなことは・・・と過去を逆回転させながら思い出すが、車に放り込んだ後、確かに出発時にザックに入れていない。雨でも降ろうものなら・・・と思っていると、どこかの雪雲からもたらされる小さな水滴が当るようになる。困った。上で少しでも降ろうなら、風で冷されとんだ事になる。ここで止めて帰ろうかとも思った。硫黄岳には昨年もフラれ、今年もこのざまでは、自然が“まだ、お前には早い”と言っているようにも思えた。降水確率はきわめて低い。少々ならザックカバーもツェルトもあり凌げる。かなり悩んだが踵を返す事にはならなかった。予備のフリースをつっかぶる。


 再び明るいトンネル内に潜り込む。このダムからの最初のトンネルはいつも暖かく心地いい。トンネル途中から出る温泉に手を浸し、自然の暖かさを感じ癒される。しかし温まるほどでない湯温、湯から手を出すと周囲温度に冷されてしまい、より寒く感じる。中途半端には触らないほうがいいようだ。東電第五発電所は、この日も唸り音を上げていたが、いつもある熱気は無く、前を通ってもモワッとした暖かさは無かった。月齢の頃合もよく。月明かりで歩けるはずであったが、その月はやや霞んでおり、明かりが当てに出来なかった。それにしても雨具が無い事が気になる。これによるストレスが自分の内部で大きく育ちつつあった。


 林道終点。そこには「通行止め」の大きな注意書き看板が出ていた。それによると、水俣川の吊橋が渡れないとある。こうなると、雨具に加えてダブルパンチである。一度流れを見ているので、そう簡単に渡渉できる場所ではないのは判っていた。ましてや今の雪解け水では、数十秒で冷たさが痛さに変わるだろう。再びここで、「引き返そうか」となった。でも、ここまで来て・・・。少し悩んだが進む事にした。ただし、進んでみてトレースが皆無の場合は引き返す。厳冬期に入山しているパーティーは居るはずであり、厳冬期後も好事家が入る場所。雪の残る場所には、黒く硬くなった足跡があるはずであった。林道を背に山道に入って行く。すると15mほど駆け上がった場所に、通行止めのように雑木3本で塞がれていた。見るからに「先に行くな」と言っているようであったが、その先に進むと、折れた枝が、それこそ沢山落ちていた。躓くほどではないが、避けて通らないとならないほどにあり、先ほどの3本は、どうやらたまたまだったようだ。そして残雪がちらほらと出てくる。がしかし、目当ての足跡はまだこの時点では確認できなかった。木の橋の上は凍っている場所が多く、気温の低下で霜も降り、ほとんどが白く覆われていた。


 山側からの押し出しは数箇所。危なげなく登山道に伝って行けた。それでも昨年の同じ日より、あからさまに雪が残っている。上の方はこの雪がどう作用するのか、知らない場所だけに想像もつかない状況であった。高瀬川の流れの音に混じって、五郎沢の強い音がしてくる。まだ時間は3時を少し回ったくらい。視界があれば、昨年水没した辺りが見渡せて笑ってしまうのだろうが・・・。そしてこの先から残雪も多く見られる様になってくる。薄っすらとだが、トレースはある。「行けるか」(橋を渡れるか)と思うのだが、このトレースの主が、噴泉塔側へ渡ったとは限らない。晴嵐荘目的かもしれないし、湯俣岳へ上がるハイカーのものかもしれない。この時季のものであり、水俣川を渡った可能性としては大きいが、五分五分的な安心材料となっていた。


 名無避難小屋通過。中に誰か居ても寝静まっている時間だが、居るような雰囲気は無かった。覗かずに通過し名無沢を渡る。ここの橋は凍っていて、ピッケルでバランスを取りながら通過してゆく。川との距離があった道も、護岸の上となると、その先はほとんど雪の上を歩く感じとなった。先ほどの避難小屋からほぼ1時間ほどの場所で、大きな押し出しがある。完全に行く手を塞いだ格好であり、その押し出しの中には、幹径が30センチほどある大木も混じっている。自然の恐ろしさをヒシと感じる。空間の多い押し出しで、足場に苦労しながら見当をつけて進むと、ほぼ水平移動した先に道形が見える。そしてこの次がさらに大きく、高瀬川側に大きく巻き込んでルートに乗ってゆく。おそらくここが、川九里沢だったはず。ここの通過から15分ほどで、晴嵐荘への分岐吊橋に到着した。


 手前にあった湯俣山荘は、廃業して窓と言う窓は赤錆色の鉄板で覆われていたが、晴嵐荘もまた冬支度のままで、窓は緑の板で塞がれていた。夜明けしたばかりの薄暗さの中に、取水堰の白熱灯の黄色い明かりが目立つ。そこに人が住まいして居るような明るさに、少し足早に進んで行く。右岸側の平坦地には、黒いカンジキトレースが残る。“しめた、通過している”と思えた。最初のカラ沢を小さな橋で渡る。この橋も中央部が折れそうになっている。そして取水堰の脇を手摺に沿って進み、小屋脇の狭いスペースを通過して行く。視線の先には噴泉塔の湯煙が高く上がっている。おそらく下山時のここの通過は夜。“自然の温泉にも入っていこうか”などと頭を過ぎるが、先ほどのトンネル内の温泉がトラウマになり、“やっぱり止めておこう”なんて思うのであった。でもこちらは湯温が高いので、良く温まるだろう。でもでも、帰りはここから4時間以上の歩きであり、それなら降りてしまってから入った方が・・・。我が思考ではここで入浴できるのはいつになるか判らなくなった。


