合戦沢ノ頭   2489m       北鎌独標        2899m            槍ヶ岳     3180m     

 赤岩岳
    2768.7m   

 
 

 2010.9.18(土)〜19(日)   


  晴れのちガス    単独 

 中房温泉より大天井ヒュッテ経由で貧乏沢を下る。北鎌沢(右俣)を詰めて北鎌尾根に乗り、槍ヶ岳まで抜けて東鎌尾根を下る。

 行動時間:30H27M


@中房市営第一0:56→()→A中房温泉登山口1:03→(132M)→B合戦小屋3:15→(21M)→C合戦沢ノ頭3:36→(48M)→D燕山荘4:24〜27→(133M)→E大天井ヒュッテ6:40〜45→(20M)→Fビックリ平7:05→(10M)→G貧乏沢下降点7:15→(87M)→H貧乏沢出合8:42→(16M)→I北鎌沢出合8:58→(135M)→J北鎌ノコル西11:13〜21→(49M)→KP8天狗の腰掛(2749高点)12:10 →(64M)→L北鎌独標13:14〜28→(71M)→MP13(2873高点)14:39→(109M)→N北鎌平16:28〜35→(72M)→O槍ヶ岳17:47〜54→(14M)→P槍ヶ岳山荘18:08〜15→(38M)→Qヒュッテ大槍18:53→(93M)→R水俣乗越20:26→(90M)→Sヒュッテ西岳21:56→(75M)→[21]赤岩岳23:11→(102M)→[22]大天井ヒュッテ0:53〜1:12→(217M)→[23]燕山荘4:49〜57→(43M)→[24]合戦小屋5:37→(100M)→[25]中房登山口7:17→(6M)→[26]第一駐車場7:23


 
nakahusadaiichi.jpg  nakahusatozanguchi.jpg  kaxtusenkoya.jpg  kaxtusenkoyanokashira.jpg 
@安曇野市営第一駐車場出発。 A中房温泉登山口。 B合戦小屋前通過。 C合戦沢ノ頭。ちょこんと乗せた小石が可愛い。
enzansou1.jpg  asayake1.jpg  asayake2.jpg  uraginza.jpg 
D燕山荘到着 東の空が赤く焼けだす。 次第にオレンジ色に変わり・・・。 裏銀座方面。間の谷は雲海に埋まる。
ookudarino.jpg  raikou2.jpg  yarimorugen.jpg  otensyoukara.jpg 
大下りの頭から大天と槍 すばらしい来光 槍のモルゲンロート 大天に向かって。
tocyukaratubakuro.jpg  otensyoukarahodaka.jpg  otensyouhyuxtutewo.jpg  otensyouhyuxtute.jpg 
燕岳側を振り返ると、綺麗な稜線が・・・。 大天井西側から穂高方面。手前は喜作新道の尾根筋。 上から大天井ヒュッテを見下ろす。本当に崖の上に建っている。 E大天井ヒュッテは増築され、前室が造られていた。
bixtukuritaira.jpg  binbousawakakouten.jpg  iriguchi.jpg  sisyobinbou.jpg 
F下降点を見落としてしまいビックリ平まで進んでしまう。 G貧乏沢の置いてあるだけの標識。 G貧乏沢への入口。乗り上げた場所から左にズレて降りたほうがいい。 降り始めはハイマツとダケカンバを分ける。
sugunigo-ro.jpg  2300.jpg  2300ue.jpg  kerun.jpg 
すぐに細かいゴーロ帯の中に入る。良く見ると九十九折の道形あり。 2200m付近。まだまだ続く。 2200m付近。振り返る。 上流には少ないのだが、左岸側から沢への出口にケルンあり。
ootaki.jpg  sagangawano.jpg  suberiyasui.jpg  karyuunokerun.jpg 
2100m付近。なかなかの水量がある滝。左岸を巻く。 左岸側の薄い道形。 苔生した岩場に小池さん施工のロープが流してある。 貧乏沢下流域では、ケルンが沢山目に入る。
binbousawadeai.jpg  kudaxtutekitabinbousawa.jpg  iwaya1.jpg  teijyousawakarano.jpg 
H天上沢に降り立つ。貧乏沢出合。 H降りてきた貧乏沢(下流域) 貧乏沢出合から、天上沢を僅かに上流に進むと岩屋あり。 I北鎌沢出合付近。何処から入るのが順当なのか判らず、ピンクのリボンから踏み跡を伝う。
kitakamazawa.jpg  hidarimata.jpg  migimata.jpg  tocyuukaraushikubi.jpg 
北鎌沢の様子。中央上の右俣の方へ進んで行く。有視界なら迷う部分なし。 北鎌沢の右俣・左俣の出合。写真は左俣(流れあり)。 北鎌沢の右俣・左俣の出合。写真は右俣(流れなし)。こちらに進む。 途中から牛首尾根を見る。
1900.jpg  akaiiwahada.jpg  iwaya.jpg  2250.jpg 
1900m付近から下流。 この赤い岩肌の場所のすぐ上に岩屋あり。 岩屋。テントは張れないが、シュラフのみで居心地が良さそう。 2250m付近。
hurikaeru.jpg  akapenki.jpg  toro.jpg  mousugu.jpg 
2250mから後。 小池さんにより加筆された赤ペンキ。ルート上の人工的なものは、これのみ。 Y字に沢が分かれる場所の中央に踏み跡があり、それを伝う。滑りやすい登り。 もうすぐ尾根上。右に見えるは、P7から続いてきている踏み跡。
kitakamanokorunishi.jpg  noboxtutekitamigimata.jpg  p7ushikubidaiten.jpg  onewosusumu.jpg 
J北鎌尾根に乗る。乗った場所は北鎌ノコルの70mほど西側。 J登ってきた北鎌沢右俣を見下ろす。 JP7と後ろは大天井岳。  J独標に向け出発。
saiyonohidarimaki.jpg  tenba1.jpg  7654.jpg  2749higashikara.jpg 
僅かに登り尾根上は岩峰。左巻き。 すぐにテン場あり。 途中からP7・P6・P5・P4を見下ろす。 P8東の肩から独標。
2749higashikata.jpg  p8kara.jpg  p8karaiou.jpg  p9temaekara.jpg 
P8東の肩から硫黄岳。  KP8(天狗の腰掛)からP9側鞍部を見下ろす。  KP8から硫黄尾根。下は千丈沢。  P9手前。 
p9karap8.jpg  doxtupypouokoruhukin.jpg  nishimakikaishi.jpg  makimichi.jpg 
P9から見るP8(天狗の腰掛)。  ガスが巻き始める。独標のコル付近。  このロープを目印に西側のトラバースが始まる。  壁に沿うように細い道形が続いている。 
doxtupyounishi.jpg  chimuni-.jpg  doxtupyouminami.jpg  kitakaraminami.jpg 
独標の真西付近。落ちればヤバイ。  ザイルを張ったチムニーがあったり。  L北鎌独標の南側。  L独標の北から南。 
iwanouekara.jpg  2850.jpg  semaitoraba.jpg  mayoxtutabasyo.jpg 
L独標の岩に乗り・・・。  2850m付近。  独標の南西側のトラバースルート。  このテープシュリンゲを掴んで降りた先のザレ谷で迷う。 
ru-tosyuusei.jpg  kokowonoboru.jpg  p11.jpg  p11kara.jpg 
上にテープシュリンゲが見える。ここを降りて谷を下に進んでしまった。正解は谷登り。  ザレ谷の上部の様子。上を目指して登る。  P11付近から。  P11から下降して振り返る。 
p11tenba.jpg  tanaka.jpg  2873temae.jpg  iwayatenba.jpg 
P11の崖際のテン場。  このテン場には、「E田中」と書かれていたり。  P13(2873高点)手前から。  P13のテン場は岩屋状の屋根付き。 
2873higashi.jpg  2873nishi.jpg  13.5higashi.jpg  hurikaeritutaxutekita.jpg 
MP13(2873高点)東。  MP13西側。  P13.5は珍しく南側を巻いて進む。  途中から伝って来た斜面を振り返る。 
ru-tonimodoru.jpg  toraba.jpg  p14hokusei.jpg  p15hokusei.jpg 
P13.5も北側にルートがあった模様。南の不明瞭なトラバースを終え、ルートに合流。  P14北東側で、またまた西側のトラバース。  P14北西面。  P15北西面。少しガスが取れる。 
yari.jpg  reri-hu.jpg  hasamiiwa.jpg  erandatoro.jpg 
大槍・曾孫槍・孫槍・小槍と並ぶ。  N北鎌平に乗り上げる。  はさみ岩をこの距離で見つつ、右側の岩場を登る。  伝った岩場。 
mousugu2.jpg  azumasan.jpg  jac.jpg  chimuni-3.jpg 
もうすぐだが、まだまだ気は抜けない。  振り返ると北鎌平に吾妻さんテンとがポツンと見える。  岩場にあった「実工 JAC」の標識。  チョックストーン詰まったチムニーがあったり。 
syakou.jpg  iwaba.jpg  yarigatake.jpg  zairuwo.jpg 
斜行する場所があったり。  豪快に登らねばならない場所があったり。  O槍ヶ岳に到着。祠が新しくなった。  Oザイルを張って登ってくる大阪のパーティー。 
kitakamaone.jpg  koyari.jpg  oosakakarano.jpg  yarigatakesansou.jpg 
O北鎌尾根。東側反面はガスに・・・。  O右に小槍が見えているのだが・・・。  O大阪からの北鎌を抜けてきたハイカー。  P槍ヶ岳山荘で小休止。 
hyuxtuteooyari.jpg  mizumatanoxtukoshi.jpg  hyuxtutenishidake.jpg  kerunpi-ku.jpg 
Qヒュッテ大槍。  R水俣乗越。  Sヒュッテ西岳  途中のケルンピーク・ 
akaiwa.jpg  bixtukuritairakaeri.jpg  kakoutenkaeri.jpg  daitenyuxtutekaeri.jpg 
21 赤岩岳。  ビックリ平に到着。  貧乏沢の標識も見逃さない。  22 大天井ヒュッテ。写っているベンチで少し仮眠。 
enzansoukaeri.jpg  kaxtusenkoyakaeri.jpg  tozanguchikaeri.jpg  cyuusyajyoutoucyaku.jpg 
23 燕山荘。出発者で賑やか。  24 合戦小屋前。朝日が綺麗。  25 中房温泉登山口。これから登りだす人も多い。  26 中房第一駐車場。 



