前穂高岳 3090.2m 明神岳 2931m
2010.9.4(土)
快晴 単独 中ノ湯ゲートより入山し前穂高まで突き上げ、南進して明神X峰から西尾根を下る 行動時間:13H
@安房道路入口ゲート付近1:10→(6M)→A中ノ湯ゲート1:16→(45M)→B大正池2:01→(31M)→C上高地バスターミナル2:32→(4M)→D河童橋2:36→(13M)→E岳沢登山口2:49〜54→(40M)→F風穴3:34→(91M)→G岳沢小屋5:05〜18→(124M)→H紀美子平7:22→(37M)→I前穂高岳7:59〜8:02→(77M)→J明神岳9:19〜34→(6M)→K明神T・Uのコル9:40〜51 →(9M)→LU峰10:00→(11M)→MV峰トラバース10:11→(6M)→NW峰10:17→(31M)→OX峰10:48〜56→(116M)→P7番標識(登山道)12:52〜55→(18M)→Q岳沢登山口帰り13:13〜15→(16M)→R上高地バスターミナル13:31〜35→(28M)→・中ノ湯停留所14:03→(7M)→S安房道路ゲート付近14:10
@安房道路ゲートから100mほどの場所に駐車し行動開始。 | A中ノ湯ゲート(釜トンネル入口) | B大正池 | Cバスターミナル |
D河童橋 | E岳沢登山口。ここで給水。 | F風穴。この日で周辺温度11度。それこそ自然のクーラー。 | G「岳沢小屋」到着。 |
G岳沢小屋と西穂稜線。 | テン場から | 最初の梯子場 | カモシカの立場 |
カモシカの立場から。天狗岳稜線のモルゲンロート。 | 鎖場 | 雷鳥広場 | H紀美子平 |
H紀美子平から明神岳。 | H紀美子平から焼岳側。 | 前穂もうすぐ | I前穂高岳山頂 |
I前穂から乗鞍岳側。 | I前穂三角点 | I前穂から槍側。 | I前穂から奥穂。 |
前穂下分岐道標から見る明神岳。 | 途中から奥又白池を見下ろす。 | 尾根上の踏み跡の様子。ハイマツの中を通過したりする。 | ザレた緩い足場。明神の表情が刻々と変わる。 |
これは明神岳にあらず。本峰はまだ遥か先。 | 左の写真のピーク手前のコルに、整地されたテン場適地がある。 | 岳沢(西)側をトラバースして進む。 | 見辛い絵だが、石に赤い細引きが巻いてある。ここを右に見て、やや怖いトラバースがある。 |
トラバースし終え、再び尾根に乗る辺り。 | これもまだ明神岳にあらず。奥明神沢の源頭となるコル。正面やや右側にタイガーロープが長く流してある。浮石や岩が脆い。 | 尾根上はガラ場の連続。 | 明神岳に続く尾根筋に綺麗な踏み跡のラインが見える。後ろは核心部のU峰。 |
明神岳山頂直下にある大岩。 | J明神岳山頂。 | J明神岳から前穂。 | J明神T峰から見るU峰。 |
J明神東稜 | J石積みがされテン場が作られていた。 | KT・Uのコルから見るU峰北壁。ザイルやハーケンが散見出来る。中央やや左を狙って攀じる。 | Tピッチ目。3mほど上がった先が、ちょっと難儀。 |
1ピッチ目を上から見下ろす。 | 2ピッチ目。こちらは手がかり足がかりが多い。 | 2ピッチ目上部。もうすぐ山頂部。 | 登りきった場所の支点を取っている岩。シュリンゲ類はほとんど朽ちてきている。 |
LU峰山頂部。 | LU峰から見るV峰側。 | 降りてきたU峰の南斜面。 | MV峰は西側を大きく巻いてトラバース。 |
W峰へ向かって行く。右はX峰。 | NW峰山頂 | NW峰から見るV峰。 | NW峰から南側。 |
途中からX峰。 | OX峰からW峰。 | OX峰から見下ろす上高地。 | OX峰から霞沢岳。 |
OX峰から西尾根側。 | X峰の西斜面。ゴーロやザレで非常に歩き辛い。 | このリボンがルートを導く。 | 2430m付近でハイマツの中に潜り込んで進む。 |