 さあ問題の水俣川に架かる吊橋に到着。見る限り普通に見える。が、足を進めて行くと、吊橋の入口はビニールロープで塞がれ、それが「通るな」と言っていた。吊橋の中央部を見ると、渡してある板が抜け落ちているのが判る。問題箇所が判った。はてさて行けるのかどうか。その判断をハッキリさせてくれたのが、吊橋の上に残ったサルの足跡であった。一方通行で戻ってきてはいない。サルが行けるなら、と恐々進んで行く。そしてその崩壊箇所に差し掛かる。フィックスロープはザックの中ですぐ出せず、咄嗟に思いつくのはピッケルに結わえてあるフィックスロープ。その輪に体を入れて、ピッケルは渡してあるワイヤーに引っ掛けるように進んで行く。落ちたらピッケルの刻みにワイヤーが引っかかる公算なのだが、ないよりマシというくらいの保障しかない。川下側にしか板が無く、右足を乗せると、その方向へ大きく傾く。オイオイと、すぐさま川上のワイヤーにしがみつくと、今度は左に大きく傾く、その為に大きく吊橋を揺らす事になってしまった。足許の簡易板を縛っているのは4本のタイガーロープ。敷設してくれた方に感謝しながら恐々通過。

 左岸側に到着し、一難去ってまた一難。北鎌尾根へ向かう分岐点なのだが、吊橋を渡りきった場所から、水俣川上流へ向かう道が寸断されていた。北鎌尾根は有名ルートであり、沢山の人が利用するはず。水俣乗越から貧乏沢へ下る人も多いらしいが、メインルートはこちら。それらクライマーはここをどう通過しているのかと、疑問に思えてしまった。もっともクライマーならこんな場所はいとも簡単に通過してしまうのだろうが、それにしても、「ここを通過できないなら、先に進むな」と、最初の最初で課題を出された格好になった。地形を見ながらどう行こうか悩む。周囲を見渡しても、適当な巻き道は無いようだ。とりあえず、噴泉塔側に進み、祠に挨拶をして数分息を整える。そして尾根を見上げる。ここから取り付いてもいいのでは、でも誰もそんな報告をしていない。上には大きな岩が折り重なっている。理由は見ての通りだった。じゃーもう一方の噴泉塔側から取り付いてもいいのではないかと思えたが、こちらから上がっている人もいない。硫黄尾根に取り付く定番の場所は、この先の遭難碑の場所なのであった。考えていても先人の伝ったコースが一番と思え、意を決して突っ込んでゆく。

 ワイヤーロープに掴まりながら、橋の支点にしがみつき、体を上流側に移動させてゆく。至極腕力を使う場所となった。岩にある足を乗せられるスペースは、そのほとんどが濡れたグズグズの土が乗っている。蹴り込んで確認しながら足を乗せるが、我が体重で下の水面へ向かおうとしているのが判る。足を乗せられず、もっと小さな出っ張りにつま先をかけて、指先は周囲の割れ目を探す。4mほど進んだだろうか。「無理だ」と声に出したいほどの危ない感じとなった。ツルツルの岩場の先は、急峻なササの斜面。足場が全く無い。その先には赤土の小谷がある。さらに先はまたまた笹斜面。落ちても死ぬことは無いが、落ちればもう硫黄尾根に上がる気力は失せる。ここで落ちる訳には行かなかった。斜面の上を見ると、5mほど上がった場所が針葉樹が茂った岩場がある。その手前までがササの斜面。一旦3mほど上がり、笹を掴みながら上流へトラバース。小谷の幅は2mほど。腕力頼みでサルのように飛び移る。そしてまたまたササの中を進み、何とかルート上に乗った。ここがこれほどなら、硫黄尾根のジャンダルムはもっと凄いのではないかと思えた。ザックにはお湯だけだったので、ここでプラパティスの500mLを満たす。雪融け水のようであるが、ほのかに硫黄臭がする水であった。湯俣川だけでなく、水俣川からも湯が出ている場所が有るようである。もう少し早くに汲めばと少し後悔したが、ここで汲むしか後がない。


