不帰岳 2053.5m
2010.07.10(土)〜11日(日)
10日: 曇り(小雨) 4名パーティー 宇奈月からトロッコ経由、欅平から不帰岳避難小屋 小屋から不帰岳ピストン 行動時間10H34M
11日: 曇りのち雨 不帰岳避難小屋から宇奈月駅 行動時間 8H16M
@宇奈月7:33→(86M)→A欅平8:59〜9:04→(42M)→B祖母谷温泉分岐9:46〜48→(19M)→C登山口(名剣沢)10:07→(56M)→・休憩1回目11:03〜18→(82M)→・休憩2回目12:40〜53→(44M)→・1681高点13:37〜45→(85M)→D「小屋まで30分」15:10→(21M)→E水場15:31〜37→(8M)→F不帰岳避難小屋15:45〜16:20→(48M)→G不帰岳17:08〜32→(35M)→H(水場経由)避難小屋18:07
I不帰岳避難小屋7:48→(9M)→J鎖場7:57→(57M)→K1681高点付近8:54→(45M)→L沢で休憩9:39〜45→(97M)→M登山口11:22〜29→(15M)→N祖母谷温泉11:44〜12:47→(37M)→O欅平13:24〜14:37→(87M
)→@宇奈月16:04
@早朝の宇奈月駅 | トロッコ乗車中 | A欅平で出発準備中。 | 最初のトンネル。二つ目のトンネルを過ぎると祖母谷温泉が見えてくる。 |
祖母谷の右岸側に「祖母谷温泉」が見えてくる。 | B唐松岳と白馬岳への分岐点。 | C名剣沢登山口。 | C登山口から登りだす。 |
名剣沢の中は、道形が不明瞭で、適当に登って行く。 | 名剣沢の左岸側を気にしていると、リボンが下がっている。 | 登山口から1時間ほどの場所。 | 最初の沢には、大量の雪渓が残る。 |
雪渓の下のトンネルを潜り・・・。 | 二つ目の沢の所には小さな岩屋が有り、作業道具がデポしてある。 | 池塘の脇を通過。 | 百貫の大下りを登り終えると、勾配の緩い尾根歩きとなる。残雪もまだ残る。 |
目の前に不帰岳が見えてくる。 | 中央奥が清水尾根。 | D小屋まで30分 | E水場。水の得られる沢は、小屋の西側にいくつもある。小屋から一番近い場所では、1分もかからない。 |
F不帰岳避難小屋到着。(トイレは使用不可) | F小屋内部。鍋2・シュラフ1・ポリ容器1、等が置いてある。 | 涸れ沢の入口の様子。 | 涸れ沢から見る登山道。ナイスポージング。 |
残雪も残る。これらはやたらと滑る。 | 上部に行くと、快適な勾配となる。 | 残り80m付近。尾根の北側が草つきの場所で、藪が無い。 | G不帰岳山頂。 |
G不帰岳三角点。 | GMLQのいたずら書き。 | G山頂から見る清水岳側。 | G標識は割れて、一部が落ちていた。 |
G不帰岳から白馬岳。 | 不帰岳から下山開始。 | 途中の尾根北側の無毛地帯。 | 涸れ沢の中を戻ってゆく。 |
H避難小屋に戻る。 | H皆で持ち上げたアルコール類。 | Hメインディシュは、信州新町産のジンギスカン。 | I二日目。小屋から下山開始。 |
途中から五竜岳方面を望む。 | いつ降られてもいいように雨装備。 | タニウツギ越しに・・・。 | J鎖場上から。 |
J鎖場下降中。 | K1681高点付近の朽ちた道標。 | 百貫山に登山道が一番近付いた辺りから見上げる。 | L沢で休憩。 |
雨に濡れ、木の階段は良く滑る。 | 雪渓トンネル帰り。 | もうすぐ名剣沢に降り立つ。 | M登山口帰り。 |
M登山口には涸れた水受けがある。 | N祖母谷温泉で入浴。 | N登山者用?脱衣場。 | N見よ、ペンパパ氏の満面の笑み。長駆の後の温泉は格別。 |
モダンボーイのこばさん。 | みいさん夫妻の脚力には、今回も脱帽。 | O欅平に戻る。 | トロッコに乗って宇奈月へ。 |
