ミツモチ 1248.0m 剣ヶ峰 1540m 大入道 1402.4m
2010.11.3(水:文化の日)
晴れ(小雪舞う) 単独 大間々台から時計回りで周回 行動時間:4H
@大間々7:08→(29M)→A大丸7:37→(14M)→Bミツモチ7:51〜55→(33M)→C見晴コース入口8:28→(32M)→D八海山9:00→(8M)→E1590m矢板市最高所9:08→(10M)→F剣ヶ峰9:18→(40M)→G大入道9:58〜10:00→(36M)→H小間々野営場10:36→(32M)→I大間々11:08
@大間々駐車場。外気温3度。風もあり晴れてはいるが小雪が舞っている。 | 今シーズン初。 | 「やしおコース」への分岐。左へ。 | しばらく下り勾配が続き、登りに入ると少しホッとする。 |
A大丸。周辺は広く平。 | Bミツモチには展望台があり、眺めがいい。 | B三等三角点 | Bミツモチ山部標 |
B展望台から矢板市街 | B展望台から西側。 | B展望台から釈迦ヶ岳側。 | ミツモチ下のテーブル・ベンチ群。その数に驚く。 |
「青空コース」を伝ってゆく。 | C見晴コース入口 | 1456高点東のミツモチ側への尾根コース下降点。下側には道標なし。 | 雪雲が乗ってきて酷く寒くなる。 |
D1539高点。ケルンと祠の場所。多くのハイカーがここで休んでいた。 | D「八海山」と表記も。 | D風邪は強いが展望は抜群。 | E1590m峰。矢板市最高点。 |
E1590m峰北側。 | E1590m峰南。 | 1590m峰の北、1580m峰。 | 1580m峰の西側に切り開きがされ、展望場になっている。 |
途中から見る剣ヶ峰。 | 剣ヶ峰直下の分岐。「大入道」への道を示す。 | F剣ヶ峰 | 剣ヶ峰北東側の九十九折の道。 |
途中の朽ちた標柱ピーク | 標柱ピークから見る大入道。 | 途中にある「縄文ヤシオ」。かなり立派。 | G大入道。 |
G大入道三等点。 | G大入道の山部標。 | G大入道西側。 | G大入道東側。小間々の道標に伝って降りて行く。 |
しばらくはササの中の道。 | 下って行くと、鮮やかな紅葉の中となる。 | 最初の渡渉点。 | 2回目。ここがナメ岩で滑りやすい。補助ロープが設置してある。 |
3回目。ここも滑りやすい。 | H小間々キャンプ(野営)場内に入るが、進路が全く判らない。 | H道標があるが、逆コースだったら見出し難い。 | Hキャンプ場内にあった道を伝って車道側へ進む。 |
途中で自然歩道に入る。すると先ほどのキャンプ場脇を通過して行った。(キャンプ場の東側に大間々へ行く道がある)。 | 散策路の様子。 | I大間々到着。伝って来た道。 | I行楽日和、満車状態。 |
文化の日の休日。就業計画では出勤日であったが、タナボタ的に休みとなった。前日の火曜日は、足利市の割烹で秋の味を堪能し、そのまま駅前のホテルに入った。翌朝4時、「やばっ」寝すぎた・・・と目を覚ます。薄暗い渡良瀬川を見下ろすと、その先に足利の低山がポコポコと見えている。今日はこの辺りを散策しようか・・・と軽めのメニューも思い浮かぶ。前日の時点では、塩那道路に入って、日留賀岳に切り開いた道を確認しようと思っていた。他人(実際の作業員であるのだが)から聞いたことを鵜呑みにして書いており、実証が無いからだった。しかし既に4時、往復40キロ以上を歩く自衛隊道路に行くには、もう遅かった。どうしよう。悩みつつも日光方面に頭を集中させる。とそこで、以前にCVP氏が高原山の東側を、面白いルートで歩いていたのを思い出した。地形図にはルートが無いような場所を、藪漕ぎでもしたかのようなルート取りで歩いていた。「よし、行ってみよう」。もう迷っている暇は無く、動き出さねば・・・の意識が強かった。