 千天出合に向けて進む道を辿ってゆく。途中途中にはタイガーロープが張ってある場所もあり、意外や管理されている道だと感じる。その反面、崩落している場所も多く、やはりここは一般的ではないようだ。道形に伝い崩落地を探るように上流に向かい、そして途中の雪で道を見失う。取付きポイントは吊橋から2回目に右曲する場所。その先に遭難碑があるようだが、全く目に入らない。報告各人からは取り付く場所にリボンがあり、少しそれが続いているとあるが、見渡すササ斜面には、それら人工物は見られない。適当に河原を進んで行くと、斜面に青いビニールリボンが見られる場所があった。その下には、どう見てもこれまで続いていた道形があり、硫黄尾根に上がる取付きのマーキングでは無い様であった。見落としているのか、この先なのか、取水堰のところにあった足跡はこちらには見られず、周囲情報からではその場所を見つけるのは困難となった。となると自分なりに進めばよい事になり、かえってこちらの方が早い。リボンに伝って山道に入ると、大きな崩落地の下に出た。その崩落地の縁を這い上がる。滑りやすい地形で要注意。そして上に行くと岩場が出てくる。その岩場は南を巻くのは困難で、北側を巻くようにササの中をトラバース。かなり急峻だが、ササを掴みながら這い上がると、尾根の肩的場所に登り上げ、一面雪の原の場所で、そこに立派な針葉樹が林立していた。すると目の前に赤いリボンが目に入った。と言う事はルートに乗ったようであり、少し調査しに尾根末端側に足を進める。しかしそれ以下の高度にはリボンが無かった。踵を返し上に向かうと、点々と布の赤リボンが続いていた。よく判らなかったが、斜面にあった通るべきルートの近くを伝ってきてはいたようだ。


 さあ尾根に乗った。なんとか這い上がったが、けっこうに疲れた。でも目の前の雪の状態を見ると、少し活力が沸いてきた。“このまま雪に伝ってゆければ・・・”と。しかしそう簡単にはいかなかった。雪は途切れ途切れになり、急峻が現れる。この急峻の為に雪が落ちたようであった。所々は凍っていて、本来ならアイゼンが欲しい場所、そこをピッケルを手にして、騙し騙し登山靴のまま登ってゆく。狭い尾根の場所があったり、急に広くなったり、一定しない複雑さがあり、帰りは注意せねばならないと強く思えた。足の裏はほとんど沈まない、その沈まない感じは度を越していて、要するに凍っているのであった。いつもは固い場所を選んで歩くが、この時は柔らかい雪を選んで歩いていた。


 1600m付近まで我慢していたが、この付近で12本爪を装着。砥ぎたての刃は、気持ちよく氷に突き刺さってくれた。快適快適、もう少し早くに着ければと思うのだが、鍛錬の為に着けなかったのでもあった。高度を上げると、左側に表銀座の大天井、右には裏銀座への湯俣岳から南真砂の尾根が見える。グイッグイッと登ってゆくと、それらの展望が、ゆっくりと高度を下げてゆく。北アの深部に来ている感じが強くする。周囲を有名座に囲まれ、かなり気分が良い。少しだけ気になるのは、裏銀座側に雪雲が乗っている。雨具の無い今日、“こっちへ来るな”と祈るばかりであった。


 時折、肩的場所があるが、さほど休める傾斜でない。勾配のきついまま前歯4本を突き刺す感じが続く。それが1900m付近から、幾分緩やかになってくる。こうなると少し余裕が出て周囲を楽しめるようになる。2031高点は全く気づかず通過。そして2080m付近で、やっと探しているそれが目に入った。それは「槍ヶ岳」。槍の穂先が見える場所まで上がってきたのだった。やはりその鋭利な姿を見ると、俄然気合が入る。少し緩やかになった事も有るが、意欲的に雪を蹴って進む。時計の高度計を見ると2100mを越えている。そろそろ硫黄ジャンダルムのP1が近い。岩場でゴツゴツとしてくるのかと思ったが、意外や針葉樹の樹林帯で、日差しの入らない北側寄りを伝ってゆく。


 P1。なんともピークらしくない通過点。雪があるからそう思えるのかもしれないが、山頂部の東西に二つのコブがあり、ちょこんとした岩が乗っている。ここは一部で雪が切れ、踏み跡らしき道形もあった。それに伝って最初は尾根北側を進み、20mも進まないうちに、今度は日差しのある南に出て、その先は暫く雪の上を伝って進む。急峻の先の見上げるような場所に、次のP2らしき峰が見える。斜度はけっこうあり、危険地帯に入ってきた感じが強くする。ピッケルを差し込みながら、着実に一歩一歩を蹴り込んで行く。そしてP2の手前直下は、腕力の必要な岩登り。そこを何とか直登したのだが、もしかしたら南を巻いて上がった方が良かったのかもしれない。この岩場の為か、山頂には細引きが数本結わえてあった。さあ次が問題のP3となる。P2からは、少し狭稜となり、その上の細い雪に伝って進む。そして手前鞍部からは、南側に巻き込むように雪に伝い這い上がる。滑れば命は無いであろう斜面であり、ここもしっかりと一歩一歩を刻んでゆく。いつも楽を考えてしまうのだが、ここが目的のピークだったら良かったのに・・・なんて思えてしまう場所でもあった。