当初は6月の予定であったが、諸事情で7月に延期となった。しかしこの延期判断は大正解だった。今回は不帰岳避難小屋を利用する予定であり、早まっていたら冬季封鎖のまま中に入れなかったかもしれない。その情報を祖母谷温泉の女将に聞いて、ドキッとしたのは言うまでも無い。今年は雪が多く、ルート確認の為に入山したのが7月に入ってからとの事であった。例年だと6月中旬に入っている様子だが、今年の雪の多さが少し作業を遅らせているようであった。
今回は、大阪からみいさん夫妻、長野からこば隊長、そして私の4名でのパーティー行動。暑気払いとばかりに「宴会」をメインテーマにしつつ、不帰岳を藪漕ぎの計画。当初の6月なら、残雪を伝って楽々・・・などと思っていたが、7月に入りその期待は出来ない。期待と不安を抱きつつ計画実行になる。しかし嫌な事に、木曜日から肺の調子がよくない。エアー漏れがゴボゴボし、肩を刺すようにキリキリ痛む。どうした事か、この梅雨時期の重い湿った空気のせいか・・・。パーティー行動でもあり、祈るような気持ちで当日を迎えるのだが、状態は・・・。
1:30家を出る。西上州はキラキラと潤むような満天の星空であった。上信越道に乗り、更埴と上越の各ジャンクション経由して北陸道に乗る。そして26個のトンネルを経て、朝日で下道に降り宇奈月温泉へ。現地駐車場に着いたのが4:35。閑散とした駐車場は、しんと静まり返っていた。奥の高台に車を上げ、やまびこ展望台に駆け上がり、これから乗るトロッコの軌道を眺める。大雨の為に増水した太い黒部川の流れが見える。これから険しい黒部に入るんだ、そんな気持ちが強くしてくる。黒部峡谷鉄道の始発は7:32。まだまだ時間十分であり、しばし仮眠となる。
ここは静かで快適。雑音が入る事無く1時間ほどぐっすり寝られ、目を覚ますと、広い駐車場側に見覚えのある2台の車が見えた。今日のメンバーが既に到着していた。車を並ばせるように停めると、すぐに駐車料金の徴収員が駆け寄ってきた。二日分の1100円を払う(1日は900円)。少し小雨もあり、天気が心配であったが、初日だけでも降られずに行動したいと思っていた。ザックの重みの大半は、今晩の宴会用の飲食物。「楽しみ」=が「重み」となっていた。依然、肺の調子が良くない。重いザックで背中を圧迫すると、軽く咳き込む・・・。自分自身に“お前、大丈夫か”と聞いていた。
宇奈月駅舎内は、ザックにヘルメットを持った、同業者とも思える姿の人が多い。でもその実態は、工事関係者であった。通常便の前の工事用車両で駅から捌けて行く。3320円で往復チケットを購入し、しばし待つ。この始発に乗る一般乗客の数は30名に満たないほど。観光客が押し寄せるには、まだ時間が早いのだった。宇奈月には何度か来ているが、このトロッコ電車以外が、どんどん寂れて行っている感じがする。それは、温泉地としての町並み景観が整備されていないからかと思えた。頑張れ宇奈月温泉。それはさておき、改札になりトロッコに乗り込む。当然窓なし車両を選択。「チンチン」と言う発車のベルを聞くと、ゴトゴトと牽引車に引っ張られ動き出す。1台の牽引車で7台が引っ張れるそうで、この時の牽引車は2台あり、そこに14台の客車が連なっていた。涼しいトンネルを何度も通り、黒部の渓谷美を楽しむ。前回は彩り眩しい紅葉時期の利用。今回は初夏、それも梅雨時期。黒部の流れは、土砂の色が混じり白濁状態だった。天気により一変する、自然の怖さを見下ろしていた。気持ち良いを通り越して、寒いくらいの体感温度。じっとして居るのが辛く、早くに歩き出したい心境であった。
