中山 2492m
2010.05.15(土)
快晴 単独 ヒエ平より常念乗越経由で一ノ俣谷に入る 行動時間9H29M
@駐車余地4:15→(4M)→Aヒエ平登山口4:19→(10M)→B山の神4:29→(164M)→C常念乗越7:13〜20→(40M)→D一ノ俣沢渡渉(スノーブリッジ)箇所8:00→(50M)→E中山乗越8:50〜52→(44M)→F中山9:36〜10:01→(22M)→G中山乗越帰り10:23→(20M)→H一ノ俣沢渡渉点10:43→(84M)→I常念小屋(乗越)12:07〜12→(88M)→Jヒエ平登山口13:40〜41→(3M)→K駐車余地13:44
@登山口より400mほど下った場所に駐車。 | Aヒエ平登山口。 | B山の神にお願いしてから上がると、展望に恵まれるかも。 | 沢の脇を遡上して行く。 |
大滝通過。 | 雪渓の中は、ピンクのリボンがルートを示す。 | 少々デブリもあるが、さほど荒れていない。 | 途中から振り返る。 |
C常念乗越到着。 | C安曇野側を振り返る。 | C乗越から常念岳。目視では山頂直下に人が見えている。 | 常念小屋の入口。 |
小屋側から見ると、常念の斜面の勾配と、中山乗越からの中山への尾根斜面は平行。 | 降りて行く谷斜面の様子。 | 途中にある赤ペンキとタイガーロープ。 | 谷の中から顔を出していた小さな小屋の屋根。 |
樹林帯を抜け、少し視界が開ける。 | この辺りは、雪の下では流れの音が強くしている。 | だんだんと流れが口を開けてきた。 | 途中から見上げる中山。 |
D一ノ俣沢を左岸から右岸へ。往路は飛び石が凍っており、少し戻ってスノーブリッジで渡る。 | E中山乗越:2269高点。ここには沢山のマーキングが縛られている(西側を見ている)。 | E2269高点の30mほど南に最低鞍部がある。 | 中山乗越からの最初の斜面。 |
最初の肩から見る、次の肩への尾根斜面。 | 二つ目の肩から見る山頂への斜面。 | F中山山頂から奥穂高岳側(右に涸沢岳)。乗鞍も綺麗に見えている。 | F北側には、左から大天天井岳・中天井岳・東天井岳・横通岳。 |
F東に横通岳(左)と常念岳(右)。 | F東の一ノ俣沢への尾根を見下ろしている。下の方は判らないが、上部は伝えそう。 | F中山から見る横尾周辺。 | F槍ヶ岳が見事! |
F山頂部の様子。残念ながら三角点は雪の下。 | F奥穂高岳とその左に前穂高岳。 | F見辛いが、左から赤沢岳・西岳・赤岩岳。そして大天に続く喜作新道の尾根。 | Fコロッケパンと槍。 |
中山から中山乗越に向けて下山開始。 | 上から見る一ノ俣谷の流れ。渡渉点が写真中央やや上辺り。 | G中山乗越から北側。 | G中山乗越から東側斜面。 |
H渡渉点。上流にはスノーブリッジが見える。そこに行くには見えている左側(右岸側)を高巻しなければならない。 | H左の写真は、左に見える白い川岸から撮影。中央の石伝いに渡渉してきた(左岸側から振り返る)。 | 途中から見上げる常念岳斜面。スキーで滑りたいような快適斜面。 | 途中の枝沢に設置してあった取水用のドラム缶。 |
もうすぐ常念小屋。谷形状の中を登ってゆく。 | I常念小屋のデッキ前に登り上げる。 | I常念乗越に戻る。 | I常念小屋と槍ヶ岳の稜線。 |
I乗越から横通岳。 | ハイカーがどんどん登ってくる。 | Jヒエ平登山口に戻る。 | K駐車余地の様子。 |
月曜日の竜ヶ倉を登り終えてから、週中はずっと気胸になっていた。それも両肺。浅間山の危険レベルが「レベル1」まで下がったばかりなのに、私の方は危険レベルが跳ね上がり「レベル3」ほど(自称)となっていた。肺の病気の場合、咳と痰の症状が現れるが、ちょっと咳が酷くなってきていた。そして咳をするたびに、肺が衝撃を受ける。「くそーこんな事で負けるものか」と、慎重に呼吸をしながら現状を把握する。心臓部辺りからコツコツと漏れている音が響いている。そして背中では痛みも・・・。完全にポンコツ車、これを騙し騙し乗るのが面白かったり・・・。一応、週明けの月曜日に診察予約を入れてあり、ここは強引にも山での治癒に出かける。
