中倉山 1539m 沢入山 1704m オロ山 1821.7m
庚申山 1892m
2010.12.11(土)
晴れ(強風) 単独 積雪量:稜線で30cm 銅親水公園から反時計回りに周回 行動時間:9H36M
@銅親水公園6:38→(10M)→A仁田元川左岸水神前6:48→(39M)→B地形図林道終点地付近7:27→(75M)→C1499.5三角点東8:42→(19)→D中倉山9:01〜03→(43M)→E沢入山9:46〜47→(69M)→Fオロ山10:56〜11:01→(67M)→G庚申山12:08〜20→(40M)→H庚申山荘13:00〜03→(42M)→I一の鳥居13:45→(46M)→J林道船石線入口(ゲート)14:31→(32M)→K備前楯山登山口(舟石峠)15:03→(47M)→L赤倉古川橋15:50→(24M)→M銅親水公園駐車場16:14
@銅(あかがね)親水公園駐車場から。 | @銅橋(あかがねばし)を渡って行く。 | 親水公園西側の「展望階段登り口」から階段を上がって行く。 | 手前にチェーンゲートがあり、跨いで通過。ここも少し後ろめたいが渡って行く。河川敷には鹿や猪が見られた。 |
A左岸側の「水神」。貯水槽の淵を通り、踏み跡に従い林道に降りる。 | 林道の様子。 | 地形図に表記されている林道最終地点下から、先に続く林道を見る。この場所から斜面に取付く。 | B地形図の実線最終地。 |
1100m付近で岩が出だす。 | 1100m付近から登ってきた斜面。 | 1150m付近の目立つ岩。 | 1240m付近で尾根がたおやかになる。尾根上を塞ぐマーキング。ここから赤テープが東側に下りていた。 |
1390m付近から目指す中倉山側。 | 1460m付近からオロ山(右)と庚申山方面。 | C1499.5三角点の東のピーク。 | 1520m付近から。中央は沢入山。 |
中倉山標識ピーク。1530m峰。中央の石の上には、山部3D標も見える。 | 標識ピークから黒檜岳側。 | 標識ピークから進んで行く西側。 | 途中に岩場あり。雪が乗っているので慎重に・・・。 |
D中倉山から沢入山。 | D中倉山から東側。左の高みが1530mの標識ピーク。 | D中倉山から北側。 | 中倉山の西側にある貯水枡。2箇所確認。 |
沢入山に向けて進んで行く。 | E沢入山山頂。 | E沢入山の境界標柱。 | E文字が消えた標識。 |
E伝って来た東側の尾根。 | 沢入山西側1690m付近から | 1682高点側の登り。胸ほどのササの中を分け進む。 | オロ山東の無毛地帯。周囲に鹿が沢山見られた。オロ山に向けて、もう一回ササ漕ぎがある。 |
Fオロ山。 | Fオロ山から皇海山。左に鋸山。 | Fオロ山三等点。 | F山頂部は、三角点の場所より東側の方がやや高い。周囲はシャクナゲガ蔓延る。 |
庚申山に向けて進んで行く。1760m付近。 | 尾根上の目立つ倒木。潜って通過。 | 深い所では30センチほどある。つぼ足の連続。 | G庚申山到着。 |
G山部さんの標識。標高は? | 庚申山山頂部の雪の様子。 | H庚申山荘。誰も居らず静かな佇まい。 | I一の鳥居 |
Jゲート | Jゲートの所から「林道 舟石線」に入って行く。 | K備前楯山登山口 | K舟石峠 |
L赤倉地区の古川橋。停留所側から林道側を見ている。 | 銅親水公園の全景。人工の堰堤だが、これだけ連続すると美しい。 | M駐車場に戻る。現在のここは、久蔵沢側の工事関係者の駐車場となっていた。 |