2300m付近で狭稜的な小尾根となる。 | 2250m付近。極度に狭い尾根。タイガーロープが流してある。 | 2250付近から下。急下降。 | 2150m付近。しばらく樹林帯の中の道。踏み痕が広がり不明瞭な場所も出てくる。 |
ササが出だすと、もうすぐ登山道合流。 | P7番標識の場所で登山道に乗る。山手側はロープで塞がれている。 | 登山道上の大倒木帯。 | Q登山口に戻る。 |
賑わう河童橋。 | Rバスターミナルに戻る。バスに乗って中ノ湯ゲートまで下る。(750円) | 安房道路入口から入って100m付近の場所。 |
明神岳。ここは誰もが知っている岩屋の遊び場。その領域に私が入れるものなのか・・・日々悩み情報収集をしていた。だいぶ前に登頂したKUMO氏からは、前穂から往復した詳細情報を貰っており、それを読み「何とか行けるか」とも思っていた。がしかし、KUMO氏がノーザイルで往復した場所を、ザイルを出して通過している猛者岩屋さんも居て、どちらがどうなのかと不安も出てきた。頭を柔軟にすると、岩屋さんの記事の方が新しいのでKUMO氏の登頂以降に少し崩れたのかとも思えたのだった。出来る限りの危険回避を考え、沢を伝ったり、藪尾根を登ったりしてなにか良い方法は無いかと調べていた。しかしそこは穂高の有名座、どの角度からも攻められており、それが残雪期のルートだったり、岩屋さんのルートだったり。やはり容易なのは前穂からのピストンであった。
そんな中で、高山のスーパードクター氏の日帰り記事が目に留まった。それは、X峰西尾根を岳沢側から登り上げ、X・W・V・U・Tと縦走して前穂に抜けて周回してきているのだった。さすがセブンサミッターになった人、その行動力には目を見張る。ただ昔と違い、現在の松本電鉄のバスは一番バスでも上高地入りが6:30頃。これだと周回を終えると帰りのバスがなくなってしまう感じ。こうなると、往路を調整するか復路を調製するかになるのだが、バスを使っての上高地入りは、この計画では時間的な制約が大きくのしかかる。スーパードクター氏は、マウンテンバイクを駆使して上高地に入り、この部分を回避していたようだが、自転車に自信の無い私は同じような行動は出来ない。一番には、「バスの入り乱れる釜トンは怖い」と言う事であった。さあこうなるといつもの早出作戦。そして歩け歩け。早出して中ノ湯から歩き上げ、帰りは遅くなったらそのまま歩いて戻り、バスに間に合えば乗って戻ればいいと決めた。ただ、経路のこの辺りはそれで良いとするが、明神岳の稜線にはU峰の北壁では懸垂下降が必須となる。ただの歩け歩けでは無く、岩装備も必要だった。よって装備には50mザイルとハーネスとギア類を入れた。一応頭の中で何度もシュミレーションをして、最後は現地で臨機応変に行動する事とした。あと、臨機応変と言うものの、翌日曜日には大事な予定があり、日にちのずれ込みは許されなかった。「もしかして落ちる場合もある」なんて思いも無いわけでなく、これらのリスクと共に期待と不安を抱えての決行となった。
21:35家を出る。出発時の外気温は30度。この時間にしてほとんど下がっていない状況。“上高地へ行けば涼しいだろう、何せ秋なんだから”などと思っていたが、松本から158に沿って進んでいっても、思うほどに気温が下がらない。窓を開けると、涼しいと言うよりはモワッとした空気であった。“不思議な日だなぁ”と思うのであった。そして中ノ湯のゲート辺りで24度。ここでこの気温なら、上高地もあまり涼しく無さそうであった。気温は良いとして、ここでは駐車場所を探さねばならない。ゲート前から158号を坂巻温泉側に1キロほど戻ると車道脇に余地があるが、その経路の赤鬼谷トンネルは路側帯がほとんど無い状態で怖くて歩けない。歩けるのであろうが私には無理。となるとスーパードクター同様に安房道路側に停めるしかなかった。