 P3到着。岩山と言えよう場所で、雪はほとんど着いていない。進むべき南西側を見下ろすと、なかなかの岩の斜面である。山頂部の岩には、長く巻かれたシュリンゲがあり、そこを支点にして今の南西側を下るようだ。西稜と言えるのか、ここも岩慣れしている人なら、降りようと思えば降りられる場所で、最初はここを降りようと思った。いや待てよ、もっと他にと思って南側に一段下ると、岩壁にハーケンとボルトが埋め込まれ、沢山のシュリンゲが巻かれていた。そこから下は、岩溝があり、足場もそこそこあり伝ってゆける。これならザイルは必要ない。有っても20mほどでいいだろう。下向きで降りられたので、そんな難易度であった。20mほど下ると、もう一度同じほどの岩斜面がある。ここは古い細引きが流してあるが、ほとんど朽ちているのでテンションはかけられない。下の方で少し広い岩があるのみは、ほとんど危なげなく降りて行けた。私が少し岩慣れしてきているせいもあるが、全くザイルは不要と思える通過点であった。アイゼンの刃が、硬い岩に当り悲鳴を上げている。脱げばいいのだが、目の前に見える経路は、雪と岩のミックス状態。アイゼンには可哀相だが、そのまま頑張ってもらう。P3を降り切ると雪の上に乗り、尾根を乗り越すように西側を進んで行く。この先僅かでP4となる。P4からは西側を伝うしかなく、何となく岩場の中に道があるように思えるのだった。目の前にP5が見え、その先に高みがある。P6なのは判っているのだが、それが硫黄岳で有って欲しい心境であった。


 P5前後もゴツゴツとした岩場で、この付近はとても歩いていて気持ちが良い。周囲展望が開けており、そのせいもあるだろう。目の前のP6が高く聳える。かなり威圧的な存在で、こちらから見ると、前硫黄岳と呼んでもいいような存在感であった。下から見上げ、どうルート取りしようか迷うような感じで、最初は東側の雪に伝って上がろうかとも考えた。それが、現地に踏み入れると、尾根伝いが歩きやすい。見えていた勾配は、実際はもう少し緩く、何とか這い上がって行けるのだった。ただし、滑ればひとたまりも無い。朝日に当って緩んだ雪が、少し邪魔をしだす。二度三度蹴り込んでは、足場を確保し、ピッケルが先頭になって高度を上げてゆく。吹きさらしの場所で、冷たい風が襟元から懐に入ってくる。外気温はマイナス5度。それを上回る太陽の日差しがあるのだが、数値を見てしまうと、それによりブルッとしてしまう。最後はハイマツと岩場の中の狭い踏み跡を抜けP6へ。


 P6の上は、一張り分のテン場が設けられていた。整地された平らな周囲を石が取り囲んでいる。目の前に、どうだとばかりの硫黄岳があり、北鎌尾根の鋭利な刃も良く見える。その鋭利さに負けない堂々たる姿で槍ヶ岳が聳え、白く光る鉾先を天に突き上げている。振り向くと、表銀座の稜線が水平かつ滑らかに並んでいる。すばらしい大展望。スタートからやがて10時間が経過しようとしている。程よい日差し、寒過ぎない外気に、あまり疲れは無かった。だた、目の前に見える硫黄岳への距離は、見ているだけで疲れそうであった。怖いほどの急斜面の連続。複雑な尾根を見ながら、とるべき予想コースを目でなぞってゆくが、見えていても現地でそう簡単に伝って行けるはずも無し。しかし、ここまで来て、目の前のニンジンを食べずに帰る私ではない。硫黄臭い水を口に含み、ゆっくりと喉を通す。この硫黄臭さは活力源なんだ、そう思うと少し力が湧いてきたり・・・けっこう単純。


 さあ小次郎のコルへ、一気に高度を下げてゆく。P6からの最初は、ハイマツとシャクナゲの中の下りで、10mほど降りると、その先がそれらに塞がれる。“道がなくなったのか”と思ったが、分け入ると、その先に道形は続いていた。途中の平たい石の上には、傘の白い柄が落ちていたので、上に覆っているハイマツにぶら下げておいた。急斜面に踵を入れながら駆け下りる。そして最低鞍部の小次郎のコルに到着するが、名前の鋭さほどにはパッとしない場所であった。風の通り道でも無さそうで、静かでマッタリとしたごく普通な通過点のような場所であった。見上げる斜面は、これから430mほど登り上げねばならない。P6から見ていたよりは、当然緩やかに見えるが、それにしたところで、急は急。上に突き上げると雪庇が有るので、なんとか途中で南にトラバースして雪庇の無い場所で硫黄岳側の尾根に乗ってしまいたい。思うように上手く行動できるか判らないが、P6から見たこの先の斜面を頭に浮かべ、最後の試練に向かって行く。


