男鹿岳 1777.1m
2010.10.23(土)
晴れ 単独 R369黒磯田島線南会津側バリケードより 行動時間:7H50M
@林道(終点)バリケード6:03→(62M)→Aオーガ沢7:05→(4M)→Bオーガ沢最初の堰堤前7:09→(5M)→Cオーガ沢橋再び7:14→(25M)→D男鹿沢橋7:39→(26M)→E男鹿滝(小滝)8:05→(156M)→F男鹿岳10:41〜11:09→(24M)→G1701高点11:33→(36M)→H大川峠12:09→(33M)→I男鹿沢橋帰り12:42→(71M)→J林道バリケード13:53
「荻野釜沢線」の標識が見えたら、その先が現在の終点。 | @林道バリケード前には5台分ほどの余地。 | 林道の様子。舗装された部分も多い。 | Aオーガ沢橋の所からオーガ沢に入渓。 |
B滑りやすい沢の中。最初の堰堤前で引き返す。 | C再びオーガ沢橋に戻り、橋の上からオーガ沢。 | ヤマブドウが沢山実っていた。 | D男鹿沢橋を渡って、男鹿沢の右岸側を詰めて行く。 |
D男鹿沢橋から見る男鹿沢。 | 右岸側にある大岩。 | 苔生した流れの中を行く。 | 岩壁の前を通り・・・。 |
大木(老木)の脇を通り。 | 男鹿沢1400m付近左俣。 | 男鹿沢1400m付近右俣。 | E男鹿滝?小さな滝が現れる。ここから南側の斜面に取り付く。 |
斜面の急登。 | 急登下側 | 1410m付近。だんだんとササが・・・。 | 1460m付近。密藪に。 |
1460m付近から下側。 | 1610m付近。ササに没する時間が続く。 | 1710m付近。この辺りは腰くらいのササ原。 | 山頂大地西側からの様子。 |
F山頂西側の標識。 | Fご存知M大標。 | F山頂南側の様子。 | F作業員が草刈り機で作業中。 |
F南側の展望。 | F男鹿岳の標識。 | F三等三角点。 | F大川峠に向けて下山開始。リボンが続く。 |
1680m付近。木の蔓延る中を通過。 | 1701高点手前で植生が濃くなる。 | G1701高点(栗石山) | 1540m付近。ササを分けて進む。 |
1460m付近。この辺りも深い。 | 1360m付近の紅葉 | 1350m付近 | 1300m付近。この尾根で一番の発色。 |
1290m付近。大木の下を行く。 | H大川峠に降り立つ。 | H峠から見る伝って来た尾根側。 | 林道の様子。 |
しらいとの橋。山手側に細い滝あり。 | I男鹿沢橋帰り。 | オーガ沢橋帰り。 | J林道終点到着。写真左側から、軽トラやジムニーなら入れてしまう。 |
那須岳は峰の茶屋で催されるイベントにお誘いを受け、周辺の未踏座を物色する。あまり足を運んでいないエリアなので、その未踏座は沢山残っているのだが、そんな中でもどうしても気になる山があった。それは男鹿岳。今年の3月に日留賀岳から狙おうかと思ったが、雪の状態が悪く届かなかった。喉に引っ掛かっている小骨のような位置付けで、男鹿岳があったのだった。
男鹿岳は、300名山であり、栃木百名山、さらには会津百名山にも選ばれている。入山は栃木側の板室からの自衛隊道路経由、反対側の福島側からの栗生沢地区からの林道経由。ただし、登る人の大半は、残雪期に目指している。藪山であるここは、一般には入山季節を限定されるのだった。それを無視してこの時季に入山。どれほどの藪が待っているのかは未知数だが、山腹には林道も通っていて、そこからの距離を見ると勝算はありそう。藪山シーズンでもあり、紅葉シーズンでもある。標高も紅葉を楽しめるであろう高さ。そして南会津側(福島)の方が藪漕ぎ時間が長そうで楽しそう。いざ決行。
前夜はやや遅くに帰宅。急いで地形図をプリントアウトし、掻き集めるようにイベントに対する宴会道具を準備する。寒い場所での宴であり、暖を取るのにホエーブスも持つ。山が主なのか宴が主なのか・・・。1:20家を出る。北関東道を伊勢崎まで乗り、R122で日光へ抜ける。日光の左岸側道路を知ってから、各段に日光を抜けるのが容易になった。そして今市から鬼怒川温泉街を抜けてゆく。各有料道路は深夜であり無料。そこを気持ちよく抜けてゆく。山王峠を前後して、道すがらは寂れた街道なのだが、田島に入ると一気に賑やかになる。セブンイレブンで朝食を仕入れてゴール間近の現地を目指す。