欅平に到着するが、標高が変わった為の寒さは無く、少し夏を感じさせる暖かい感じ。駅前から阿曽原へ続く水平動側は、現在は通行止となっていた。と言うのも駅舎の横でよう壁工事をしている。それが終わるのはいつのなるのか・・・。各自準備を終え、大きなザック4つが動き出す。こば隊長は一眼でバシャバシャ撮りつつ歩んでいる。みいさんもほぼコンデジを握ったまま、かく言う私も握っている時間の方が長かったような・・・。名剣温泉を左に見て先に進む。この名剣温泉が、上の祖母谷温泉から引いていると聞き、少し興味薄になってしまっていた。駅舎から近くて良いとも取れるが、少し足を伸ばせば、より源泉に近い場所で入れるわけであり・・・。谷を見下ろすと、巨大なスノーブリッジが見える。その高さは水面から15mほど有ろうか、これも黒部の雪深さを示すものでもあった。最初のカーブしたトンネルを潜り、次の直線的な登り勾配のトンネルを潜ると、その先に祖母谷温泉が見えてくる。祖母谷の右岸側に佇み、とても絵になる湯宿であった。経営者夫妻と、白いおとなしそうな飼い犬の姿も見える。ゆったりまったりとした時間が流れているような。
唐松岳への登路を右に見て、橋を渡り対岸へ行く。もう周囲は硫黄のいい匂い。温泉地に来ている雰囲気を全身に浴びる。ここで帰りの入浴用に着替えをデポする。雨予報も有ることから、大きなビニールの中に全員の衣服を入れ草むらの中に置く。そして先に進む。“あれ、縛り口大丈夫だったかな〜”縛り方が悪く、皆の着替えが濡れたら責任重大。そんなことを気にしつつ歩いていた。祖母谷温泉の標識の場所から10分強、林道を進むとスノーブリッジが見えてくる。その中は、深く冠水していて通過して行くのは困難に見える。その手前から、名剣沢に沿って登山道が切られている。道の対岸には水場が有ったようで、その名残のコンクリートの水受けが、寂しく残っていた。
さあ山道に入る。少しザレとガレが混ざったような場所で、足場が良くない。そこに何となくある道形を追ってゆく。周囲を見ながら進んで行くと、沢の左岸側に登山道を導くピンクのリボンが見える。道標こそ無いが、ここが山道への入口らしい。入って行くと、雨露を蓄えた草木にたちまち濡らされてゆく。ルート上はやや滑りやすく、僅かなスリップでもザックの重さで振られていた。“くそー息苦しい”左胸を触ると、かなりの高温になっていた。右胸は冷たく、何かの炎症のせいなのか・・・。時折、新しい刃物を当てた痕が残り、登山道整備までとはならないが、軽く刈り払った場所が見られた。登山道上にはウドが多く、もう少し早くに入れば、シャキシャキの甘いウドを食べられた事になる。それでも柔らかいものを拝借すると、甘くジューシーな味を楽しめた。
欅平をほぼ9時頃出ているので、2時間歩いて一本と決め、11時に小休止。今日は大ぶりな美生柑を持ち上げてきた。四等分し、甘露な味でビタミン補給。まだまだ先は長く、地図を見るのも嫌な距離を残していた。休憩を終え5分ほど進むと、雪渓の残る沢に入った。“やっちまった、ここまで進んで休憩すれば涼しかったのに・・・”まあこれはしょうがない。ここは、雪渓の下に空いたトンネルを潜るようにして対岸へ渡渉して行く。左岸側の赤いロープがルートを示していた。しんがりのこばさんが少し遅れて沢に入り、雪渓を登り始めてしまった。声を掛けルート修正。私も登りそうになったが、登ってしまうとかなり高い位置まで進まないと渡れない残雪の形となっていた。しばらく標高差の少ないトラバース道が続く。雪渓の残る沢から20分ほど進むと、また小沢があり、ここの僅かな岩屋には、鶴嘴などがデポされていた。周囲はガレた場所が多い。毎年の整備が必要な通過点のようであった。
日の当る草地では、黄色いニッコウキスゲが出迎えてくれた。咲いている株数こそ少ないが、その大輪は見ているだけで癒される。ここを過ぎると、一番の急登場所の百貫の大下りとなる。樹林の中で日差しは遮られるが、言われるだけあって、きつい登りに思えた。既にこの時点では、みいさんにトップを代わってもらって後ろの方に引き下がる。樹林の中にお三方の鈴の音が、カラン・コロンと響いている。百貫山の山頂が左手に見え、次に向けてその地形をよく頭に叩き込む。隙あらば、などと思っていたが、この時期の現地はそう簡単に登らせてくれる植生でなく、やはりここは残雪期がベターとなる。