旧道に入って行くと、その入口には「駐車禁止」の看板が立つ。よく見ると「ここは・・・」とある。この「ここは」はどの範囲まで効力があるのか・・・。旧道ゲートから100mほど登ると、その周囲は広く膨らんだ場所で駐車にはもってこい。でも先ほどの看板が気になる。1号カーブを過ぎて、その先左側に1台分の余地が有るが、なんとも微妙。スーパードクター氏は5番カーブ手前まで行って停めたと言うが、九十九折の連続とその長さに、先ほどのゲートの先100mの場所が気になってくる。「駐禁」の黄色い札がドアミラーに縛られる絵面も頭に浮かぶが、一つ言えるのは岐阜(高山)側から安房峠旧道を抜けてきた場合、進行方向には駐車禁止の表示は無い。と言う事は・・・いけるかも。少し後ろめたいが、その場所に停めさせて貰う事にした。と言うのも既に1台の車が停まっており、赤信号みんなで渡れば・・・の気持ちでもあった。やっと駐車地確保。時計は0:40となっていた。
急いで準備をする。50mザイルが一気にザックの重さをずっしりとさせる。最後まで悩んだのがクライミングシューズ。U峰の岩場を下りとするので、置いてゆく事にした。水は岳沢登山口の湧水で汲む事にして、いざ出発。旧道ゲート前から中ノ湯ゲートまでは、現在は舗装工事中で、車通りも多いなか工事現場内を通過して降りて行く。やはり暑い。秋の気配など全く無いといって良いほどの気温であった。中ノ湯のゲートを越えて、さあ釜トンネルに入る。この釜トンの最初は、路面にスプリンクラーのように水が出されている。冬季用の融雪の為に設置しているようだが、今は暑さ対策なのか。予期しない噴水に、ズボンが一気に濡れる。適度な照明があるトンネルはヘッドライト要らず。コツコツと靴音を響かせながら、3センチ間隔ほどのスリット路面の上にビブラムソールをグリップさせてゆく。濡れたその路面を見ていると、やはり自転車は持ち込まなくて良かったと思えた(私の場合)。
そして釜トンを出ると漆黒の世界。そこで待っていたのは、見事な星空であった。星座は、星と星の点と点を結んで空想のように何かを形どっているのが通常だが、その骨格の周囲にも細かい星がちりばめられ、その星の多さで骨格に肉付けが出来ているのであった。その昔は、適当に名前をつけてるなぁなんて思っていたが、細かな星までが見えてくると、確かにそう見えるのであった。これが見えただけでも、今回は価がある。梓川の流れの音を左に聞きながら、ヘッドライトを頼りに進んで行く。国土交通省のセンター脇を行くと、進む方向の高い位置に、黄色い明かりが見える。岳沢ヒュッテ(新設名は岳沢小屋)の明かりだろうか。その明かりが綺麗に大正池の湖面に映り込む。煌々と明るいトイレ脇を通過し、どんどんと進む。歩いてみると釜トン以外は平坦路が多い。これなら自転車でも・・・。帝国ホテルを過ぎたら道路脇の木道に入り、その柔らかな木の感触を足裏に感じながらコツコツと進む。そして目の前の闇世の中から、駐車中のバスが数台浮かび上がる。上高地のバスターミナルに到着した。
日中なら大勢の人で賑わうターミナル。当然のように誰一人居ない。水場で手を拭い、これから入山する為のちょっとしたお清め。外気温が高い分、水の冷たさを感じる。足を進め河童橋に到着。静かな静かな河童橋。その上を見上げると、黒いシルエットで明神岳がこちらを見下ろしていた。ここからの標高差は1500mほどあろうか。今日はその頂を踏ませてもらえるのか否か・・・。右岸側に渡り、白樺荘の前を通過して行く。人気の無い夜明け頃にも何度も通過しているのだが、この日強く気づいたことがある。大正池ホテルからそう思っていたのだが、どの宿どの店も、入り口のシャッターが下りている。なにか獣避けなのか・・・はてさて。木道でなく治山道路を行くと、ゲートの先に日本山岳会の小屋が左に見える。中から黄色い明かりが洩れていた。最初にある善六橋を渡り、その次の沢の場所が岳沢ルートの入口となる。