 9月の3連休。秋の行楽シーズン突入でもあり、黙っていても山が賑わう。そしてまだ初秋、平地がまだ夏のような暑さであり、その賑わいもまた高所を目指す訳であり、有名処は混雑が予想された。当初は剱岳北方稜線の未踏座の予定で居たが、日曜日の天気が雨予報であり、悩みに悩んで中止に決めた。出発前日まで予報を逐一見ていたのだが、金曜日の17時になっても日本海側の予報は悪かった。場所が場所だけに天気が果たす役目は大きい。濡れた岩場を平気で登る私ではないであった。

 
 さあ困った。予備計画は全く無し。でも何処かの高いところには登りたいし、テント泊を思っていたのでそれも実行したい。さりとて混むのは勘弁して欲しい。南アルプスの深南部に入れば、願ったり叶ったりの場所があるのだが、少し連続して行っているので、ここは一拍あけたいところ。そして北アルプスで静かな場所をと探していると、一つの稜線が目に入った。その名は北鎌尾根。「北」から来る連想は、北壁、剱岳の北方稜線等々、怖いイメージを醸し出す。サブちゃんの「♪北の漁場」だって、北からイメージされる(させている)部分は同じだろう。そして「鎌」である。鋭利な尾根の事を指していることが多く、「北」と「鎌」との両方を持ち合わせるここは、非常にハードルが高い場所に思えた。すぐさまネットサーフィンしながら、あらゆる情報を得ようとパソコンに齧りつく。


 ルート取りは4つ見出せる。アプローチが易しいのは、上高地から横尾を経由し、水俣乗越から天上沢を下り北鎌沢に取付くルート。これなら頑張れば通常二日で勝負が可能。二つ目に、少し変則的だが、新穂から入って水俣乗越を経るように計画しても、後半の槍ヶ岳からはほとんど下降になり省力出きる。ただし東鎌尾根を入れる事で、酷く疲れるか・・・。三つ目は、クラシックルートの湯俣から水俣川を遡上するルート。でも入口の橋(吊橋でなくヘツリ橋)が壊れていたり、だいぶルートも荒れてきている様子。怖がり屋の私は敬遠したいコース。そして最後にもう一つのクラシックルート、中房から大天を経て貧乏沢を使うルート。車に戻るには、けっこうにロングコースにはなるが、大半は安定したルート。上高地に入るにも公共機関を使わねばならない制約もあり、新穂は市営駐車場の大混雑があり・・・、なかでも一番中房が駐車し易いと思え、このコースで挑む事にした。


 装備にはとりあえずの30mのザイルを入れる。幕営装備を最小に留めたつもりだが、何となくずっしりと重い。21:45家を出る。上弦の月を経て2日、少しずつ膨らみつつある明るい月がボンネットに反射していた。困った事が一つ発生。出掛けに熱いコーヒーを入れてきたのだが、そのボトルのキャップが緩んでおり、助手席の上で中身を吐き出していた。ボトルを持ったら全くの殻。全てを椅子に吸い取られてしまった様子。コーヒーの匂いがしだした時点で気づけばよかったが・・・。でもシートカバーをしていたおかげで、助手席には一滴の被害もなし。こんな時でも、道具は道具、装備は装備なのだった。コーヒーの香りの充満する車内で、おかげさまで眠くならずにハンドルを握る。