1681高点の場所には大木が立ち、北側の展望に優れている。朽ちた標識もあり、風の通りもあり休憩適地となる。ここまで来れば、この先はアップダウンがあるものの、等高線間隔は緩く距離の問題。小屋までの標高差は200m強。もうひと頑張りであった。前方に不帰岳の斜面が見える。やや壁のような山頂部で、そこは草つき。行って行けないことは無いが、容易に登れる場所には見えなかった。尾根には雪渓が残る場所もあり、時折であるが涼やかな白さが目に飛び込んでくる。
小さな石組みの水路を跨ぐ。この先の尾根上に「小屋30分」と赤ペンキで書かれた木がある。後30分でこの重荷から解放されるのかと思うと、自然と足早になる。気になっていた水場も、しっかりとした太い流れがあり、付近の沢には、そのほとんどで流れが出来ていた。これなら小屋利用もし易い。そしてその全ての流れで水が美味しい。地形図に崖マークの載る一番太い沢で、プラパティスを満たす。その沢を見上げると、不帰岳に突き上げているようだった。そこは登路として十分使えそうであった。この先、小屋に誰も居ない事を祈るばかり。夜は大宴会の予定であり、もし他の利用者が居たら粛清せねばならない。なるべくなら我々のみの宿泊者を期待した。
15:45、やっと不帰岳避難小屋到着。周囲にはブユが多く、水場辺りから連れて来ていたようだ。さっと扉を開けて、間髪居れずに締める。前室があり、小屋入り口は2重構造。これならいくぶんブユの侵入を止められる。入った目の前にあるトイレは使用禁止となっていた。少し遅れはしたが、おおよその予定範囲での到着。何よりは、降られずに持った事。到着したてでだいぶ疲れた状態だが、今日のうちに不帰岳を目指す事にした。明日は完全に雨模様であり、天気の有効な日に登ろうと判断になっていた。小屋の板の間に数分伸びると、そのままそこに根っ子を生やしたくなる心境であった。それを吹っ切る為に、水場にビールを冷やしに行く。何本かある小沢では冷す為の水量が無く、一番太い沢まで戻って水に浸けて置く。これが飲めるかと思うと、いくぶん元気が湧いてくる。小屋に戻り、不帰岳へのアタック準備。どれだけの藪漕ぎなのか、直線距離は300m強であり、多く見ても400m。たかが400mだが、濃い場合は、それ相応の時間がかかる。甘く見ずに心して出発となる。だがしかし、ちょっと困った状態になった。キリで刺したような強い痛みが肺に出だした。呼吸量を絞り、様子をみるしかなかったのだが、ここで小屋で留守番をする私ではない。
不帰岳避難小屋から僅かに西に進むと、涸れ沢がある。こばさんを先頭にここを詰めて行く。最初は一抱えほどの岩がゴロゴロとし、滑りやすい岩の上に足を置きながら進む。見ると沢の中にブルーのマーキングテープが落ちていた。ルートとしては正解のようだ。沢に入って20mほどで、流れで出来た2mほどの段差がある。ここは西側を這い上がる。雪渓も残る沢で、その上に足を置くとやたらと滑る。雪質もそうだが、足の疲れがその要因と察知し、さらに慎重に・・・。この涸れ沢は、そのまま北に突き上げるように延びていた。それでは向かう山頂に対し90度方向が違うので、最初に出合う枝沢に入り、途中から西進となる。しかし沢はすぐに凹地が無くなり、適当に笹を漕いで進む事になった。密生ではなく、掻き分け進むにも、さほどに酷い場所ではなかった。