そろそろ雪を踏んでおかないと・・・。スキーの便りが各地から聞かれる中、なんか取り残されているような気持ちになり、ここは少し雪を求めて計画を立てる。そのスキーをとも思ったが、土曜日は気温が高く不向きな様子。単独行であり、楽しむ一方で、しっかりリスク回避はするのだった。と言うか、気分屋なだけとも言えるかも。向かう場所は足尾の庚申山から派生する東側の尾根とした。山名事典に載るピークも3つあり、標高もそこそこであり雪の期待も十分できる場所だった。ネット上では猛者諸氏が多数登っている。ただし降り始めのこの時期の記録はほとんど見当たらない。ならば・・・と気合が入る。雪が緩く、つぼ足ラッセルは目に見えていた。さあ何処まで頑張れるか・・・。コースは、先に辛い部分を持ってきて、銅親水公園(あかがねしんすいこうえん)からスタートし、反時計回りで周回する事にした。これなら万が一暗くなっても、時計回りよりは安心して行動が出来る。雪の深さによっては引き返す頭を持ちながら実行に移す。
2:00家を出る。夜空には綺麗に星が並ぶ。出掛けにこれらが見える事で一日の楽しさが予感出来るよう。R122渡良瀬川に沿って北上して行く。その昔、昔と言っても最近の部類でいいのだろうが、この川において鉱毒事件があった。そう足尾鉱毒事件。今回はその元凶となった場所が登山の対象となる。少し息苦しいと思えてしまうのは、プラシーボ効果の最たるものなのだろう。周囲の雰囲気中に今でも残留毒が舞っているのではないだろうか、とか本気で思ってしまうのだが、一方では熊が戻ってきたりしており、公害の山から自然の山へと戻りつつあるようだ。足尾町に入り、田元の交差点から松木渓谷の表示の方へ入って行く。その先の古めかしい平屋建ての家々に、往時の様子を伺いながら進んで行く。時折中から明かりが洩れる家もある。“まだ住んでるんだー”と驚かされるのだが、ここも住めば都と言う事だろう。暗い中に現地に着くが、そこでの温度表示は6度。やや暖かい日であった。鋭角に折れて駐車場に降りて行く。静かな誰もいない駐車場に、ポツンと停車。工事用のプレハブからの明かりがあり、星空を楽しむには明るい場所となっていた(3:50)。後に移動し、夜明けまで仮眠を決め込む。ザーと言う渡良瀬川の流れの音が、さながら子守唄のようでもあった。
6時、モゾモゾと起きだしパンを齧る。そして新調したテルモスからホットコーヒーを飲む。入れてから6時間経過しているのに、ほぼ熱湯。最近の機種の保温力は凄い。次第に周囲が明るくなり、そこで初めて銅親水公園の存在が見えてくる。堰堤から流れからは白く靄が上がっている。周囲に見える植生の薄い山々に、益々周囲温度を低くさせているような視覚効果があった。いそいそと準備にかかる。今季初の冬山装備。気温が高いから大丈夫だと思うが、6本爪もザックに放り込む。厚手の手袋を懐に入れていざスタート。銅橋を渡ってゆく。
親水公園内のトイレは鍵が閉っていた(周辺でのトイレは赤倉のバス停しかない)。そのまま西に進むと、堰堤の西側に上がって行く階段がある。そこを伝って上に行く。ただ、進んで行くと“ここを進んでいいのか”なんて思うような雰囲気の場所になる。敷石の上に足を乗せるが、降雪の為に凍っている場所もある。足元に注意しながら進んでいると、右側に見える河川敷で何かが動いたのを感じた。それは鹿であった。悠然と川を渡ってゆく鹿。これは私にとって珍しい光景でもあった。腹まで水に浸けながら対岸に渡って行っていた。この先、ステンレスのチェーンが進路をを塞ぐ。一般者はこの先に進んではいけないのだろう。封鎖された先には導水管橋があり、チェーンはその為と判る。禁を破る形で跨いで通過する。そしてエキスパンドメタルの敷かれた橋の上を辿ってゆく。