桐生経由で大間々に出て122号で日光を目指す。昨晩のアルコールがやや神経を鈍らせており、頬を叩きつつアクセルを踏む。少し時間との戦い。鬼怒川の有料道路は6時から料金を徴収する。この時の進度は間に合うように行くには微妙な時間帯であった。鬼怒川道路は何とか2分前に通過となったが、龍王峡ラインで引っ掛かった。徴収するおじさんからは、「あと1分半早かったら・・・」とニコニコしながら話しかけられる。悔しいが、これが現実。ドキドキハラハラを楽しめたと思えばそれの対価となる。そして63号線の藤原宇都宮線に入って行く。入口こそ広かったが、その先はやたらと狭い道が続く。対向車が来たら嫌だなーなんて思いたくなるような道幅がしばらく続く。途中に一面の大根畑がある。その数は驚くほど。ニョキニョキと白いおみ足の様な大根が立っている姿は、まさしく壮観。土が合っているのか名産地の様子。さらに細い道を進むと、牧場に出た。地図からは豊月平放牧場という場所らしい。朝日を浴びながら、牛がのんびりと食んでいる姿がある。こちらのガラガラとしたディーゼル音にも全く反応しない。農機具の音で慣れているのだろうとも思えた。
東荒川ダムの水面を右に見ながら進むと、しばらくして「県民の森」への道標が現れ、それに導かれるように進んで行く。しかし公園内の連絡道路のような道の様子で、「本当にこれでいいのか」と不安になるような道でもあった。そして植林地が終わり、八方ヶ原観光道路に乗ると、道が広くなり、やっとホッとできた。もしや、国道461号を通って今市から矢板に出て、これを伝った方が早かったのか・・・とここで気づかされた。でも大根畑と牧草地が見えたのでヨシとしよう。少しつづ高度を上げてゆくと、見事なまでの紅葉が楽しめる。しかし外気温は5度まで下がってきていた。車の中は暖かいが、窓を開けると空気は冬であった。大間々台への分岐箇所となり、左にハンドルを切って西側に進んで行く。ここから先は、広大斜面の中のハイウェー的な道路。下界が見下ろせとても気分がいい。季節になればレンゲツツジが綺麗なようだが、今はそれは見られない。
大間々(大間々台)の駐車場に到着すると、そこには既に6台の車。2名がハイキングの準備をしている。外気温計は3度を示し、準備しているハイカーも雨具を着込んで防寒体制。ただし天気は晴れ。そこに僅かに小雪が舞っているような状態で、これを月光仮面の歌にある「はあて」と言うのだろう。外に出て着替えるのだが、おかげさまで昨晩のアルコールは入っているので寒くない。冷たい視線を横に、裸に近い格好になり山屋に変身(ホテルに山服を持ち込むのを忘れ着替えられなかった)。準備完了。広々していて進行方向に迷うが、トイレ脇の案内図が周辺の概略コースをしてしていた。
出発。歩き易い兵站路を僅かに行くと「やしおコース」の分岐点があり、左に入って行く(ミツモチまで2.6Km)。トラバース的な道が続き、緩やかに高度を下げて行く。あまり歩く人が居ないのか、そこに残る足跡はまばら。サクサクと落ち葉を踏みしめながら、雑木林の中を行く。分岐から20分くらいは延々と下っていた。そしてやっと登りに入るのだが、太腿が張る感じが心地良い。登りに来ているのに歩き出しから下るのは、調子が狂うのであった。途中、水の流れもあり、給水出来る場所もある。
大丸と言うポイントで、ミツモチまでのほぼ中間地点(3/5くらいか)。サッと着いてしまうだろうと安易に思っていたが、なかなか長い。笹原のだだっ広いそこは、どこから鹿が顔を出してもおかしくないような場所であった。登山道上には小さな鹿の蹄の痕が先行している。それを追うように南進して行く。防寒具だった雨具も、次第にサウナ状態になりつつあり、途中で脱ぐのだが、脱いだら脱いだで今度は寒い。ウエストポーチの温度計は0度に近い温度を示していた。は〜っと吐く息も白い。そして坦々と進んで行くと、前の方に櫓が見えてきた。