水を得た魚のようにこばさんは先を行く。みいさんは、体重が軽いから体の重さで抜けてゆく、こんな藪の場合は大変そうだった。でも百戦錬磨、根性が違いバリバリと分けて上がってくる。まるでくの一のようなしなやかな身のこなし。そして沢に取り付いてから25分ほどで尾根に乗る。少し樹林間隔があるので一息入れるにはちょうどいい。この場所からは残り180mほど。そう簡単には着かせてもらえない。ただ尾根に乗ると、そこには薄っすらと踏み跡も見え隠れしていた。それが場所によっては太い所もあり、細い所もあり、さらにはマーキングテープも散見できた。こばさんは、上手に南側の濃い植生を避けて北側寄りに歩いてゆく。流石のルートファインディング力。地形図に現れない小さなアップダウンを2回ほどすると、北側に残雪が残る草地があった。少し笹漕ぎから解放されるので、ここも途中の休憩適地となる。残りは80mほどか。尾根に乗り上げて最後の平泳ぎ。衣服は、笹に着いた泥を纏って酷いもの。ドロドロと言っていいくらいに汚れていた。腕白小僧が気にせず遊んでいるみたいで、密かに笑える姿でもあった。山頂が近くなると、白いビニールが尾根上に流されていた。出来れば回収しておいて欲しい。ルートを探す楽しさが・・・。しんがりを歩いていると、先のほうから「あったー」と声が掛かった。
不帰岳登頂。山頂部の南側の端に、ちょこんと三角点が顔を出していた。前に登頂した方が掘り出してくれたようで、竹の子のような掘りたてな感じでそこにあった。MLQの絶縁テープも見られ、その他にも数種のマーキングが、登頂の印として残されていた。有ると思っていた標識が無く。ササの中や、木の上部を見やる。しかし無い。先に登頂祝いとばかりに、みいさんの旦那さんに持ち上げていただいたビールを頂く。一口喉に通すと、“なんだこの美味しさ”。格別な美味さであった。疲れた分、苦労した分の美味しさが加味されているのであった。祝杯を終えると、周囲展望を楽しむ。白馬の主稜線側にはガスが垂れ込めているのだが、映画のスクリーンが開く様に、だんだんと取れてきている。我々の登頂を待って、御開帳したかのようなお膳立てであった。数分待つと、青い空にくっきりと稜線が浮かび上がった。北側には、清水岳から猫ノ踊り場の、つい最近歩いた稜線も見えている。剥げた猫又山の西峰も、それとすぐに判る。全く展望が利かないかと思ったら、意外や見える場所。もしや何十年か前だと、今ほどの植生は無いはずであり、ここは展望の山だったのかも。展望を楽しみ、少し汗が引いたところで下山に入る。
下りは清水尾根が見えているので進む方向が判りやすい。間違えてもその方向に進めば、猫又峠に降り立てる訳であった。ただしそれは視界の良い時。山頂からの最初は、谷地形を選んで残雪の残る草地に入る。この先はほぼ往路通りに進む。ただし、尾根に乗り上げた場所からは少し東に進み、そこで残雪の残る沢に入る。この沢が往路の沢で、途中で往路の踏み跡を見る。この事からすると、伝えるまで沢を伝って上がってしまった方が歩き易いと思えた。滑りやすい沢を慎重に下り、登山道に乗る。そして小屋に向かう皆に背を向けてビールを取りに・・・。沢に着くと、プルタブをすぐに起こしたいほどにキンキンによく冷えていた。スイカを抱えるように小屋に持ち帰る。
この後は壮大な大宴会となる。幸いにも他の小屋利用者は居らず、貸切状態。笑いの絶えない山談義が続き、山の仲間のありがたさを痛感したり・・・。18時くらいから始まり、こばさんが持ち上げてくれた信州新町のジンキスカンを、メインディシュに頂く。これがやたら美味い。長野でもジンギスカンが名産だったとは、この時初めて知った。ワイワイガヤガヤ、「居酒屋不帰岳避難小屋」の夜はふけてゆく。記憶のある時に23時半を確認したが、その後の記憶が・・・。
翌朝目を覚ましたら、既に6時であった。こんなに寝たのも久しぶり。でも二日酔いも無くシャキッとしている。と言う事は、良い飲み方だったようだ。前日、登りながら採って来たネマガリを剥いて鍋に放り込む。そこにウワバミソウも加え、シャキシャキ感満載の山菜汁となった。お酒を飲んだ後の味噌汁、これまた格別。迎え酒とばかりに、一本残るビールを皆で分ける。「また飲んでいる」と、朝から笑いが絶えない。そして食事が終われば下山の準備。パッキングして、みいさんは記帳、こばさんは箒で「来た時よりも美しく」を実行していた。そして一晩お世話になった小屋を後にする。ふと見ると小屋の入口に喘息薬種の花が咲いていた。