すると今度は、凄まじい勢いで黒い弾丸のような生き物が足の下で動き出した。まるで軍艦のジグザグ航行のように、右に左に方向を変えながら、それこそ猪突猛進な行動であった。鹿に猪、野生動物も多いようだ。となると次は言わずもがなのクマ。はてさて出てきてくれるのか。花札で言えば、あと「蝶」が出れば猪鹿蝶となるわけだが、この時期に蝶は・・・。橋を渡りきると、左岸側に「水神」が祀られ、そこに大きな水槽が作られていた。北側の祠にも何か祀られていた様だが、中はものけの空となっていた。水槽の淵を伝って南側に行くと、そこから林道へ降りる踏み跡が出来ていた。橋を渡った人の、ほぼ100パーセントがここを降りるのだろう。
林道に乗りしばらくは舗装された上を進んで行く。先ほどの猪の進んだ先を目で追ったり、山側斜面を見上げ、その上の尾根に乗れそうな伝えそうな場所を見ながら西進して行く。途中の廃林道に3度ほど誘われるが、全てパスしてそのまま詰めて行く。それには地形図の実線終了点から取り付こうと思っていたわけで、そのためにズンズンと進んでいた。この林道に乗ってちょうど30分、右側に「上久保沢」と銘板が打たれた堰堤が見えた。するとその先にピンクのマーキングが斜面を登っていた。どうやらここが多くの方が伝う場所らしい。その淫らなピンク色に誘われるが、天邪鬼を決め込みさらに進む。上久保沢出合から3分ほど行くと、目の前に大きな堰堤とそれを巻き込むような白いガードレールが見える。堰堤は地形図に記載があるが、一方の道の方は九十九折をした形の先で停まっている事になっている。どこまで伝って行けるのか。少しグーグルアースで見てくれば良かったか・・・。少し興味はあるが、今日は行程が長いので、判断はパッパとせねばならない。すぐに斜面に取り付くことを決め下草の無い落ち葉の中を登り始める。途中で廃林道が上がってきており、それに乗る。伝いながらも、道の曲がる様子が地形図に合致する。間違いなく実線の上に居るようだ。だがしかし、すぐにその林道跡は終点となった。山側斜面には薄く踏み跡があり、それに乗るも、次第に有耶無耶になり拾って進むことが出来無くなった。直登するように斜面を駆け上がってゆく。
1100m付近で、やや大ぶりな岩が現れる。右に左に巻き上げるように進んで行くのだが、周囲の木々を掴むような感じで登る傾斜具合であった。この辺りから少し東にズレる。一部崩落地のような場所を通過し、益々岩がごつごつとしてくる。先ほどの猪の続きがあるのではないかとワクワクしているのだが、周囲に糞も爪痕も無く、このあたりは生息エリアでは無いようであった。1150mで目立つ直立した岩が有る。ここで鮮やかなグリーンのマーキングが現れた。この蛍光色は良く目立つ。緑を基調としているので、ピンク色のような淫らな感じがしないのがいい。そして1240mの尾根の肩まで上がると、このマーキングが尾根を塞ぐように設置してあった。そこから東に赤いマーキングが降りていたので、下山の為の降り過ぎないよう設置したものだったようだ。この先は至極快適だった。雪の乗った緩やかな尾根道。左(西)の奥にはオロ山の円錐形が見えている。高度を上げるごとに、一つ二つと見える山が増えてゆく。振り返ると上州側の山々の姿を見せてきていた。しかし展望の良さとは別に上の方から轟音が響いていた。それが風によるものとは最初判らず。航空機が通過している音だと思っていた。しかしこれが途切れることが無くなり、風と判った。ジェット機の音だと勘違いしたくらいなので、かなり強い風が吹いている。1400mを越え、周囲展望はすこぶる良くなるのだが、風当たりも強くなった。懐から手袋を出し、ザックからは帽子も出す。冬装備でよかった・・・。