 松本市内に入るとアスファルトが濡れていた。県道327号に入ると益々濡れており、斜面を流れが覆っている場所もあった。それを見ながら足許をドロドロにしながら歩く絵を連想する。「女心と秋の空」、降ってはいないものの、早く晴れる方に変わって欲しかった。そして中房温泉の市営第一駐車場に到着。既に9割ほど埋まっており、おまけのような余地に突っ込み、何とか駐車場所を確保する(0:40)。この時間でこの状態、この後この一帯はどんな事になるのか。見たいような、見たく無いような・・・。横の人はテントの中で寝ている様子。静かに準備をして静かにドアを閉めて駐車場を出発。


 0:56スタート。僅かに登り上げ、新しい公共の湯のある登山口に到着する。ここの広い駐車場が使えれば、誰しもが幸せになるのだろうが、そんな日が来るのか・・・。雨の後のしっとりとした登山道を上がって行く。周囲もガスの中に入り、次第に全身が濡れてゆく。麓側を見ると、中房温泉の黄色い光が強く見えていた。水場、各ベンチと素通りし、合戦小屋で一枚上に羽織る。だんだんと気温が下がってきており、風も出てきていた。小屋の前には名物のスイカの水槽があり、悪戯心で開けてみたかったが、僅かなモラルがそれを踏み止まらさせていた。ここに来るといつも、最初に訪れた時の事を思い出す。アゴを出しながら大汗をかいて、この小屋が目に入った時は本当にオアシスのようであった。しかし今は、感動は薄い。昔に戻って、ゼーゼーハーハー言いながら登った方がいいのかもしれない。呼吸も落ち着いたところで出発。ここ数日気温の変化が激しく、ちょっと肺が痛かった。こんな事からも季節の節目を感じるのであった。


 合戦小屋から先も坦々と歩く。前後を気にする事はなく、気になるのは時折流れ落ちる流れ星のみ。視野の中にそれが入ると、ハッとするのだった。それでも、この日はやたらと流れていたが、なにか流星群でも来ていたのかどうか。森林限界を過ぎると、どんどんと風が強くなり寒さが増す。半ば避暑に来ているのであり、その温度は嬉しかったりする。上着のジッパーを首元まで上げて、やや体をコンパクトに丸めて進んでゆく。上を見上げると、既に燕山荘の明かりが見えており、もう僅かであった。黄色い明かりが、冷たい空気を通ってもまだ、暖かさを伝えている。LEDに押されている昨今、放熱リスクの多い白熱球であるが、山においては大事な光源であり熱源であり、無くならないで欲しい物の一つでもある。


 燕山荘に到着。すると一つのヘッドライトが寄ってきて、「何時に出たのですか」と聞かれる。「1時です」と伝えると、「私は0:40に出てきました」と言う。20分差で行動していたようであるが、全くヘッドライトに気がつかなかった。この御仁は御来光を見たら、すぐに下山すると言っていた。麓の住人の様子で、よくよく訪れているようであった。時計は4時半近く、「ご来光は何時ですか」と、御来光を見に来たにしては素っ頓狂な質問をされる。「確か今は5時半ほどのはず。あと1時間ほどありますね」と言うと、「えっ、そんなに待つの」と・・・。「まあまあ東の空を見ててください」と言い背を向ける。


 表銀座の一級の道は快適そのもの。しわりじわりと周囲の視界が開けてくるのもいい感じ。槍のシルエットが濃くなり、裏銀座の稜線も浮き立ってくる。そしてだんだんと東の空が赤く焼け出してきていた。一面に雲海が広がり、荘厳と言う言葉がぴったりと嵌る。蛙岩の所は、岩と岩の間をすり抜け進んで行く。暗い中だと、少しお化け屋敷風の様相だったりする。そして大下りを前に、しっかりと周囲が見渡せるようになってくる。槍は姿を出しているものの、大天井岳がガスに覆われたまま。自然が出し渋っているのか、「もうちょっと見させてくれよ」と言いたい景色でもあった。そして遠く立山側の景色を遠望するが、かなり濃い雲に覆われていた。今日の場所選択は正解だったのかも・・・。そして為右衛門吊岩への登りに入ると、綺麗なオレンジ色の太陽が生まれてきていた。“今日一日、事故なきよう”と祈る。我が信教は、「太陽宗」。それでもって宗派は「自然派」なのであった。

 時間の経過と共に、デンとした姿の大天井岳が朝日に浮かび上がる。そして足許には、コマクサの残り花もまだ見られた。この先、切通岩までは鎖場があったりするアスレチック的な場所。白丸ペンキに導かれながら、ちょっとした関門を次々と通過して行く。そして進行方向右下(西)には、牛首山に続く牛首尾根が見えてくる。一見、芝生の絨毯のように見えているそこは、芝生の現実はハイマツであって、なかなか難儀した尾根でもあった。「もう行きたく無い場所トップ10」なんてものがあれば、ランクインする場所でもあった。それを見ながら大天を巻き込んで行くと、喜作新道の稜線が目に飛び込み、その先には穂高の山々が連なっている。こちらから見ると、意外なほどに前穂高岳が存在感あるのであった。


 トラバース道が終わりを告げる頃、下の方に赤い屋根の大天ヒュッテが見えてくる。国内にいくつ山小屋があるのか判らぬが、ここの小屋主の小池さんは、群を抜いて人が良い。きっちりと怒鳴れるような山小屋主も大事だとは思うが、この小屋の小池さんのような方が、私は肌に合う。とても優しい方なのであった。久しぶりの再会を楽しみに、九十九折を急いで降りて行く。時計は6時半、小屋前から出発して行くパーティーの後姿も見える。ザレた急斜面に、ルートが切られている。これも小池さんの作業であり、その優しさが歩いても判る。そして大天ヒュッテに到着。少しと言うかだいぶ改装され、開口を大きく設けた明るい山小屋に変わっていた。なんと言っても風除室のような前室は、昔の家にある土間のような感じで、その存在が入室を誘う上手い造りとなっていた。静かに中に入って行くと、受付ではパソコンが立ち上がったまま。その画面は本日の天気予報。数十分前までの、ここでの出発風景が目に浮かぶようでもあった。中に向けて声を出すも、小池さんは出てこない、裏の方でコツコツと音がしていた。なにか作業をしていたようであり、お客の出発後、次のお客が来る前にとの作業だろう。私もそれ以上声は出さず、小屋前で一人静かに休んでから西岳方面に足を向ける。本当は、小池さんに北鎌へのルート情報を貰いたかったのだが・・・。まあまあ昨今はパソコンがあるので、昔を思えば何十倍も情報は得られるのだった。