 小次郎のコルからは、ほとんど最初からナイフリッジの場所が続く。それも急登の連続であり、ピッケルを持つ手にも気合が入る。雪質を選びながら、北側に、そして南側に振りながらトレースを残して進む。下りの事を考え、しっかりとした物を残しつつ。暫く狭稜を伝って来たが、2200m付近で行く手を岩に塞がれ進行不能。ここは南を巻いて進む。小さな谷があり、そこを跨いで、もう一つ南に入ると広い大きな谷があった。P6からは、ここからトラバースして南の尾根に乗る格好を計画した。しかし、見上げる西側の先には、これまで続いていた尾根の延長線が見え。こちらの方が伝いやすいように見えた。要するにトラバースする方が怖い斜面なのだった。急登ではあるが這い上がってゆく。蹴り込む連続動作が続かず、5歩くらい登っては一拍入れるような状況であった。1歩には相変わらず2〜3回の蹴り込みが伴う。もうキックボクサー並みの蹴り数であろう。冗談はさておき、どの通過点でも、滑れば簡単な怪我では済まされず、命を持って行かれてしまう。我が身を守る為には、しっかりと蹴り込んで進む事は、それこそ命の綱でも有るのだった。


 2270m付近で、ちょっとした尾根の肩的場所があり、僅かに立ち止まり呼吸を整える。まだ先は見上げるような斜面。先ほどよりさらにきつい斜面に、得意のキックをみまってゆく。KUMO氏が、「帰りにバックで降りた」と言っていた意味を、いま体感している。ここは下を向いては降りられない。2320mからもこれまた厳しく、かなり真剣。待機中の足も前歯に力をこめている感じ。足の移動と共にピッケルをしっかり突き刺し、滑落に対しての最大限の予防策をとる。尾根の西側には、茶色いゴツゴツとした岩肌が見える。この黄色がかった茶色い山肌は、この山を見た時の色でもある。白山の火の御子峰にも通じる所がある。吹き上げの風を右から受けながら南進してゆく。登りながらも、向かう先に雪庇が無い事を願いつつ。それでもこんな尾根形状の場合、合流点には雪庇は無い。先だっての火打で経験していたので、少し自信もあった。進行方向右手には、目指す硫黄岳の山頂がある。もう何時間も前からこのピークを見ているのに、まだ到達していない。この難しさが楽しいのでもあるが、そろそろピークを踏ませてもらわないと精神的に参ってしまう。それには、一にも二にも、足を前に出す事であった。尾根合流点に差し掛かると、雪質は硬く、さらに急峻。慎重な足運びで尾根に合流する。全く気の休まる時間が無かったのだが、近くにある山頂へは、まだ気を張ったまま行かねばならなかった。


 尾根合流点からは少し緩やかだが、その先はハイマツが顔を出し雪が途切れる。北側は巻けず、南を巻いてハイマツの際を進んで行く。すると、上の方で一部ハイマツが薄い場所があり、そこから再び北側の雪庇の上に乗る。この先は、クラックなどが多々存在し、雪庇の上はロシアンルーレットのような感じであった。2度ほど足を落し、ドキッとする。もうその先は山頂である事は判っているので、少々の障害は意に介さない。ガツガツと最後の登り上げ。


 硫黄岳山頂。硫黄台地と呼ばれる場所はこの先になるが、この山頂も広くなだらか。何処かにKUMOが有るのではと探したが、見当たらず。南西側の高みに移動してザックに腰を下ろす。とうとう来た。この場所の登頂を思ってから、計画から2.5年を費やした。一回ぐらい敗退しても、それも有りかと思っていたが、踏み入れて一回目で、無事に射止めた形となった。独立峰であり、周囲展望はすこぶる良い。いの一番に槍を拝み、次に未踏の赤岳を睨む。どうコース取りしようか。こちらから行くことはまず無いだろう。西鎌もしくは千丈沢からだろう。全ては雪の状態にも寄るだろうが、今日のような雪だったら、赤岳も手中に納まっただろう。なんて勝手に思ったりした。表銀座側は相変わらずの雪雲の中。それでも各山の輪郭は見える。殊に綺麗なのは表銀座側。やはり3D画像は、映画館で見るものでなく、自然界で見るのが良い。こんな良い景色、登った者にだけに与えられたご褒美なのであった。スタートから12時間30分を過ぎての登頂。なかなか長かったが、諦めず足を前に出したおかげで登頂した。こうなると欲が出てきた。もしかしたら「ワンディ」が出来るのではないか。KUMO氏は、夜中も歩いて朝の5時頃に七倉に戻っている。やはりそのくらいはみておいたほうが、と思えていたが、スケベ心が疼いてきた。湯俣まで18時くらいに降りられれば、それも達成できる。常に少し高い位置にハードルをおいて突き進むのも私である。