尾根上に乗り、とりあえず東側の高みに登る。三角点の書かれている東側の肩的場所となる。北を見ると、社山から西に連なる尾根が見事。その後にある男体山の存在感も、それこそ男らしい。左に目を持ってゆくと、ちょこんと日光白根も見える。こちらは少し女らしいのかも・・・。さあ主尾根に乗った。展望尾根と言われるだけあって、ここから先での景色はそれは見事。進行方向右にある大平山が主人公となるのか、そこから派生する尾根筋が複雑に陰影を織り成し、目を楽しませてくれる。西進して行くが、1499.5の三角点は雪の下となり判らなかった。尾根を境に南斜面は笹原、そして北斜面は積雪とクッキリと分かれていた。純白の雪の上に我が足跡を残しながら進んで行く。左前からの強い風に、時折立ち止まる。15m、時には20mほど吹いていただろう。
1530mの標識の場所に到着。標識が置かれ、そのひとつは山部さんのものであった。しかし標高が東の三角点の標高で書かれている。どうしたのだろうか、三角点主義と言う事か。それはそうと山名事典では東側の1539高点で座標を取っている。地理院は現地現称主義を貫いてはいるが、ここは微妙な表記。すぐ近くに袈裟丸山があり、ここも同じ事が言える。こんな中でブレないで位置を示すのが山名事典。西側に見える高みを目指す。少し尾根上に岩がゴツゴツした通過点が出てくる。風もあり、雪が乗り、慎重に足場を選んで通過して行く。小ピークを経て、次に登りあげたのが事典の示す中倉山。
中倉山の山頂は枯れた低木があるくらいで、一面の笹原の山頂部。その為に360度の展望があった。西には次に目指す沢入山が緩やかな右カーブをした先に待っている。立ち止まっていると、みるみる風に体温を奪われてゆく。急いで周囲展望をカメラに収め、防寒具のジッパーを上まであげてザクザクと雪を踏みしめてゆく。この中倉山の西側には、貯水枡が二つ設けられていた。どんな目的なのだろうか。あまりにも隙間風が体に入り込むので、風を避けるようにこの枡の中に入り、再度衣服を整える。着すぎても熱いし、こんなふうに風が吹けば寒いし、衣服選択も難しいとつくづく思う。沢入山への登りに入ると、霜柱で浮き上がった柔らかい地層の上を行く。その上に5センチほどの雪が乗り、フカフカ・ザクザク・シャリシャリと足を進めてゆく。深い所では30センチほどの吹き溜まりになっている。踏み出した足に対し、沈み込み量が不安定で至極疲れる登りとなっていた。
沢入山到着。少し樹木の生えた山頂で、その中央に石の境界標柱が三角点のように立っている。丸太を輪切りにした古い標識が細引きで結わえられているのだが、文字どころか、経年変化で年輪の輪が浮き立っているような状態であった。オロ山側を望むと、スクンとした円錐形の皇海山が見える。このエリアに入る時は、なぜか天気が悪い時が多い。これほどのクッキリとした皇海山を見させてもらったのは初めてかも。ここからその姿を見てしまうと、やはり百名山に相応しい姿に見える。この沢入山の先は、またまた岩の乗った尾根が現れる。少し風の周期が弱まっていたが、今度は雪の量がだんだんと増えてきている。雪が乗って滑り易い岩の上を、慎重に、そして慎重に。ここを越えて最低鞍部から先は、肩ほどあるような深いササの中を分けて進む。周辺では赤色の絶縁テープがルートの場所を導いていた。雪が乗っていて、ほとんど踏み跡が判らない。ササも雪の重みで寝だしていて、大股で踏み越えるような足の動きが続くのだった。この辺りはかなり疲れる行軍となった。1682高点付近でいったんオアシスとなるのだが、再びその先から笹薮の中を分ける形となる。そして直下の急登が厳しい登りとなる。もしかしたら、やや北側を巻き込むのが良いのかも知れないが、なにせ初めての場所、両腕を使いながら腕で這い上がる感じで登って行く。そして次にシャクナゲの蔓延る場所となる。ルートは尾根南側に見えていた。冬季であり雪があるので、なるべく尾根上をと進んだが、かなりこのシャクナゲに梃子摺る。すんなり道形を追ったほうが早かったようだ。
