唐沢山  1787.2m            

 2010.12.18(土)   


  雪     単独       丸沼ペンション村からスキー靴での藪漕ぎ          行動時間8H11M


@丸沼ペンション村ゲート6:58→(44M)→A林道峠からの尾根取付き点7:42〜44→(160M)→B主尾根に乗る10:22→(25M)→Cルートミスで1890m峰へ10:47→(23M)→D1858高点11:10→(48M)→E唐沢山11:58〜12:16→(53M)→F1858高点帰り13:09→(12M)→G下降点13:21→(71M)→H林道に出る14:32→(37M)→Iゲート15:09

B〜Cルートミス


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@丸沼ペンション村奥のゲート。 A林道の峠部(尾根を乗越す場所)。 A大尻沼を見下ろす。 A尾根へは登路が切られ、上の方には僅かに階段もある。
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尾根の最初には切り開きがあり、その切り開きの終点地。 1575高点の西側。ササは2m弱。 1590m付近。いったんササが途切れ、さながらオアシス。 1660m付近。ササが切れないとカメラが構えられない。
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1740m付近から下側。この付近が激薮。 B主尾根に乗る。間違えて北側に進んでしまう。 間違えた尾根の1880m付近にワイヤーが残る。 C1890m峰。ここで間違えに気づき戻る。この日の最高地点。
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D1858高点。 1810m付近。檜が多い。 1790m付近。檜の密生地が行く手を塞ぐ。北側を巻いて進む。 1740m唐沢山手前のコル。
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E唐沢山。北側が明るく。南に痩せ尾根が降りる。 EKUMOが残る。この後ろ側に「函館岳友会」のリボンも縛られていた。 E地表から2.1mほどの場所にMLQの絶縁テープも見られた。 E右側の高い位置に赤い絶縁テープが見られる。
yakisoba.jpg  sankakuten.jpg  santou.jpg  shirou.jpg 
Eヤキソバパン越しに丸沼高原スキー場を見る。手袋は雪の乗ったササ漕ぎでバリバリに凍っている。 E掘り出した三角点。天面は地表面にやっと顔を出している。すぐ脇からニョキニョキとササも生えている。 E脇を掘ると、三等の文字が出てきた。 E山頂から見る四郎岳
1858nishi.jpg kakoytehigashi.jpg  kakoutennishi.jpg  1830.jpg 
F1858高点帰り。 G下降点から東側を見下ろす。 G下降点から西側。往路はこっちに進まねばならなかった。 1830m付近。 
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この日の積雪量は5センチほど。  切り開き最終地まで戻る。  H林道に乗る。  途中のカツラの大木と鳥居。 
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Iゲートに戻る。ゲート前には駐車スペースが十分ある。  あまり出番が無かったカルフのメタ。     


 

 丸沼高原の名前の基になっている丸沼。その湖の西に静かに鎮座するのが唐沢山。ネット上では、群馬山岳のパイオニアでもある重鎮氏が早いうちから報告を上げている。それ以降はMLQ氏が2008年に登ったが、その横の四郎岳の報告は多々あるものの、唐沢山として現存する報告は氏のサイトがが唯一となる。完全なる残雪期の山なのだが、捻くれ者の私としては、降り始めのこの時期に狙ってみようと思い立った。問題はその雪。丸沼高原のライブカメラでは、コース外の斜面にもそこそこ雪が見える。先日の日光エリアでは、北斜面にはべったりと乗っていた。スキーが出来るのではないかと予想した。もう一つ、国道120号を間に挟み、南側に六軒山がある。ここはアプローチに長い林道があり、今季のスキー初陣コースとしては、トレーニングにちょうどいい感じの場所に思えた。この2座のどちらに登るかは、現地での積雪量で判断しようと思った。

 3:15家を出る。綺麗な星空。この分で行くと今月22日のこぐま座流星群はバッチリ見えるかも。なんて思ったりした。高速に飛び乗り、一路沼田インターへ。師走は物流にも関係するはずなのだが、珍しく流れの静かな関越道であった。そして沼田から国道120号で椎坂峠を越えてゆく。冬季、特に雪の乗った時期はこの峠がいやらしいのだが、現地はトンネル工事中であり、しばらくすると峠越えをせずとも老神温泉の方へ行けるようになるようだった。便利な分、一方では峠に在るお店の事を気遣ってしまう。高戸谷地区のセブンに寄りヤキソバパンを仕入れる。既に陳列状態から袋が膨らんでいる。ここの標高はどのくらいなのだろう。膨らんだ分、数が置けないが、その反面で膨らんだ状態はディスプレイが綺麗なのだった。鎌田交差点で尾瀬に行く道を左に見て直進。白根発電所を過ぎると、そこから1キロほどで右側に香沢に沿った林道が始まる。しかし現在のここは、林道内の護岸工事中のようで、大々的に工事がされていた。書かれている工事期間を見ると、今月20日までとなっている。がしかし工事が遅れているのか、まだまだ進行形な様子。さらには、林道の入口となる余地には、「駐車禁止」の張り紙が多い。ちょっとこの状況では入れない。もっと驚いたことがあり、周囲には全く雪が無い。完全に読み違い。こうなると少しでも標高を上げて雪を求めて行くしかなく、2者選択のうちのもう一方へ車を向けてゆく。