金曜日の予報では、土曜日早朝はかなり冷え込むようであった。そして日中は快晴。残雪期の今、こんなにおいしい条件はない。体調さえ問題なければ北方稜線の未踏座にでも入ろうかとも思っていたが、流石にそれは躊躇し、勾配や距離を加味して行けそうな場所を探す。そして北アの横尾の北側にある、「中山」に目を付ける。ここはMLQが南川ルートで登頂しているので、予てから上高地側から狙って、新ルートを見出してやろうと考えていた場所であった。ただし登れるのは積雪期となり、適期が残雪期としても、槍見河原辺りで前泊して狙わねばならない。その場合、上高地のバスやタクシー、そしてテント泊での2日の使用、ちょっと面倒くさい山になってしまうのだった。その点、常念乗越から入れば日帰りも可能範囲。上高地からのアプローチは、一先ず棚に上げておき、常念側からアプローチする事とした。
1:22家を出る。流石に冷えている。西上州でもこの時期にして5度まで気温を下げていた。経路に困ったのが、三才山トンネルの割引券を売っていたセブンが、品物が全く無くなり閉鎖されていた。毎回ここで買ってから通過していたのだが、残念な事に廃業の様子。もうこうなると、上田側からは割引券が手に入らなくなる(松本側のセブンでは売っている)。それらを思いながら、徴収ブースのおじさんに尋ねてみた。「あのコンビニは閉鎖しちゃったんですね」と言うと、「いやいや、改装だよ」と。なんだ、私の早合点だった。そりゃーそうだよな、あれほどに深夜も流行って居たのだから・・・。徴収員からの朗報を貰い、沈んだ気持ちが一気に晴れる。そして松本トンネルに潜って147号に乗り、豊科駅の所から一ノ沢に向かう495号に折れる。ヒエ平に行くのは何年ぶりか、2001年6月に、富山の雄であるEAS氏と周回した時が最後かもしれない。登山口が近くなると、ザックに竿を結わえた釣り師が既に出発していた。少し仮眠をしたく思えていた気持ちに喝が入る。雪の状態が判らず、そこそこ距離もあるので、早出は順当であった。釣り師の存在は、生ぬるい自分に対し、かえって有り難かった。登山口は駐車禁止であり、少し下って路肩に駐車(3:55)。
アルミワカンとピッケルを結わえて出発する。今日の足許は、漏水常習犯のモンベルの靴。今回は吹き付けては乾かし、3回塗りで防水処理をしてきた。さて如何に。ヒエ平の登山口は2001年のままで、なにか懐かしい。トイレ前の沢水で喉を潤し、山道に入って行く。緩やかな一級の道でとても歩き易い。すぐにある山の神に、旅の安全を祈願し、今の体調不良がさらに悪くならぬように願う。沢を遡行して行くと、前の方に常念の白い斜面が見えてくる。“見えるほどに遠いんだよなー”とつぶやきながら足を進める。大滝を越えると、だんだんと登山道に雪が乗ってきていた。そこにあるトレースが進むべき方向を導いてくれ、なかにはスキートレールも残っていた。常念からの滑走もなかなか楽しいと聞いている。いつかは板を担いで入ってみたい。ただし、見えているスキートレールは、苦労して伝っている様子がある。横歩きをしたり、滑っているより、歩行している跡の方が多く見えるのであった。