ミツモチ到着。丸太組みの強固な展望台があり、その手前の登山道脇に徐に三等点があった。この点は面白い色をしていて、以前(かなり前)は、ササの中だったのだろう。苔生した色が石に沈着して、独特の色合いを出している。その上には山部さんの3D標も見える。展望台に上がると、240度ほどの展望が得られる。矢板側の展望はもとより、日光の山々も遠く望めていた。ここから西側の道に足を進めると、その下に立派な林道が上がってきていた。驚いたのはそこにある休憩用のテーブルの数。12式ほどあり、学童ハイクなどには最適に思えた。ここからの道は「青空コース」と言うらしく、快適な林道歩き。左右にササのそよぐ会話を聞きながら、青空の下を闊歩して進む。遮る物が少なく、気持ち良いコース。左手には高原山の主峰である釈迦ヶ岳が見えている。秋らしい澄んだ空の下、クッキリと輪郭であった。
やしおコースへの連絡道路分岐を右にして、その先ずんずんと進んでゆく。笹原の中にはヌタ場もあり、そこに見える踏み痕から、鹿の多さが伺える。そして尾根を左に見てトラバースに入る場所がある。この尾根にはマーキングが続いていた。地図からは、ここを登れば上の登山道へのショートカット道。下草も低く歩き易そうな尾根であった。ちょっと迷った部分だが、少しでも夜露で足を濡らさぬようにと、林道上をそのまま進む。この林道は、途中途中に解説板があり、都度足を止めては学習しながら歩いてゆく。右の方にテーブルが見えてくると、そこが見晴コースの入口となる。
見晴コースに入ると、登山道上は、ゴロゴロとした露出した石が多くなる。南側が開け、確かに見晴コース。1450高点手前で、「八海山神社0.8Km」の表示がある。ここにもう一つ「ミツモチ」と書かれた道標があった。これがさっき下で見た尾根ルートの上側下降点であった。下側の踏み痕の薄さとは相対し、上側は濃く踏み跡が残されていた。この辺りから西風を受けるようになり、かなり寒くなってきた。先ほどまでクッキリ見えていた釈迦ヶ岳の上には既に雪雲が見えている。風も10mほど吹いてきており、流石に耐えられず、再び雨具を着込む。先を行くハイカーの姿もちらほらと見られ、メインルートを歩いていることが感じられた。挨拶をしながら6名ほどを追い抜いてゆく。そして前の方にケルン群が見えてくると、その中央部分に銅板が葺かれた祠が鎮座している。ここが八海山らしい。地形図では1539高点となる。5名のハイカーが休憩しており、話しぶりから、ここで展望を楽しんで引き返す様子。確かにここからの展望はすばらしい。休憩には最適のようであった。私の方は足を留める事無く先に進む。
緩やかに登りあげてゆくと、最初の高みに「矢板市最高点」の看板が見える。その先にも小ピークがあり、ここの西側には1畳ほどの切り開きがあり、釈迦ヶ岳側の展望台的場所になっていた。ここから北に向かって高度を下げてゆく。その向かう先に剣ヶ峰のボテッとした山容が見える。60mほどの急下降し、その先は剣ヶ峰の南面をトラバースするルートとなり、その剣ヶ峰直下に「大入道」と書かれた分岐道標が立っている。ちょうどそこには若い男性二人が居り談笑していた。通りかかると挨拶をしてくれ、私は剣ヶ峰の方へ足を進める。がしかし、二人は意表をつかれた感じで無言になって私の背中に視線を向けていた。その間に二人同士の目が合ったのだろうが、なにかとても変な雰囲気が漂っていた。なんだろうと考える暇も無く剣ヶ峰に到着してしまった。
剣ヶ峰の山頂には一人の男性が居た。しゃがんでいるので、何かをマクロ撮影しているのかと思ったら、なんと、「きじ撃ち」中であった。男性は居た堪れない状況で、出た言葉が「お見苦しい所を見せて、すみません」。律儀な人だが、感心している場合で無い。でもこちらも咄嗟に出た言葉は「ごめんなさい」だった。見てはいけないものを見ている感じで、だいいち男性の姿は下半身半裸状態。もうそそくさとこの場を立ち去るしか方法は無かった。それでも男性の視線を100パーセント浴びながら、数秒立ち止まって標識だけ撮影する。参った。釈迦ヶ岳へのルートから逸れた剣ヶ峰。気持ちは判らないでもないが、山頂は拙いだろう。それより友達、「友達なら俺を止めろよ」と言いたかった。こっちだってあんな姿を見たくなかった。悶々としながら九十九折に足を乗せて下って行く。