 貧乏沢への下降点は僅か先。喜作新道に足を進める。前回訪れた時、巻いている2766高点を地形図に載るよう働きかけると言っていたが、それはまだ実現されていないようだった。巻ききった場所の2549高点の場所が、貧乏沢の下降点であるのだが、注意力散漫なのと、前を行くハイカーを追い越しつつ進んでいたら、その場所を見落としてしまいビックリ平まで進んでしまった。このビックリ平からの尾根にも下に続く道形があり、そこを降りてみようかとも思ったが、ここで失敗の上塗りは許されない、来た道を戻って下降点を確認し、そこから貧乏沢への下降に入る。負け惜しみのように一つ言わせて貰うと、貧乏沢への道標が古くなり目立たなくなってきている。前回はもっと目立っていた記憶があり、すぐそれが判ると思い込んでいたのだった。


 貧乏沢の最初は15mほどのハイマツ漕ぎ。突っ込まず、僅かに南にズレると道形がある。知らずに突っ込んで、そこに沿っていた道形に、“なんだ”と・・・。そしてハイマツの下からはゴーロ帯に入る。よく見るとその中に九十九折の道形がある。そこに伝って下って行くと、小さな小さな滝があり、そこから左岸の樹林の中を進む道形となり、そこを伝うとその下にもゴーロ帯が出てきて、その中に道形が続いていた。今度は長く続くのかと思いきや、またまた左岸の中に入る。たぶん流れのあるこの沢、沢の中より岸の方が歩き易いということになるだろう。この場所にしては明瞭と思えるが、一般的には獣道的道形であり、あまり人工的でない感じが嬉しい。


 2100m付近、貧乏沢に流れ込む枝沢からのやや大きな滝がある。ここも左岸側を巻いてゆくのだが、なかなか見栄えのする良い滝であった。時折沢の中を歩くものの、7割か8割ほどは左岸の樹林の中を伝う。天上沢の本流が近づいている証拠に、流れの音が強くしてきていた。途中に滑沢のような流れを左岸側で巻くのだが、多くの人が間違ったのか、行き止まりになる踏み跡がある。沢寄りより、気持ち南側に進むのが正解。これまでにちらほらとケルンも散見できていたのだが、人工的な物としては、一箇所だけ苔生した岩場にグリーンのロープが流してあった。このロープも小池さんの配慮らしい。沢の危険箇所を巻いた巻道にあり、苔岩に対しロープは重要な役目をしていた。ここを過ぎると、頻繁にケルンが現れる。それほどにルートの在り処が判り辛いとも言える。そして目の前にやや広い流れが現れ、そこが天上沢で貧乏沢出合となる。長い下りだった。下り一辺倒で90分ほど下降し続けた事となった。


 天上沢に入り右岸側を詰めて行く。沢の水量はややあり、渡るには場所を選ばないと水没してしまうほどの状況。出合から3分ほどで明るい岩屋がある。天上沢を見下ろすような立地で、なかなか良い感じ。しばらくは右岸側を行く。その理由には、左岸側に行くより、これから登る稜線がより見易いためでもあった。しかし、肝心の北鎌沢は見えてこない。右俣の上の方は見えているのだが北鎌沢の出合い辺りが、樹林になっており視界が開けない場所になっていた。地形図を見ながら適当な場所から入る事を決め、右岸側から左岸へ進んで行く。途中の中州の場所には、テントを張った形跡があり、焚き火の跡も見られた。こんな場所で焚き火が出来、魚も釣れたら、こんな楽しい場所は無いだろう。

 手探り状態のまま北鎌沢の出合を探しながら行くと。西側斜面の雑木にピンクのテープが現れた。そこには踏み跡が駆け上がっており、沢の入口を示したマーキングと理解できた。入って行くと、その先は視界が開け、水の流れのある北鎌沢に乗った形となった。左俣と右俣の出合いは、もう少し詰めた先のようであり、しばし太い流れに沿って、岩の上を乗り越えてゆく。稜線への最後の吸水場所はこの沢であり、精神的な安心材料に為に早めに汲んでおく。今日はロングコースなので1リッターのプラパティスを準備。それを満たす。このルートは、枝沢での分岐がよくよく問題になっているようだが、有視界の中では間違えようがなかった。左俣右俣の出合いの場所も、左俣の上流は完全に南西側に進んでいるのが判り、地形図の絵と合致する。2者選択であるからこんな判りやすい場所も無い。枯れた方の右側の沢が北鎌沢右俣となる。下流は流れが無いが、僅かに詰めると再び現れてくる。少し標高を上げたので振り返ると、もうけっこうに登りあげてきている。そして牛首山の尾根もばっちりと見えていた。


 右俣沢は危ないような場所はなく、赤い岩肌の流れのある場所を見たら10分ほどで岩屋の前に出る。内部スペースは広いが、高さが無いためにテントを張るには問題あり。それを左に見て巻き上げて行く。2250m付近で、上からの沢が合流しているようなのだが、太い右側に進む。選ぶと言うよりは、普通に太い方へ進む選択で良いと思う。有視界なら間違えないだろうし、もし間違えてもここはすぐに修正できるだろう。それほどに現地地形は地図に合致していた。錫杖岳に登るのに何度か錫杖沢を詰めたが、マーキングの無かった頃のあの沢と比較しても、こちらの方が易しいと思えた。振り返るともう天上沢は見えず、その代わりと言ってはおかしいがパタパタとしたローター音を響かせながら青とオレンジのヘリがやってきて、ゆっくりと稜線をなめるように進んでから、天上沢の中に入って行った。それが行ったと思ったら、後から黒い見慣れないヘリが飛んできた。黒塗りのそれは、あたかも米軍の戦闘ヘリ「アパッチ」のようであった。何かを探しているふうは一目瞭然で、天上沢を主に動き回っているので、谷あいにローター音が長らく響いていた。反対に、北鎌沢の方へは全く来なかった。おおよその探す場所が絞られてきているのだろう。


 2300m付近、このルートで唯一のペンキマークがある。「右・右」の情報過多で、誤入者が多発し事故になっている沢道の入口に、赤ペンキで「×」印がふられている。小池さんのやむなくの行為だろうが、自然のままの状態で保ちたい反面、事故も防ぎたいと思った苦渋の判断でもあろう。普通なら何か付け加えて書いてしまうだろうが、あるのは「×」だけ。十分且つ端的な道標である。それを右に見て20分ほど進むと向かう先に
Y字形に道が分かれている。その中央部に新しい踏み跡が出来ている。これがコルへ向かう道らしいが、なかなかの急登。これまでは足の下に石や岩があったからいいが、ここは土の斜面なのだった。