R121号が会津鉄道を跨ぐ手前(Y字交差点)の信号を右に入って行く。そこから700mほど走ると、栗生沢への青い道標があり、ここから南に入って行く。ここからは意外やいい道で、広く快適。ただし栗生沢地区内の道が狭い。何処が本道だか判らず、クランクの道で迷う事も。いずれにせよ南に南に進んでいけばいいわけで、集落を抜け出ると、やや狭い道に変わる。ただし林道としての状態は、かなりいい。泥跳ねもなく、上下動も少ない。そこを50キロくらいのスピードで抜けてゆく。途中「荻野釜沢線」の青い看板が見え、その先の橋を渡ると「通行止」の看板が立ちはだかり、現在のこの林道においての車で入れる最終地点となる。時計は5時。6時スタートと決め、後に移動し1時間ほどの仮眠となる。
外の明るさに、ハッとなって起きた。あまりの静けさに心地よい仮眠がとれたのだった。今日は晴れ予報。しかし藪漕ぎに控えて雨具を着込む。西側斜面でもあり、朝日がササを乾かすには時間がかかると予想した。バリケードを越えてゆくのだが、その脇に軽トラかジムニーなら通れる道幅が出来ていた。その先のバリケードも斜になっており、通過している様子が伺える。ただし、入ったはいいが、あまりユーターン場所が無いのが難点。林道の上にはマウンテンバイクのタイヤパターンも残っていた。快適な広い林道で、所々で舗装面も残る。左に流れの音を聞きながら、緩やかに登り上げてゆく。しばらく広い林道であるが、その林道も途中から自然に戻りつつある場所も増えてくる。一部大きな崩落現場があり、山道風になるが、その先で再び林道としての道幅が復活する。
歩き出してから1時間。オーガ沢橋に到着。今日は沢を伝って上に行こうと思っており、まずは入渓。と言っても流れは細い。ただし非常に良く滑る。全く気の抜けないナメ岩が続く。そこに落ち葉も乗っているので、集中力は最高レベルまで持ってゆく。奥の方には堰堤も見え、これが見える事から作業道が何処かに有るものと思っていた。しかし、その堰堤を前に右にも左にも逃げ場所は無い感じ。巻くとすれば少し戻って右岸側の斜面を駆け上がるくらい。いきなりのハードコース。頭の中では、“ここを抜けてもその先でまた滑りやすい沢なら・・・”と既に後ろ向き。ここしか行く所が無いのなら突っ込むのだが、場所を替えてもまだ狙える場所がある。潔く引き返す。オーガ沢橋に戻り、林道上を東側に進んで行く。途中にはヤマブドウの実も下がっていた。ひと房摘み採り、秋のツンと酸っぱい味を堪能。ヤマドリが一羽飛び立ったかと思ったら、時間差的に次々と舞い上がる。5羽ほど居ただろうか。一個隊のハーレムがあったようだ。
オーガ沢から25分。今度は男鹿沢橋を渡る。その沢を見ると、先ほどのオーガ沢に比べ幅が広く、右岸と左岸が歩きやすいように見えた。“これならいける”橋を渡って右岸側から沢を詰めて行く。やや大きな石がゴロゴロとする中、歩き易い場所に足を置きながら遡上して行く。周囲は苔生したいい感じ。そこに白い流れがある。大岩の脇を掠めて先に行くと、大きな物体が右岸から左岸へ移動した。シルバーバックと言おうか、カモシカ色のニホンシカであった。大きな個体で、見事な角を携えていた。それにしても初めて見る色。全身がカモシカ同様のシルバー色で、体はニホンシカであった。正しく「男鹿」であり、場所は男鹿沢。ここの主なのか。私の存在に気づいて小さく警戒音を出しながら南側山中に消えて行った。主(勝手に)の出迎えに俄かに嬉しくなる。
相変わらずの右岸側歩きが続き、先の方北側斜面に、大きな岩壁が見えてくる。そこを見上げるようにしながら通過すると、その先2分ほどで、大木の切株が前に現れる。屋久島の天然杉のそれを見ているような太さがあり、かなり印象に残る物であった。小さな尾根上の場所もあったりし、そこには獣の踏み跡もある。快適に進んで行くと、沢が分岐する場所に出る。左俣の方は涸れ沢で、詰めれば1701高点の方へ突き上げるようだ。ここは本流と思しき右股の流れのある方へ進む。すると、この先で滝がお出ましになった。小さな滝ではあるが、滝は滝、それが男鹿沢に在るのだから、「男鹿滝」でいいのだろう(勝手に)。さあどうしよう。小さいながら滝は滝、左岸か右岸を高巻してゆかねばならない。となると、先ほどの分岐沢を左俣の方へ行けばよかったかと、少し考えてしまった。ここは左岸(南)側を巻く事にした。急斜面に木々を掴みながら這い上がる。すぐに沢に戻ろうと思っていたが、10mほど上がった辺りから沢側の植生が濃くなって、それこそ戻る気持ちを遮っていた。林道から男鹿岳への距離を見た場合、まだ半分しか男鹿沢を伝っておらず、完全な中途半端。何度か沢に戻ろうと試みるが、既に酷い藪斜面に飲み込まれており、最終的には尾根を行く判断となってしまった。