オロ山山頂かと思った場所には標識は無く。そこから西に15mほど進んだ先に三角点が待っていた。ふと気づくと、風がだいぶ収まっている。青い空にクッキリとした周囲の山々。日光白根も先ほどは女性らしいと評したが、もうここからは男らしい姿で見えていた。その左横の方に大きな白い山が見えるが、至仏とか燧なのか。同定は出来ないが、我が視覚の中に入り歓迎してくれているように感じた。持ち上げたお湯を飲みながら小休止。外気温は2度くらいか、温かいお湯が喉から胃に収まるまでの流れが判るようであった。松木渓谷の深い谷が眼下に見える。いつかは一度伝ってみよう。ここまで4時間強。伝って来た経路を考えると、戻る選択は厳しいしつまらない。やはり庚申山に抜けてしまった方がいい。
オロ山の西側は急峻斜面。木々を掴みながら大きく高度を下げてゆく。そして折りきった先からはなだらかな斜面が続く。地形図を見てもここだけいやに白い。それだけ等高線が緩い事になる。勾配が緩いのはいいが、今度はササが深く繁茂していた。当然のように雪の量も多くなり、両手でササを分けつつ、大股でのつぼ足が続く。コキコキと股関節が悲鳴を上げているのが判る。“久しぶりだからな〜”悲鳴でもあると共に、喜びのコキコキでもあるのだった。そしてキーン・キーンと鹿が近くで鳴いている。次の瞬間、ド・ド・ドーと集団の地響きが聞こえる。ここは鹿にとっての楽園なのかも。それにしても皇海山の見事な姿。不思議な、胸にジーンと来る美しさがある。歩く回数を重ねる毎に、山の味わいを深く楽しめるようになってきているのかも。バリバリとササを分け、ザックザックとツボ足で進む。
庚申山到着。トレースを見ると、単独行者が通過しているよう。この時期に鋸山の方へ行っているのだから、よほどの猛者だろう。不思議な事にソールパターンがフェルト地のようで何もない。特異な靴を履いているようだ。陽射しを受けながら小休止。ここまででスタートから5時間半。ままいい感じで進めてきたようだ。見えるのは一人分のトレースだが、一応これが頼りに出来るので、庚申山荘へのやや危険度のある下りに対し安心材料になっていた。もう少し入山している人が居ると思ったのだが、ここもオフシーズンのようであった。さあ下る。山頂大地からの下降点の所に、以前はプレートが石に埋め込まれていたが、この時は無くなっていた。慎重にトレースに足を乗せるように下って行く。梯子場が連続し、その他の場所でも僅かな気の緩みが事故に繋がる。一番怖かったのが、崖の下にあるツララの針の筵の場所であった。少し気温が高くなり、それらが時折落ちてきていた。足早に通過したいが、足元には、折れた太いツララが散乱し凍っていて急げない。ドキドキの通過箇所となった。夏道がここを通らせているのだが、冬季は廃道になっている側を伝った方が良かったようだ。途中の水場で喉を潤す。道が緩やかになると、もう山荘も近い。
分岐点に行くと、今日は小屋の往復で一人が訪れた様子。トレースパターンは一種類、同じトレースが往復しているのが見える。庚申山荘は静かな佇まいで、入口の階段に腰掛けて緩くなった靴紐を縛り直す。ベンチとテーブルには10cmほどの雪が乗っているまま。降雪後にはあまり訪れる人は居なかった様子。座ってぼんやりしていると、程よい疲労感と陽射しの暖かさに眠気を感じてしまうほど。しかしまだ先は長い。気を緩めず、やや重くなった腰を上げ下山となる。