登山口の入山カウンターの前で小休止。500のプラパティスを満たし飲料水を確保。とても冷たい水であり、浸けた手が僅かな時間でジンジンと冷える。汲む物も汲んでこれで全ての物が整った。意気揚々と登山道に足を踏み入れてゆく。一級の登山道は、しばらくは非常に歩き易い。途中に大きな倒木帯があるが、大木を乗り越え進めば、再びなだらかな道となる。「7番」の標識を気にしていたのだが、ヘッドライトを中心に歩いている為に、周囲をつぶさに見ているわけではない。風穴の所で自然のクーラーの風を浴びながら、「きもちいい」なんて体感。ここでは温度計が設置してあり、流石に周囲温度は低く11度を示していた。実は既にこの時点で7番の標識を見落としていた。この風穴の40mほど麓側に7番の標識があるのだった。その場所はルートから枝道が出ている場所で、その道の山手側に登って行くと西尾根であった。タイガーロープのある場所がそことなる。しかし判らずに既に通過してしまった。その歩き易さからどんどんと足が進んだのだが、はじめて見えた標識に唖然、標識には「3」とふられていた。いつ出てくるのだろうと、それなりに気にしていたものの、ここで3とは・・・。地形から言って西尾根の場所はこの先では無いはず。と言うことは、数字は減っている訳であり、遥かに過ぎてしまっていると判った。ナイトハイクの落とし穴なのだが、これも自然が時計回りせよ、もしくは前穂からのピストンにせよ、そう言われているように思えた。我が力量ではU峰は越えられないのかも・・・そんな気もした。左の岳沢側を見ると、先の方に黄色い明かりが強く見えてきた。岳沢ヒュッテも近い。時折ある白ペンキに導かれ枯れた沢の中を横切ってゆく。そして登り上げると真新しい小屋が目の前に現れた。
岳沢ヒュッテは「岳沢小屋」と改名されていた。何度も雪崩に遇い、いろんなげん担ぎの意味合いもあるのだろう。小屋の前では起きだした小屋の宿泊者がちらほらと出発準備を始めているところであった。万年雪から引っ張っているのか、小屋には冷たい水が引かれ、その水槽の中ではジュースやビールが気持ち良さそうな表情で泳いでいた。飲みたい衝動を必死で抑える。麓側を見ると、焼岳が低い位置に見え、西穂からの稜線はちょうど朝日に明るくなりだした頃であった。そして上高地の先の車道からは、ヘッドライトの明かりがいくつも見える。どうやら中ノ湯のゲートが開いたらしい。時計を見ると5時を少し回っていた。あれで入ってもターミナルからここまで2.5時間だから、7時半頃到着か、それでも大丈夫だったかも・・・。でもまだ先に進んでみないと判らない。そこに居た御仁と話をするのだが、ガイドが二人付いた大きなパーティーで入山しているらしい。2泊3日の予定で、この先は奥穂山荘泊まり。トータル費用は5万6千円と言う。これが安いのか高いのかは、ツアーに参加した事が無く判らない。さらにトムラウシの事故以降、ツアー参加者が極端に減ったらしい。昨今の「山ガール」同様に情報や報道が、人の行動を左右しているようである。少し長話をしすぎて大休止となった。話をしたがっていた御仁に話し半ばで「そろそろ・・・」と告げる。テン場の花を左右に見ながら、重太郎新道を上がって行く。
岳沢小屋から先は、これまでの一級の道が一転して急登の連続となる。左側の万年雪付近では、大きな崩落の音もしており、自ずと進んで行く上の方も気を使いたくなる。長い最初の梯子を伝い、前穂に近づくと言うより右(東)に見える明神岳に近づいている風であった。一つ困ったのが、ブユが多い事。常に50匹ほどが羽音を響かせながら頭周辺を乱舞している。そして時折私に牽制を掛けてくる。山との戦いとは別に、虫との闘いなのだった。それほどに風も無かったのだった。カモシカの立場で、ちょうど西穂側が輝くようなモルゲンロートに。「おおぅ」と感嘆の声が喉元まで出てくる。この上ないいい天気。展望に関しては申し分なかった。