 周囲の草木を掴みながら這い上がる。ズンズンと登って行くと、稜線を手前にして右側から上がってきている道と合流した。合流した道の延長線側を見ると、北鎌のコルはそちらにあるようであり、その東側に
P7らしい顕著なピークが聳えていた。と言うことは、Y字形分岐を右へ進んだ方が本当の北鎌のコルに行ったようであった。コルに行かせた方が判りやすいようであるが、何故にショートカット道のような、エスケープ道のようなこの道が出来たのか。尾根に乗るとそこには一張り分のテン場があり、ここでしばし休憩。出合い付近から2時間15分。焦って登ったつもりも、ゆっくり登ったつもりも無いが、そこそこ時間を要してしまった。まあ地図を見ながら、周囲を見ながらだから、こんなもんだろう。時間はさておき、やっとここで北鎌の舞台の上に立ったと思えた。それよりもこの道形はなんだろう。剱岳の北方稜線(最近は濃くなっている)か、はたまた硫黄尾根くらいに薄いものと思っていたが、ここで遊ぶ人の多さからか、かなり明瞭に続いている。


 尾根を伝いだしてすぐにハイマツの中の道を辿る。10分ほどで大岩が現れ、そこを左巻き。と言うより道に従い進む。クネクネと左右に振られるが、これほどにしっかりとした道形なら、安心も安心。振り返り見下ろすと、P7から
P4までが良い感じに並んで見える。その姿に微妙にニヤッとしてしまう。山を見て可愛いと思ったことは稀だが、この並び具合はかなり可愛い。左の先の方には目指す独標も見えている。ただし、いやな事にガスが上がり始め、周囲が暗くなりつつあった。有視界で進めればある程度の進度は期待できたが、ガスの中ではそれは難しい。ちょっとしたミスが命取りになり兼ねない。長らく歩いてきたので緊張感が薄らいできていた。少し初心に戻って気を引き締める。ガスが巻く前にと、少し多めに写真撮影をして進んで行く。こちらから見る硫黄尾根。その赤さが荒々しさを醸し出しているのだが、あの頂から見るこちらの北鎌尾根は印象が薄かったが、こちらから見る向こうは凄い印象を植え付ける尾根である。クライマーを引き付ける訳である。それにしてもテン場が多い。右俣から乗り上げた所を1として数えたら、P8の天狗の腰掛までに3つあった。それもほとんどが完璧な水平なテン場。これほどにあるのなら、歩きながら好きな場所で幕営が出来る。


 P8(2749高点)到着。大きな岩峰の上で、進路は北に膨らんでから西側に進む。降りきった岩峰の基部には、これまた居心地の良さそうなテン場があり、なにかここに長居したら天狗になれそうな気分となる。次のピークがP9となり、先ほどのP8の眺めがすばらしい。もうこの頃になるとガスに巻かれ始め、周囲の展望を楽しみながらの山旅ではなくなっていた。ただし、足元には途切れる事に無い強い味方の道形がある。これさえ外さなければ・・・。ただしそんなにおんぶに抱っこでなく、少し不明瞭な場所もある。岩部が多い場所は、自ずと道形は無いことになり、僅かなアイゼンの跡とか土の跡、周囲の雰囲気からルートのありそうな場所を進んでいた。そしてガスの中に問答無用のシルエットが現れる。念願の独標を目の前にしたのであった。


 北鎌独標の進路は西側のトラバース。そのトラバース道の入口にはグリーンのビニールロープが流してあるので、目立つ目印となる。この付近から直登するルートもあるようであるが、ガスでその存在が見えない。明瞭なバンドのような道形を追って行くとだんだんと危険地帯に突入してきたと感じさせるルートとなる。道幅は狭くなり、そんな場所に岩がオーバーハングしている。幕営装備ではそれが引っかかって谷側に押されてドキドキ。その僅か先にはチムニー状の場所にテープシュリンゲが流してある。やや朽ちていて体重をかけるのが怖い感じ。なにか周囲の白い岩ばかりが目立ち、それにガスが加わり寂しい景色となっていた。どこから独標へ取付こうかと思案していたが、何となく登りやすそうな斜面があり、南西側から取付いてみる。足元には何となく登山靴の跡もあり、おおよその取付き場所は正解の様子。ズリズリと崩れるような場所もあるが、何とか騙し騙し上がって上に立つ。


 北鎌独標。そこは南峰のような場所で大きな岩が二つの塊となっている。北側にももう一つ高みがあり、こちらで高点をとっている様子。進むと北側にも大きな岩があり、その手前の草地の場所がテン場となっていた。その大岩を東から巻き込むと、さらに北側にもテン場があった。このルートはテント天国のような場所であるのだった。トランシーバーを握るとトラッカーの他愛も無い会話が聞こえてくる。“みんな緊張感ねぇなー”なんて思うのだった。でも、緊張感を持って行動しているものの、方や向こうは就労中、こちらは遊び呆けている訳であり・・・どちらがどうなのかと苦笑い。本当はここからの周囲展望を楽しみに来ているのだが、初めての登頂でそんな美味しい目には遇わせて貰えないらしい。自然の「またおいで」と言っているのが聞こえてくるようであった。それにしても尾根に乗ってからのここまでの経路。予期していた危険度があまり無い。こんな感じで槍まで抜けられてしまうのか・・・。少し拍子抜けなのだった。

 
 独標からの下降は、往路より少し南側を降りてみる。最初の鞍部からザレ谷に中に入り、下の方でちょっと難儀しながらの下り、谷の最後を北側に岩場を横ばいして、なんとかルートに乗る。目標物に登って、獲物を捕らえた後のような満足感。と言いたいところだが、周囲のガスは、そんな気持ちにはさせてくれなかった。またまた小さなチムニーがあり、道幅の狭いトラバースがあり、岩肌の斜行があり。その岩のところにはハーケンが2枚打たれ、切れ始めたテープシュリンゲが掛かっていた。あまりテンションをかけないように補助的に持ちながら左斜め下に下って行く。10mほど降りた先がザレ谷になっていて、ここで進路が判らなくなった。上を見ても下を見ても良く判らず、安易に下の方へ進んでみる。気持ちよく20mほど下り、西に踏み跡がありトラバースする。しかし横に50mほど進んだ先は、藪となっていた。少しだけ視界があるので見渡せるが、稜線に対して100mほど下の方に居た。途中まであった道形は・・・。ここでよくよく考える。今の体力と能力からしてこのまま進んで行くことも可能。しかし迷った場合、間違えたと思った場所まで戻るのは鉄則。それでもって再度ここに来ても良いと思えた。トラバースを戻り、ザレ谷を登り上げ。高度計を見ていたら間違え地点から40mほど下ってしまった様子。その場所からザレ谷を上に突き上げて行く。すると稜線上で薄い踏み後の上に乗った。戻る判断は正しかったよう。僅かな時間で修正が出来た部分が、あのまま行っていたら多大なブレーキになったかも。しかし間違える人の多さが、あの道形にしてしまったのか・・・。それともあのままでも行けたのか・・・。