一ノ沢の本格的な雪渓の中に入ると、竹に縛られたピンクのマーキングが導いてくれる。この竹であるが、山から切り出したのではなく、ホームセンターで売っていたものを買ってきて使っていた。採りに行くより、買ったほうが手っ取り早いということか・・・。竹に付けられている商品としてのバーコードシールに、ちょっと違和感を感じたり・・・。冷え込みは味方してくれ、ほとんど沈まない状態。ましてや自分の足跡が雪の上に残らないほどに硬い雪であった。ゆっくりと肺に負担を掛けぬよう歩いてゆく。吸気毎にゴボゴボとエアーの漏れる振動が伝わってくる。吸気量を絞った鼻呼吸歩行を貫いてゆく。周囲ではヒバリが鬼ごっこのように2羽飛び回っている。全くこちらに気にせず遊んでいるのだが、少しは部外者の存在も気にして欲しかったり・・・。先人のトレースが、程よい階段を造ってくれており、そこに足を沿わせて高度を上げる。右手(北側)斜面からは、ちらほらと水の流れがあり、給水も可能。現在は冬季ルートであり、夏道とは伝う場所こそ違うが、冬季でも水場は有るとして良いようだ。そしてトレースが九十九折をしだすと、常念乗越も近い。
常念乗越。ヒエ平からほぼ3時間。雪渓以外は緩斜面の連続であった為、予想以上に早くに到着した。この体調下では出来過ぎのコースタイムであった。常念岳を見ると、山頂直下に赤い雨具を着た方が2名見える。小屋からの出発者であろう。常念小屋の方へ向かって行くと、真っ黒に日焼けした若い女性3人が、明るく挨拶をしてすれ違って行く。小屋でのアルバイトか・・・横通側へ登って行った。そして小屋に到着すると、入口は雪洞のようになっており、完全に除雪しない遊び心が感じられた。小屋に寄る都合もなく、ましてや廃道を降りて行く格好になるので、あまり小屋関係者に見られたくなかった(と言っても中から既に見られているのだろうが)。そそくさと小屋の北側に回りこみ、一ノ俣谷への下降に入る。
下りだしての最初はコメツガの樹林帯を降りて行く。最初こそ広いが、途中で狭い筋が現れてくる。これが伝ってゆく谷筋となる。快適な下りで、小屋から2分ほど下ると樹木に赤いペンキが付けられ、タイガーロープも施されていた。何かそこにあるようだった。さらにこの場所から3分ほど下ると、沢の中から何かの屋根が飛び出していた。水を上げるポンプ小屋だろうか。ここから先は、雪に隠れた流れの音を聞きながら高度を下げてゆく。かなりの水量の音がし、足許がかなりむず痒い。そしてこの先で、太い流れの音がし、それが聞こえる右側の沢を見ると、そこには青いドラム缶が設置され、引水用の黒いホースが引き出されていた。常念小屋の水はここから上げているのか・・・。
樹林帯から出ると視界が開けるが、見える先に中山は無い。代わりに南側を見ると、綺麗に雪を纏った常念岳がある。こちらの斜面もスキーに適しているように見える。沢を下って行くと、とうとう流れが顔を出してきていた。避けるように左岸右岸の歩き易い地形を選びながら進んでゆく。一ノ俣谷支流の本流と言ったらいいのか、水線の交わる谷の出合がある。ここは帰りに迷ってしまった場所であり、マーキングを着けて本流に降りて行った方がいいかもしれない。この沢の合流点から先は、流れがしっかり出ており、簡単に対岸へ渡れなくなった。旧道の在り処は、左岸側山腹をトラバースしているようだが、雪の着いた斜面は凍っていて簡単に進めるような場所ではなかった。アイゼンを着ければよかったが、意固地にもまだ登山靴のまま頑張っていた。それでも、中山乗越に行くには右岸側に行かねばならなく、沢を見下ろしながら、適当な飛び石がある場所を探りながら進んで行く。さらには、渡ったはいいが、歩き難いような場所では困るので、伝いやすい地形を左右の岸に探しながら行く。
当初は中山乗越から真東に登路を選び、その延長線と言うべき場所で一ノ俣沢を渡渉すれば良いと思っていた。しかし、雪融けの流れは強くなり、飛び石もろくにない。有るには有るのだが、そのほとんどが凍っていて乗れそうに無い。見た目に判らないので、ストックの先で突いてみると、白くひび割れた波形が広がり、それで凍っているのが判る事もあった。これにより、渡るには水没か、もしくは、少し上流に戻ってスノーブリッジを利用するかになった。雪があるから簡単に渡れるだろうと思っていた部分であり、ここでの状況は、けっこうに障害となっていた。滑る・濡れるは嫌なので、ここはスノーブリッジを利用して対岸へ行く事にした。