庚申山荘からは、緩やかな登山道なので快適も快適。細かいピッチで早足で降りて行く。雪が消えると、落ち葉でフカフカになったルート上。再びザックザックとこれまたつぼ足。でもこれほどの落ち葉に出迎えられると、微妙に嬉しかったりする。雪で遊び、落ち葉でも遊ぶ。両手に掴んで、ひらひらと舞う姿を眺めたかどうかは、秘密。山荘から45分で一の鳥居に下りる。さあ林道歩き開始。庚申川の流れの音を聞きながら、大股で降りて行く。以前は“長いなー”なんて思っていたこの林道が、最近は苦にならなくなってきた。これも慣れか。
ゲートに到着。当然ながら駐車している車は無く静か。そしてその先から林道舟石線に入り、緩やかに登って行く。途中にある土神社碑などの解説文を読み読み進めるので、わりと飽きないで歩ける場所であった。車での通過は数度あるが、やはりどんな場所も歩いてみると別の発見がある。登って行くと二人のハイカーが降りてきた。備前楯山に登るのなら車を上にあげるだろうから、「関東ふれあいの道」として、ここを歩いているのかもと思えた。挨拶を交わしつつすれ違ってゆく。峠までがなかなか長い。途中から見覚えのある備前楯山の山塊が見えてくる。僅かに雪が覆った斑の斜面が、一見雪融けの春先の様子にも映っていた。
備前楯山登山口通過。北側に大駐車場があり、そこにこの林道の名前にもなっている「舟石」を見る。自然石のようであるが、まこと特異な形をしている。さあここが舟石峠。あとは赤沢地区までの下りとなる。下って行くに連れ、鉱山色が濃くなってくる。坑道跡の解説板も多くなり、銅山と栄えたこの地を勉強しながら歩いて行ける。そして本山地区まで降りると、ここが最盛期に一番賑やかだった場所となる。しかし、今のここは至極静か。一人の作業員が、廃施設の片づけをしている姿が見えるだけであった。降りて行くと、古めかしい変電所も見えてくる。さながら昭和を感じる造り。電線に繋がれている碍子が、まるで小鳥のように並んで見えていた。周辺ではまだブーンと音がしていたので、依然使われている様子。
旧足尾精錬所が横に見えてくる。その先には古めかしい板張りの鉄橋もある。どれだけの物資がこの上を通過したのか、これが古川橋であった。停留所には町営バスが停まっている。中には誰も居らず、寂れてしまったこの付近の様子が、そのバスから見て取れた。ここから親水公園までも、さらに見るものが多い。進路左の対岸に太い長い煙突が見える。足尾の象徴とも言える精錬所の煙突であった。愛宕下地蔵尊に山旅の無事を挨拶し、その先に旧愛宕下集落の跡地がある。防火壁なのだろう遺跡のような壁が残る。この素材はカラミ煉瓦。鉱山地区ならではの独特の物とも言える。そのゴツゴツとした質感の中を覗くと、その空間に長い月日の色々が詰まっているようにも見えていた。高原木地区の説明看板を左に見て、現在はこの右手斜面の上の方で、大々的な工事がされていた。ここから響く削岩機の音が、周囲の谷あいにこだましていた。
銅親水公園到着。駐車場は工事関係者の車ばかり。ちょうど交通整理員が帰宅の途につくところで、寒さに晒され赤黒くなった頬が印象的であった。歩いてきた稜線を見上げ、ニンマリ。山を楽しめ、後半は足尾銅山の昔を学びながら歩くことが出来、とても有意義だった。色んな事件や事故があったこの場所。全ては今の日本工業の礎となっているのだろう。いい感じに温故知新な山旅であったとも言える。