二つ目の梯子を超えると、3つ目もすぐにある。その先が鎖場となり狭いバンドに足を沿わすように岩壁を登って行く。この辺りから白丸ペンキがルートを導いてくれる。靴の下からはかん高く乾いた石の音。まるで楽器になるような、木琴があるなら石琴とでも言おうか・・・。雷鳥広場を過ぎて、その先が紀美子平となる。休憩適地で、ここからの展望も壮大と言える。ちょうど奥穂側からのハイカーが到着し、前穂を軽くピストンするのだろう、荷をデポして空荷で登り上げだした。相変わらずの石の折り重なる斜面で、慎重に足場を選びながら登って行く。既にスタートから6時間が経過。もうすぐだとは判っていても、山頂が待ち遠しかった。前穂直下には分岐道標があり、明神岳へはここが下降点になる。そこから僅かに駆け上がると、石の折り重なる前穂高岳山頂が待っていた。
前穂の山頂には一人のハイカーが居り、各方面にシャッターを切っていた。雲ひとつ無い青い空の下に、名立たる主峰がニョキニョキと空に向かって突き上がっている。ここ最近3000m峰を踏む機会が増えているが、やはり高さと比例して展望もすばらしい。ただここでのんびりしている時間は無い。目的は明神岳。ここから見ると微笑んでいるようにも見え、一方で厳しい表情にも見えていた。たぶん、私の心の揺れがそのままに、見え方に影響していたのだろう。いい展望に長居をしたかったが、3分ほどで山頂を後にする。さあ念願のと言うか、魅惑のと言うか、試練のというか・・・とうとう明神岳に向けて踏み出してゆく。明神T峰とU峰とが双耳峰のような存在で聳えている。こちらから見ると尾根上に筋が通っており、それが踏み跡だと判る。その昔、登山ルートがあったようだが、今は廃道に。そしてそれを継承しているのが岩屋さんで、多くの岩屋さんの通過の為に、道形が濃く残っているようだ。尾根を伝ってすぐに、東側を見下ろすと、キラキラと輝く水面の奥又白池が見下ろせる。風のせいなのか、本当に水面が数秒おきにキラキラと光っていた。岩混じりの尾根だが、しばらくは歩き易い砂礫地形。しかしだんだんとバリエーションルートらしさが出てきて、一本調子で歩くような場所で無くなってゆく。それでも良く見定めるとハイマツの中にも道形があり、ここでは焦らないで進むことが、道を探す手段となる。
3000m付近に岩峰があり、その手前鞍部には、石を並べ平に成型されたテン場のような場所がある。そこから直登するように岩峰に這い上がる。この先で注意が必要。トラバース気味に西側斜面を進むのだが、西から東へ巻き込むように進まねばならない場所となる。下を見ると断崖のような場所で、下を巻いての通過は無理。何処にルートがあるのかと探していると、赤い長い細引きが掛けられている岩がある。それを見て懸垂下降かと思ったのだが、ここでの懸垂は聞いていない。周囲を見ると、どうやらトラバースするように東側に進むようだ。その細引きを右に見て、東側にズレて行く。落ちればかなり厄介な場所で、恐々通過して行く。岩壁側に体重を置きながら大きなスタンスで跨いで通過。
だんだんと明神T峰が近くなり、その表情が克明に見えるようになる。するとよくよく目を凝らすと単独のハイカーがこちらに歩いてきていた。その速さたるや、歩きの速い人を「急行」や「特急」と表現するが、この人は「音速」といって良いほどの速さ。最初に見えた場所は、400mは離れていた。こちらも足場が悪いから、スピードは出せないのだが、向こうも条件は同じだろう。しかし御仁は、最低鞍部まで降りたかと思ったら、あっという間に私の目の前に来た。そしてにこやかに会話が始まる。飯田からバイクで来たと言うのだが、私と同じように釜トンを出発したと言っていた。でもその出発時間を聞いて唖然とした。「3時半に出てきました」と言うのである。私より2時間遅くの出発でここ。恐るべし韋駄天。