 展望写真も十二分に撮れ、再び来る事があろうか判らぬ山頂を後にする。踵をグリップさせるが、お約束の雪ダンゴがすぐに育つ。2歩毎にピッケルで叩き落し、テンポ良く足を下ろしてゆく。ハイマツの所は、真っ直ぐ降りてみようと進んだが、降りられず、往路のトレース通りに南側を通過して行った。2400m付近から硫黄岳からの尾根を離れ、そこからの枝尾根に入る。ここからが真剣勝負。最初の50mほどは後ろ向きに下る。怖くて前向きになんて降りられないのであった。雪質でなく、傾斜の怖さである。一旦緩やかになるが、尾根が屈曲する手前で、再び山手側を向く。ここも50mほど雪と睨めっことなる。僅か数時間経っただけだが、雪質はどんどん腐り出し、雪ダンゴの成長を助長していた。二歩に一回のテンポが、一歩毎に雪を払い落とす作業に変わる。歩くテンポは変えずにやるのだから、手の動きも忙しい。2250m以降の狭稜では、その作業が重要になり、横ずれしないために、足の裏の雪には細心の注意を払っていた。


 何とか無事に降りきり小次郎のコルに到着。再び硫黄臭い活力源を飲み、120mほどの駆け上がり。暫くなだらかだが、2170mからの駆け上がりが辛い。ほとんど垂直に上がって行くような場所で、ここも凍った場所が多く、足の置き場に注意しながら上がらねばならない。道形があるので、融雪が伝いやすく、それが氷に繋がっているようであった。頭で判っていても体が反応せず、先ほどまでの下りから、ギヤを変えての登りには、すぐに対応できないでいた。その登りが体に馴染んでくる頃、P6に到着となった。

 
 幻影か、硫黄岳からこの2246高点を見た時には、人が居る様に見え、縦走パーティーが居るのだと判断していた。しかし現地にはそれらしい岩も無ければ、当然に人も居ない。そろそろ疲れで頭がやられてきたか・・・。昼を過ぎて太陽が僅かに西に傾き、それにより周囲の景色が良くなってきていた。アーベンロートにはまだ早いが、それに近い輝きを見せる山もある。ここから見る槍も、ひと際輝いて見えていた。振り向いて硫黄岳を見ると、その日差しに我がトレールが点々と浮かび上がっている。今の今、行ってきたばかりだが、ここから見ると、よくもあんな斜面を登ったと思えてしまう。さあここから岩場の通過である。往路の反復なので、おおよそは頭に入っているので伝いやすい。ガリガリと下降開始。なるべく雪を伝うが、ほとんど岩部がメイン。


 P5に登り返すと、下にと言うか前方にP3が見える。どこか
瑞牆山にも見える山塊の様子であった。“P4は何処に”となるのだが、手前に有るのだが、P3の存在に完全に霞んでしまっている。このP5は南を巻こうとしたが、忠実にピークを通ったほうが楽な感じで、トラバースは諦め忠実に高みを辿る。P4も同じくピークを通過し、北側を伝って最低鞍部まで下りる。P3へは、下からなら直上コースが伝えるだろうと、アイゼンの刃をガリガリやりながら3mほど上がるが、その先の1枚岩が、左側のホールドから右側のホールドまで広くて届かない。アイゼンを履いていなければ靴をグリップさせながら行けるのだが、アイゼンを履いている事が邪魔をしていた。さりとてここで脱いで通過しても、すぐにまた着けねばならない。面白そうな岩場でもあり、見上げるここを通過した体験の方が大事なのかもしれないが、往路に伝った南側を岩溝を伝って登り返して行く。先ほど同様にアイゼンの刃が邪魔をするが、足場の狭い場所では、爪先を上手く利用できていた。


 シュリンゲのかかるP3に戻る。ここまで来ればもう危険箇所は少ない。しいて言えばP1から先の凍った斜面だけ気をつければいいわけである。もう遥か遠くに硫黄岳が見える。夕日を背に受けて微笑んでいるかのように見えた。険しい山だったが、もう登らないでいいと思うと、柔和な山容にも見えるから不思議である。裏銀座の雪雲も晴れ、輝くような白さが見える。同定の苦手な私には何が見えているのかが判らない。でもいい。綺麗なものは綺麗に映り、記憶に残る。名前など後から付いてくれば・・・。P3からP2は雪に伝いながらで、全く危ない箇所は無い。細長い山頂部をトレースに足を乗せながら通過。そして次のP1も樹林帯の中に入り、休む事無く通過して行く。


 さあ、あとは一気に高度を下げてゆくだけ。時計はもう17時。1時間で湯俣まで降りられるか不安だが、下りでありさほど体力は必要としない。タイムアタックであった。踵を食い込ませ。体重を乗せてゆく。東側斜面であり、樹林もあり、日差しが雪面に届かない場所が多いようだ。朝同様の硬さが残っている。ギーギーと言うよりは、鋭利な音でシュンシュンと言うような刃音が響く。アイゼンを良く見ると、硫黄ジャンダルムを通過してきた勲章か、刃先がほとんど丸くなっている。すぐにでも研ぎたい心境になるが、その丸さでもこの先の斜面はどおってことは無かった。上部は広い尾根だが、トレースがあるので、間違える心配は無し。よくも登ってきたと思える急峻を、登り以上にジグザグに降りて行く。流石にこれだけ歩くと足先が痛くなり、そこに荷重が集中しないように、九十九を切った。