少し小雨が舞う中、下山開始。五竜や唐松方面が綺麗に見渡せ、振り返ると今日も清水岳の稜線が見えている。「雨」である事を思っていたので、展望はあまり期待していなかったが、これほどに見させていただけるとは・・・。水場を越えてしばらく進み、鎖場の上からは、しっかりと剱岳を望むことが出来る。デンとしたその山容に、剱の強さが感じられる。雨は降ったり止んだりで、傘を出したり引っ込めたり。ただし、足元は良く滑るようになり、こける事数回。
小沢で小休止し、階段状の登山道をゆっくりと降り、雪渓の残る沢が見えると登山口が近いことを印象付ける。雨は本降りとなり、木々の間からボトボトと大きな雨粒が落ちてきていた。皆、諸共せず進んで行く。だんだんと祖母谷の流れが見え、その脇に林道も見えてきた。もう少し。このもう少しで怪我をする時が多く、より慎重に・・・。最後のロープの場所を下ると、名剣沢の中に入る。周囲が一気に広がり開放感を得られる。登山口に降り立ち、スノーシェッドの中で小休止してから林道を戻って行く。途中、祖母谷側で人の気配がし、見やるとそこには裸の男性が・・・。河原の露天風呂を楽しんでいるようであった。でも、見ていても歩き回っているだけで、なかなか入らない。雨の中、自然の湯を楽しむにも大変そうであったのだった。
鉄橋が見えると、デポした着替えを確認に・・・。“濡れてないでくれ”と祈りつつ見ると・・・良かったきっちり防水されていた。その足で祖母谷温泉に向かう。湯宿の女将は、この周辺の登山道情報、管理者情報を全て把握しているようで、この先の整備予定を話してくれた。ここはそれらの方の立ち寄り場であり、昔からの絆も有るのだろう。情報の濃さに納得。500円を払い、さらに550円で麦ジュースを購入。登山者用に設けられたのだろう、簡易テラスのようになった荷物置き場があり、そこで濡れた衣服をあらかた置いてから、露天の湯に降りて行く。硫黄の臭いが漂い、湯の花も浮かんでいる。少しぬるいかと思ったその湯は、最高の湯であった。湯面に雨粒の水柱が7センチほど上がっている。その光景を見ながら肩まで浸かる。極楽極楽。これぞ山旅。疲れた体が癒される。そしてまた、琥珀色の液体が喉を通る。「あ〜っ」と言った後、5秒ほど置いてから、「うめぇ〜」と発する。そんな美味さであった。同行猛者諸氏も恍惚の表情で湯に浸かっている。その表情を見ていると、今回の企画は大成功であったと思えた。湯から上り、女将に礼を言ってから祖母谷温泉を後にする。
折角風呂に入ったので、汗をかかぬ程度にトボトボと欅平を目指す。雨では有るがさすが景勝地、ちらほらと歩いてくる観光客も見える。観光客多くは猿飛峡の方へ行くだろう。こちらに来るのは、やはり祖母谷温泉が目的なのか。途中の名剣温泉は、この時はひっそりとしていた。欅平に戻ると、そこは下界を持ち上げたような賑やかさ。さすがトロッコ列車と思えた。発車時間を確認し、立ち食い蕎麦を堪能。ワンコインのこの蕎麦が、やたらと美味しく感じるのは、二日間の山旅のおかげでもあろう。駅舎でまったりとしながら時間が過ぎるのを待つ。見ていると、到着してすぐに降りて行く人も居る。ここでの景勝を楽しむと言うよりは、トロッコでの道中の景勝を楽しむ人なのだろう。
時間になり、トロッコに乗り込む。周囲の車両は混雑していたが、我々の車両だけ貸しきり状態。おかげでベンチに寝そべりウトウトと・・・。それでもその貸しきり状態は黒薙までで、そこからはどっと乗車客が増え、先ほどまでは枕であった大きなザックが、一変して邪魔者に成り代わる。そして周囲空気が暖かく感じる頃、宇奈月駅に到着。無事、計画完結。
みいさん夫妻は大阪へ、こばさんは長野へ、そして私も家路に・・・。