「恐ろしく速いですねぇ」と言うと、「荷物が無いからですよ」と。確かに小さなナップザックのような装備。「ちょっと待ってください、U峰の岩壁はどうやって通過を・・・」「あっ、あそこですね、朽ちたザイルがあって怖かったです。8mmの細引きを持っていたので、それで対応しました。でも最後のハングでバランスを崩し、3mほど滑落して・・・」と余裕たっぷりであった。前穂に抜けて岳沢を降りるようであった。もし私が7番標識から西尾根を登っていたら、X峰近辺でこの御仁に抜かれていただろう。いやはや、やはり上には上が居る。そして、お互いの健闘を告げて背を向ける。
降りきって奥明神沢から突き上げたコルとなる。目の前の岩峰には、タイガーロープが流してある。その場所は頂部よりやや西側。ルートがそちらなのかと進むと、周辺は浮石や脆い岩が多く、踏んだり触ったりすると動く石が多い。そして場所を選びながら這い上がって行く。岳沢の登山道からこちらが見えているのか、「おーい」などと、呼ばれている声がする。こんな場所で落ちれば笑われ者。真剣に岩部を這い上がる。先ほどのトラバースに続き、2回目のドキドキする通過点であった。手前峰の高みをポコポコと二つ越えると、その先にスクンと第T峰が立っていた。その手前に白く道形をつけた尾根があり、なかなかの見栄え。天空回廊の言葉がぴたりと嵌るようでもあった。ラストスパートとばかりに目の前の獲物を捕らえるようにそこを這い上がってゆく。山頂直下には穂先のような大岩があり印象的であった。山頂を通過しないトラバース道も石畳のようにそこにあり、ここにきて明瞭な道形があるのも不思議であった。すると目の前の石の上に「2峰トラバース」と書かれた絶縁テープがあった。U峰が巻けるのかと、そのまま読み取ったのだが、この先の進路に対して気持ちは揺れる。岩を掴みながら這い上がり、やっとの事で明神岳山頂に立つ。
念願の明神岳。振り返り前穂を見ると、戻るのが嫌になるほどの高さに山頂部がある。そう、まだこの時は前穂に戻ろうかと思っていた。カメラを構えながら360度のパノラマを楽しむ。岳沢ルートからは、相変わらずハイカーの声がしている。奥穂から西穂に続く鋸のような稜線。その左の方には名峰白山の姿もある。焼岳その左に乗鞍岳、六百山を従えた霞沢。大滝山から蝶・常念へと続く濃い緑の稜線。その下に目を移すと梓川の白い筋が浮き立つ。点々と見える山小屋に、あれが徳沢で、こっちが横尾と、何とか同定。すばらしい天気に見るもの全てに感動を抱く。これがガスに巻かれていたら、ここまでの進路も見誤った場所も多かっただろう。非力な私を助けてくれた天気でもあった。山頂には石積みの風防があり、テン場にもなっていた。トランシーバーを握ると、尾瀬の至仏山からTAIさんが声を出していた。声をかけると電波に乗ってにこやかな声が返ってくる。実は前日に携帯に電話があり、行動は知らされていた。「9時に山頂から声を出す」と知らされていた為に、ベストタイミングで繋がったとも言える(スケジュールQSO)。
さあ次は問題のU峰の壁。前穂からのピストンの予定ではあったが、当然行けるものなら行ってみたい。その為の岩装備もあるのだから・・・。北壁には、頂上から赤いザイルが長く降りている。その東側に青や黄色のザイルが点々とあり、各ハーケンにシュリンゲも残る。おおよそのコース取りを頭に入れて、鞍部まで急下降して行く。上からだと簡単そうに見えた壁は、高度を下げ仰ぎ見るようになると、危険度が増した怖いものと変わった。この壁を通らずとも巻き道があるのではないかと地形図を見返すが、目の前の現地を見ても地形図に記されるゲジゲジマークそのものの荒々しい岩場があるだけであった。鞍部から少しT峰側に登り返し、再度北壁全体を眺める。そして意を決して壁に取り付く。