 重鎮氏がペンションからの林道で登頂したので、私は小川と赤沢の出合からの尾根をスキーで取付こうと思っていた。これも雪なしの状態に、果敢ない夢見事になってしまった。白根魚苑の大きな看板が見えると、その先からスノーシェッド群が現れる。その先で滝見橋を渡ると、僅かで左側に「丸沼ペンション村」の表示が見えてくる。そこを左折し、すぐにまた分岐になるが、左の道を選ぶ。しばらく舗装路が続き、左側にはいくつものペンションが立ち並ぶ。シーズンインした為か、その建物の前には沢山の車が並んでいる。それらを横目にずんずんと進んでゆく。すると、本道が左に曲がる所があり、その先からダートになり、その50mほど先でゲートされていた。林道上には雪が残るが、周囲にはあからさまに少ない。マズッタか・・・。でももうしょうがない。こんな体験も全て糧になる。夜明けまで仮眠を決め込む。ゲートの近くにもペンションが迫っており、到着と同時にエンジンはすぐに切った(5:05)。


 流石と言おうかなんと言おうか、ペンション村には30分に一回ほど車の往来がある。人が住んで居てお客がいるのだから当然なのだが、その都度ヘッドライトが当てられて、パッと車内が明るくなり、寝ているような寝ていないような。そして夜が明けてくると、犬を散歩する方の姿もあった。そのゆったりとした姿には、日々森の中に住んでいる余裕さえも感じるのだった。スキー板にシールを張り、準備をする。今日の板は、幅広軽量のカルフのメタをチョイス。ゲート前から見上げる北西側の山肌は黒い。既に前途多難な感じがしていた。すると、準備している脇をストックを持った方が歩いてゆく。追い越して行く時に、「こちらでもスキー出きるのですか?」と聞いてくる。「えっ、はい、しようと思って来ているのですが、どうなる事か・・・」素直なところを返答し、背中を見送る。

 
 6:58ゲートを越えてゆく。僅かに残る雪の上を板を滑らせて行く。深いところで7センチほど。路面の石を隠すほどの積雪量であった。しかししかし、その先にある桂橋の所で、その雪も消えた。どうやら日影だけに残っていたようで、日中に陽射しが当る場所には無いのであった。残念。でもまた現れると思いつつ、板を手に持ちつつ歩んでゆく。最初の深い谷のところにはカツラの大木があり、その下に古い鳥居があった。もしかしたら山の神でもあるのではと探したが、それは無かった。西進していた道が、鋭角なカーブで東進に変わる。そしてしばらく行くと九十九折の道となるのだが、この辺りで林道に水が乗っていてテカテカに凍っていた。足許はスキー靴であり、逃げるように路肩を進む。この付近は雪の下になって凍っている場所も多く、やや神経を使う場所となった。

 林道上で1483高点を取っているが、その先のカーブを過ぎると、林道が尾根を乗越す形になり、そこが最良の取付き点となっていた。目の前に共同アンテナが枝葉のように取付いたCP(コンクリート・ポール)が見える。近づいて行くと、尾根には道形が切られていた。もしや山頂まで道が・・・と思ってしまう。雪の少なさでしょげていたが、一転し道の登場に期待を大にしてしまう。持っていたスキー板はもう出番は無いとザックに括りつけた。と言っても上に行って少しは・・・と一縷の望みはあったのだが。ここから北側を見ると、眼下に見事なまでの大尻沼が見える。その奥には群馬・栃木県境の山々があるのだが、静かに水を湛える沼が美しく、これが見えただけでも今日は良かったと思えた。時折エンジン音が聞こえ、その方向を目で探すと、120号を通過して行く車の姿が見えていた。


 さあここから尾根に取付く。尾根に乗り上げる最後には3段ほどの階段も作られていた。幅2mほどの歩きやすい尾根道。いつ開いたのか。このまま行けば、楽々踏んでこれてしまう。しかしそうは甘くない。7分ほど伝ってゆくと、そこで切り開きは終わっていた。そこでは尾根から南側に伐採が進み、なにかアンテナを建てるために開いた道のようにも思えた。進む側には高さ2mほどのササが密生している。藪漕ぎ開始であった。いつもと違うのはやはり足許。スキー靴での硬さが、どうにも藪漕ぎに適さない。さらにはバックルが引っ掛かり、足を取られることも多い。でももう行くしかなく・・・。