しかし渡ったはいいが、右岸側川岸の平坦地が無くなっていた。硬い雪を蹴り込みながらの高巻、そろそろアイゼンを着ける時間帯に入ってきていた。高巻をして下流の岸に降り、中山乗越側を見上げる。ここもコメツガとシラビソが林立し、あまり視界が開けない。急登も急登、ここでとうとう我慢も限界でアイゼンを装着。雪に爪を蹴り込みながら高度を上げて行く。“昔の道が何処かにあるのだろう”と言う期待を持ちながら、トラバース気味に中山乗越に突き上げる谷に向かって行くのだが、谷まで行き着いても、道形の気配は全く無かった。もしかしたら崩れやすい地形であり、急峻であり、道が流れやすい場所なのかもしれない。
2269高点のある中山乗越に到着。標識類は無いが、二ノ俣谷側に沢山のマーキングが縛られていた。それも新しい物もあり、レトロルートを楽しんでいる方も居るようであった。この尾根上には、雪の乗っていない場所もあり、そこには細い踏み跡が見られた。最低鞍部は、高点を取っている場所より南側にあり、そこからの最初はやや急登。15mほど這い上がると幾分楽になり、その先からダラダラと登って行くような雪の斜面となっていた。向かう先に2度ほどピークに思える肩がある。2度の糠喜びをさせられ、足を上げてゆく。それにしても周囲の眺望が凄い。既に立ち止まってカメラを構えたいのだが、山頂までの我慢と、登頂を急ぐ。雪融けし、そして固まった薄氷が、緩やかな風に花びらのように舞う。風が見えるように渦を巻きだし、これはこれで綺麗であった。
中山登頂。文句なしの大展望。パノラマ写真家のF氏を連れて来たいほどに、途切れない展望が広がっている。南を見下ろすと梓川の流れが見える。下って行けば、すぐ先は横尾となる。ピラミダルな常念岳。その反対側では、鋭利な鉾先を天に突き上げた槍がある。そのままづっと南に目をずらしてゆくと、大喰岳から連続する主稜線があり、その最後に奥穂の荒々しい姿がある。脇にはチョコンと前穂を従えて・・・。その先に見えているのは霞沢だろうか、さらに奥には乗鞍の雄姿も・・・。日差しの眩しさに目を細めながら、しばしの天空遊泳となる。この中山は、展望の山であることに間違いない。先ほど居た常念小屋がはるか遠くに見える。またあそこまで戻らねばならないと思うと萎えてくるが、東天井経由で谷を避けて戻るのも、これまた遠い。やはり谷ルートで戻るのが早いようだ。流れの出ている一ノ谷を見下ろしながら、どこか簡単に渡れ、すんなり進めるルートは無いものかと見やるが、なかなか見出すことは出来ない。時季時季で流れの様子も違うだろうから、今日伝えたコースが、この時季のベストルートで良いのだろう。ザックに腰掛けながら朝食兼昼食のコロッケパンを齧る。残念ながらヤキソバパンは無かったのだった。それでもこのパンを齧りつつ白湯を飲むと、パンが甘く感じる。山では全ての感覚が研ぎ澄まされていると言う事だろうか。ただし、胃が膨らむと肺を圧迫して僅かに痛む。でもこの場所に居ると、そんな些細な痛みは、痛みのうちに入らない。僅かな息苦しさも同様。この大自然の中では、頼れるのは自分自身のみ。痛い苦しいなどと言っていても誰も助けに来てはくれないし、ちっぽけな痛みと思えた。最後に再び、360度をグルッと回りながらカメラに収める。
下山は自分のトレースを辿る。少し腐りだしている雪の上を、往路の二歩を一歩で跨いで降りて行く。中山乗越の2269高点からは、往路より高い標高で北東にトラバースする。でも急傾斜地があり、すんなりとは進ませてもらえない。川岸で高巻した場所を一纏めにして、スノーブリッジ付近に下りてしまえればと思ったのだが、そう簡単には行かず、高巻の下流で川岸に下りてしまった。さあ高巻をどうしようかと思案しつつ、沢の中を見る。すると自然は味方してくれていた。この強い日差しに、既に飛び石が乾いていたのだった。往路にあれほど凍っていたのに、ウソのように伝いやすい石がそこにあった。こうなると渡渉を選択し左岸へ行った方がいい。足はアイゼンが着いており、滑る事に関しては往路とは雲泥の差の条件下となっていた。ストックを両手に、慎重に渡り対岸へ。