 
 登りあげた場所には山頂部にテン場がある場所で、ここで張れたら気持ちがいいだろう。その代り吹きさらしであるが・・・。その次がP11のピークであるようだが、もうこれほどにポコポコと岩峰があると、どれがどれなのか判別は不可能になってきた。視界があればとガスのせいにしたいが、まことガスが無く遠謀が利いたら、先ほどの間違いも無かったはずであり・・・。p11の西側にはチムニー状の下降があり、腕力で体を支えながら静かに下る。
P12は山頂を通らず西側を巻いて進む。相変わらずのトラバースルートに、やや単調さを覚える。たぶんそれには景色が伴わないからだろ思う。ここで景色があったら、なんていいルートなのだろうと思うはず。

 次の2873高点がP13となり、道形は尾根上を突き上げてゆく。それに足を添えて行くと、山頂直下に岩屋付きのテン場があった。稜線に乗ってから、これまで見たテン場は10箇所。中でも最良な条件の場所。東側を向いているのでご来光のオプションもある。P13もこれまでのピークとほぼ変わらないような岩のゴツゴツとした場所。その西側には岩に細引きやテープが巻かれ、下降に対しての支点のようになっていた。下りきると次のピークには名称が無いようだ、P13とP14の間だからP13.5としておこう。このP13.5は珍しく左巻きとなり南側を通過して行く。ザレ地形で、やや不明瞭なトラバース。途中から判らなくなりそのまま水平移動をしたのだが、最初にP13.5を巻ききった辺りで稜線に乗ったので、そこから稜線を進んだ方が良かったのかもしれない。ただし、先に進み道形が出てきたのは稜線の北側からだった。となると先ほど尾根に乗った場所から踏み跡は南から北に乗越していたのかもしれない。初めての場所であり、この辺のルートミスはしょうがない。2度目に失敗しなければいい訳である。


 P14に向けては、稜線は複雑地形。その北側をルートはトラバースしており繋がって行く。ここも頭上をオーバーハングした岩が有ったり、落ちれば助からない千丈沢側の谷を見ながら通過して行く。そのP14は 大きく北から西を巻いて通過。ピークの北北東辺りで岩壁の通過があるが、その為にルートが見えなくなる。周囲を探すと真新しいハーケンが壁に打ち込まれていて、そこがルートの在り処だった。しかしこれまで続いていた踏み跡に比べるとかなり薄い感じがする。いくつかあるルートのうちの一つなのだろうか。確かこの辺りはもう少し稜線歩きが多いはず。外している事を自覚しながら、目の前の踏み跡を追う。

 
 P15もP14の延長で大きく山腹を巻いてゆく。その途中で日差しが回復。進む先に目指す槍ヶ岳の大槍が見えてきた。横に曾孫槍・孫槍・小槍と従えた姿は、この北鎌からしか見えない風景である。これまでガスっていたのに、頑張った為のご褒美だったのかもしれない。見えたのは僅か10分程度であり、再びガスの中に消えて行ってしまった。しかし展望とは別に、完全にルートを見失ってしまった。ガレ易いゴーロ地形になり、踏み込む足裏が、ほとんどの場合で滑り出す。なかには流れない良い場所もあるのだが、3歩と続かず持続せず。気をつけているものの落石も多く発生させてしまい。カラカラと乾いた音が数秒間落ちてゆく。目標物は見えているのに、ここに来て大ブレーキ。P14の北側辺りでは、この調子なら16時頃に槍に着いてしまうと思っていたが、なんのなんの、ガレ斜面に難儀して、北鎌平に付いた時点で16時半を周っていた。

 
 北鎌平にはひと張りのテントがあり、コツコツと石の上をレリーフ側に進んで行くと、中から住人が出てきた。私がいきなり「吾妻さんですよね」と言うと「何で知ってんの」となった。「これこれ」と見せると、吾妻さんは「あー良かった。落ちて行った時に諦めたんです」と。私のザックには新しいペツルのヘルメットが結わえてあった。P9の北側斜面で拾ったのだが、最初は遭難者が居て、誰か倒れているのではないかと周囲のハイマツの中を探してしまった。しかし痕跡は無く、そのまま持って来たのであった。ヘルメットの中には「吾妻」と書いてあり、進めば持ち主がいると思っていたし、幕営でなければ小屋泊まりは確実。槍ヶ岳山荘を含めて、持ち主は要ると確信していた。それがここでドンピシャ。私も嬉しかったが、吾妻さんも嬉しそうであり愛着のあるメットだったらしい。「買えば1万以上は掛かるから」と、気持ちだと言って2000円を差し出してくれた。「そんなつもりで持って来たので無いですから・・・」と逃げるようにレリーフの方へ向かうと、御仁は裸足のまま追いかけてきて、「このままでは自分の気持ちが治まらないからと・・・」。あまり気乗りしないが「では」と頂戴する事にした。

 吾妻さんに聞くところによると、この尾根を本日抜けて来たのは、私で7人目の様子。天上沢で幕営したのが、吾妻さんともう1パーティー。そしてもう一組、大天ヒュッテを3時に出発したパーティーが居たとの事。「何処で泊まるのですか」と吾妻さんに聞かれ、「このまま中房まで戻ります」と言うと、「ウッソー!」と大きなリアクション。まあ驚かれて然り、既に今日は中房から出発してきている事を告げている。途中までは、何処か適当な所でと思っていたのだが、何処でも泊まれると言うテン場の多さが、逆に私を奮い立たせたのだった。テントさえ持っていれば、泊まれる場所は無尽蔵にあるような場所で甘えていいものか(こんな考えは普通しないか)。加藤文太郎さんの終焉の地でもあり、ここは歩け歩けで貫くのが順当では無いか。そう思った瞬間、幕営装備がずっしりと重く感じたのだが、いつも通りに「やってやろうじゃないか」となる。ある意味、馬鹿でもある。でもその馬鹿さ加減が楽しかったりする。


 ちょっと長居になった北鎌平を後にする。しばらく吾妻さんは私の背中を見送ってくれていた。どんなコース取りをするのか見ていたのかもしれない。はさみ岩を狙って進み、その手前北側のチムニーを這い上がる。しかし僅か先に山頂があるのは判っているのだが、やや厳しい岩壁が待っている。もっと南側に進んで登れば容易である事は判っているのだが、少しここではチャレンジしたかった。疲れた体、疲労した筋肉が悲鳴を上げるが、ここを乗り越えると少しだけ成長する。危険が伴うと言うリスクと天秤に掛けねばならないのだが、馬鹿は死ななきゃの類かもしれない。適当に這い上がってゆくと「実工 JAC」の溶接書きの看板がある。レーザー抜きのサワガニ山岳会の標識は有名であるが、溶接を盛った文字は初めてかもしれない。振り返ると、ガスの中から吾妻さんのオレンジ色のテントが見えている。クッキリハッキリ。“やっぱりオレンジ色だよな〜”色の中で一番に目立つ色がオレンジ色らしい。迷いやすい人はオレンジ色を着る事を勧める。