 雪を楽しむ下りが終わり、だんだん凍った場所が出てくると、尾根斜面も急峻になる。かなり進度を落として氷の上に12本全部が当るように、慎重に足を下ろしてゆく。アイゼン頼みってヤツである。ピッケルの石突で突いても、僅かに氷が飛び散る程度。かなり長い時間かけて凍り付いているようだ。これもまた試練。ビクビクした気持ちを、氷の上を歩ける楽しみに変えながら下を目指す。そして雪が切れだすと、この尾根も狭くなり、付近から赤布が見え出す。さほどこまめに付いていないので、時折見かける感じであった。かなり高い位置にあったので、間違いなく厳冬期のリボンであろう。水俣川の音を右耳に、湯俣川の音を左耳に、いつだったか早月尾根を下った時のように、左右からステレオ的に流れの轟音が聞こえて来ていた。もう周囲には微かに硫黄臭が漂い、川面が近い事を感じさせていた。

 1550m付近から先は、右側に注意しながら下って行く。やはり皆が伝っている水俣川からの踏み跡を見ておきたい。しかし注意しながら下ったものの、往路で登り上げた1510m付近までおり、目の前に雪の乗った広い場所に出てしまった。リボンはここに点在し、それがある事で南側斜面を良く見るが、どうにもルートを見出せない。そのまま尾根末端に降りてしまおうかと進むが、1420mの高みの先は笹薮で、おそらくこれを漕いだら岩場となるのであろう。さてどうしよう。適当にササを漕いで水俣川に下ればいいが、一番気になっていたのは、吊橋の袂の通過であった。落ちる可能性もあり、P3の通過より危ない場所に思えていた。それを避ける方法として思いついたのが、噴泉塔側に降りて行くこと。こちらはならなだらか斜面で、下に少し崖斜面があるが、たいした距離でなくザイルを持っている強みがある。そう思うと判断は早い。


 雪の乗ったなだらかな斜面を一気に北に降りて行く。気持ちよいほどのなだらかさで、40mほど下ると一段棚地形があり、その先に崖地があるのだが、何の問題も無い。あまり東に寄ってしまうと危ないが、逆に西寄りに下れば、どこを降りても川面に安全に降りられる。難なく川面に降り立ち斜面を振り返る。「正解!」と小さくガッツポーズ。登りにも十分使え。危険な思いをして北鎌側に進むより、数倍安全であり、笹もないので伝いやすい。ただ言えるのは、雪があるからで、無い時は判らない。でもでも北斜面で長く雪が残るであろうから、今後伝う人は、噴泉塔側に回りこんで登って行くのが楽かと思う。


 時計を見ると18時を少し回ったほど。これならワンディが可能となる。噴泉塔では、6m〜7mほどの噴気が上がっている。目を凝らすが、誰も居ないようだ。ひとっ風呂浴びたい気分だが、その楽しみは次回とする。右岸側にもお湯が湧出して居る場所があり、硫黄の黄色が鮮やかな場所があった。手を浸すと、入れられて1秒。生卵でも持っていれば良かったと思えるほどの温度であった。下流に進み、水俣川との出合い戻り、ロープを伝って3mほど這い上がる。そして祠に無事の下山の挨拶をする。吊橋の袂の危険地帯も回避でき、とりあえず尾根からの下山方法は成功であった。朝には雪に覆われていた吊橋も、すっかりと乾き、歩きやすい板となっていた。再び取水堰の脇を通過。この時はライトは消灯しており、周囲の明るさを感知して点灯させる様であった。それとも時間か・・・。人気が無いか晴嵐荘の周囲を見渡すも、気配なし。カラ谷を渡って、雪の上のトレースを確認するも、私以外の新しい物は無い。この好天に、ここに入った物好きは私だけだったようだ。ポケットからクランキーチョコレートを出して二つ口に放り込む。残りは、“避難小屋に誰かが居たら分けてあげよう”なんて思いながら、再びポケットに戻す。甘くなった口の中に、硫黄臭のする魔法の水を流し込む。ここまで来れば魔法と思わず、ただ単に硫黄臭い水でいいか。そう思うと、やけに臭く感じた。何度も晴嵐荘を見るも、やはり人影は無い。ゆっくりと七倉に向けて往路を戻る。


 晴嵐荘への吊橋から僅かで大量の押し出しを越える。そしてもう一つ越える。だんだんと夕闇が近づき、ヘッドライトを装着し夜間歩行に備える。そして19時を10分ほど回った時点で夕闇に包まれた。それでも空を見上げると、明るい月がある。そのおかげで、周囲の山々のシルエットが良く見える。左を流れる高嵐川の川面も見えるほどであり、歩く私の手助けをしてくれていた。計画段階から月齢を確認していたので、この部分も大当たりとなった。しかし足許の雪は、日中に太陽に照らされ踏み抜く場所が多くなった。まあこれはしょうがない。なるべく往路の足跡の上に被せるように伝って行く。