渡渉点から上流では、往路は少し高い位置を伝って来ていたが、川岸の雪に伝わりながら上流へ進む。途中で往路と同じ地形の場所を歩くが、既にそこには往路のトレースは無し。2時間ほどの間に数センチ雪融けが進んだ事になる。これが春と言う事か・・・。谷地形に沿って進んで行くが、この先の水線の交わる所で、北側の谷に入ってしまった。西から進んでくると、この北側の谷の方が本流に見え、てっきり往路をこちらから来たと思い込んでしまっていた。どうにも見覚えの無い視界が周囲にあり、途中で気づいてルート修正。上から降りてくる分には間違えないだろうが、下からの場合は要注意箇所となる。ちょっとしたミスはあったが、その先は危なげなく谷筋を登って行く。日差しで緩んだ雪に対し、樹林帯に入ると硬い雪のままで、登り返しに際し楽であった。そして小屋が近くなると、発電機やその他、独特の焼けた匂いが漂い、鼻から在り処が判るようであった。何処に出るのかと思ったら、小屋の西側のデッキの前に出た。これでは中から丸見え、急いで隠れるように北に回りこみ、キャンプ指定地を経由して乗越に戻る。
小屋の東側では、小屋前に残る雪をどのように切り崩すか思案中で、これからのシーズンインに向け、着々と準備がされているようであった。分岐標柱の場所でしばし休憩。常念斜面に一人の姿が見えるだけで、横通側には姿なし。槍側は相変わらずの大展望があり、静けさと相成って居心地がいい。風が無いので昼寝でもすれば最高なのだろうが、歩かないと死んでしまうマグロタイプ、5分ほど休憩して下山となる。
少し腐ってきている雪は、アイゼンを履いていてもグリセードするのにちょうどいい硬さ。完璧な滑りではないが、交互に足を出しながら、滑りを楽しむ。その先には、喘ぎながら登って来ているパーティーの姿もある。だいぶ陽も高くなり苦労している様子が伺える。“もっと早くに登ってくれば楽だったのに・・・”なんて事は言えない。苦闘しているようであるが、山登りを楽しんでいるふうにも見えた。この下りで総勢12名ほどとすれ違った。土日での行動なら急ぐことは無く、この時間での登りでいいのだろう。上ではさぞかし旨いビールが飲めるはず。こちらは無風の中、風を受けるほどの速さで降りて行く。この雪渓斜面はかなり楽しい下りとなった。ただし、下りは自分で予期できない上下動があり、肺が揺れる気持ち悪さを伴う。先を降りていた、地下足袋にキスリング姿の二人のパーティーを追い越し、どんどんと闊歩して行く。
1729高点付近でアイゼンを外し、少し足回りを身軽にして登山道を下る。日差しは暑いが、終始聞こえる流れの音が、何度か体感温度を下げてくれている。振り返ると、鏡のように常念の斜面が輝いている。それは尋常で無い輝き方。全てに日差しの強さを物語っていた。山の神には、無事の下山を報告し、登山口に到着する。舗装路を3分ほど下って駐車余地に戻る。
ちょっと構えていた場所であったが、意外と楽に踏めてしまった。全ては雪が左右するのだろうが、遅ければ渡渉点と経路の沢の問題が大きくなり、早ければ一ノ俣谷から中山乗越までの斜面が厳しいだろう。ただ、昔にルートがあったほどだから、雪が無い方が、もしかしたら通過しやすい場所も有るのだろう。藪を漕いで登っている方も居られ、雪が無くとも登頂は可能のようである。それにしても眺望のいい山であった。計画するなら絶対に好天の日に限る。ここに登って周囲が見えないのは寂しく、行くからにはあの大展望を拝みたい。ここを歩いて、安曇野と上高地がかなり近くに感じられた。昔の旅人の空気に少し触れられたような気も。
登山靴は、残念ながら相変わらずの浸水となった。それでも今回は、主たる要因を掴んだ。防水であるべき素材が、吸水素材に成り代わっていた。原因が判れば対応策がある。