やや東寄りに朽ちたザイルがあり、それを使っていいものか悩む。なんとか岩壁の手がかり、足がかりを見つけて3mほど這い上がる。でもここで思った。死なない登り方にしよう。登った距離を同じほどの時間をかけて慎重に下り、ハーネスを装着する。そう、セルフビレイを取りながら登る事に切り替えた。先ほどのまま登ってしまうのが以前の私だが、こう判断できるようになったのは、少し成長していると思える。私も無謀・破天荒と言われた時代から、沈着・冷静の時代に・・・なんて。すると、事もあろうにT峰側から単独ハイカーが降りてきた。恥ずかしげも無く、U峰の巻き道は無いのか聞くと、「直登しかない」との返答。そして再度取付く。一番下のハーケンは緩々で今にも抜けそう。硬い体に後悔しながら、それでも最適な体躯に手足を使って這い上がってゆく。最初のピッチは9mほどか、ここを登りきったら僅かに左(東)にズレるように登り、その先は10mほどの手がかりの多い壁。ここもザイルが長く垂らしてある。この東側登攀ルートとは別に、西側斜面にもハーケンの打たれた場所がある。こちらはどうやらアプザイレン用の様子。岩溝のような場所を這い上がると、支点として利用された水晶の化け物のような岩がある。そこには沢山の朽ちた細引きの捨て縄があり、どれも使うには怖い物ばかりであった。僅かに西に進んでU峰頂上。
明神岳U峰から南は、もう危ないような場所は見られなかった。支点の場所前まで戻り、鞍部に居る先ほどの御仁を見る。私の行動を待っていたのか、腰を降ろして休憩をしていた。手で丸の合図を送って「いいですよ」と叫ぶ。了解を得たようだった。X峰側から登って来てここに立った場合、どう思ったろうか。目の前に明神岳の山頂があり、是が非でもこれを降りねばならない。ザイルがある私はいいとして、先ほどの飯田の御仁は簡易装備で下る決断をした。一つ間違えば命はなく、それが出来てしまう御仁の力量にも感心するが、少し滑落もあったようで、一つ間違えば悲惨な絵面がここにあった事になる。危ない危ない。
V峰に向かってガレ斜面を降りて行く。そしてそのV峰だけは山頂を通過せず深く西側を巻いて通過して行く。ここでV峰から2576高点へ向けて顕著な西尾根がある。一見こちらに進むように見えてしまうので、悪天時は注意となる。トラバースするように西から東に巻き込むように進む。時折あるハイマツ帯にもちゃんと道形があり、それら道形を追いながら進んで行く。そして次のW峰は鋭利な岩が折り重なった山頂で、ここからV峰を見てもX峰を見ても見栄えがする。X峰へはダラダラと下り、最後は少し登り上げが待っている。ここも道形がしっかり見えているので安心して歩ける場所。そして明神岳X峰到着。最後の高みを楽しむように360度をぐるりと回りながら穂高の展望を目に焼き付ける。W峰の斜面を見ると、先ほどの御仁が降りて来ているのが見える。だいぶ距離が開いてしまったようだ。ジリジリと暑い日ざしを首筋に感じつつ、再度地図を見直してこの先のコースを確認。等高線の詰まった場所やゲジゲジマークも多いため、気を抜かぬように行かねばならない。さあ西尾根下降開始。
このX峰からの下り出しがガラ場で歩き辛い。ここを登りでなくて良かったと思えたのだが、踏み出した足は悉く流れる。登りだったら歩幅の半分は戻される感じであった。時折ハイマツの中に入ったり、急下降があったり、つま先が痛くなるような下りで2550の肩のような場所まで下る。下って行く先には河童橋も見えている。人までは見えないが、この天気ならウジャウジャとした観光客が想像出来る。赤いリボンがマーキングとなっているのだが、それを追うように下って行く。もしこのリボンが無かったら少しルートファインディングを迷うような場所もあり、助けられたマーキングでもあった。2450m付近からいきなり樹林帯に入って行く。最初はハイマツに分け入るような場所で、かなりの急下降で足許を常に気遣いながらの下降となる。2300mで少し深い樹林の中に入ったと思ったら、その先から意外なほどの痩せ尾根になる。