 名無避難小屋には竹村新道分岐からほぼ70分で到着。往路より長くかかっているのは夜のせいか・・・。まあ雪がある事を考えれば、速い方であろう。やはり中に人の居る気配は無い。ゆっくりと扉を開くと、薪ストーブとその横に畳敷きの部屋が見える。こじんまりとして居心地の良さそうな小屋であった。あまり見ていると畳に誘われそうでもあり、“まだまだ歩くんだ”と気合を入れなおす。進んで行く前方には、七倉岳か針ノ木か、尖った頂が見えていた。月のおかげで、展望のあるナイトハイクとなった。聞き慣れない野鳥の声もする。時折野生動物と目が合うが、こちらは単眼、さて向こうにはどう見えるのか。自然界には単眼の動物など居ないはず。もっとも動物は近視らしいから見えないか・・・。


 林道終点に戻り、そこにあるベンチで休憩。足の疲れより、ザックが肩に食い込む痛みが強くなってきていた。その重みの多くはザイルなのだが、この重みの安心材料があったからこそ行って来れたと言う事にもなる。使わなかったと言っても、現地に行くのに持っていなかったら、恐ろしいほどに不安感を抱いてジャンダルムを越えていたと思う。時折雪が舞うが、雨具の無い方の不安は、ここまで戻ればゼロに近かった。林道を歩き出すと、三ッ岳の南側で稜線に明かりが灯った。ハイカーがこちらのライトに反応しているのかと思ったら、どうやらそれは星のようであった。位置的に稜線の上で瞬いており、こちらを見下ろしているように見えるのであった。


 高瀬ダムが近くなり、トンネル群内を通過して行く。すると現れた。二人の小さな子供が何度も振り向きながら50mほど先を歩いている。なにか話し声も聞こえ、それが幻覚幻聴であることは頭で理解している。脳内を落ち着かせようと試みているのだが、それらが消えることは無い。笑っているようであり、こちらも全く恐ろしさは無い。そしてトンネルを出る頃、いつしか消えていた。最後の長いトンネルを出て高瀬ダムに戻る。


 ダムからのロックフィルの斜面は、往路同様に九十九折に伝って行く。暗い中では、やはりアスファルトの方が歩きやすい。進んで行くと必ず西側のカーブの岩場に幻覚が現れた。今度は岩壁の大きさに比例し、見たことも無い大男や仏像が出てくる。3箇所全てで現れていた。脳内の色んな記憶が岩壁にトレースされているのか・・・摩訶不思議。口笛を吹いたり手を叩いたり、動作にアクセントをつけるも、幻覚は消えてくれない。脳内のここらへんの動きは、俊敏でないことが判った。こんな異常状態の中でも、けっこう冷静にテストしている自分に笑ってしまう。時計を見ると日が変わるまでにまだ2時間以上ある。もうこの時点でワンディは確定であった。少し残りの距離を楽しむように、歩調を鈍化させ、チョコチョコと足を出してゆく。少し目を瞑ったりすると、P6から見た硫黄岳がまぶたに映って見える。いい傾向である。脳裏にしっかりと画像が刻まれているようだ。目を開けて再び閉じると、まるでスライド写真のように、絵が槍側のものと変わった。面白い。バシャバシャとやっていたら、トンネルの壁面に当たりそうになった。そして最後の山ノ神トンネルの出口(入口)には、七倉尾根への入山口があるのだが、トンネルの脇から始まる雪のところに、花が手向けられていた。最近どなたかが事故に遇われた様だった。可哀相に思うが、有るのは入山口のど真ん中。登りに来た方は、ドキッとするだろう。でも、そう思う私も脇に寄せることは出来なかった。ゲートを越えて駐車場に戻る。


 無事、硫黄岳を踏むことが出来た。如何しても踏みたい場所であっただけに、今回の登頂は非常に嬉しい。詳細な山行文を送ってくださったKUMO氏には感謝したい。持つべきものは友であり、先輩であると思う。あとは本当に天気に後押しされた。雨具を持たなかったミスをカバーしてくれたのも天気である。日頃の行いが悪ければ、サッとすぐに濡らして帰らせたかもしれない。自然に楽しませてもらった事に感謝・感謝。


 考察。湯俣川と水俣川の出合からは、噴泉塔側に進むのが良いだろう。岩壁が切れた辺りから取り付くと、楽に尾根に乗ることが出来る。P3の通過でのザイルは、あれば安心、無ければ無いで何とかなる。言い切ってしまってはいけないかもしれないが、ここを通過しようとする方は、それなりの技量の方かと思うし、南側のルートはさほど危ない感じがしなかった。南西側のカンテと言うかリッジの所も、岩慣れしている方なら楽に登下行出来る場所に見えた。でも、安全を考えるとザイルでのアプザイレンとなるか。全行程。バラエティーに富んだ楽しいルートであった。私の場合は硫黄ジャンダルムより、硫黄岳の急斜面のドキドキ感がたまらなかった。それより怖かったのが、水俣川の吊橋の袂だが、尾根を下りながら、そこが気になってならなかった。上手く回避できてホッとしている。


 さあ次は赤岳。またまた楽しそうであり、ワクワクしている。

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