 地形図に見られるように、この尾根は緩斜面。予定では、ここをスキー板を履いてズンズンと登って行く予定だったが、板をヤマブドウに引っ掛け、カラマツの枝に引っ掛け、利器としての働きは愚かその反対に作用していた。ササ漕ぎの連続に、途中にある植生の薄い場所がオアシスに思えた。何度も“また出直そう”と心の中で言葉を吐くのだが、いつももう一方の自分の方が強い“結果は出してやる!!”と強気なのであった。その強気も1700m付近の激薮に萎えをみせてくる。“やはり戻ろう”と足を止めてしまった。どうにも進まないのであった。取付いて1.5時間ほど経過しているのに、標高差は200mほどしか稼いでなかった。大股でササを踏みつけ進む場所、潜るように進む場所。なにせ雪があり、笹がある場所に対し入山時期が中途半端なのであった。さらにスキー板を持っている。これでは自ら飛び込んだ3重苦であった。気持ちが乗ってこないので、背中を常に引っ張られているような重さがある。全ては時間が解決とばかりに少しづつ高度を上げてゆく。

 
1740m付近からは、人工林なのか自然木なのか、檜がやけに多くなる。檜=フィトンチットなどとの思いがあり、大きく深呼吸(ご存知のとおり、気胸のため8割で)。少し気分も良くなったような気も。高度を上げるごとに、当然のように雪の量も増してゆく。8時くらいから降り出した雪は、細かくサラサラとしていて、どんどん量が増してきていた。外気温もどんどん下がっているようであり、僅かな立ち止まりが体温の低下させてゆくので、ゆっくりでも立ち止まらぬように歩んでゆく。ササを分ける両手の手袋には、こってりと雪が付着し、重さを増していた。

 
1850m。主尾根に乗り上げる。ただしこの時、考え事をしていて進路を北にとってしまった。この方向は四郎岳に進む方向で、何故にこちらに進んだかは明白。尾根に乗った場所から北に進むと登り、南は下りで、体が自然と登りを選んだとも言えた。ボーっとしながら尾根のやや西側を巻くように進んでゆく。これまでに比べると、この主尾根は植生が弱く歩き易い。すると1580m付近にワイヤーが巻かれたままで残置されていた。その昔はここも林業作業がされていたようであった。歩きながらいつになっても下りが無いので不思議に思っていた。ここでの下りと言うのは、1858高点の先の下りであり、それが頭に叩き込まれていた。目の前の高い位置に、黒い山塊が見える。瞬時にそれが四郎岳と判った。“そっか乗り上げた所を北に来てしまった”とボーっとしていた頭が正気に戻る。とりあえず目ぼしい場所で引き返そうと、小ピークである1890m峰まで行って引き返す。ここが今日の最高到達地点。タッチするように踵を返す。

 
下りになるので、かなりスピードアップ。一気に尾根に乗り上げた場所に戻り、唐沢山に向かって西進して行く。そして最初にあるのが1858高点。ダラットした場所で何の変哲も無い通過点。ピークらしい場所でなく、ササが濃く歩き辛い場所であった。ここから緩やかに高度を下げて行く。向かう先にボテッとした形の唐沢山が見えてきていた。すると1790m付近で、行くてを阻むように檜の群落があった。最初南に巻こうと思ったが、植生が切れておらず、次に北側を巻くと何とか進める隙間があった。ここを過ぎると、唐沢山を前にして最低鞍部となる。鹿が先導してくれ、真新しい足跡が先に続いていた。最後の登りは緩やかで快適。空が白く開けてきて、山頂が近いことが判る。