 さあもう少し、朽ちたハーケンに結び目を沢山作ったザイルが垂れている場所があり、その脇に真新しい細引きも下がっている。両手をそれらに掛けて右足を上げる。次は左足だが、P8のハイマツで強打していて踏ん張りが利かない。“くそー”と思いつつも諦める。もうひとつは南にズレルとチムニー状の場所がある。右側の壁から這い上がれるようだが、その間にも南側からは大きな声が上がり、壁をパーティーで登っている声がする。その声を聞いて我に返る。今は岩の練習時間ではない。リスクは最小限で抜けて行かねば・・・。進路を南側に巻いて、一番安全な場所を行く。そこには大阪からのパーティーが居り、岩場の苦手な方が時間をかけて登っていた。ザイルの脇を通させていただき這い上がる。


 槍ヶ岳登頂。ガスのため視界は狭められているが、北鎌尾根の一部と小槍くらいは見下ろせる事が出来た。北鎌尾根を終了した今ほどの女性二人をカメラに撮ってあげ、少し言葉を交わす。かなり混雑しているかと思ったが、既に18時も近い時間。山頂部は僅かなハイカーのみであった。慎重に梯子を降りて岩場を下る。ここまで安全に来て、ここで事故では目も当てられない。ゆっくりと北鎌尾根の最後を楽しむように下り、槍ヶ岳山荘に到着。ここでご褒美に350mlを自販機で買う。グビグビ、ゴクゴク。ビールのコマーシャルに出演依頼があってもいいほどに、美味しく飲み干す。もしかしたらこの為に登っているのやも・・・。それでも緊張の糸は切らさない。この先の東鎌尾根も、長い九十九折に、激しいアップダウン、嫌な高度感の梯子場が待っている。私が下りだすと同時に、殺生ヒュッテ側に下るのだろう外国の3名のパーティーがヘッドライトで下りだした。外国人の夜歩きの観念はどうなのだろうか。以前にも中東の方がこんな時間に下山を始めていた。日本人ほどに夜歩きに抵抗は無いのかもしれない。そんな私も日本人であるが、抵抗は全く無い。進んで行く右下に、殺生ヒュッテのカラフルなテントが、ぼんぼりが火を燈した様に綺麗に見えてくる。その間をヘッドライトで動くハイカーも見える。きっと向こうからもこちらが見えているはず。その殺生ヒュッテから登ってきているヘッドライトが見える。声を聞いていると親子連れのようで、その中の女の子は、疲れたのと暗くて怖いのか、泣きながら歩いている。“もう少しだから、頑張れ”と声を掛けたいほどに健気に闇夜に響いていた。


 さあ下る、どんどん下る。僅か先のヒュッテ大槍までもが長かった。疲労度も嵩み、あからさまに進度が落ちている。ガスも覆いだし、この時ガスの匂いを始めて感じた。硫黄臭とかそんなのではなく、濃いガスの中に入り、深く呼吸をすると、独特の匂いを感じたのだった。疲れから来る五感異常だったのか・・・。そしてヒュッテ大槍の前に到達すると、窓の中では楽しそうにビールを傾けながらの団欒風景があった。暖かそうな室内に対し、外気温はどんどんと下がり始めていた。タバコ吸いなのだろう入口の所では数名が屯していた。その前を風のように通り過ぎる。


 急降下開始。何度もする九十九折にすぐに飽きてしまい、強打した左膝も、「どうなっても知らないぞ」と言い出す。空には昨日より少し大きくなった月があり、背中から見下ろすように明るさを降り注いでくれている。時折ガスに巻かれるものの、有視界の時間も長く取れていた。と言ってもヘッドライトの照らせる範囲。時計を見ると19時半を周っていた。“腹が減ったなー”と小休止、今日は、なんと「ワラビもち」を持ち上げてきた。平地でもあまり食べない物を、何故に・・・。食べたかったからと幼稚園生みたいな返答になってしまうのだが・・・黒蜜の効いたそれは、幾分か水分量が多く食べやすい。狙った通りだった。腹持ちがどのくらいいいかは、この日のお楽しみ。そして梯子場に突入。下った分を取り返すような長い梯子。暗くて周囲が見えないから怖いのか、見えていた方が楽なのか。先ほどワラビもちが、何となく上がって来ている様な胃の状態でもあった。「食べたらすぐ動くな」と言う言い伝えに背いたからかも・・・。でもでも、この東鎌は、昇り降りの起伏が多い分、山を歩いている味わいが強くする場所。ダラダラとした登路も楽でいいのだが、このような道も嬉しかったりする。視界が無くとも山の起伏を体感でき、夜であっても楽しいのであった。朝方深夜のナイトハイクに続き、今日2回目のナイトハイクになるが、今日も流れ星が多い。なにを願うかって?アナログ思考の私は瞬時にいろんな事は思いつかない、いつもの決め文句、「無事に帰れますように」となる。


 そして水俣乗越。今日は何人ここから天上沢に降りたろうか。その沢筋を見たいところだが、残念ながら闇夜である。西岳ヒュッテに急ぐ。水俣乗越を越えれば少しは楽になると思っていたが、大きく下って、そしてまたダラダラとした登りが待っていた。ヘッドライトに白ペンキが反射して、時折ドキッとさせられる。先ほどまでは、高低差が大きな階段状の上り下りであったが、この辺りになると細かいピッチで進め、この部分では楽に感じた。そして西岳小屋に到着するも、中の明かりは完全の消灯していた。誰も居ないのかと思うほどに暗くひっそりとしていた。休む事無く喜作新道に入って行く。22時を過ぎ、どんどんと風が強くなってきた。そうか“台風が接近してたんだよあー”と気づくが、南からの風ではなく西から。日本列島周辺に居る低気圧の関係か。北に進むに対し左半身だけ冷されるので、少し西に背を向けるよう斜に体を向けて歩いていた。

 分岐から30分ほどで、大きなケルンのある通過点。“ここなんだっけ”とだんだんと思考が鈍ってきているのが判る。空の星も瞬き出す。それは空気の関係でなく、私本人の神経系が異常になってきているのである。幻覚幻聴までカウントダウン。あまり大声では言えないが、なんとも気持ちいい領域に入るのである。疲れなどが消え、足はどんどんと進む。木々が人に見えたり、周辺に居る魂の現われかと思って見ているのだが、それが怖い感じは一切無い。風の音の中に人の声も混ざる。それが何度も何度も。この話を友人に話した事がある。移動手段が発達していなかった昔、「そりゃー妖怪や河童も出るわ」と言っていた。確かにこれを体験してしまうと、妖怪の話も肯定できてしまう。だいぶ話が逸れたが、気持ちよく喜作新道を歩いていたのに違いない。