こちらのルートは地形図にもエアリア(2000年)にも乗っていないマイナールート。歩かれる人など居ないのだろうと思っていたが、ちらほらとすれ違う。先ほどの御仁に、「早く事を終えよ」と言いたくもなった。たおやかな尾根道で、北側が切り立っている為に、その方向の展望が良い。静山の雰囲気十分で、少しづつ先ほどの「尻」の記憶が自然にかき消されてゆく。進む先にデンとした山容の大入道が見える。この見え方もいい感じで、たぶん新緑の時期では見えなく、今だから望めるのだろう。ササの中に切られた道だが、その周囲のササはせいぜい150mmほどの高さ、どこを歩いても歩けるような尾根なのであった。
大入道到着。その手前に「64」と彫られた大きな境界標柱がある。こんなでかいのを見たのは初めてであり、山頂の三角点より驚かされた。ここにも山部さんの標識が掛かり、その上に那智山青岸渡寺の御札が縛られていた。青岸渡寺とは懐かしい。ここに居ながら熊野の現地を思い出す。ここに来るまで、往路を戻らねばならないのかと思っていたら、さらに小間々側に道が降りているようであった。ササの中の道を伝ってゆく。尾根を右にするような恰好であるが、そこになぜかピンクのリボンが等間隔で続いていた。冬季のマーキングにしては付けている位置が低いし、理由が判らなかった。と言うか、やはりピンクのリボンは目立ちすぎて淫ら。用があるのなら付けておくのもしょうがないが、そうで無い場合は回収してほしい。せっかくの自然が濁されている風に見えるのだった。
高度をどんどん下げてゆくと、小さな沢状の中を行く。小さい渡渉を含めて、3度4度と繰り返してクネクネと左岸右岸を行ったり来たりする。そしてだんだんと太い流れになると、濡れたナメ岩の通過点がある。右岸側にはロープが下げられ補助となっているが、どうせそこに付けるなら、渡渉用にも横に渡しておいて欲しいような場所に思えた。その下で再び太い流れを飛び石で越えて行く。ここも滑って一瞬ドキッとする。緩やかに右岸側に登り上げての先、やや迷いやすいような場所がある。昼間ならまだしも、ヘッドライトでの行動だったら、ルートが何処にあるのか見えないよう場所もあった。
そして出た先が、だだっ広い雑木林の中。ここが小間々の野営場だろう。人工物は全く無いといっていい。唯一「大入道」を示す道標があるだけ。でも下って来たからこの道標を見つけられるが、ここから入山する人には判り辛いようにも見えていた。キャンプ場であることはその広さから理解出きるのだが、水場も見えなければトイレも無い。本当に野営の場所のようであった(あとからCVP氏の記録を読み返すと2006年当時はトイレ棟やベンチがあったようだ)。さあここで進路を迷う。何処に進めば出口なのか判らなくなった。唯一道形らしい跡が北側に進んでいたので、それを伝ってみる。すると、その伝っている途中に「大間々自然歩道」の道標があり、細い道が南に続いていた。歩いてきた道の延長線上にはチェーンが見え、そこが車道からキャンプ場へ入る入口のようであった。
散策路を伝って行くと、“おやっ、またキャンプ場”さっき居たキャンプ場内に逆戻り。ルートはキャンプ場の東側にあり、大間々に戻る場合は大入道から東に降りて来て、キャンプ場内を突っ切るようにそのまま進めば良かった訳であった。ただ、最初にそれを見ても、それが大間々に続く道とは判らない。今安心して歩いているのは、先ほどの道標を見ているから。マイナールートであり、そこまで必要ないかもしれないが、優しい配慮なら、キャンプ場内の道標をしっかりした方がいいように思えた。散策路を伝って行くと、時折左(東)側を通過する車の姿が見える。車道歩きより、こちらの方が遥かに気持ちよく、この歩道の存在はありがたい。所々に樹木の解説板もあり、ここでも少し学びながら歩いて行ける。足場がコンクリートに変わる頃、もう大間々も目と鼻の先。
大間々駐車場到着。既に駐車場内は満車。展望台に上がっている観光客の姿も見える。程よく歩け、気持ちよい一日となった。バラエティーに富んだ感じで、歩き終わっての満足感もあるのであった。
帰宅して軌跡を見ると、そこにはミニ群馬県のような「鶴が舞う」姿があった。ちょうどそのくちばしとなるところがミツモチであり、八方ヶ原「鶴舞コース」とでも名付けようか・・・。