 
唐沢山到着。北側が明るく、南に行くほどに暗い感じ。さらに南に行くと痩せ尾根になっていた。山頂部にはKUMOが健在で、嬉しい出迎えであった。長年ここで山頂を見ているのだろうが、そのわりには全く経年変化がないようであった。その南西側には、2.1mほどの高い位置にMLQの絶縁テープが縛られていた。それを見ると冬季のここの積雪量が見て取れる。再度KUMOを見ると、その後でマーキングがはためいていた。近づいて手にとって見てみると、「函館岳友会」と書いてある。「函館」の文字に遠さを感じ、さらには、“こんなマイナーピークを踏みに来ているのか”と驚くばかりであった。おそらく四郎岳と抱き合わせで訪れたのではないだろうか。藪屋界の猛者諸氏の標識やマーキングを見て、最後に残すは三角点。重鎮氏は探したが見つからなかったと書いてあり、俄然気合が入る。積雪量は20センチほど。少し硬くなった山頂部の雪を蹴りながらの土坑が始まる。5分ほど探してもそれらしい難さが無かった。広範囲に周囲10mほどをかき回す。“やはり無いのか・・・”少し諦めるが、いつも結果を出す男は、こんな場合しつこかったりする。もう一度作業開始。すると、蹴る足先にコツンと当った。“来た!”間違いなくその感触。見ると自然石だったのだが、三角点の周囲に置かれる石と解釈(仮定)すると、さらに気合が入る。おおよその予想を立てて、その周囲を蹴飛ばすと、とうとうその硬さを発見。足の裏を沿わせると、それはまっ平。雪を退かして掘り出すと。地面と同じ高さで三角点の天面があった。これでは冬季の登頂では探すのは困難。無積雪期においても、かなり困難なはず。標柱は完全に土の下になっているのであった。脇からはササが生え、自然に埋もれている状態であった。脇を掘り、「三等」を確認。ゼロかイチかなのだが、見つかった事で感無量であった。ひっきりなしに丸沼高原スキー場から音がしている。静山であってそうでないような雰囲気だが、経路に時間が掛かっただけに、三角点の発見とともに嬉しい登頂であった。持ち上げたヤキソバパンを齧りながら白湯を飲む。疲れた時は、よりパンが甘く感じるのだった。立ち止まっている時間が長くなると、寒さにブルッとくる。動き出さねば・・・。

 
鞍部まで一気に下り、再びの登り上げ。なかなか足が上がらず、自分でももどかしい。時間をかけて、自分のトレースを拾いながら戻って行く。1858高点からもさらに登らねばならない。東には伝ってゆく尾根が見えており、下山に際し、登りが多くなるととても負荷に思うのであった。従い、本来なら東側の尾根からアプローチしたかったのだった。降雪にトレースも消え消え。慎重に確認しながら1850mの下降点から降りて行く。降り始めの1780mくらいまでが尾根が安定しない。広い斜面で方向を間違えやすい場所であった。案の定北側の尾根の方に進んでしまい、右の方に尾根が見えてきて修正して行く。そのまま降りても下には林道が続いているので、そう困る事でもないのだが、林道の際は切り立っているようであり、それを考えると判っている尾根を目指すのが順当であった。往路では、寝かせぎみに結わえていた板を、復路は垂直に立てて降りて行く。やはり下りは早いし快適。ただ快適さに緊張感を奪われると、ルートミスをしてしまう。早く足を進める時には、それなりに周囲に目配せをしながら降りて行くのだった。足許を見ると、スキー靴のバックルがササに外され、そのほとんどが用を成していない。さらには纏わり着くような笹に絡まり、進路を塞がれ苦労する。降り続く雪は周囲を白く変え、それを分ける手袋は益々雪ダンゴを大きくしていった。

 
長い時間のササ漕ぎから開放され、切り開きの場所に出た時は本当にホッとした。そして快適さに託けて、大股で闊歩して尾根を降りて行く。それにしてもこの切り開き、本当に何のために造ったのだろう。林道に降り立つと、そこは薄っすらと白くなっていた。だが、板を滑らすほどには積雪は無く、板を履く事無く降りて行く。今日は完全に装備違い。いい勉強であった。凍った場所には、その上に雪が乗り隠されている。思いきりステンと転んだ場面もあり、その氷の硬さの痛みより、これに気づかなかった事に危険さを感じた。猟師が入ったのか、一人分の長靴の跡と犬の足跡が見える。そしてその猟師も豪快に転んでいる跡も残る。思わずそこから想像できる様子に顔がほころぶ。九十九折の先から、下に続く林道全体が見えて来る。いつもそうだが、見えるほどに長く感じる。外れたバックルが、ガチャガチャ・パタパタとスキー靴を叩く。本来なら、音もせず、スーッと滑るはずだったのだが・・・。

 ゲートに戻ると夕方の散歩なのか、二匹の犬を連れた方がすれ違うように林道に入って行った。

 振り返る。間違いなく残雪期に入った方がいい山であった。でもそれでは三角点は拝めない。三角点マニアは無積雪期となるが、ササに雪が乗っていなければ、今回の私ほどには辛く感じないかもしれない。蔓類も多いので、鎌などを持って入ると行動が楽だろう。完全に埋没している珍しい点であり、探すのはやや困難。でも少し掘り出しておいたので、次に探しに行く方には楽かも。もしや、埋めておいた方が楽しかったか。

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