 赤岩岳到着。23時11分。もうすぐ日が変わる。あと1時間は早くに出発できたから、ワンデイを目いっぱい使ったとして、頑張って大天ヒュッテまでだったか。幕営装備を外せば、もう何割か進度が違ったはず。北鎌尾根の様子も判ったし、次回は・・・などと、既にもう一度登りたくなっている自分が居た。左側には、大槍から独標を経て下に続いている北鎌尾根がシルエットとして続いている。“よく歩いたなー”とそれを見ながら感無量。時折流れ星が強い光で流れる。西からの風は相変わらず。両手をポケットに突っ込みながらテクテクと進む。


 ビックリ平でちょうど日が変わる。二日目突入。もう少しで大天ヒュッテ。往路は間違えてここまで来てしまったので、名実共にここで一周した事になる。賑やかだった昼間に対し、場所が違うほどにひっそりとしていた。当然か・・・。足を進め、貧乏沢下降点標識を見る。昼間より見つけやすいのは、どういう事か・・・そう言えば往路のここで、男女のパーティーが道を譲ってくれたんだ。この時になって見落とした理由を思い出した。頭がぼんやりしているのか、しっかりしているのか・・・。前回来た時は、ここから先の登山道に雷鳥が居た。樹林帯の中であり、全く似つかわしくなかった状況だが、間違いなく雷鳥だった。ハイマツ帯に生息する物と思っていたが、広葉樹の中を歩いている姿が意外だった。ここを通過すると、当時の記憶が甦る。


 大天ヒュッテ到着。ちょうどどなたかが外のトイレから戻る所で、ヘッドライト同士がぶつかり合った。時計は0時53分。星空観察でもしていると思ったかも。中に入るのは忍びないので、玄関前のベンチで休憩させてもらう。この小屋は西からの風が完全に遮れるので、それだけで暖かい。少しの休憩が進んで、ウトウトしてしまいしばし仮眠となってしまった。目を覚ますと20分経過していた。でも1時間ほど寝たようなスッキリ感がある。重いザックを背負いもうひと頑張り。小屋の中を見ると厨房の方で明かりが動いていた。もしや小池さんか・・・。でもこの時間では失礼すぎて声は掛けられない。また来よう。大天の斜面を登りだす。相変わらずの月明かり、この斜面からの展望が良く北鎌尾根がしっかりと見えている。ただ風が・・・。左半身用の防寒具が欲しくなっていた。それでも表銀座コースは尾根の東側を進む部分も多く、西側に居る時は早足、東側に入った時は進度を遅くし調整をしていた。

 幻聴が続いているようで、風の音の中に女性が歌っているような声が聞こえる。前方遠くに、星に混ざって山の上に瞬く光がある。間違いなく燕山荘の明かりである。それを見てまだ遠いなーと感じる。それでも表銀座に入り、道は至極快適になり歩き易い。ふと右を見ると、いつから見えていたのか安曇野市の夜景が目に入った。眩いばかりの光は無いが、中でも黄色い光は特に暖かさを感じ、寒い状況下において家が恋しく思えたりもした。車のヘッドライトが行き交うのも見え、もう下界も近いと判断できた。燕山荘に近づくと、その先の燕岳に登っているヘッドライトが見えた。光の進み具合で歩調も判り、山頂に到達した時、ピカッとこちらに向けて光が照らされた。まだ何キロあるだろうか。おそらくLED電球なのだろうが、明るいなーと思うのだった。そうこうしていると、小屋発だろう大天側に抜けてゆく8名のパーティーがすれ違う。まだエンジンが掛かっていないのか、風に対しての完全防備。雪の中を歩いているかのように身固めをしていた。ちらほらと小屋付近から流れだす光の点。小屋の朝が始まったようだ。どんな喧騒なのか・・・。行きたい様な避けたいような・・・。

燕山荘到着。小屋の前には20名ほどが出発準備をしていた。ロビーでは50名ほど蠢いていた。すばやくビールを買ってグビッとやる。火照った体に染み渡るよう。そのまま外に出ると、強風の中でガイドが20名ほどの団体を連れて出発するところであった。方やグビグビとビールを煽っている族がいる。暗くて見えないとは言え、変な絵面だった事だろう。私が逆の立場だったら、「なんだコイツ」と思うかっも。出発ラッシュが始まった。これが通常の、3連休の燕山荘の姿なのだろう。飲み終えたのと同時に中房温泉に向けて下降開始。東の空にはご来光を控えたオレンジ色の空があるのだが、この日は雲がかなり出ていて、拝むのにはあまり芳しい状況ではなかった。気持ちよくストライドを延ばし、合戦小屋まで下る。小屋の少し上の、ベンチのところで従業員が作業中。私の存在は全く気づいていない様子。そのまま素通りして下に向かう。

 さあここからだった。ちらほらと登ってくる人が現れだしたら、居るわ居るわ、連休中日にしてこれほどまでが登るのかとビックリした。かく言う私も日曜日ハイカーだった頃もあり、登ってきている人と同属だった事もあるのだが、それにしても凄い。なかには山ガールも多く、その部分は密かに大歓迎なのだが、上の標高を判っていないような薄着で軽装で、ファッション性を重視している方も居られた。各々の携帯をピコピコと操作しながら登っている学生パーティー。大声を響かせている中高年パーティー。皆楽しそうであったが、何度も足止めをされながら道を譲るはめに。しょうがないとは判っていても、何度も何度も・・・。登山口までに総勢300名ほどとすれ違っただろう。当らずも遠からずの数字だと思う。


 登山口にも、これから出発の人がわんさか。舗装路を降りて行くと、まだまだゾロゾロ。これほどに登山客の車は収容できないだろうと思えていたが、みな何処に停めているのか・・・。第一駐車場に到着。とりあえずは登山終了。あまりの人の多さに圧倒され、最後は自分の登行がかき消され飲み込まれたような雰囲気に・・・。駐車場から下って行くと、路上駐車のすごい事。上の方は注意表示があるので停めている車は少ないが、下って行くほどに凄い事になっていた。おかげで対向車の存在が全く見えない。ハイカーの気持ちも重々判るが、行政も何かしないと拙いような・・・。


 少し振り返る。北鎌尾根。思ったほど怖い場所ではなかった。冒頭書いたように名前から来る先入観が先行していた感じもあるのだが、あれほど道があるとは・・・。ただバリエーションルートである事には違いなく。ところどころでルートファインディング力は試される。おかげさまで何度かコースミスをして楽しませていただきながら通過してきていた。人気の場所であり、かなり入山者も多いよう。その割には事故を聞かないから、それなりの人が入っているからなのだろう。次回は、テントを持とうか置いてゆこうか迷うが、なにせ槍が終始見えるような日に登りたい。今回は尾根に入っての前半は良かったが、後半が完全にガスに覆われてしまっていた。機会を見つけてまた行こう。


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