標高1450m付近。密藪。冷たい夜露を乗せたササが、全身を濡らしてゆく。今日は平泳ぎと言うよりは、掴みながら這い上がる感じ。途中途中で、少し植生が緩むが、それも長くは続かず8割がたは密藪の中に居た。踏み跡、マーキング等は皆無。本当に左右に大きく振りながら、植生の薄い場所を選びながら行く。蔦類も絡まり、ササと一緒に行く手を阻む。1600mを超えると、またまたより深い藪に入った。カメラを出す場面など乏しく、しばらくササとの格闘そして対峙であった。次に1650m付近で県境稜線に乗った形となる。それまで目線辺りのササの高さが、胸くらいに下がり、格段に歩きやすくなる。時折獣道と、地形的に掘れた場所なども見られ、それらを伝って行く。振り返ると、先ほどまで高かった林道周辺の山々がだいぶ下の方に見える。数時間ササしか見ていなかったが、小さな一歩一歩が確実に高度を上げていた。1700mを超えると、右手(南側)に針葉樹が多く見えてくる。そことの間に、小さな谷筋があり、モシャモシャした中でのここは伝いやすかった。さあもう少しで山頂部。上に行くほどに藪が弱まった場面もあったが、ほとんどで糠喜び、最後の最後まで歩き難い試練の連続であった。
男鹿岳山頂部の西側に乗り上げる。平らな山頂部が南北に続いていた。そこに2サイクルエンジンの音が響いている。普通に考えられるのは、自衛隊道路側の林業作業だが、そう思うには音が近過ぎていた。この山頂の一角に居る音なのであった。東に進み、一本の木にM大の青いプレートの横たわっていた。この山で有名な山名が切り刻まれている木なのだが、かなり痛々しい。そのまま音のする方へ40mほど南進して行く。どんどん音は大きくなり、目の前に作業員が現れた。間違いなく作道中で、この男鹿岳に道を付けていたのであった。いきなり現れた私に作業員も驚き、周辺に居る作業員に私の存在を知らせる為にホイッスルを吹いた。するとパタッと音が止んだ。話を聞くと、行政の依頼で道を付けているそうだ。前日は日留賀岳のシャクナゲ尾根を開いたそうで、その昨日の苦労を振り返るように作業員は語っていた。「どちらから」と聞くので、「田島側から」と言うと、「北側の尾根にも道を付けるかも・・・・」なんて言っていた。周辺地域の百名山に選ばれ、そしてその前からの300名山としての男鹿岳。登る人は居れど、しばらくは藪山としての位置付けの山であった。少し前にここで遭難事故があったが、もしかしたらそれらが影響しているのかも。作業員の汗をかきながらの作道風景に頭が下がる一方、道が付いてしまうことを少し残念に思ってしまったり・・・。偏屈者の私は、人があまり踏み入れない静かな山が好きなわけで・・・。作業員と一緒に再度山頂側へ戻って行く。作業員は総勢7名。前を行く作業者の刈り残しを後の者がし、さらにそれに続く者がその後を同じ作業をしていた。
M大の標識から東に進んで三角点の場所に行く。藪を漕いで進んだその周辺は、一瞬にして作業員に刈り払われ、歩き易い場所に変わる。そして周辺のササも刈られ、一転して展望台的場所になった。見ていると、刈る範囲の指示は、一人の親方の判断で進められていた。この方の感性が反映される訳なのだが、周囲全体をバリバリと刈る方でなくて良かった。いちおう必要最低限に留まっているように見えた。作業員からは、「道をつけたので、降りるならこっちが楽ですよ」と自衛隊道路側を勧められるが、「田島の方に車があるんです」と言うと、それ以上は言わなくなった。さあ下山となるが、さてどうしよう。先ほどの尾根を下るのが一つの方法。でも歩いているだけに、あの密藪は避けたい。県境尾根は幾分歩きやすかったので、西進して水無川の本流源頭くらいまで進んで、北に下ろうかとも・・・。最後に、田島側から入山した人のほとんどが伝う大川峠までの尾根がある。無積雪期の情報を得ていないのだが、冬季に伝うと言っても、伝う人が多いと言う事は少なからず道形も期待できる。往路が少しハードであったので、復路はリスクを最低限にと大川峠を目指すように北に下る事とした。