“ここを進んでいいのか”と半信半疑で行くような場所で、それでもそこはしっかりとタイガーロープなどが流してあり、ルートとして整備がされている場所であった。あまりこれらのサポートロープを使わない私も、流石にここは握りながら下って行く。急下降であり、高度を下げるのも速いだろうと踏んでいたが、なかなか長い下り。下の方にはまだ遠くに白い岳沢が見える。そして嫌な事に、高度を下げて行くと、またブユが集まりだしてきていた。少しスピードを上げて降りたいところであるが、ここの自然地形は簡単に降りさせてはくれず、終始足許に注意しながら下るような場所であった。途中で尾根の両側に谷がある場所がある。そこは見事なお花畑となっていた。トリカブトの青色、アキノキリンソウか黄色もあり、ピンクの花はなんだろうか、尾根から遠巻きに見ながら木漏れ日の中の花畑を楽しんでいた。
下って行くに従い道形は明瞭になるのかと思ったら、意外にも下の方はそうでもなかった。広範囲に歩いている様子もあり、踏み痕が周囲に散見できるような場所となっていた。そして下を歩くハイカーの声が聞こえてきた。登山道も近い。そうこうしていると笹斜面の中の道となる。ここで注意。低いササなのだが、ひっかかって何度も転びそうになったのだった。広かった尾根が最後は絞られ、目の前にタイガーロープが横切っている場所まで降りてきた。ちょうどそこにハイカーが通過し、驚かせる事に・・・。そして目の前にはちゃんと「7番」の標識があった。かなり高い位置にあり、これでは夜中では気づかなかった。そして少し登って風穴のクーラーを楽しむ。先ほど上に居た時に聞こえた声は、ここで涼やかな風を楽しむ若者の声であり、3名が休憩していた。西尾根は、「風穴の少し手前」と理解していると間違いないだろう。さあ一級の道を戻る。これまでがこれまでだったので、すばらしく楽な道に感じる。駆けるように降りて行く。
登山口到着。楽しみにしていた沢水で喉を潤し、汗を拭う。冷たすぎるほどの水が、キリリとリフレッシュさせてくれる。この先は観光客に紛れねばならない。少し山屋から平地民寄りに装う努力はするのであった。左に観光客の歩く木道を見ながら治山林道を戻って行く。河童橋に到着すると、予想通りの人出があり、どうしてもこんな場合は同族の汗臭いハイカーを探してしまう。でも周辺に居らず・・・ゆっくりとした散策者を縫うように早足でバスターミナルへ戻って行く。ターミナルもバスを待つ列が長い。750円で中ノ湯までのチケットを購入して、僅かな待ち時間でバスに乗り込む。しかし乗ってからが動かない。混雑渋滞で、予定より5分遅れで動き出す。中ノ湯のゲートでも、平湯側が工事規制の為に右折できずにいる車が残る。バス停を目の前にして10分ほど待ったか、やっと降ろしてもらえ安房峠側に登って行く。車通りが多いので、身を小さくして僅かな路側帯に沿ってゆく。そして駐車余地到着。駐禁の黄色い札がされているのかと少し心配していたが、幸いにもそれはなかった。でも通行の邪魔をしていたことは確かであり、少し反省。前後には8台の車があった。
振り返る。西尾根を登るつもりが下り利用となった。ポイントはU峰の北壁を登りで使うか下りで使うかになるが、私のように登りで遣う場合は、ザイルを持たずに済む事になる。逆の場合は要携行となるだろう。ただ登りに使う場合でも、ハーネスを持ってセルフビレイをとりながら登った方が安全だろう。ちょっとバランスを崩した場合、残置されているロープが使えるのならいいのだが、持った時のあのロープの伸びは、かなり怖い感じがした。前穂からのピストンの場合も、奥明神沢源頭のコルの南側の岩場の下降で、ザイルがあった方がいいだろう。なにせ「北進」がある場合はザイル携行との判断でよいと思う。いつの日か、この明神岳周囲の岩屋のコースも攀じってみたい。その前に、まだまだ踏まねばならない場所が・・・。