「ご苦労様、頑張ってください」と作業員らに告げ、背中を向ける。顕著でないやや複雑地形。迷い易いだろうと思っていたそこには、リボンがこまめに付けられていた。そして足元には良く踏まれた道筋があり、「夏道がある」と言うには心許ないが、「踏み跡がある」と言えるほどの筋が通っていた。もしこれらのマーキングと踏み跡が無かったら、かなり迷った斜面となる。それでも、間違ってもいいようにコンパスを定め、高度計も見つつ、この先の県境尾根の屈曲点を目指す。
1670m付近から進路が少しあやふやになるが、それは地形的な関係。尾根やや西寄りに進みつつ、その先で根の蔓延る針葉樹の中を抜けてゆく。そしてその先が1701高点のある高み。またまた植生が少し濃くなり、分ける場面が多くなる。下の方から山頂部を望むと、何か白い標識が見える。ササを掴みながら這い上がってゆくと、「栗石山」と書かれたものだった。振り返ると先ほど居た男鹿岳が大きな姿で見える。休まずどんどん下る。ここでありがたいのは、踏み跡に足を引っ掛けるような木々や石が無いこと。踏み越えるような場所がほとんど無いのは登りにも下りにも楽なのであった。1400m付近までモシャモシャとしていたが、その先は紅葉が見事で、あまり植生が気にならなくなっていた。ちょっと赤みが足らないが、ここでの黄色はすばらしい。今年の紅葉、何処に行っても発色がすばらしいのを感じる。
ザワザワと相変わらずのササを分けながら降りて行く。すると、進む先の方に林道が見えてきた。栃木側は1422高点の山腹にある道なのだが、当初はそこにすぐ降りられるだろうと思っていた。しかし見えてからの現地はなかなか遠いのだった。ここを皆は冬季に通っているのか・・・と、積雪を想定して周囲の様子を目に焼き付ける。あとで一度は冬季にも狙ってみようか・・・。その時の楽しみを増やすためにも、周囲観察は重要なのであった。1290m付近で奇形の大木の下を潜ると、5分ほどで林道の道形が見えてきた。
大川峠到着。栃木側に背を向けるように通行止の看板があり、その北側の草むらの中に白いプレートが打たれた標柱もあった。さらにはそこから踏み跡が1422高点側に延びていた。これで林道に乗った形となり、あとはダラダラと伝ってゆくだけ。山頂ではずぶ濡れだった全身も、日差しが乾かしてくれ快適に微風を受けながら降りて行く。紅葉した葉を通った木漏れ日が、なんとも気持ちいい。自然と口笛が出てきたり・・・。紅葉と同時に、綿毛のようなススキもしっかりと秋を感じさせてくれていた。
しらいとの滝を通過。欄干を前に山斜面を見ると、岩肌に僅かな流れが・・・確かに白糸・・・命名通りなのであった。そこから2分ほどで男鹿沢橋。これでグルッと一周した形。往路ではもう少し沢を伝いたかったが、事故が無く歩けたので、これで御の字。帰り用に残しておいたヤマブドウをひと房拝借し、口に放り込みながら降りて行く。オーガ沢橋を越え、その先がけっこう長い。「どう登ろうか」と考えている往路に対し、「早く車に」と考えている復路は長く感じるのも当然なのだった。周囲の紅葉した山々を見上げながら高らかに口笛を響かせながら闊歩・闊歩。そしてゲート到着。流石に誰も居らず。
着替えていると、背中がチクッと痛んだ。何かに刺された模様。これを書いている今、背中にはこぶし大の炎症箇所が3箇所。水泡や膿も出ており、珍しく藪で刺し虫にやられた様子。そういう場所で遊んでいるのだから、これもしょうがない。痒さは無いが、チクチク痛む。なんだろう、刺したヤツ。
振り返る。道が付いた今。楽なのは塩那道路である自衛隊道路を使う方であろう。そして面白いのは日留賀岳と抱き合わせで歩く計画。以前にも日留賀岳の林道側に道を開いたのを聞いたが、10年ぶりくらいの作道になるのか・・・。少しハードルが高いエリアであったが、一転してハイカーに優しいエリアになったような気がする。行政は全てに「事故が無いように」との判断であろうけど、一部では「つまらなくなったなー」なんて思う方も居るだろう。私も後者寄りではあるのだが、登山人口の増加による事故の回避、行政としての先手は正しいのだろう。